もうすぐクリスマスだから、外はにぎやかでしょうね 2002年12月16日 岡野美津子
「こんにちわ・・・驚きました!」
入ってくるなり、ゴビンダさんは、 私が肩からかけている「ある品物」に目が釘付けになって、 しばらく突っ立ったままである。 「それ、どうしたんですか?どこで買いましたか?」と矢継ぎ早 に質問を浴びせながら、ず〜っと目を離さない。
「ある品物」とは、ネパール製のカラフルな布のバックである。 12月14日の移住連集会で、蓮見さんがネパールで仕入れて きてくださったいろいろな品を販売した。このバックは、その中のひとつを私が買ったものである。ゴビンダさんを喜ばせようと思い、早速持ってきたのだ。バックの説明をきっかけにして、一昨日、 こうたろうを連れて、客野さんと一緒に移住連集会に行って、ゴビンダさんのことをアピールしたこと、当日配布された英文のパンフレットを窓口から差し入れたことなど話す。
「とっても大変な生活だから、助けてくださいと、みなさんに支援をお願いしたんですよ。ゴビンダさんの宛名を印刷した年賀葉書を 100枚も配りましたからね。みなさん、メッセージを書いて送ってくださるでしょう。楽しみにしていてください」 「ありがとうございます」とは答えたものの、今日のゴビンダさんは、 いつもより声が小さく、どこか寂しそうである。
「もうすぐクリスマスだから、外はにぎやかでしょうね」などと、 ため息まじりに言う。一日も早く、自分も世間の人たちと同じ ように、家族と共に楽しんだり、幸せを分かち合ったりしたいという、せつない気持ちでいるのだろう。
「蓮見さんがネパールで写してきてくれました」と言って、家族 の写真を見せてくれた。「みんな、元気そうでよかった。2人の 娘たち、こんなに大きくなった」とうっとりしている。
「よかったですね。ラダさんも、ゴビンダさんに会ってから、 安心して太ったそうですよ」と言うと、 「はい、でも私より太ると良くない。私と家族、ずっと長い間離れて暮らしているのに、私がいなくても、こんなに幸せそう なのは良くないです。写真もらってから今日までずっと、すすり 泣きをしていました、わたし」などと、悲しげに言う。そんな複雑な気持ちでいる時に、私がネパールのバックを見せた ので、かえって望郷の思いを起こさせて悲しくさせてしまったようだ。
シスターヘノババから、「風邪をひいてしまったので、12月20日 (金)はは面会に来られないという手紙が来たそうだ。そんなこともあって、暮れ正月の面会できなくなる期間を前にして、よけい憂鬱な 気分になっているのかもしれない。「ヘノベバさんの代わりに誰か来るように、客野さんと相談します。それから来週も、暮れの休みに入るぎりぎりまで、面会を埋めるように してありますから」と、ローマ字で書いてきた面会予定表を見せた。 ちょうどそこでタイムアウト。混んでいたせいか、やけに短かかった。
「ありがとうございます。また来週・・・」最後まで元気がなく、ぐったりと うなだれて消えて行ったゴビンダさんだった。
外はどのくらい雪、ありますかあ? 2002年12月9日 岡野美津子
「よく来られましたね!中からはよく見えないけれど、雪らしいので、今日は誰も面会に来てくれないと思っていました。嬉しいです!ありがとう」と、ゴビンダさんは満面の笑顔を見せてくれた。
蓮見さんが帰国されたこと、ラダさんがビザの滞在期間いっぱい、日本に滞在できそうだと言っていること、蓮見さんが11日(水)イラムの写真を持って面会に来てくださること、などを伝えたら、とても喜んで、安心した様子だ。「ご両親の世話をしてくださる方がいるから、今度は3ヶ月位、日本にいられそうだということで、よかったですね」と話すと、「兄さんや姉さんも両親をみてくれるでしょう。彼らは子供も大学生なので、何の心配もいらないのです」との答え「よかったですね」と相槌をうつ。
「オカノさん、手袋もってますか?コートは?寒くないの? 大丈夫ですか?」と、とても心配そうに訊いてきたので、
「大丈夫。持ってますから、心配しないでください。それより、 ゴビンダさんは寒くない?」と言うと、
