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平成12年12月22日宣告

強盗殺人被告事件(平成12年(う)第977号)判決

被告人 ゴビンダ・プラサド・マイナリ

東京高等裁判所第4刑事部

主   文

原判決を破棄する。

被告人を無期懲役に処する。

原審における未決勾留日数中700日を右刑に算入する。

理   由

第一 控訴趣意とその検討


一 論旨

 本件控訴の趣意は、検察官上田廣一作成の控訴趣意書(同検察官作成の補正申立書により補正された)に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、弁護人神山啓史外4名作成の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

 論旨は、要するに、原判決は本件強盗殺人罪の公訴事実につき、被告人を犯人と認めるには合理的な疑問が残るとして無罪を言い渡したが、証拠上被告人が本件強盗殺人の犯行に及んだことを十分認め得るから、原判決には判決に影響を及ぼすべき事実の誤認があるというのである。

 本件公訴事実は、「被告人は、平成9年3月8日深夜ころ、東京都渋谷区円山町K荘101号室において、被害者女性V(当時39歳)を殺害して金員を強取しようと決意し、殺意をもって、同女の頚部を圧迫し、よって、そのころ、同所において、同女を窒息死させて殺害した上、同女所有の現金約四万円を強取したものである」という強盗殺人の事実であるが、被告人は、これに関与したことを否定している。

 そこで、検察官の控訴趣意及びこれに対する弁護人の答弁にかんがみ、以下、原審取調べの関係証拠に当審での事実取調べの結果を併せて検討する。



二 本件被害者の行動

1 被害者の生活状況と死体発見のいきさつ

 関係証拠によれば、被害者Vの死体が発見されるまでの経緯に関して、次の事実が認められる。

(一) 原判示のアパートK荘101号室の管理を委ねられていた、ネパール料理店「カンティプール」の店長Mは、平成9年3月18日(以下、特に断らない限り、日付は平成9年である)午後3時ころ、101号室の鍵を携えてK荘に立ち寄り、1階101号室前通路に面した窓から中を見ると、空室のはずなのに女性が畳の上に横臥しており、出入口は施錠されていなかったが、その頃部屋を貸す話が出ていたネパール人の知り合いが入り込んで仮眠をしているものと軽く考えて、部屋の中までは入らずに、外から施錠(内側からは、レバーを回すことにより簡単に開錠できる)をしただけで戻った。Mは、翌19日午後5時ころ、再度K荘101号室を見回りに行き中に入ってみて、前日仮眠中と思った女性が、実は死体であることを発見し、直ちに警察へ急報した。即日行われた警察の実況見分によると、死体は、和室中央やや北寄り部分に、102号室側を頭にして東西に、ツーピースの上にべージュ色コートを着用した姿で仰向けに横たわっており、着衣に乱れた様子はなく、その傍らには、黒色皮製ショルダーバック(以下「本件ショルダーバック」という)があり、頭部寄りの壁際には、ビニール製手提げ袋と布製手提げ袋が立て掛けるように並べて置かれていた。

(二) K荘は、地下1階地上2階の本造アパートで、地下1階は、飲食店「まん福亭」が店舗として使用し、地上1、2階には、居室が3室ずつあり、当時、1階西端(神泉駅側)の101号室と東端の103号室だけが空室であったが、階下の南側は東西の各道路に通じる狭い通路が付けられ、階下各室の出入口(玄関)がそれに面している。本件101号室は、南西角の玄関に接してその東側に台所、北側に便所、台所と襖を隔ててその北側に和室六畳間(畳にカーペット敷)からなっている。そして、南南西方向約17メートルの至近距離には京王井の頭線の神泉駅北口があり、JR渋谷駅ハチ公口までは束北東に約600メートルである。K荘付近は、住宅、商店等が密集した地域であって、その東側は小高くなっており、アベック用ホテル、飲食店等が建ち並ぶ円山町界隈で、その先は通称道玄坂通りの繁華な区域に隣接している。

(三) 3月20日に死体を解剖した結果、被害者は、身長169センチメートル、体重44キログラム、頭部、顔面部等に打撲傷、擦過傷があるほか、頚部に軟部組織出血及び甲状腺出血を伴う圧迫痕が認められ、そのABO式血液型はO型であった。死因は、頚部圧迫による窒息死で、他殺であり、死後1週間内外が経過したものと推定された。

(四) 本件ショルダーバックに入っていた茶色2つ折り財布に在中の勤務証から、被害者は、会社に勤務するVであることが判明した。

 被害者は、都内の大学を卒業して昭和55年4月から会社に勤務し、杉並区の自宅から井の頭線等を利用して会社に通勤して調査関係の仕事に携わっていたが、平成3年ころから、勤務終了後に、渋谷区円山町界隈で、行きずりの客を誘ったり馴染みの常連客と待ち合わせたりして売春を行うようになり、平成8年6月ころからは、品川区西五反田のSMクラブで、土曜、日曜及び祭日の正午過ぎから夕刻まで詰めていたが(同所で待機し、遊客の求めに応じて、ホテルなどに出向いて相手をする)、その後は、井の頭線の終電の時間近くまで、渋谷で馴染み客と待ち合わせ、あるいは円山町界隈の路上で行きずりの遊客を誘っては売春をし、最寄りの神泉駅から井の頭線を利用して帰宅するのを常としていた。

(五) 被害者は、3月8日(土曜)の正午過ぎから午後5時30分ころまで前記SMクラブに勤務したが、その間に遊客の申込みはなかった。その後、あらかじめ約束してあった常連客と、午後7時ころJR渋谷駅前で待ち合わせて円山町のホテルで売春し(コンドームは使用しなかった。料金3万5000円を要求し、1万円札4枚を受け取り、前記2つ折り財布に仕舞い、釣り銭として1000円札5枚を返した。ちなみに、右常連客のABO式血液型は、O型である)、午後10時16分ころホテルを出て同人と別れた。

