帝国戦争
ムミア・アブ・ジャマール反戦論集 第2部萩谷 良/訳
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はじめに
政治的囚人で、著作家であり、父親であり、政治活動家であり、反逆者であるムミア・アブ・ジャマールは、15歳のときから、抵抗運動の代弁者として活躍してきました。彼は賞を受けたジャーナリストであり、ラジオを通してのその論評は全世界で無数の人々に感動を与え、魅了し、勇気づけてきました。このパンフレットは、2001年9月11日の事件の結果と「テロとの戦争」に関するムミアの論評第二集であり、社会的政治的な運動、有色人種、第三世界諸国、そして私たちすべてにとって、じつに多くの重要な意味を持つものです。
ムミアは、いつものように、その身上である、明解で簡潔な分析と、雄弁な文筆と、民衆を利益よりも尊ぶ彼の愛のある哲学を、ここでも示しています。放縦で無見識な愛国主義が、ますます多くの無辜の人々の死をあおり立てるために利用されている、この時期にあって、ムアミの著作は、疑問を投げかけるだけでなく、答えと行動を要求する、数少ない言論のひとつです。
ここに抜粋したエッセイの著作権は、ムミア・アブ・ジャマールに属します。
日々のテロル
2001年12月8日
人の意識を条件づけるメディアの力は、強大である。ほんのひとつの言葉、たとえば「テロル」という言葉だけで、洪水のようにたくさんのイメージが我々の心に轟きわたる。まるで、ちょうどよくならべたドミノ牌が、次々に倒れかかっていって、乾いた硬い音の波動を伝えていくように。テロル、テロリズム、マンハッタン中心街のツインタワー、金属製の猛禽類のように舞う飛行機。堅固な岩と鋼鉄の中につっこむ。タワーは炎上。煙を噴く。人間たちが吹き飛ばされて乾燥したほこりとなる。オサマ・ビン・ラディン、ムラー・オマル、サダム・フセイン(以下空欄を埋めよ)。これらが、メディアによって我々が思い浮かべるよう条件づけられた想念だ。我々は、この問題についてはほとんど選択の余地がない。
だが、もうひとつ、この国を荒廃させているテロル(恐怖)がある。その影響を受ける人は何千人ではなく、何百万人だ。それは、白人にも、黒人にも、英国系人にも、ラテン系人にも、市民権をもつ者にも移民にも、男性にも女性にも、同性愛者にも異性愛者にも、ユダヤ人にも、ユダヤ人のいわゆる異教徒にも、北部州の人々にも、南部諸州の人々にも、メイン州からミシシッピまで、影響をおよぼすのだ。
それは、経済的破綻という恐怖(テロル)である。来週の給料がもらえないというテロル。馘になるというテロル。家賃(あるいは住宅ローン)が払えなくなるというテロル。自分の子どもが飢えに苦しめられるというテロル。
これは、沈黙のテロルである。隠れたテロルである。ほんとうに、これは、紛れもなく現実の、目に見えぬテロルだ。国家がそれと戦うことを拒むばかりか、その存在を認めることすら拒んでいるテロルなのだ。
9月11日の惨事のあと、少なくとも80万の人々が職を失った。皿洗いも、メイドも、ホテル従業員も、コンピュータ技術者も、旅行代理店社員も、予約係も、そのほかの人々も。だが、この数字は驚くべきものに見えるが、これでも、より大きな問題に比べれば、ごくささやかなものだ。
9月11日以前も、2001年3月以来の経済指標を見るなら、少なくとも800万人の人々が、景気後退のせいで失業しているからだ。
800万人!