「大丈夫です。これ、新しいLLサイズの半纏。暖かい。小野寺さんたちにいただきました」 と、嬉しそうに教えてくれた。 >
「洗濯物、宅下げしてくださいと、ハガキで知らせておいたけど、今日ありますか?」と訊くと、「まだ大丈夫です」。
「でも、手が冷たいでしょう?無理しないで」と重ねて言うと、
「いえ、ゴム手袋を中で買ったので、冷たくないです」。
洗濯も少しは気晴らしになるのかなあと考え、
「それじゃ、宅下げしたい洗濯物がある時は、また教えてください」と 話を区切った。
「外はどのくらい雪、ありますかあ?12月に雪降るなんて、めずらしいんでしょ、すご〜〜い!」と、子供みたいにはしゃいでいるゴビンダさん。
「ネパールの雪、思い出すの?」と訊くと、ペコンと頭を下げて頷き、
「部屋では見えなかったけれど、ここに来る途中、木に積もっている雪を見ましたあ!」 と、ウキウキ。会話の間中、
「何センチくらい、雪になってますか?」と、何回も尋ねていた。
12月8日の人権パレードに「支える会」で参加し、「ゴビンダさんを助けてください」とアピールしたことを報告した。ここには来られなくても、そういう集会に来てくれる人たちがたくさんいると話したら、「皆さんに、いつも支援をしてくださってありがとうございますと、お礼を伝えてください」とのこと。
「何か困っていることはない?」と訊くと、「今はないです。大丈夫」、さらに、「岡野さん、情けをかけてくださり、ありがとうございます」と言われてしまった!(こんな日本語、どうしたの!?)と思いながら、「何もできないけれど、これからも支援を続けますね」と答えた。
「ゴビンダさん、帰り、転ばないようにね」と言うと、「「岡野さんも、 転ばないで帰ってください」と気遣ってくれた。なぜか、今日は刑務官まで、「お気をつけてお帰りください」と!3人でニコニコしてタイムアウトだった。朝、出かける直前まで電車が止まっており、何とか小菅に着いて面会できたが、帰路、御徒町駅でも再び電車が止まった。私は、ちょうど動いている間に往復できた。神様、ありがとう。最高裁の無罪判決もヨロシクネ!
トクナガさんへ、最後の面会 2002年12月6日 今井恭平
トクナガ・ロベルトさん(日系ブラジル人)は、2000年6月に長野県でおきた傷害致死事件で起訴され、一審無罪判決を受けた。にも関わらず、検察控訴とともに、控訴審初日に再勾留された。無罪判決を受けたにもかかわらず勾留されるという、ゴビンダさんと同様の司法による無法行為の犠牲となった。(ほかにも、チリ国籍のモラガさんが無罪勾留されるというケースも起きている)その後、東京高裁で逆転有罪。上告からわずか1ヶ月で上告棄却となり、2002年末に刑が確定、下獄した。わたしたちは、無罪勾留という司法による無法の犠牲者であるトクナガさんの支援を始めようと考えていたが、あまりに早い上告棄却によって、その道を絶たれた。以下は下獄直前に最後の面会をした際の報告です。
客野さんと二人で、6日(金)午後、トクナガ・ロベルトさんに会いに東拘に行って来ました。おそらく来週早々には刑の確定が東拘にも通知され、身分が被告から受刑者にかわるので、これが最後の面会になるだろうと思われます。けっきょく、わずか3回しか面会できなかったことになります。
日本語だけでの面会は始めてだったので、どの程度の意志疎通がはかれるか不安でしたが、思っていたよりは通じたように感じます。彼自身もきっと内心は大きな不安をかかえているでしょうが、なんとかしっかり気持ちを保って、1日も早い釈放のために、努力しようという気持ちに切り換えようとしている様子がうかがえました。
最後の面会と言うことで、看守もこころなしか時間を多めにみてくれたように思います。 ブラジルの新聞や雑誌とかんたんな日本語・ポルトガル語の会話入門書などと、いくばくかの現金、お菓子などを差し入れしました。こうした差し入れ費用は、トクナガさんの弁護人の方たちがカンパしてくださったものです。ことに一審からの弁護人で、最初は国選、のちに私選となって、一銭の報酬もないばかりか、長野から東京までの交通費はもちろん、すべての費用まで持ち出しでやってこられた上條剛弁護士には頭が下がる思いです。せめてこういう弁護士の存在を知ったことだけが救いかもしれません。トクナガさんは服役中に滞在許可が切れるので、釈放後はブラジルへ送還されると思います。そのための費用などの心配がないように、ということで最後のサポートをやっているところです。