(六) 被害者は、その後も、午後10時半ころからしばらくの間、道玄坂交番前付近ないし同所から神泉駅方面に至る路上にいて、数人の男性に声を掛け、道玄坂道路脇の花壇のところに座っていた黒いジャンパーを着た、27、8から30歳前後で、ヒモにしては華奢かなと感じられた、日本人らしい男性と連れだって、道玄坂の西側歩道を神泉駅方向へ右折するのが目撃された。そして、午後11時30分前後ころ(この時刻の認定については後述する)、被害者が、同女と同じくらいの背の高さで、少し肉付きがよく、肌は浅黒く少し彫りの深い感じの顔立ちで、ウエーブがかかった髪型の、東南アジア系と思われる、ジャンパーを着た男性と一緒に、K荘1階通路西側出入口前で立ち話をした後、階段で数段高くなっている通路へ上がって行くのを、前記「まん福亭」で飲食中の父親を車で迎えに来ていたS田により、路上に停めた車中から目撃された。さらに、K荘2階203号室の居住者が、3月9日午前零時前ころ、神泉駅構内の公衆電話を使用して自室に戻る際に、2階への階段の上り口にある101号室の西側窓の前で、同室の中から男女のあえぎ声がするのを聞いたが、同日午前零時30分過ぎに再度自室から出掛けた際には、同室からそのような声は聞こえず、午前3時過ぎに帰宅した際にも聞こえなかった。

(七) 被害者は、平素、帰宅が遅くなることはあっても、無断外泊をしたことはなかったが、3月8日午前中に家を出てから自宅に何の連絡もないまま帰宅せず、翌9日(日曜)は、当日出勤する旨をあらかじめ約していた前記SMクラプにも顔を出さず、同月10日(月曜)には会社を無断欠勤した。心配した家族から同月11日、警察に捜索願いが出されたが、消息が知れなかった。

(八) 当夜、被害者とホテルヘ行った前記常連客は、その際、本件ショルダーバックの取っ手に異常がなかったことを確認しているが、3月19日の実況見分時には、取っ手が千切れていた。右取っ手(以下「本件取っ手」という)は、皮製で径1.3センチメートル程の細長い筒状をなし、芯には硬質ゴム様の詰物がしてあって、その中心に直径約0.3センチメートルの針金が入っているが、取っ手を繋ぐバッグの金具の近くで完全に千切ったように破断していて、かなり強い力で引っ張ったことを窺わせる状況にあった。本件取っ手に付着する物質をセロテープで採取しその血液型を分析したところ、その中央部を中心にB型物質の付着を認めた。

 そして、本件ショルダーバッグの中から発見された前記2つ折りの財布には、小銭473円が入っていただけで、被害者が前記常連客と別れた後、K荘101号室に入るまでの間に、右常連客から受け取った1万円札4枚を費消した事跡はないのに、被害者の着衣、所持品の中から1万円札は一枚も発見されなかった。また、同じく本件ショルダーバッグの中から、日々の売春相手、その料金、相手の連絡方法、被害者自身の服装などを詳細にメモした手帳が発見され、その自宅から、右と同様にこれまでの日々の売春などについてメモした平成3年以来の手帳が発見された。

(九) 3月19日の実況見分の際、K荘101号室便所の便器内の排水口に溜まった青色の水の中に、コンドーム1個(以下「本件コンドーム」という)が口を上にして浮いているのが発見された。この青色は芳香防臭剤「ブルーレット」に由来すると認められるが、コンドームを水の中から引き上げると、中には精液溜まりから約3センチメートルくらい右青色液が入っており、その中に精液が混在していた。また、実況見分に引き続いて行われた検証の際、和室六畳間の被害者の死体の右肩付近カーぺット上から、陰毛様の物4本が毛髪様の物若干と一緒に発見、採取された。

(一〇) 本件コンドームは、不二ラテックス株式会社製のリンクルMピンク型という製品であることが判明している。他方、被害者には、ホテルが顧客用サービスとして備え付けているコンドームを余分に持ち帰る習癖があったところ、本件ショルダーバッグには、未使用コンドーム28個が在中したが、これらはいずれも被害者がよく利用していた円山町所在のホテル備え付けの業務用製品で、一般には市販されていないものであり、右の中には、「フェアレディ」の商品名で中西ゴム工業から業務用に販売された、不二ラテックス製のリンクルMピンク型の製品が1個含まれていた。

2 客観証拠から推認される被害状況

 以上に見た、被害者の日頃の行状、目撃証言その他から認められる3月8日の足取りやその後の失踪状況、死の発見された状況、101号室に遺留された物の状況などに照らすと、被害者は、当夜午後10時16分ころ、円山町のホテルを出て、常連客と別れ、その後さらに、道玄坂から円山町辺りの路上で遊客探しを試みて、売春相手を見付け、午後11時30分ころ、K荘101号室に一緒に入って性交を行い、3月9日午前零時ころ、同室において、身づくろいを整えた後、右の相手(以下「本件犯人」という)が、財布などが入った本件ショルダーバッグの取っ手を握って奪おうとしたのに対して、被害者が拒んでこれに抵抗したため、右バッグの取っ手が破断してしまい、本件犯人から顔面等を殴打され、頚部を扼されて殺害された上、所持していた現金少なくとも4万円を奪取されたものと推認される。そして、本件コンドーム(これは、被害者が携帯していたコンドームの中の1個である可能性が高い)は、右性交の際、本件犯人か使用して射精した後、被害者か犯人のいずれかが同室の便所の便器の中に投棄した蓋然性が極めて高いものと認められる。



三 被告人の係わり

1 被告人の係わりを窺わせる客観証拠

(一) 遺留された陰毛、精液のDNA型、血液型の鑑定

 関係証拠に照らし、いずれも専門的な知識、技術を習得した経験者により、科学的に信頼される方法で行われたものと認められるDNA型鑑定、ミトコンドリアDNA聖鑑定及びABO式血液型検査により、次の各結果が得られた。

(1) 前記二1(九)の陰毛様の物4本を、警視庁科学捜査研究所において鑑定したところ、いずれも陰毛であって、内2本のABO式血液型はB型、その余の2本はO型と判定されたが、石山c夫教授のもとで、これらについてミトコンドリアDNA型鑑定を実施したところ、右B型2本の内の1本が被告人のそれと一致し(223T−304C型)、右O型2本の内の1本が被害者のそれと一致する(223T−362C型)とそれぞれ判定された。

