無実のゴビンダさんを支える会

Justice for Govinda Innocence Advocacy Group

The wise eye penetrates the truth

HOME PAGE

最新情報

「東電OL殺人事件」の概要

裁判の経緯

再審について

支える会の活動報告

ゴビンダ通信

面会日誌

裁判資料

冤罪リンク

メールアドレス

ゴビンダさんは、前よりちょっと年とったみたい   2003年7月28日  岡野美津子、こうたろう

 今日、ぼくは、ゴビンダさんのめん会に行って、前のとおり「ナマステ」といったら、「こうたろうくん、あえてうれしい」といって、いきなり
「こうたろうくん、さいきんうれしかったことは? 花火、見に行った?」と聞いてきたので、「ぼくは見に行っていません。でも、テレビで見ました」と、ぼくはゴビンダさんにいった。エリサ、ミティラちゃんの写真を見せてくれた。ゴビンダさんは、前よりちょっと年とったみたいに見えた。
 ラダさんの帰国後、面会に行くたびに、こうたろうを連れて来てと言われていた。夏休みになって、今日、ようやく、実現した。3ヶ月ぶりに会ったこうたろうに、早速、「椅子に登って全身を見せて」と要望し、「少しの間で、こんなに大きくなるなんて、子どもの成長は早いですね」と感嘆するゴビンダさん。こうたろうは、ミティラちゃんと同い年で、なんと誕生日も一緒なので、成長ぶりを重ねあわせ、心を慰めているらしい。
 ゴビンダさんとこうたろうは、いつものように、いつかネパールで山登りと泳ぎを楽しもうねと話している。こんな風に、少しでも楽しい出来事を夢見て、つらい現実を忘れようとつとめているゴビンダさん。一日も早く、自然に喜怒哀楽をあらわし、何気ないふつうの会話を楽しめる日がやってくることを祈らずにはいられない。
「また月曜日待ってるね。友達とファイトしないで、勉強してね」の言葉に送られての帰りがけ、こうたろうは、「新しいけど、息苦しい」と拘置所についての感想をもらしていた。面会室にいたるまでのたくさんのチェック、長い廊下、ドアの重たさを子どもながらに「ひどい」と感じたようだ。「人間なのに、なぜこんなところに閉じ込められてるの?」という素朴な疑問に答えられない自分が情けない。面会室に入っていった時、「ナマステ」の後に「いらっしゃい」とゴビンダさんが言っていたのを思い出し、
「いらっしゃいというくらい、東京拘置所が、ゴビンダさんの家になってしまってるんだね」とも言っていた。子どもの率直な言葉だけに、いっそう胸にこたえた。

たくさん嫌なこと、考えてしまう   2003年7月14日  岡野美津子

「こんにちは。どうですか?」ゴビンダさんの第一声。
「ゴビンダさんはどうですか?お先にどうぞ」と促すと、
「わたしはダメです。困ってます。体の調子、悪いので今朝も先生(刑務官)にお願いしました。でも・・・」と言葉をとめ、顔の表情と手を使うジェスチャーで、これ以上、ここでは言えないという様子を伝えてきた。
 最近届いたラダさんからの手紙に、「何年も帰りを待っているけれど、もう耐えられない。一日も早く帰ってきてください」と書いてあったそうで、「つらいです。夜も眠れない。何も悪いことしてないのに、どうしてと考えると、頭が変になりそう。わたし、うつ病だと思ってたけど、薬もぜんぜん効かないし、精神病かもしれません。こんな狭いところに閉じ込められてると、たくさん嫌なこと、考えてしまう・・・」
 話題を変えるため、午前中、救援会の要請行動に参加して、今井さん、客野さん、Kさん、私の4人で最高裁に行ってきたことを話した。
「署名は集まりましたか?」と心配そうに訊いてきたので、救援会の協力により、今回だけで、約2000名の署名を提出することができたと言うと、「よかった。安心しました」とようやく明るい表情をみせてくれた。ゴビンダさんが一喜一憂する様子が伝わってくる。
「何を最高裁にお願いしましたか?」と訊くので、無罪証拠の見直しを行い、口頭弁論を開いてほしいと訴えたことを、ゴビンダさんにわかるような言い方で伝えた。
「こうたろうくんは、夏休み、まだですか?」と言うので、もうすぐ必ず一緒に面会に来るからと約束した。