目に見えない800万の人々が、失業し、およそ形容を絶するテロルに捉えられたのだ。
なぜこれが国家の非常事態とならないのか。
なぜ、大衆デモが動員されないのか、またメディアが声を合わせて怒りの声をあげないのか。犠牲になった人々が貧しく、そして、貧しい者は犠牲にしてもよいからか。
大手のメディアは、富める者の所有物であり、手段であるから、貧しい者、あるいは貧しい労働者に、経済の理論やシステムの失敗について教育を施すことにはなんの関心もない(あるいは利益を見いださない)。それは、彼らのためにあるのであり、貧しい者を裏切るものだからだ。
「経済の奇跡」のアラを探すのは、身分ある人々の利益にはそぐわない。グローバリゼーションの信奉者はこの醜い現実を無視したいのだ。
ダウ・ジョーンズ工業平均株価やスタンダード&プアーズ格付や、最近のナスダックなどが、800万の失業者にとって何を意味するのか。
1年前、エコノミストは、景気循環はもうなくなったのだと宣言し、これからは株価はただ上昇あるのみと怪気炎をあげていた。それが不況到来の前夜だったのだ。
貧しい者が忌まわしい者のように扱われるとき、彼らの夢が打ち砕かれるとき、日日のテロルが席巻する。
アフガニスタンとグレート・ゲーム
2001年12月28日
何百万もの米国人にとって、歴史とは混乱したパズルだ。それも米国史がそうなのだ。世界に目を転じると、パズルはいっそう大きく、なおさらわかりにくくなる。
彼らにとって、アジアの中心にあるテキサス州ほどの大きさの古い国であるアフガニスタンは、塵埃にまみれ、恐怖の充満した、2001年9月11日の事件のあと、ようやく「現実」となった。旧ソ連との戦争のあった10年間に手短にふれるときを除けば、たいていの人は、アフガニスタンの長い、戦争に明け暮れてきた伝統を、ほとんど知りはしない。これは、19世紀初頭から英国とロシアの間に起こったいわゆる「グレート・ゲーム」における米国の役割のうちにも見てとることができる。当時、帝政ロシアは、ピョートル大帝が「インド洋の温水域」と呼んだ地域まで、その国境を南へ拡張しようとしていた。
だが、この水域は、英国のラジ(王侯)、あるいは植民地インドが自領だと主張していたものだった。
ロシアは、ペルシャのカジャール・シャーに「インドへの関門」と見做されていたアフガニスタン西部ヘラートを攻撃させることで、欧州による介入の先鞭をつけた。英国はこれに対抗してヘラート防衛のための兵力と物資を送った。ペルシャの攻勢に抵抗するため、1837年から1838年頃、英国艦隊がペルシャ湾に赴き、ロシアの介入を阻止した。
それにつぐ約80年間、アフガニスタン人は、英国を相手に3度戦い、いずれも勝っている。最後の対英戦争は1919年に行われた。このときまでに、英国は、帝国としての任務の多くを米国に譲り渡しており、帝政ロシアは、ソビエトに変わっていた。主役は変わったが、ゲームは変わらなかった。ただ、冷戦のルールで行われるようにはなったが。
1980年代までには、ゲームが再開された。密輸の兵器を送って支援し、ソ連軍部の反応をおびき出して、カーター時代の国家安全保障担当顧問であるズビグニュー・ブレジンスキがのちに「アフガンのワナ」と呼ぶ事態を勃発させたからだ。この戦争でソ連は何十万もの兵士の命を失わせられる。このソ連にとってのヴェトナムが、ついにはソ連邦崩壊を招くのである。
多国籍タリバン政権を転覆するためにアフガンに米国軍が侵入するととも、グレート・ゲームは新たな回を迎えた。仮借ない空軍と大量の爆撃、そして北部同盟と呼ばれる地上戦力による軍事戦略に、タリバンは圧倒された。ものの数週間で、彼等は、ほとんど一切の拠点を失ったのである。
とはいえ、これもまた、グレート・ゲームのひとつの段階にすぎず、そこでサイコロを振っているのは、昔ながらの顔ぶれである。それというのも、タリバン支配下のアフガニスタンはパキスタンとサウディアラビアの従属国だというのが事実だからだ。北部同盟の支配下にあるカブールを含め、アフガニスタンの主要な都市の多くからサウディアラビアとパキスタンが追い出され、ロシアが、10年間の戦争でも得られなかった獲物を手に入れようとしている。
