第5監房の死 2007年4月3日
今井恭平/訳
シエラレオネからやって来た難民、ウリィ・ジャロがドイツ、デッサウ市の第5監房の中で焼死した。2005年1月7日の出来事である。
所轄の警察は、単なる自殺であると発表した。
ジャロの友人たちや仲間の囚人たちは、やっかいで重要な疑問を持ちだしている。いったい、自分の手と足を縛った上で、どうやったら自分で焼身自殺ができるのだ?
この事件以来、ジャロの友人たちと反人種主義活動家たちは、人種差別的な暴力(それはしばしば国家自身によってふるわれるのだが)、とりわけジャロのようなアフリカ難民に対する暴力に対抗する運動を作り出そうと努力しつづけている。
ジャロは、21歳だった。
彼の事件は、黒人移民とドイツ警察との衝突のような類似の事件を引き起こした。やはりアフリカ移民であるドミニク・クオマディオの事件もそうした一つである。彼は2006年4月14日、ドイツ警察によって射殺された。
こうした事件が検察に持ち込まれても、大抵の場合、初めから「正当防衛」ということに決まっている。
ドイツの反人種主義団体と難民支援グループは、ジャロの遺体のX線検査を要求した。その結果分かったのは、彼は鼻柱を叩き折られており、中耳に重大な外傷を負っていることが分かった。
最初に検査を要求したときは、検察によって、そんな検査は必要ないと拒否されたのだ。
そして、黒人移民を監房の中で焼き殺した疑いのある警官たちのほとんどが不起訴となった一方で、警官を告発した活動家たちは、名誉棄損で裁判にかけられている。
ジャロを忘れるな。
原文および、ムミア本人による朗読は→ここ