ハッピーバースデーレターが届きうれしいです   2003年6月30日  岡野美津子

「こんにちは・・・どうぞお座りください」私の隣りに初めての面会者がいるので、少し驚いた様子のゴビンダさんだ。
「はじめまして」とTさんがあいさつする。私が、「佐野さんの本を読んだのがきっかけで『支える会』に連絡をとり、入会してくださったそうです。昨日の巣鴨の学習会に参加して早速面会に来てくださったのですよ」と説明した。
「何かお役にたてることがあればと思いまして」とのTさんの言葉に、「助けてください。何も悪いことしてません」とゴビンダさんは訴えた。
「何か食べ物とか必要な品があれば」とTさんは差し入れの申し出をしたのだが、
「今日は初めてですから、いりません。ここに来てくれただけで嬉しい」
「大変ですが、気を強く持ってください」
「先週は、誕生日で、支援者からたくさんバースデイが届き、嬉しかったです。Tさんも、手紙ください。ローマ字だと私、わかりますから。兄弟、いますか?ここは寂しい場所なので、みなさんで支援お願いします」
 Rさんがネパール語のHPを立ち上げたので、近々プリントアウトして送ってくれるだろうと伝えた。
 面会を終えた帰路、「ゴビンダさんに逢って、あらためて無実を確認できた」とTさんが言っていたのが、印象に残った。

戦争はよくない、本当によくない   2003年6月25日  吉川直美

 今日はTさんという方と一緒に行きました。
 まず、「ゴビンダさん、今日は何の日ですか?」と尋ねたら、ちょっと間があってから、「あ、誕生日です」と顔を上げました。「ゴビンダさんの誕生日なので、これは誰か行かなくちゃということになって、みなさんの代わりに来ました。昨日はゴビンダさんの誕生日のことでたくさんメールが飛び交ったんですよ」と言ったら、「えらい、えらい、えらいです!」と、ぱあっと大きな笑顔になりました。
「今日は水曜なので面会がないと思って、食事の用意をしていたら、面会と言われたんです!」
「去年みなさんからカードをもらいました。今日か明日、カードが届くと思います」と嬉しそうでした。Kさんが言い出してくださって、本当によかったと思いました。
 誕生日と聞いて、立ち会いの刑務官も気をきかせてくれたのか、いつもより長く話せました。
 こんな話もしました。
「ネパールではケーキにキャンドルを立てるような、派手な誕生祝いはせずに、断食をします。でも、最近はだんだんそういう伝統が失われるているのはよくないです。日本も伝統をもっと大事にしてほしいです」
 同行したTさんが、九州の出身と聞いて「長崎に行ってみたかった。それは原爆が落とされたところだから。広島の原爆資料館にも是非行きたかった。行かれなかったけど……。いつか行きたいです」「戦争はよくない。本当によくない」
 署名がどのくらい集まっているのか、知りたい様子でした。客野さんが明日面会に来ますと言ったら、とても喜んでいました。Tさんは面会して、やはりリアリティがましたようでしたので、また、周りの人に声をかけてみます。