彼がこれ以上、トラブルにまきこまれずに早く刑期を終えて出てくるのを祈るばかり。そして、何よりも犠牲となった幼い娘さんのために、トクナガさんが祈り続けてくれることを願うばかりです。
飛行機のおもちゃ 2002年12月2日 岡野美津子
「いらっしゃいませー!」と笑顔で登場したゴビンダさん。近頃はなぜか、いつもこの挨拶である。こうたろうが来ているのを見て、「どうしたの?学校、大丈夫ですか?私は、嬉しいけど・・・」と心配してくれた。こうたろうは、「大丈夫。学芸会の振り替え休日だから、逢いに来ました!」と答えた。
こうたろうが、ゴムで動くプロペラ飛行機のおもちゃ(待合室で遊んでいたものを、そのまま手に持っていた)を見せると、ゴビンダさんは、機体に付いているUSAの国旗の柄に目をとめ、「その飛行機に乗って、ネパールに帰りたいです。助けてください」 と訴えた。さらに、「飛ぶ真似をしてみせてください」と言うので、こうたろうは、椅子から降り、狭い面会室で、プロベラを回しながら飛ばす真似をしてみせた。
こうたろうが、半そで・半ズボン姿なのを見て、「寒くありませんか?」とゴビンダさん。彼は、綿入りの半纏、その下にラクダ色の暖かそうな下着を着こんでいる。6年間も冬場の拘置所暮らしをしているので、こういう防寒着衣を持っているのを知って安心した。12月から「使い捨てカイロ」も買えるのだという。
「なぜヒゲを伸ばしているのですか?」こうたろうの質問に、
「似合うでしょう?自慢のヒゲです。こうして半纏を着てると日本人みたいでしょう?」と得意そうに答える。
しかし、「ヒゲをはやす前のゴビンダさんじゃないみたいです」と、こうたろうは、 きっぱり。
他にも、バッグの中に入っている本を見せたり、首からぶら下げているスケルトンを見せて、シャボン玉を吹くふりをしてみせたりしながら、ゴビンダさんは、目をキラキラさせて、こうたろうと熱い会話を交わしあい、いつになく楽しそうだった。 大人の私が面会に行くと、気を遣っているのがわかるが、こうして子供を連れて行くと、自分も童心に戻るのか、とてもリラックスして見えた。冬休みの間、面会がなくなることを今から「少し心配」と言っていたが、みんなで、できるだけギリギリまで面会に来るから、と安心させた。
ラダさん再来日については、蓮見さんがネパールから良い 知らせを持ち帰るのを心待ちにしているとのことである。
タイムアウトの声が、無情に響き渡ると、こうたろうは「また来ます」、ゴビンダさんは「元気でね」と、お互い、離れがたい様子だった。別れ際、こうたろうは、ドアを大きく開き、ゴビンダさんに向かって「外を見て」というポーズをしてみせた。
ロザールさんの面会に行って来ました 2002年11月13日 今井恭平
きょう(13日)午前中、はじめてロザールさんの面会に行って来ました。 とつぜん知らない人間が訪ねていっても、と思ったので、ロザール事件を考える会のチャーリーに頼んで、いっしょに連れて行ってもらいました。先月、自己紹介の手紙を出しておいたので、名前をいったら「猫の写真を送ってくれた方ですね」と、すぐに思い出してくださいました。
ゴビンダさんの面会は、いつも時間があまりに短く、せかされる感じなのですが、 女性区は人数が少ないこともあるのでしょうか、比較的ゆっくりと落ち着いて話をすることができるようです。あまり看守の人にせかされる感じもありませんでした。
とても状況が厳しい中で、ロザールさんが、今後どうするべきかとても悩んでいると思うが、どういう決断をするにしても、みんなが彼女のことを考え、かつ少しでも役立てるために支援をしていくつもりでいますから、とお伝えしたら「そう言っていただけるととてもうれしい」と語っていました。