(2) 前記二1(九)の本件コンドーム内の精液(以下「本件精液」という)と被告人の血液につき、警視庁科学捜査研究所において、DNA型(MCT118型、HLA−DQα型、TH01型、PM検査)とABO式血液型のそれぞれ鑑定を行ったところ、すべて被告人の型と一致した(DNA型につき、MCT118型は24−31型、HLA−DQα型は1.2−4型、TH01型は10−1−10−1型、PM検査のLDLR型はAB型、同GYPA型はAB型、同HBGG型はAB型、同D7S8型はAB型、同GC型はAC型であり、ABO式血液型につきB型)。

(二) 本件精液の経時変化についての押尾鑑定の意義

 本件精液につき、捜査当局から、K荘101号室の便器の水中から3月19日に採取されるまでに、どの程度の期間滞留していたか、その経過期間の鑑定を求められた押尾茂(生殖生物学を専攻する大学講師)は、任意の男性4名から採取された精液を、濃度を違えたブルーレットの水溶液にそれぞれ混合して室温で放置しておき、精子形状の経時変化を観察したところ、10日経過後において、頭部と尾部が分離した精子の割合は30パーセントから40パーセントであったが、20日経過後においては、それが60パーセントから80パーセントであった、これに対して、精子頭部の形状は、10日後でも全てははっきりしていたが、20日後には崩壊しているものが多く見られた。

 他方、同人は、ガーゼに付着乾燥させ冷凍保存してあった本件精液を生理食塩水に回収して、精子形状を観察したところ、尾部は存在していてもほとんど痕跡程度であり、頭部は正常な形態を保っていた。

 以上の観察結果を踏まえて、押尾は、前記実験で観察された、時間経過に伴う頭部と尾部の分離した精子数の割合増加及び精子の頭部形状の崩壊は、低浸透圧負荷による膜の不安定化と精漿中の大腸菌等の繁殖による腐敗の進行が原因であり、右実験が比較的清潔な環境で行われたのに対し、本件精液は便器内の不潔な環境下に置かれていたことからすると、右実験において20日経過した時点で観察された頭部と尾部の分離現象が、本件精液においてはより早く、便器の滞留水中で10日程度経過した時点で生じた可能性も考えられることから、「(コンドームに入った本件精液が)犯行日と推定される3月8日に(便器内に)放置されたとしても(右実験結果と)矛盾はない」旨の鑑定意見を出した。

 本件精液の置かれていた便器の水の環境(前年10月に退去したネパール人PとミトコンドリアDNA型が一致する者の陰毛がティッシュペーパーと共に滞留水の中に残っていたことは、相当期間水が流されていなかったことを窺わせる。)と、右実験におけるサンプルの精液がおかれた精製水中の環境との大きな相違にかんがみると、この両者の各精子の崩壊変化の状況を単純に比較して、前者の経過時間を推定で割り出すことはできないのであって、ガーゼに付着乾燥させて保存されていた本件精液が、その採取時において、便器内に放置されてから10日間程度経過したものであったとしても、右実験結果と矛盾しないとする押尾鑑定意見は、相当なものとして受け容れることができる。

2 被告人の行動

 次に、被告人の行動、就中、本件当夜の行動状況に照らして、被告人が本件強盗殺人を犯す可能性があったかという観点から、検討を加えることとする。

(一) S田の目撃供述

(1)本件当時、S田は、自動車整備の専門学校の卒業を控えている学生であったが、原審で概略次のように証言している。

 3月8日夜、K荘地下1階の「まん福亭」で飲食していた父親を、車で迎えに行った。午後10時50分ころ大田区の自宅を出て、午後11時10分ころK荘前に到着し、同荘西側道路の端に車を止め、近くのコンビニエンスストアでガムを買い(その際のレシートの打刻時刻は23時14分)、1分もかからないで「まん福亭」に入って店のマスターに時間を尋ねると、11時20分とか25分くらいの時間を答えられた。店の時計も大体それくらいの時刻を指していたが、後になって6分くらい針が進んでいると知った。父親が帰るのを五分から10分間くらい店の中で待った後、同店を出て北側2軒隣の駐車場に置かれた同店のマスターの新車を見に行き、同車を一周して見た。その後、同店前の自販機でお茶を買い、車に戻ってお茶を飲んだりラジオをいじったりしていた。

車に戻って5分くらい経った時、アベックがK荘1階(通路)へ上る(数段の)階段の前で立ち話をしているのを見た。自分とは7メートル余り離れていたが、駅の明かりや自販機の明かりなどがあって結構明るかったので、2人の姿が見えた。K荘に向かって女性が左側、男性が右側に立っており、女性は、身長160ないし170センチメートルくらいの、すらりとした体格で、べージュ色のコートを着用し、黒いショルダーバッグを持っていた。その顔は見えなかったが、日本人だと感じた。男性は、女性と同じくらいの背の高さで、ちょっと肉付いた感じの体格をしており、ジャンパーを着ていた。男性が左側を向いた時、左後方からその顔がほんの数秒見えたが、肌は浅黒く少し彫りの深い感じの顔立ちで、ウエーブがかかった髪型をしており、東南アジア系の人だと思った。その男性と被告人とは、顔の肉付きや上半身のちょっと太った感じが似ており、髪の感じも近いと思う。

アベックは、女性が先に、男性がすぐ後に続いて階段を上がり、K荘1階(通路)に入って行き、姿が見えなくなった。その5分くらい後に、父親が「まん福亭」から出てきた。それから、父親は、同店マスターの新車を駐車場に見に行き、さらにマスターと少し話をしてから車に乗った。店を出てから車に乗るまで、10分前後くらいあった。その後すぐに出発し、自宅には翌9日の午前零時10分ころ着き、少し経った零時20分ころガソリンスタンドに行って給油した(その際の納品書の時刻は零時23分)。復路も20分くらいかかったので、K荘前を出発したのは8日の午後11時50分ころだったと思う。

