無実のゴビンダさんを支える会

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たくさん慰めのお手紙をいただき、ありがとうございました  2007年6月15日

 今井恭平です。本日、客野さんといっしょに、横浜刑務所にゴビンダさんに会いに行ってきました。
 昨夜の雨がやんで、とてもいいお天気。横浜は東京や千葉よりも青空がきれいに 見えたのは気のせいでしょうか。
 私はちょうど1年ぶりくらいになります。面会室に入ってきたゴビンダさんは以前に会ったときよりもちょっと引き締まって、顔色も悪くなく、健康そうに見え ました。夏の制服なのか、作業衣なのか、明るい草色の服(ちょうど、この文字のバックに敷いてある緑みたいな色)を着ていました。こう いう衣服を見るのは私は初めてでした。  お父様が亡くなったことが、彼をどんなに悲しませているのか、やはり一番気に なりましたが、ゴビンダさんは開口一番、客野さんに向かって「客野さんと蓮見 さんがお父さんが亡くなったことを知らせに来てくれたときは、自分も気持ちが動転して何かおかしなことを言ってしまったかも知れないけど、大丈夫だから」というような意味のことを言いました。 客野さんからは、逆にゴビンダさんが予想していた以上に落ち着いてお父様の死 を受け止めていたので、別に変なことなど言ってない。むしろ、一人になった後のほうが辛かったのではないか、というようなことを伝えました。
 ゴビンダさんは服喪のために、塩、野菜、肉などを断ったそうで、刑務所もそのために特別な食事の要請に応じてくれたようです。しかし、肉も野菜も断つというと、いったい何を食べていたのだろうと思ったのですが、ゴビンダさんは「ごはんと牛乳」というようなことを言っていました。
 支援者の皆さんから、いつもにも増してたくさんのお手紙をもらい、慰めてもらった、ありがとうございました、とのことです。彼は、私が送った手紙に書いたこともよく覚えていて、「今井さんが手紙に書いてくれたとおり、日本の検察が悪いから、お父さんが死ぬとき、そばにいれなかった」と言っていました。「お父さんはゴビンダが帰ってくるのをいつも待っていて、ゴビンダと会ったら死んでもいいと言っていたのに」と述懐していました。

 長女のミティラちゃんから英語でeメールが届いていて、「日本に行ったときはお世話になりありがとうございました。父の様子をまた教えてください」と言ってきたということを伝えたら、娘がパソコンやインターネット、eメールなどを使いこなしていることを聞いて、ちょっと嬉しくそして驚いたような顔をしていました。
 中で仕事をしてもらえるお金が、今月から6000円に上がった、みなさんが頑張って支援してくださっているから、僕も中で頑張らなければ、と言っていました。
 ゴビンダさんは中の作業でもらえる、こういうお金を一生懸命貯めて、家の修理やソーラーシステムを取り付けるなどのために使うようにと言って、ラダさんが日本に来たときに、渡しています。
 毎日一生懸命に働いて、刑務所に来て3年もたって、ようやく月に6000円なのだそうです。これでは、中にいる人たち、外に出てきても、アパートを借りる頭金さえ貯められずに、また路頭に迷い、犯罪に手を染めることになっても不思議ではないとあらためて思います。
 面会時間は25分程度、いつも東拘の未決の人の面会で、10分程度で切り上げさせられるのに較べたら、比較的ゆっくり話ができた気がします。  最後にガラスごしに手をあわせて、挨拶しました。そのとき、ゴビンダさんは私の帽子についていたムミアのバッジをめざとく見つけ、「その人、まだ入っているのですか?」と聞いてきました。「そうなんです。でも、再審に少し動きが出てきたので、またお伝えします」と言って別れてきました。

 刑務所の正門の向かい側に、収容者の人たちが作った製品を売っているお店があります。100円で売っている冷や麦と素麺がとてもおいしいので、買って帰ろうと思ったら、なんとあまりに評判が良くて、売り切れていました。月末にはまた入荷するそうです。今度面会に行く方は、だまされたと思って、横浜刑務所特製の冷や麦、素麺を買ってみてください。
 また、とっても立派な犬小屋が1万3千円で売っていました。うちの近所のホームセンターで売っている犬小屋とは較べものにならないくらい、いい木材を使った丈夫そうで広さも十分、とてもいいもので、ずっと安いです。ゴビンダさんの家ほどじゃないけど、わが家のユリちゃん(雑種のメス14歳)にも、こんな立派な家を買ってあげたいな、と思いました。