運動場でエキスパンダーを貸してもらえるようになった   2003年6月20日  今井恭平

 昨日(19日)ゴビンダさんに会ってきました。
 ノースリーブのシャツ姿で現れた彼は、いつもどおり、にこやかに挨拶。僕が少し汗をかいていたのをみて、暑いですか?と質問。外は暑いですよ、もう夏みたいと言ったら「中はまだ寒い。陽が差さないから」と言っていました。天井が以前より高くなったそうですし、きれいには違いないけれど、こんなところに無実なのに入れられているのは困る、と訴えています。健康のことでは、岡野さんの報告にあったように、検査をしてもらったが、異常なしという結果。でも実際に具合がよくないのだから、結果を見て安心するというより心配が残るとも。
 イラムの夏は暑すぎも寒過ぎもしなくていいよ、という話。少し体重がもとに戻ったみたいだね、と言ったら、いま46キロとか言ってましたが、どう見てもそんなスリムな筈はなくて、たぶん彼の言い間違いでしょう。でも毎日ちゃんと運動しているし、新しくなってから、運動場でエキスパンダーを貸してもらえるようになったから、毎日それをやっているとのこと。最近は絵をよく描いているようで、きょうも見せようと思っていたのに忘れてきた、ごめんなさい、今度来るとき見せますとのこと。ぜひ、手紙に入れて送って下さい、みんなに見てもらえるからと伝えておきました。英文ブックレットがほぼ出来上がったことも報告。できればネパール語でも出して欲しいというので、たぶん英語からネパール語なら翻訳できる人がネパールにたくさんいるから、やってもらえるのではないかと言っておきました。
 東拘は、建物が新しくなってから、面会する際の待ち時間がとても短くなって、その点は助かりますが、ゴビンダさんは一日たった一回の面会が終わると、また狭い部屋に戻り、一人で長い一日を過ごすのか、と思うと、たちまち終わってしまう面会時間がうらめしく思えます。
 ネパールでは、家族がみんなで面会に来て、刑務所の中で一日をいっしょに過ごすこともできると聞いたことがありますし、ほかの外国でも、もっと面会は時間が長いし、いっしょに食事をしたりもできるし、手をふれあうことができる場合もあります。まったく日本は人権後進国です。
 ゴビンダさんの面会を終えて、別の方に会うために、今度は千葉刑務所に向かいました。千葉刑は以前の東拘よりもっと貧弱な待合室で、こちらでは1時間以上待たされました。

健康状態   2003年6月16日  岡野美津子

「今ちょうど、お昼ごはん全部食べ終わったら、呼ばれて面会に来ました」と、ニコニコ顔のゴビンダさん。食器を洗って、それから部屋を、出てきたのだという。自分で食器を洗うという話は初耳だったので、訊いてみると、「そう、いつもです。入れ物の弁当箱は洗わないですが・・・」。
 一見、元気そうに見えるが、本人に言わせると、「健康状態は、あまろりよくないです」とのこと。
「先週、おなか(腸)の検査をしました。お尻から管を入れて検査しました。でも何も問題ないそうです。ずっとここ(右胸の下あたり)が痛いのに。この前は胃の検査をしましたが、何も問題ないと言われました。そんなはずない。痛い症状、出てるのに、何でもないなんて、おかしい。もっとよく調べてほしいです」医者の診断に納得できないらしく、少しイラツイタ調子で訴えていた。
 ラダさんの滞在費用を、支援の会が全て支払ってくれていたとは思っていなかったので、自分のお金を、全部ラダさんに上げてしまい、50円しか残っていない時期があった。それで、いつもお金を送ってくださる何人かの方たちに、自分から手紙を出して無心をした。ご心配をかけてしまったが、いつもはそんなにお金に困っているわけではない。今はもう大丈夫なので、そのようにみなさんに伝えてくださいと言っていました。
 新しいパスポートが出来上がったので、近いうちに、神田先生が来てくださるだろうと話したら、とても喜んでいました。

