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死の影の谷間から
<死の影の谷間から>
ムミア・アブ=ジャマール/著
今井恭平/訳
現代人文社/刊
ムミアの論考集

<ヌー>ワシントンを檻の中で死なせてはならない 2000年2月5日

萩谷 良/訳


 アルバート・<ヌー>・ワシントンという名は、あまりに多くのアフリカ系アメリカ人にとってほとんど未知である。だが、60年代における黒人解放運動の歴史を知る者、そしてそれに関わりをもっている者にとって、彼は、周知の尊敬された人物である。

 ヌー(ノアのアラビア式の言い方)は、ブラックパンサー党の献身的なメンバーであり、 のちに、悪名高いFBIの工作によって党が東海岸と西海岸で分裂してからは、黒人解放軍( BLA)に協力して黒人民衆の生命と尊厳を守るために活動した。

 70年代にヌーはもうひとりのパンサー党員ジャリル・ムンタキンとともに銃撃されて捕らえられ、のちにジャリルおよびハーマン・ベルとともに殺人罪に問われ、有罪の判決を下された。3人とも寃罪であったことを強く示す証拠が、それ以後明かになっている。

 28年間、ヌーはカリフォルニアとニューヨークの刑務所に収容されており、くりかえし、その政治思想のゆえに処罰されてきた。最近悪性の肝臓癌と診断されたヌーは、今、死に瀕している。医師たちは、あと3カ月から10カ月の命だと見ている。

 合州国全体で、黒人解放運動の支援者、民族主義者、人権活動家たちが、死期の近い彼の解放を要求する運動を巻き起こそうとしている。この人道的な努力の先頭に立っているのは、著明な弁護士のジョーン・P・ギブズで( Eメール・アドレスjgibbs3926@aol.comで連絡がとれるはずである)、このキャンペーンについては、この人のほうが詳しい。

 その著作『精神は牢屋につなげない』(1992年10月)の中で、ヌーは書いている。

「私の家族は、私に、自分と家族と同胞の価値と誇りの感覚をつぎこんでくれた。それらはいつでもここにある。私は、高度の警戒を要する逃亡の恐れある者と見られているため、家族の集まりに出ることが許されない。ところが、他の、逃げた人々は、それが出来るのだ。今では、母も私のところに来るのは難しくなった。友人達は、ここに来られるようにするために計画を練らなくてはならない。私はもう長い間、妻を腕の中に抱いたことがない。

 私は、仲間の囚人達にジョークを言い、彼らを教育する。私が何度も監獄を変えられたのはこのためだ。ブラックパンサー党は、物理的にはなくなったが、その精神は我々の多くの者のうちに生きている。つい最近も、ある兄弟が私に、ブラックパンサー党の目標と規則を教えてほしいと言った。また 何人かは党に入りたいと言っている。20年を越える囚人としての生活のあとでも、これらの人々ととにもいたときのことを思い出すと、今も私は顔がほころぶ。そして、これこそ、私が仲間の囚人たちと共有している何かなのだ。統一と、運動と、愛という観念である。

 私は、政治犯でもあると同時に、アメリカ合州国の内と外で、政府と、白人の優越性を信ずる人々が黒人と新しいアフリカ系民衆に対して歴史的に、また今もなお遂行している戦争行為のゆえに、戦争の囚人でもある」

 ヌーの放射する精神は、彼が国家によって不当に投獄されてから30年近くたった今も、輝き続けている。だが、命の炎は、彼の内部で明滅を始めてしまった。
 ヌーが牢獄の中で最後の息を引き取ることのないよう、プエルトリコの独立主義者たちのように、運動を作ろう。