いまロシアの欲望をそそっているのは、かつてピョートル大帝が横取りしようとした「インド洋の温水域」ではなく、黒い黄金、今後半世紀の工業生産を支えるべきカスピ海底の石油である。
グレート・ゲームは、いつもとかわらず、富める者と力ある者のために行われるのだ。
軍事法廷と議会
2001年12月29日
2001年9月11日の事件のあと、ブッシュ政権は、米国が「テロリスト」と見做す者は誰でも裁判にかけることができる軍事法廷を設置する計画を発表した。これらの法廷は、上訴も含めて軍の将校が裁判長となり、最終審判者は、国防長官か大統領が務めるのである。
こんな法廷で裁かれる人間の訴えは、連邦司法制度の部門や審級の判事には、まったく聞かれることがない。
米国はこうも熱狂的なムードになってしまい、リベラルなエリートは無気力になり、法曹界は権力の前にひれ伏してしまったので、政府による、この粗暴なむき出しの司法権横取りに対する抗議といっては、ただつぶやきが聞かれるのみである。
このような法廷の設置は、「デュー・プロセス(適正な法の過程)」という、ごたいそうな米国の主張にまっこうから反するものであると言っただけは足りない。また、そんな戦争遂行政策は、議会による公式の宣戦布告がなされていないから不当だと言うのも(議会がそう言っても何ら重大な混乱は起こらないだろうに)、十分ではない。この議会は、すでに一部のオフィスが炭疽菌に汚染されたという報告だけで神経過敏になり、記録的な速さで(ほとんど議論もせず、公聴会、委員会報告、両院協議会はまったくなしに)、前例のない、複雑な、そして思い切って抑圧的な米国愛国法を成立させてしまった。
軍事法廷の開廷を大統領政令で命令するのは、明らかに憲法違反である。事実、大統領に最高司令官としての権限を与える条項そのものが、司法に対する彼の権限を制限するものなのだ。憲法はなんと言っているか。
合州国憲法第2条第2節 大統領は、合衆国の陸海軍・・・の最高司令官である[第1項]。大統領は、上院の助言と同意を得て、・・・最高裁判所判事・・・を指名し、上院の助言と同意を得て、これを任命する[第2項]。
第3条第1節では、こう規定されている。
合衆国の司法権は、一つの最高裁判所および連邦議会が随時制定、設置する下級裁判所に帰属する。
これだ。大統領は、上院と協力して行動し、最高裁判事を指命、任命し、議会が、新しい法廷を制定、設置するのである。議会がこの任務を行政府に譲り渡すことはできないのである。
大統領が、法廷の設置を命令し、そこでは、すべての裁判官が大統領の直接の監督と司令のもとに置かれる。これは、ペルーでアルベルト・フジモリが設置し(面白いことに、これも「テロリズム」と戦うためだった)、米国が非難したのとまったく同じ、典型的なカンガルー裁判【法や人権を無視した私刑的裁判】ではないか。
とはいえ、米国の一般の法廷をうっかり褒めてやるつもりはない。それはそもそも基本的に政治的な機関なのだから。我々は、米国人テロリスト、ティム・マクヴェイの裁判でFBIが処刑数日前まで何千頁もの資料を提出せずにいたことが、のちに発覚したのを、忘れただろうか。一般の裁判所は、こんな違反も、ささいな違法として見逃してやるのだ。
そして、政府は(マクヴェイ処刑によって)思い通りに事を運んだのだが、これらの裁判の処理の仕方に関する報告が出ると、狼狽するのだ。そんなことは今は起こらないはずではないか、と。
ブッシュ政権のもとで、軍事法廷は行政の気まぐれの道具となる。軍の司令系統のもとでは、判事も、陪審員も、検察官も、各廷吏までも、軍の宣誓した将校であり、宣誓して最高司令官に仕えるのである。軍人としての昇進を望むなら、あるいはかつて望んだことがあっただけでも、政府の出す司令に従うことになる。そんな彼らが、すでに「敵」のレッテルを貼られた外国人に対してどんな処遇をすると、あなたは思いますか?