10月30日に大塚先生が面会にお見えになったそうで、上告審は2年くらいか かる可能性もあると言われたとのこと。彼女は、正直言って、日本の裁判には、期待はもっていないと言っています。同時に、裁判の結果いかんにかかわらず、今後も日本で生活をしたい、ということと、娘さんのことがもっとも気がかりだと語っていました。そして、日本に残りたい理由は、警察や裁判がけっしてみんなを守っているのではないことを多くの人がまだ知らない、そのことをぜひみんなに訴えていきたいのだ、と言っていました。H 子どもさんといっしょに日本に残って暮らせる方法を探したいというのが、彼女の大きな関心事であるように受け取りました。
法廷以外の場所で彼女を見て、はじめて話をしてみて、とても聡明で心を強く保っていることを感じました。
また、お訪ねしてもよいですか?と聞いたら快く承知してくれましたので、また機会をみて、面会に行きたいと思っています。
以上、かんたんなご報告です。
刑務官たちがいつもより優しかった 2002年11月11日 岡野美津子
「こんにちは」とニコニコ顔で登場したゴビンダさんである。 前回10月28日(月)に面会した時とは、まったく違って、非常に明るい。神田弁護士に通訳同伴で接見していただいた事が大変良かったらしい。母国のネパール語で1時間 以上、思いのたけを発言する事がどんなに重要かはかり知れない。
「いつも面会しているから、何か様子が違う時はすぐわかります。そういう時は、また客野さんに頼んで、弁護士さんに連絡してもらいますからね」と伝えたら、安心した様子。 「この前は、いろいろお願いをしてしまい、ごめんなさい」
と申し訳なさそうに言うので、「りんごも魚の缶詰も切らさないよう注意しておきます」と伝えたら、「魚も食べ過ぎると、 身体に良くないですから」とゴビンダさんらしい答え。
「何でも言ってくれていいんですよ。すぐ出来ることと 出来ないことがあるけれど、みなで相談しますからね」と言っておいた。
「何か良いことないですか?」と訊いてきたので、「11月8日に、弁護士さんたち、救援会、支える会と合同で会議をして、みなで力を合わせてゴビンダさんを支えましょう!ということを確認しあった」と話したら、「もう6年、ここにいます」と、ポツリ。
「面会がある日は、暖かいです。この部屋だけ、ヒーターあるので、暖かい。あとは寒い。寒すぎます」とのこと。
「大変で苦しい生活だと理解しています。みなで応援していますから、がんばってね」と励ました。
「ラダさんを、また日本によんでもらいたいと、客野さんに手紙、書きました」と話し出したので、「その話、聞いています」と言うと、「蓮見さんと一緒に来れるかな?」と訊くので、「それは、どうかな。そんな、すぐには・・・」と言うと、ちょっぴり俯いたので、「でも、必ず来られると思うよ。去年は正月休みが入ってしまって、たくさん逢えなかったでしょ?せっかく来るのだから、毎日逢えるように、正月をはずした方がいいと思うけれど」と急いで言うと、すぐさま「2月頃かな?」と笑顔に戻った。
「子ども達も来られるといいね」と言ってみたが、これに対しては、 「まだ小さいし、学校もあるから」と、ためらう風だった。 当面「またラダさんに逢える!」という目標ができ、希望に燃えているようなので、安心した。
11月8日の学習懇談会で、「ゴビンダさんは、面会を楽しみにしている」 と発言したが、その意味を補足すると、「ゴビンダさんは、人間のぬくもりを求めている。当たり前の人間らしいコミュニケーションを取りたがっているのだ。誰かが面会に行けば、せめて5〜10分だけは、人間らしい会話ができる。それでも、あと残りの23時間50〜55分は、隷属状態。そんな生活が、もう6年間も続いているのだ、無実なのに!」。 だから、私は、これからも可能な限り、面会を続けたい。
付記: 今日の面会は、通常より長めで10分。気のせいか、いつもより、刑務官たちも、いくらか「ふつうの人間」らしく感じられた。もしかしたら、名古屋刑務所の事件のせいだろうか?