(2) 右S田がアベックを目撃したのは、ごく短時間のことであったと窺われるが、この目撃時刻につき、原判決は、「早くとも、「まん福亭」のマスターに時刻を聞いた時から10分後の午後11時25分ころで、遅くとも出発した時刻の約5分前である午後11時四5分ころの限度」と、かなり幅をもたせて認定している。

 しかし、前記(1)の時間の推移、殊にS田が「まん福亭」を出てからマスターの新車を見に行き、お茶を買うなど、自車に戻るまでにある程度の時間を要したことを考慮すると、目撃時刻は、「早くとも午後11時25分をいくらか過ぎたころ」と認めるのが相当であり、また、前記(1)のS田の父親が店を出てから車に乗るまでに、マスターと共に駐車場へ同人の新車を見に行ったりするのに10分前後の時間を費やしたことも計算に入れるべきであるから、「遅くとも午後11時35分ころ」であったとしなければならない。

 したがって、アベックを目撃したのは、「早くとも午後11時25分をいくらか過ぎたころ、遅くとも午後11時35分ころ」の間と特定される。

(3) 右S田証言は、K荘地下の飲食店にいる父親を至近距離に停めた車内で待機している間の、同アパート前の出来事の目撃供述であって、内容が明確かつ具体的である上、前記レシートジャーナルや納品書による時刻の客観的な裏付けがあることなどに照らし、目撃したアベックの男女の特徴、目撃時刻の点を含めその供述内容の信用性は高いということができ、その余の証拠から認められる当夜の被害者の足取りなどにも照らして、アベックの女性が被害者であったことは間違いなく、また、相手の男性についても、S田の述べる特徴点にかんがみると、それが被告人であったとしてもおかしくない。

 なお、前記二1(六)のとおり、被害者は、本件当夜の午後10時半ころからしばらくの間、道玄坂から神泉駅方面に至る路上にいて、遊客を求めて数人の男性に声を掛け、「道玄坂道路脇の花壇のところに座っていた黒いジャンパーを着た、27、8から30歳前後で、ヒモにしては華奢かなと感じられた、日本人らしい男性と連れだって、道玄坂の西側歩道を神泉駅方向へ右折した」のが、広告ボード持ちの人に目撃されたのであるが、この目撃供述とS田のそれを併せ見ると、アベックの女性は共通して被害者であることは確かと認められるが、相手の男性についてはジャンパーを着ていた点では共通するものの、その余の特徴は全く異なる。しかし、関係証拠から認められる被害者の日頃の円山町界隈での行動形態にかんがみると、被害者が「黒いジャンパーの日本人らしい男性」と連れだって、道玄坂通りを右折して、右広告ボード持ちの視野から消えた後、その男性と別れ、「肌浅黒く、ウエーブがかかった髪型をした、少し彫りの深い顔立ちの東南アジア系の男性」と路上で出会い、一緒にK荘前に現われても不自然ではなく、異とするに足りないのであって道玄坂通りで連れだって歩いていた男性とK荘通路前で目撃された男性は別人であると認められる。

(二) 被告人の生活状況と本件当日の行動

(1) 被告人は、ネパール国籍を有する外国人で、平成6年に来日し、平成7年12月から千葉市美浜区のインド料理店「幕張マハラジャ」で接客定員として働き(時給850円、毎月5日が給料日、2月までの過去6か月の手取りは、月19万円ないし22万円程度であった)、平成8年11月ころから、K荘の南隣にあるHビル4階401号室を月5万円の賃料で借り受け、同国人5名(R、J、C、D、E。なお、右のうち、Rは平成9年1月に帰国し、本件当時は同居していなかった)を1人当たり月3万円の部屋代のほか2000円程度の電話使用料を徴して一緒に寝泊まりさせていた。当時、被告人は、カトマンズに家を新築中で、その資金送金のため、切り詰めた生活をして、通勤は2区間の定期券(各4640円)を買っていわゆるキセル乗車で行い、毎月10万円ないし20万円程度の本国送金をしていたため、いつも金銭的に逼迫した状況にあり、給料日近くになると、同僚、友人などから借金してしのぐ状況が続いていたが、家族からの要請により2月はいつもより多額の30万円程を送金したことなどのため、401号室の家賃を滞納した。

 関係証拠によれば、3月8日当夜の被告人の行動について、次のような事実が認められる。

 被告人の勤務先「幕張マハラジャ」からの通常の帰宅経路は、最寄り駅のJR海浜幕張駅から京葉線電車に乗り、JR東京駅で外回りの山手線電車に乗り換え、JR渋谷駅で下車した上、約600メートルの距離を徒歩でHビル(K荘の南隣)の401号室まで帰るというものであった。  3月8日当日のJR海浜幕張駅発の東京方面行き電車は、午後10時台前半には7分発と22分発の2本があったが、後日、捜査官が行った実測結果によると、店からJR海浜幕張駅のホームまで徒歩で約6分半程度かかること、同駅から午後10時7分発の電車に乗って前記経路でJR渋谷駅に向かうと午後11時17分に到着し、午後10時22分発の電車に乗ると、同駅に午後11時28分に到着すること、JR渋谷駅からK荘までの所要時間は、徒歩で10分半程度であったことがそれぞれ認められる。そして、渋谷駅からK荘までの徒歩の所要時間は、経路の違いや個人差などを考慮して若干多めに見込んでも、せいぜい12分程度までであろうと認められる。