ブッシュか、国防長官、あるいはほかの軍の委員会が最高控訴審裁判を執り行うとしたら、結果はどうなるか。
結局、被告が(一般受けする用語を使うと)「黒ん坊」や、アラブ人、パキスタン人、それに若干のアフガニスタン人・・・ならば構うものか、というわけだ。
同じ事は、1920年代に、パーマー司法長官による赤狩りでロシア系ユダヤ人が米国から追放されたとき、あるいは40年代に日本人が強制収容所に押し込められたときにも言われた。あいつらは、要するに「アカのユダヤ人」、「目のつり上がった連中」にすぎないと。
そんな事件は今の事態とは別であり、「他の連中」のしたことだと言うが、それらは、司法を堕落させたのであり、米国は、今の世代にいたるまで「フェアプレイ」を標榜しているのだ。
この狂気と戦おう、さもなければ、それは戻ってきて我々に取りつくだろう。
帝国戦争膨張す
2002年2月14日
ジョージ・W・ブッシュの「帝国年頭教書」(State of the Empire)演説は、持ち前の帝国的倣岸さで、まだちゃんと米国に跪くことを学んでいない国、イラク、イラン、そして北朝鮮を声高に脅しつけて見せた。
ブッシュ政権は、明らかに、これら3カ国を「悪の枢軸」と呼ぶことで、これらの地域でなにか軍国主義的な冒険を行うことに対し、大衆的な支持を巻き起こそうとしているのだ。この国々は、9月11日の事件に結びつけることができないとしても、いかなる国も米国の許しなしに「大量破壊兵器」を取得したり製造したりしてはならない、という米国の布告に違反しているではないか、というわけだ。
今なお9・11の打撃に傷みを覚え、アフガニスタンの塵埃まみれの廃墟での空爆によりタリバンを屈伏させることでは満たされない多くの米国人にとって、イラン、イラク、北朝鮮に挑むことは、誘惑的に思えるのだろう。
米国政府の非難が(事態がこれほど深刻でなければ)ほとんどお笑いぐさに聞えるのは、挙げられている国のうち少なくとも二つは、その地域での軍事大国になろうとして、米国の子分か顧客になったことのある国だからだ。米国は、世界でもトップの兵器商人だったし、今もそうである。あの酸鼻をきわめた8年間のイラン・イラク戦争で、米国は、当時の同盟者(イラクのサダムだ)に、国境地帯でクルド族を殲滅するのに使われた毒のように、大量破壊兵器と呼ぶほかないものを供給したのだ。イランにしても、50年代に米国/CIAの介入によってモハメッド・モサデクの議会制民主主義政治が転覆され、専制的なシャー(王)が復位するということがなかったなら、今の神権政治は存在していなかっただろう。イラン民主主義がこのように西洋により凌辱されることがなかったとすれば、今イランでは聖職者による支配は行われていないはずである。ホメイニ指導下のイスラム革命は、パーレヴィ体制によって推進された西洋および外国の影響をこの国の国民から払拭しようとした、本質的に反動的な運動であった。なぜ米国のCIAと英国のMI5【軍事情報部5部=国内および英国連邦担当の英国軍諜報機関】はモサデク政権と対立したのか。それは、「民主主義」とはなんの関係もない。モサデクは、米英の趣味からすれば、あまりに民主的すぎたのだ。英国の石油企業アングロ・イラニアン石油を国有化して国民への供給を主とすることを支持したのだから。
イランの視点から見ると、「悪の枢軸」とは、どこの国のことだろう。自分達の大統領を退陣させ、残酷なファシスト体制を敷き、しかも近隣の敵(イラク)に通常兵器と化学兵器とで武装させて、敵味方双方に50万人以上もの死を引き起こした国のことを、どう考えろというのか。それは「大量破壊」ではないのか。
だが、帝国であるということは、決して謝らないということだ。それは、他の国に命令を下すことだ。それは、つねに敵を探し求めるということだ。
諸国民が攻撃するとき
2002年2月14日
我々は、ナショナリズムに酔っているといいっていい世界に暮らしている。