新しい拘置所〜小菅のオバケ屋敷   2003年6月13日  かかし

 おとといの水曜、小菅の東拘へ行ったのですが、朝から体がかったるかったので、重〜い腰を上げて、東拘の面会受け付けに着いたのが、午後の4時04分。真あたらしい一階ロビーにある面会受け付けは、とっくに閉まっておりました。
 ゴビちゃん、みなさん、ゴメン!・・・・・
と言うことで、きのう6/12、ふたたび気合いを入れて、やっと晴れ間が出たお午すぎ、ワタシの原動機付営業車「ホンダ・スーパーカブ」で、荒川の土手沿いを小菅へ向かって、トコトコ下って行きました。
 前の待合室があったとこの先の、東拘の駐車場の脇から、狭く長い、窓がふさがれた通路を歩き、真あたらしいロビーに入ると、すぐにガラス張りの面会受付があって、前の古い受付に居たおじさんが、居ました。(当り前の話なんだけどね)
 面会申請書を書いておじさんに渡すと、番号札では無く、「265」の受付番号と「8階」と書いた青い紙が渡されました。
 となりの待合コーナーの角に、「両全会」の差し入れ販売所があって、古い待合室に居た、いつものオバチャンたちが、あたらしいお店の中でウロウロしてます。
 いままでは、古〜い建物に居て、完全に東拘の風景の一部になっていたレトロなおばさん、おじさんたちが、レトロな制服のまま、いつものシブい顔で、できたてホヤホヤのペンキ臭い建物に居るもんですから、これは、超ミスマッチ、シュールレアリスム、です。
 待合コーナーにあるテレビ(前は無かった)の真上に、電光掲示板がぶらさがっていて、そこに、2、4、6、8、10階の各階ごとに受付番号が出てます。しばらくソファーでテレビと掲示板を眺めながら待ってると、チャイムが鳴って、「ウケツケバンゴウ・ニヒャクロクジュウゴバンノカタハ、ハチカイヘ、オアガリクダサイ」との、機械の声のアナウンスがあり、持ち物検査を受け、真っ白い壁に挟まれた、曲がりくねった長ーい廊下を歩くと、やっとエレベーターがあります。
 8階に上がると、エレベーターの前の待合コーナーに、綾瀬方面に向かっておおきな窓があり、窓の下に、古い東拘の建物が丸見えです。
 あの、ボロボロの狭い建物と、このオフィスビルみたいな建物と、どっちがいいのかは、ゴビンダさんほか、ここの住民のみなさんにしかわかんないね。古い東拘の建物はどんどん壊されてるから、見ておきたい人は、今のうちに行っておいたほうがいいです。扇状になってる、狭い運動場も見えます。・・・
 そうこうしてるうちに、私の番号が呼ばれ(これは、機械ではなく、生の声)、5番の面会室に入りました。
 中は、前の面会室とまったく同じ作りで、広さも同じぐらい、相変わらずのガラス越しでありました。
 ゴビンダさんが入ってきました。3ヵ月ぶりに会うゴビンダさんは、紺のTシャツに短パン姿、髪は切ったばかりみたいで、小ざっぱり、お腹はいつものタイコ腹。
 >私はいつもアポなしで、しかも、話題を何にも考えておかないで面会に行くんで、ゴビンダさんも話題を用意してないせいか、どうしても、あたりさわりの無い話ばかりになっちゃいます。
 新しい部屋のこと(ほんのちょっとだけ、外が見えるらしい)、ラダさんのこと(家がたいへんな中、2ヵ月も居てくれて感謝)、おたがい、ヒマなこと(オラが「色鉛筆を差し入れたい」って言ったら、「筆記具は、中で購入するしかない」)など、とりとめもなく...
 いつも、面会時間を計ってないけど、夕方のわりには、古い建物の時より、ゆっくり喋れたような気がします。・・・
以上、
 ゴビンダさんのことより、「小菅のイージス艦」改め、「小菅のオバケ屋敷」こと新しい東京拘置所の話ばかりになってしまいました。