タイムカードの記録によれば、右当日(土曜)、被告人は、「幕張マハラジャ」に午前11時55分に出勤し、午後10時00分に退出した旨打刻されていたが、当時タイムレコーダーは2、3分進んでいたため、実際の退出時刻は午後9時57分ないし58分であったことになる。  そして、当時同店でウエイトレスをしていたK田は、「タイムカードは従業員の1人がまとめて押す場合が多く、被告人は、その前に着替えを済ませてタイムカードが押されるのを待っていることが多かった。当日は、自分が、午後9時40分にレジを閉めて清算し、その結果を本部に報告した。自分のタイムカードの退出時刻が午後10時と打刻されており、それより前に客は帰っている」旨を、また、当時店長代理をしていたS口は、「タイムカードを押す前に制服から私服に着替える店員が一部おり、被告人はその1人だった。3月8日のタイムカードを見ると、自分の退出が一番遅くて午後10時1分となっており、他の店員は10時には退出していた。同日のレジの締切りが午後9時40分であったことからすると、被告人において退出時刻の前に私服に着替える可能性があったと推測できる」旨を、それぞれ原審で証言している。  なお、弁護人は、K田及びS口の各証言の信用性を争い、また、当夜は片付け仕事や翌日昼の料理の準備作業のため午後10時前に着替えを済ませる余裕がなかった旨の被告人の原審公判供述を援用して、右7分発の電車に乗るのは不可能であったと主張する。しかし、右各証言に特段不審な点はなく、それらと対比して右被告人供述は措信し難いから、右主張は採用できない。

当時、被告人とHビル401号室に同居して、自由が丘の焼き肉店に勤めていたEの述べるところでは、同人は、「当夜、午後11時9分に職場を退出し、東横線で午後11時39分に渋谷へ到着し、ハチ公辺りでしばらく過ごし、その間、午後11時27分過ぎると11時50分過ぎの2回、自分の携帯電話で右401号室へ電話をかけたところ、右2回とも誰も受話器を取らず、留守番メッセージが応答した。そして、翌9日午前1時近くに帰宅すると、被告人が1人でテレビを見ていた」というのである。

 この事実から、右2回の電話の時刻には、被告人が同室に居なかったことを推認することができる。

(2) 右(1)に認定した各事実を総合すると、3月8日当夜、被告人が、勤務終了後、午後10時ころに「幕張マハラジャ」を出て前記午後10時7分発の電車に乗り、渋谷駅に午後11時17分ころ至着して、午後11時30分少し前に、K荘(Hビル北隣)付近に被害者と連れだって現れて、路上に停めた車内から前記S田に目撃されたことは、当夜の行動として、十分あり得ることであったと認められる。

四 被告人の言い分とその検討

1 被告人の原審公判段階の供述内容

 被告人は、捜査段階では、被害者との面識、係わりを尋ねられても、これを黙秘し、あるいはこれを否定する供述をしていた。

 原審第1回公判(平成9年10月14日)冒頭手続における被告事件に対する陳述では、「私は、いかなる女性を殺したことも、お金を取ったこともありません」とのみ述べたが、第26回公判(平成11年4月26日)で初めて、被害者との係わりについて詳しい供述を行い、以後の公判でもほぼこれを維持している。

 なお、当審においても、被告人質問を行ったが、原審と特段異なる供述はされなかった。

(一) 被告人の原審公判供述の概要は、以下のとおりである。

(1) 被害者を最初に知ったのは、平成8年12月20日ころの夜で、仕事を終えて帰る途中、渋谷のホテル街で被害者に.もしあなたがセックスを望むのであれば、1回について5000円です」と声を掛けられた。ホテル代の持ち合わせがなかったので、Hビル401号室でセックスをすることになり、同室に帰るとRとCがいた。被害者の承諾を得て、3人が順に被害者とセックスをした。Rが金を集めて被害者に売春料を支払った。私は、Rに5000円を渡したが、あとの2人がいくら支払ったかは知らない。その性交の際、被害者からコンドームをもらって使用し、事後、自分がそれを401号室のトイレに拾てた。

(2) その次に、被害者に遭ったのは、同月の終わりころで、R及びCと3人で右401号室にいたところ、被害者がドアを開けて入って来て、「今日もセックスをしませんか」と言った。RとCが、「ここは彼(被告人)の姉さんの部屋なので、2度と来ないで下さい」と言って被害者を帰した。私は、被害者を下の道路まで送って行き、別れた。

(3) 3度目は、平成9年1月下旬で、帰宅途中、神泉駅のそばのコンビニエンスストアの前に被害者が立っていて、「今日ももしセックスをするのであれば5000円です」と声を掛けてきた。これを承諾して、一緒にHビルの1階階段付近まで行ったが、同居人の邪魔になると思い、当時K荘101号室の鍵を持っていたので、そこでセックスをすることにした。同室で被害者とセックスをして、5000円を支払い、外に出てドアの鍵を掛け、被害者と別れた。その際、被害者がくれたコンドームを使用し、事後、被害者がこのコンドームを持ってトイレヘ行った。そこで被害者が何をしたかは見ていないし、水を流したかどうか覚えていない。

(4) そのほか、時期ははっきりしないが、J及びCと3人で食事をした後ラブホテル街を歩いている時、被害者を見かけた。Jに、「彼女だったらセックスをさせてくれるかも知れない」と言うと、Jは被害者と同じ方向に歩いて行った。Jは、後から部屋に帰って来て、被害者とはセックスをしなかったと言っていた。

(5) 最後に被害者と遭ったときの状況は、次のとおりであった。

被害者と最後に遭ったのは、2月25日(ハッシムから1万円を借りた日)から3月1日又は2日(同月3日、4日は勤務が休みで、その前)までの間のことである。Hビルのそばにある階段の上の方で、被害者から「今日もセックスをしませんか」と声を掛けられて承諾し、K荘101号室に行き、ドアの鍵を開けて入り、セツクスをした。

ハッシムから1万円を借りたのは、4640円の定期券を買うのに所持金が足りなかったためであるが、当時、その1万円(札)と定期券代より少し少ない小銭を持っていた。セックスの後、被害者に売春料として1万円(札)を差し出すと、被害者から小銭の方がいいと言われて、4500円くらいを払った。被害者は、足りない分は次のセックスの時に精算すればいいと言った。

セックスの前に、被害者がコンドームを開封して渡してくれたので、それを自分で付けた。セックスが終ってから、コンドームをカーペットの上に置き、服を着て部屋を出る時に、自分がコンドームを持って、トイレのドアの所から便器の中に投げ捨てた。水は流さなかった。

私が先に部屋の外へ出て、被害者が後から出た。被害者に言って出入口のドアを閉めてもらったが、鍵は掛けないでおいた。3月5日に給料が入れば、家賃と一緒に101号室の鍵を返すことになっていたが、鍵を返した後もMが部屋に鍵を掛けるまではセックスをするために使おうと思い、鍵を掛けなかったのである。