しかし、この世界はつねにそうであったわけではない。
我々の先祖は別の世界に住んでいた。そこでは、人の信仰、階級あるいは部族によるまとまりが、拡張された自我の最も深い意味を形成していたのであり、そこでは、集団間の境界は今日に比べて驚くほど多孔性だった。
18世紀半ばには、欧州の大都市の住民は、ボンとパリ、あるいはロンドンとヴィーンの間を、たやすく、また気持ちよく移動することができた。エリートたちは、ラテン語を読み、フランス語で話をし、給仕に向かってはたぶん英語かドイツ語で声をかけたのである。
より貧しい階級の人々(それが社会の大多数なのだが)は、自分の暮らす界隈の言語で、書くことはなく、話をしていた。高位の聖職者や上層階級のお偉方は、それとはずいぶん違う言葉を話したのである。
この同じ時に、もうひとつ別の世界では、オスマン・トルコが3つの大陸を支配し、商人や学者はサマルカンドからカイロへ、コルドバからティンブクトゥへと、ヨーロッパの人々がヨーロッパ大陸を旅するのと同じくらい気軽に旅していた。
彼らはしばしば、アラビア語で書く一方、会話は中国語からウォロフ語、トルコ語、ウルドゥ語まで、百ものさまざまな言葉で行っていた。彼らは自分達を世界秩序に従っていると考え、信仰と学問と能力によって自分は規定されると信じていた。
これらの人々の有能さをみるとき、国境と政治的影響力の範囲と競争でものごとが決っている今の時代は、じつに堅苦しいものに思える。
かつての時代をやたらにバラ色に見ようというのではない。当時は、奴隷制と農奴制と階級的抑圧がなんの掣肘もなく行われた時代だったのだから。
ただ、ナショナリズムという概念が人間にとって究極の重要性をもつものとして明確化されていなかった世界を見るのは、興味深いことだ。
今日、グローバリズムの経済的力が、貪欲な「市場」のために社会全体を食いつくそうとしているとき、この国際主義の強欲な形(そしてそれが、その真の姿、すなわち資本主義の支配の国際化なのだが)は、この新しい形の植民地主義に対する国際主義者のさらに大きな形での連帯と抵抗を生み出してはいない。というのも、この新しいグローバリズムの背後の諸精力は比較的少ないが、搾取のこの新しい形の表現によって影響を被る人々は膨大な数であろうからだ。
ナショナリズムについて私たちに植えつけられている概念は、この新しい抵抗の国際主義が発展し成長することの妨げになると私は確信している。
このことを考えるとき、人は、人種、言語、そして、そう、国籍の障壁の彼方を見るのであり、そこに見えるのは、何十億もの人々がこの地球上に暮らし、彼らは、互いに違いよりもはるかに多くの似た点を持っているということなのだ。
普通の米国人(そう、白人でも黒人でもいい)と、平均的な普通のイラン人の間には、彼らのどちらかとその政治的指導者の間にあるよりも、実際はるかに多くの共通性があることに、私は心を打たれることが多い。このことを考えてほしい。平均的な世界指導者は、はるかに教育水準が高く、比較的広くあちこちを旅しており、国際的規模で他国の人々との接触を持っている。平均的労働者は、イランでも米国でも、たぶん生涯、自分の国を出ることがないだろう(指導者に強制されて、よその国民と戦争をしに行かされるならば別)。
ペンシルベニア州には、州から出たことのない人が何百万人もいる。彼らは、一生州外には出ないだろう。
大半の民衆は、自分の家族を養うのに十分な食べ物を見つけ、買い、あるいはもらうこと、自分の子どもに十分な教育を受けさせること、そしておそらく、家族のために必要な住居その他のものを保障してくれる職を失わずにいることに心を砕く。かれらは、核戦争や国家ミサイル防衛網のことを考えたり、あるいは自国のGNPがどれくらいか考えたりすることは、めったにない。
にもかかわらず、典型的な米国人あるいはイラン人は、一度も会ったことがなくても、互いに憎みあっている。ナショナリズムによって、また、それぞれのメディアによって、にせの刺激に対して(パブロフの犬のごとく)反応するよう、条件づけられてきたのだ。