誰も来てくれなかったから、 寂しくて・・・ 2002年10月21日 岡野美津子
待合室のアナウンス放送が、1回目と2回目とで、呼出し番号が 違っていたため、念のため、窓口で確認してから、面会室に入った。そのため、ゴビンダさんは、すでに座って、じ〜っと、待っていた。
「面会があるの、久しぶり。ずっと、誰も来てくれなかったから、 寂しくて・・・」と言う。どうやら先週の木曜に予定していた方が急用かなにかで来られなくなったらしく、その後、土日が入ったため、4日間あいてしまったのだ。そのために苛立っていて、「この間、ある人から本が届いたけど、いつ差し入れてくれたものかも、わからないし・・」などと、不満をぶつけてくる。
それは、ここの拘置所の問題で、私には、どうすることもできない。
「まったく、日本人は、忙しい、忙しいって、理解できません! ネパールでは、家長一人が働けば、一族が生活できるのに。 日本は世界で2番目に豊かな国だと言うけど、ほんとは違うね」
などと、ほとんど八つ当たり気味だったが、
「そうね。お金の面では、数字的に2番目かもしれないけど、心は貧しい国かもしれない。私もそう思います」と同意すると、
「でも、支援者は優しい。あなたも」と、少しずつ機嫌をなおしてくれた。
「支援者は、みんな、ゴビンダさんのことを心配してるのよ。でも、それぞれ、生活もあるし、仕事もしているのだから。この拘置所には、日本人でも外国人でも、誰も面会に来てくれない、そういう人も、大勢いるんだから、ゴビンダさんは、たくさん面会者があるのだから、がまんしないとね」と、一生 懸命、慰めたり、励ましたりした。
帰り道、なんだか、空しい、情けない気持ちだった。ゴビンダさん、ごめんね。ただ、愚痴をきいてあげることしか出来ない無力な私で、本当にごめんなさい。でも、一緒にがんばろう。
肉類は食べないことにした 2002年10月15日 小野寺敦子
山本、飯島、小野寺の3人で、面会に行ってきました。 ゴビンダさんは、いつものようにニコニコと現れました。ガラスの仕切りさえなければ、自由な友人と変わりありません。涼しくなったので、私たちの気持ちも、いくらか楽になっていました。4年前の娘さんたちの写真を用意してありました。
「今月から、ネパールはお祭り。10日間続く。女神様にごちそうを捧げて、幸せな暮らしをお願いする」というようなことを話してくれました。結婚当時、奥さんとお祭りに行った記念写真も見せてくれました。幸せそのものの二人は、どんなに希望に満ちて、お互いの人生を信じていたことでしょう。今の境遇を考えると、人生の落とし穴にあらためて身震いしました。ゴビンダさんは、毎日、その写真を見ていると言っていました。彼の中に、まだ希望が生き続けていることが、救いです。
肉類は食べないことにしたと言い、それは、動物のことを考えたからだそうです。奥さんが主人は動物も大事にする優しい心の人なのだと語っていたことを思い出しました。別れぎわにお花を差し入れると伝えたら、お金使わせるからと遠慮しました。自由な私たちにまで、そのような気遣いをするのです。りんどうと白い花の束を手配して帰りました。
こうたろうくん!よく来てくれたね。ありがとう 2002年10月7日 岡野美津子
「こうたろうくん!よく来てくれたね。ありがとう」
「今日は、運動会の振り替え休日で、来ることができたの」
「こうたろうくんに見せたくて、ヒマラヤ、ポカラ、ペエウ湖の絵ハガキを持ってきたよ。前に約束したでしょ、一緒に山に登ろうねって。ほら、こういう山ですよ」
「すてきですね。今度、一緒に登ろうね」
「それとネパールの家族の写真。これが娘たち。それから 両親、ラダさん、兄さん・・・」
「この方は、誰ですか?」
「姉さんのご主人です」
「こうたろうくん、前に送ってくれたハガキにトマトの絵を書いてたでしょ。なぜ?」
「トマト、好きだから。赤いし、明るいし。あれ、絵手紙って、言うんだよ」
「そのシャツの絵も、とってもいいね」
「僕が自分で描いて、色をぬった手作りのシャツだよ。運動会でこれ着て、なわとびしたの。かけっこで一等になったの。あと赤組も優勝!」
「すごい!よかったね。私も、この部屋まで来るのに、 階段上ったり下りたり、何回もするので、汗だらだらで、 運動になります。1週間前から肉を食べること、やめました。シーフード・オンリー。とても体調がよい。下痢も止まった。 薬のむと、夜もぐっすり眠れます」
「よかったね。ゴビンダさん、日本語、練習してますか?」
「少しね。日本語むずかしい。ひらがな、カタカナ、漢字があるから、大変です」
「大丈夫だよ。日本語、話すのは、上手なんだから」
「そうだね・・・こうたろうくん、お母さんの言うこと、よく聞いて、元気でいてください。手紙、くださいね!」
「うん、ゴビンダさんも元気でいてね」
別れの時間が来て、こうたろうは、いつものように ゴビンダさんと窓越しに手を重ねあわせた。 毎晩、寝る前に、「神様、ゴビンダさんが一日も早く、 ネパールに帰れますように」と祈る9才の子供がいる。「この子の願いを、神様、どうぞ聞き入れてください」 と祈る私である。
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