(6) その後は、被害者と遭ったことはないし、K荘101号室であると否とを問わず、女性とセックスしたことはない。

(二) 被告人は、右のように述ベて、本件コンドームは、本件が発生するより1週間ないし10日余り前である2月25日から3月2日ころまでの間に、被害者と1度遭って、K荘101号室で性交した際に使用した後、トイレの便器に自分が投棄したものであって、本件犯行とは無関係である旨弁解する。

2 弁解の検討

(一) 被害者の手帳の記載に見る被害者と被告人との係わり

 原判決は、被告人の言い分を検討して、被害者が所持していた前記二1(八)の手帳(以下「本件手帳」あるいは「平成9年手帳」という)の2月28日欄の中にある記載内容「?外人0.2万」が、「被害者の被告人に対する売春を意味しないとまで断定することはできない」とし、また、右手帳のメモ記載には、被害者の書き誤りや記載漏れがあった可能性も皆無とはいえないから、被告人の右弁解を「直ちに明らかな虚偽とまでは断定できない」と判示している。

 これに対して、検察官は、2月25日から3月2日ころまでの間に被害者の売春相手になったと述べる被告人の供述内容は、本件手帳の記載と一致せず、被告人の弁解は信用できないと主張する。

 そこで、以下では、被害者の手帳の記載の正確性の程度、さらには、2月25日から3月2日ころまでの被害者の売春相手になった際に、コンドームを便器に投棄した旨の被告人の供述と本件手帳の2月28日欄の記載「?外人0.2万」の関係を考察する。

(1) 被害者手帳の内容、記載方法

 前記二1(八)のとおり、被害者が本件当日携帯し、本件現場に残されていた本件手帳のほか、その自宅にあった被害者の平成3年から平成8年までの各手帳が押収されている。これらの年度別の手帳(以下「平成×年手帳」というように略称する。被害者の平成3年手帳ないし平成9年手帳を総称して「被害者手帳」ともいう)に、被害者は、自ら日々の売春相手、売春料金等を克明に記載していたことが認められる。ただし、平成8年の手帳は、同年6月末ころ、それまで使用していた手帳を紛失したため、1991年(平成3年)版の「国民会議手帳」を代用して、同年7月1日の分以降の売春状況の記載を行っているものである。なお、右手帳の12月分の記載は、僅かな部分を除き、そのまま平成9年の本件手帳へ移記されていると認められる。原審では、第27回公判で平成9年手帳(本件手帳)が、第29回公判で平成8年手帳がそれぞれ取り調べられており、さらに、当審では、それ以前の平成3年ないし7年各手帳を取り調べた。

 被害者手帳の記載のうち、売春状況の記載については、売春予約のための電話連絡をする客の名前、予約客の名前と待ち合わせの約束日時等を記載した予定欄のメモと、実際に売春をした客の名前や符丁、受領金額等を記載した結果欄のメモとに大別することができる。これらはいずれも日毎に克明な記載がされており、連日、連絡のつく客のうち1名ないし数名に電話をしては、待ち合わせの日時を予約する傍ら、その日の予定客と約束した時刻に会って売春を行い、そのほかに行きずりの客とも売春をしていた状況が、その記載からかなりはっきりと窺える内容になっている。そして、本件手帳を検すると、その予定欄には、短い斜線が3月7日の日付まで引かれており、結果欄の記載については、それが本件犯行(これまでの検討結果から、本件犯人は、3月8日の午後11時30分ころ被害者とK荘101号室に入り込み性交した上、翌9日の午前零時ころこれを行ったものと認められる)の直前である3月7日の売春分まで記入されていて、同月8日の欄以降が空白であることに照らすと、被害者は、当日の売春を終えて帰途に就いてから翌日売春を開始するまでの間に、前夜の売春の状況を日々記載していたものと推測される。

(2)被害者手帳の記載内容の吟味

 被害者手帳の事実記載が克明であることは、それ自体、物事をいい加減では済ますことのできない被害者の几帳面さを窺わせるといえるが(なお、被害者が平成8年7月に住居近くの交番に提出したハンドバッグ等の遺失届出書2通の記載内容は、届出書に通常記入すべき事柄をはるかに凌駕しているのであって、その記載ぶりにも被害者の性向が窺われる)、さらに、その記載の確度が高いことを裏付けるものとして、次のような事情を挙げることができる。

原審で取り調べた売春の相手客20名の各供述調書において、それぞれ客が買春の日や被害者に支払った金額等は、いずれも、被害者手帳の記載と概ね符合している(パキスタン人の供述については、同人の記憶が「平成8年10月中旬から末の間の土曜か日曜に、露天で性交して2000円を払った」であったというものであり、これを平成8年手帳の記載と照合すると、10月19日(土曜)の結果欄「?0.2万」の記載か、又は同月26日(土曜)の結果欄「?・0.2万」の記載が同人の買春に照応する。なお、右のパキスタン人については、被害者手帳のアドレス帳に、携帯電話番号とジョンという名前が記載されていたことから、その電話の使用者に事情聴取したところ、同人が被害者を買春し、さらに仲間のパキスタン人も被害者の相手になって買春したと述べたことから、その存在が明らかになったものであり、被害者自身は、その名前や連絡方法を不知であったはずであるから、手帳の結果記載欄に「?」の符丁が付けられていることに不審はない)。