フランスの思想家、ヴォルテールが、かつて「愛国心は、悪党の最後の逃げ場」と言ったのは、コスモポリタンの世界に生きていたからだ。
世界の民衆は、何が、いわゆる「指導者」でなく自分たちの利益になるのかを見極め、グローバルな連携と、深まりゆき、自分達を豊かにするような国際的関係を発展させる必要がある。指導者たちは、富める者たち、グローバリスト、金を払ってくれる連中の利益のためにいるからだ。彼らは、貧者、権力のない者たち、労働者、金を提供できない階級のことは、それほど気にかけないだろう。
国家の枠を越えて考え、国家の枠を越えて行動することは可能だ(世界の超大企業は少なくとも一世代の間そうしてきているではないか)。
それは単に可能であるだけでない。必要なのである。およそ地球環境が存続すべきであり、人間の苦しみに手が打たれるべきであり、我々がそこに暮らす価値のある世界をもつべきであるならば。
アメリカ帝国の狂犬的戦略
2002年2月18日
最近米国大統領ジョージ・W・ブッシュが彼の好戦的な年頭教書を発表し、そこでイラン、イラク、北朝鮮を「悪の枢軸」と呼んだとき、欧州人、アジア人、そして世界中の人々は、これらの国が、米国の終わることなき悪との戦いで次の標的になるという発想にびっくり仰天し、衝撃と恐怖と不信を感じたものだ。
これらかつての「同盟国」(といっても目下なのだが)は、米国人は気が狂ったのではないかと思った。「米国人は世界戦争を企てているのだろうか」と彼らの多くが思った。それは彼らの望むところではない。そんなことをしたらどんな結末になってしまうかわからないではないか。
米国の、威嚇的で好戦的な物言いは、狂気のように聞こえもしよう。しかし、この狂気は見かけのわりには計画性がある。じっさい、それは計画以上のもの、政策なのだ。
1995年、米国戦略司令部(この国の核兵器に責任をもつグループ)は、「冷戦後の戦争抑止力の要諦」と称する内部研究を作成した。ここに一部を抜粋する。
「我々が抑止のために求める行為が遂行される場合、米国が敵に対して行うことは多義的であるところに価値があるのであるから、我々をあまりに合理的すぎ、冷静すぎるかのように見せては具合が悪い。一部の要素が「統制しきれなく」なる可能性があるように見えることは、敵側の意思決定者の心に不安と疑いを生み、それらを強化するのに有益である。この不安の感覚が、抑止を生む力として不可欠なのである。米国が、死活の利害を脅かされれば合理性を失い、復讐心に燃えるというイメージを、全ての敵に植えつけておくべきなのである」[ボストン・グローブ1998年3月2日付5面]
これが、今の狂気の背後にある計画性らしい。狂ったアメリカ人どもめ。
帝国の不滅性に酔いしれ、ガソリン臭のたちこめる部屋でマッチを擦り、大言壮語と脅しで世界を驚かせ、ことごとに怒り狂った象のように吠え猛って、米国は、世界中の諸国の首都を身震いさせる。どの国の政府も、米国が首都の名で世界に課してきた恐るべき犠牲を、たぶん大半の米国人よりよく知っているからだ。元CIA支局長ジョン・ストックウェルが『近衛兵 --新世界秩序における米国の役割』(Praetorian Guard)で書いている通り。「米国とCIAのこうした活動を、おおよその数字だけでも把握し、ラオスのジャングルやニカラグアの山地でどれだけの人が死んだかを明らかにするのは、困難である。しかし、できるかぎり正確にそれらを足していくと、600万人が死んだ計算になる。しかもこれは最小限の数字なのだ。その内訳は、朝鮮戦争100万人、ヴェトナム戦争200万人、インドネシア80万人、カンボジア100万人、アンゴラ2万人(私もそれに関与した)、そして、ニカラグアが2万人である」(80頁)
まったくアメリカ人どもときたら!! まるで荒くれのカウボーイではないか。
狂ってませんか、これは?