絵を描くことに熱中したい   2003年6月9日  岡野美津子

 今日のゴビンダさんは、ご機嫌だった。面会室に入る前から「こんにちわ〜、いらっしゃいませ」と、ドアの 小窓越しに手を振るハイテンションぶり。
「先週の木曜日に、神山先生が来てくださいました。私の弁護団は5人いて、その一番エライ人(主任弁護人)が、神山先生なのです」と、嬉しそうに話してくれた。弁護士の面会は、時間制限も看守立会いもないので、やはり安心して思いきり話ができるのだろう。
 静岡の友人が新品の洋服10セットと1万円を送ってきてくれたと言って、その新品のノースリーブシャツを、胸をはって見せてくれた。「とても似合いますね。水色が!よかったですね」と励ます。
「かかしさんは、しばらく面会に来ないけれど、どうしていますか?」と訊かれたので、戦争反対等で多忙にしている旨を伝えると、
「今度は、イラクや北朝鮮が戦争を起こすでしょう」などとニュースで聞き知っている世界情勢を話し出した。
 やはり今日は、ハイテンションだ。ラダさんが帰国してから、ガックリしている時、無理に笑顔で応対する時、今日のように妙にテンションが高い時とあるので、やや精神状態が不安定なのではと心配になる。
 しかし、「今回の通信用レターは力作で、イラストも入れた」と自慢し、「これからは絵を描くことに熱中したい」と生き生きと話し始めたので、ようやく長い時間の使い方を発見してくれたのかなと、少し安心した。
 神山先生とも、色鉛筆やカラーペンで何色が中で購入できるのかなど、楽しい話題にした。今までは黒のボールペンだけで描いていたが、色付けできれば、もっと楽しくなると思うと言っていた。「今日は面会に来てくださり、ありがとうございます」と、面会人を気遣う心の余裕も見られた。

二人で一緒にネパールに帰りたかった   2003年6月2日  岡野美津子

 今日のゴビンダさんは、いつもより沈みがちだった。
「検査は問題なかったですが、調子は良くないです」とのこと。
「心が寂しくて、つらいからでしょ?ラダさんが帰ってしまったしね」
「ラダさんと二人で一緒にネパールに帰りたかった・・・帰れると信じていたのに・・・一人残され、ここにいるのは大変つらいです」
「わかってますよ。一日も早くここから出してあげたいと思ってます。そのために、最高裁に公正な裁判を求める嘆願の署名を必死で集めているところです。なかなか署名をしてくれない人も多い中、支える会や救援会のみなさんが、一人一人の市民に呼びかけて署名を集めて、ゴビンダさん救出のために、がんばっているのですよ」
 何とか元気を出してもらおうと、一生懸命励ますと、
「ミティラとエリサを日本に呼んだら、ここを出られると思うので、呼んでください」と、ゴビンダさんは、真顔で訴えた。
「二人の子どもを日本に呼ぶことはできるけど、子どもが来たからと言って、拘置所をすぐに出られるわけではないのよ。弁護士や支援者や、ゴビンダさんが無実だと確信していても、司法システムの問題とか、いろいろあるのよ。だからね、公正な裁判を求めるために、多くの人に一人一人頭を下げて署名を集めているのよ」
「早く出してください。頼みます」
「ゴビンダさんのつらい気持ちはよくわかります。だから、何とかしてあげたいと、みんな、それぞれ必死なのです。仕事や家事の合間に時間をとって、見えないところで努力しているのです。そのことを心の支えとして、つらくてもがんばってくださいね」
 一生懸命、慰めるうち、少し顔色が明るくなり、「通信のための手紙、もう書いてあります。今週末か来週はじめにはポストに入れます。今度、通信に絵も描いてみます。この前、家族宛の手紙には、托鉢している仏教のお坊さんの絵を描きました。現在、私も同じような修行をしているという気持ちを表すためでした」と、心の内を話してくれた。
 来週の面会予定を伝えたところでタイムアウトになり、「こうたろうくん、元気ですか?よろしく」という一言を残して、刑務官に連れられて、面会室を出て行った。