次に、右20名の客のうち、被害者の馴染み客と思われる5名について、当審で期日外の証人尋問を行ったが、内4名は、平成6年又は7年からの長年の客であり、その余の1名は、平成8年12月から平成9年3月まで8回にわたり買春をした客であるところ、それぞれ、最初の買春時の状況及びその後の各買春の状況についてかなり詳しい証言をしており、買春の年月日はもとより、被害者との連絡の仕方、売春代金やつまみ代の金額及びその支払方法に至るまで、客側の供述内容(その中には、手帳や心覚えに付けていたメモに基づいて詳細に供述した者もあつた)が被害者手帳の記載と非常によく合致していることが認められる。なお、当審検96番の客は、被害者との最後の売春の日につき、供述調書では、「その日に私の仕事に関連した新聞記事の切り抜きを被害者からもらったが、その新聞の日付が2月15日になっていたので、買春はその数日後であると思う」旨供述していたところ、証人尋問に先立ち被害者手帳(平成9年手帳)の記載が2月27日になっていることを検察官から指摘され、被害者からもらった資料を探し直してみたら、2月25日付けの切り抜き資料が見付かったことから、被害者とはその日付の日より後に会って右25日付けの資料を受け取っていることが判明し、被害者手帳の記載の方が正しかったと分かった旨証言しており、これは、被害者手帳の記載の確度の一端を示す事実と見ることができる。

第三に、右5名の馴染み客のうちの4名について、同人らが被害者との買春状況を記載した手帳又はメモ紙片が、当審に証拠として提出されているところ、

I まず、当審検91番の客は、被害者との買春につき、自己の手帳の当該日の欄に、被害者の姓又はそのアルファベット頭文字等を心覚えに記載していたが、当審で取り調べた右の客の平成8年及び平成9年の各手帳写しによれば、被害者の姓等が記載された買春の日は、被害者の平成8年手帳及び平成9年手帳に記載された同客相手の売春の日と、8回分共全部が一致している。

II また、当審検90番の客も、被害者との買春につき、自己の手帳の当該日の欄に、被害者の名を出会いの様子とともに記載していたが、当審で取り調べた右の客の平成7年ないし平成9年の各手帳写しによれば、被害者の名等が記載された平成7年2月から平成9年3月までの買春の日のうち、被害者が手帳を紛失したため対照すべき記載のない平成8年1月から6月までを除く48回分について、被害者の平成7年手帳、平成8年手帳及び平成9年の本件手帳に記載された売春の相手の名前とその日付の点で、完全に一致している。

III さらに、当審検93番の客も、被害者との買春につき、心覚えのために自分の手帳の当該日の欄に被害者の名を×印とともに記載していたものであるところ、当審で取り調べた右の客の平成8年及び平成9年の各手帳写しによれば、被害者の名等が記載された平成8年7月から平成9年3月までの33回分の買春の日は、被害者の平成8年手帳及び平成9年手帳に記載された同客との売春の日といずれも完全に一致している。そして、同客の手帳の右各記載には、被害者の名等のそばに、当日支払った現金の額や売春料及びつまみ代のつけの未払額と思料される数字が付記されたものが多数存するが、被害者手帳の当該日の結果欄には右の数字に符合する記載がされている(ちなみに、同客の手帳では、被害者との最後の買春の日である3月4日の欄に「残り12万」の記載があるところ、被害者の9年手帳の前年12月の結果欄の上部欄外には、同客に対するつけ未収金の内訳と思料される▲印付きの数字が括弧書きの日付とともに「▲2(2/18)」のように7個記載されており、それらの数字を合計するとちょうど12(万円)になる)。なお、右の客は、被害者の預金口座に売春代金を振込入金したこともあり、被害者手帳には、右入金がつけ払いに充当されたことを示す記載のあることが認められる。

IV 当審検92番の客は、被害者との最初の買春の日に次回に会う日を約束し、被害者からその日付と時刻を書いたメモ紙片を手渡されたものであるところ、当審で取り調べた同メモ紙片には「5/11 7:30」との日時が記載されている。これは、被害者の平成6年手帳の5月11日の予定欄に右の客の名とともに「19:30」という記載がされ、同日の結果欄にも同客との売春を示す記載がされていることと合致する。

(3)まとめ

 右(2)には、被害者手帳の記載の確度を、売春相手となった客の側の供述、手帳、メモ、銀行の振込み記録等からはっきり検証できる主な事例を挙げたのであるか、その他の関係証拠をも総合して考察すると、被害者手帳の売春状況に関する記載は、書き誤りがないばかりでなく、書き漏らしも見出し難いという点において、非常に確度が高いと認められるのである。

 原判決は、被害者手帳の記載の正確性について、これを担保する裏付けとなるものは見当たらないとして、懐疑的であるが、当審で取り調べた前記証拠も併せ検討すると、原判決の被害者手帳に対する評価は、正鵠を射たものとはいい難い。

(二) 被害者手帳の記載を基にした被告人の弁解の検討

 以上(一)で行った被害者手帳の記載に関する検討を基に、「2月25日から3月2日ころまでの間に被害者とK荘101号室で性交して買春し、事後にコンドームを便器の中に投棄した」旨の被告人の弁解の信用性につき検討を加える。

(1)被告人の前記1(一)の各項の被害者との係わりについての供述内容にかんがみ、被告人に関連する可能性のある、被害者手帳の売春の結果欄の記載を検討すると、次のとおりである。

 まず、前記1(一)(1)の供述にかんがみ、平成8年手帳の12月の結果欄を通覧すると、12日の欄に「?外人3人1.1万」の記載があり、さらに、16日の欄に「外人0.3万」の記載がある。これらが、被告人に関連すると思料される所以は、平成9年手帳の中の前年12月12日の結果欄に「?外人3人(401)1.1万」と、16日の欄に「外人(401)0.3万」とそれぞれ記載されていることにある。本件手帳(平成9年手帳)の前年12月の結果欄の各記載は、平成8年手帳の12月の結果欄のそれをほとんどそのまま移記したものであることは、前記2(一)(1)において見たとおりであるが、移記する際に、右の「(401)」を書き加えたものと推認される。

 被告人は、前記1(一)(1)のように、被害者相手の最初の買春について、平成8年12月20日ころHビル401号室で、C、R、被告人の順に、3人で買春を行った旨供述しているところ、Cも、その検察官調書で、12月の上旬ころ又はその前半に、右401号室で、右3人で被害者と性交をし、合計で1万1000円を支払った旨供述しており、この3人一緒に被害者を相手に買春したのは1回だけであることは、被告人、C共に争いのないところであるから、被告人の言うところと時期は若干異なるけれども、被害者の平成9年手帳の前年12月12日の結果欄の「?外人3人(401)1.1万」の記載がこれに照応することは疑いない。そして、その4日後の16日の「外人(401)0.3万」は、401号室において外人1名(又は同室居住の外人1名)と料金3000円で売春を行った旨の記載であると理解することができる。

 次に、平成9年手帳の1月23日結果欄に「ネパール0.2万」の記載がある。これは、ネパール人と料金2000円で売春を行った趣旨の記載と思われるが、前記1(一)(3)の被害者との2回目の買春に関する被告人の供述とは代金額の点では異なるが(被告人は、5000円と言う)、ネパール人を相手にした点で関連するものといえる。

 最後は、平成9年手帳の2月28日結果欄の「?外人0.2万」の記載である。前記1(一)(5)の被害者相手の買春に関する被告人の供述に関連すると思料される記載は、被告人の言う日時を中心に同手帳の2月後半から3月2日ころまでの結果欄を調べても、右記載以外には見当たらない。

(2)そこで、右の2月28日の「?外人0.2万」の記載が、被告人が弁解するとおりの、2月25日から3月2日ころまでの間に行った、被害者相手の最後の買春に照応するか否かを検討する。

まず、右の「?外人」の記載の趣旨が問題となる。

 被害者手帳の結果欄に記載された売春客は、大部分が姓(又は名)で表示されているが、「外人」や「五P」という表示も少なくない。また、姓名や「外人」には「?」の符丁が付けられているものがかなりあり、さらに、「?2.5万」のように、「?」の符丁のみ書いて、次に、売春代金額を表示している場合も数多い。捜査を担当した石井和信の当審証言等によると、右の「五p」は、被害者が土曜、日曜及び祭日に勤務していた品川区五反田のSMクラブの客を示すものであると推測され、被害者手帳を通覧する限り、これには「?」の符丁が付けられていない。

 前記2(一)(2)の買春客20名の各供述調書、内5名の当審証言のほか、捜査に当たった石井和信の原審及び当審における各証言を総合し、被害者手帳の記載と照らし合わせてみると、「?」の符丁の記載の仕方に関し、被害者は、初めての客相手に売春する際、相手の名前を尋ね、その名刺をもらい、電話番号を聞き出すなどして、今後とも引き続き客となりそうだと判断した場合には、初回でも「?」を付けないが、相手が名を明かさず、勤め先など連絡のヒントさえ与えてくれなかったり、一応これらが分かっても、その応対態度などから今後は客にはできないと判断した場合には、「?」の符丁を付けておき、次に売春相手にする機会がまたあって、その名前や連絡方法が分かるなどしたために、その相手が今後も客とすることができそうだと判断できた場合には、その日の結果欄の記載をするに当たり、「?」の符丁を外すという傾向があったことが窺われる。なお、外国人の場合には、名前の代わりに「外人」と表示される例が多く、そのほかに「台湾人」、「ネバール」などの表示も散見されるが、「?」の符丁の付記については、外国人は日本人より氏名や身元の確認が困難な場合が多々あり、それゆえ「?」が付記される例も多かったであろうと推測される。しかし、相手が日本人か外国人かで「?」の付け方に、特に差を設けていたとまで認めるべき事跡は窺われない。

 なお、原判決は、前記石井和信が原審証言(平成11年6月28日施行の期日外尋問)で、被害者手帳の売春結果欄の記載の中には、「?」の符丁だけが記されたものであっても、「客との供述で、この人だろうというのが推定できる場合があった」と述べた点を捉え、これは「?」の符丁が捜査官に全く身元が判明していない者だけに限定されていないことを窺わせるものであり、そうすると、被害者も(手帳に記載するに当たり)ある程度身元が分かっていた者にも「?」の符丁を付けた場合があるのでないか、と説示している。しかし、石井は、当審で証言して、要旨「平成8年手帳に名前の記載されている客の1人から事情聴取をしたところ、2年前にも1度被害者を相手に買春をしたことがある旨申し出たので、被害者手帳に当たって調べてみると、その客が申し出た日と支払った金額に照応する、「?」の符丁が付けられた結果欄の記載が見付かったため、その「?」の付けられていた買春客の身元が分かったことがあり、原審では、そのことを証言した」と述べている。したがって、右の原判示は、深読みし過ぎて石井証言の趣旨を取り違えたことが明らかである。

 ところで、前記(1)のとおり、平成9年手帳の中の前年12月12日欄の「?外人3人(401)1.1万」が、被告人の供述する被害者相手の初回の買春に照応することは疑いがないのであるが、被害者が手帳の売春結果欄に記載する際、右に「?」の符丁を付けたのは、被告人ら3名と401号室で売春を行ったものの、3名が同室の居住者であるか否か判然とせず、身元の確認ができなかったためではないかと推測される。そして、その4日後の同月16日の売春結果欄に「外人(401)0.3万」とあるのは、その客が前記3人の中の1人であり、被害者としては、401号室の居住者であることが分かったため、「?」の符丁を外したと説明することができる。

 当時401号室には、右3名(被告人、R、C)のほか、J及びDも居住していたが、右両名のいずれかが16日の買春客であった可能性は、当日の売春結果欄の記載に、「?」の符丁が付されていないこと等に照らして少ないと考えられる。16日の買春客が被告人、R及びCのいずれであるかは、証拠上確定し得ないが、被告人はこれを否定している(被告人の第27回公判供述)。しかし、当日被告人の仕事が休みであったことなどを考慮すると、売春相手が被告人であった可能性は残る。

 以上を前提に、2月28日の売春結果欄の「?・外人」の記載につき検討する。

 被告人は前年12月12日に、被害者をHビル401号室に連れ込んで同居の仲間2人と共に買春を行っているのであり、被告人の供述するところでは、その後も被害者が401号室を訪ねて来たことがあるが、買春を断って、被告人が階下まで被害者を見送ったことがあるというのであるから、被告人と被害者とは互いに面識があったはずである。そして、初回の買春から2か月半余りしか経過していない2月28日にも被告人が被害者の売春相手をしたのであれば、Hビルのすぐそばで、被告人と会った被害者としては、被告人を401号室で売春の相手にした外人として容易に認識したはずであり、その口の結果欄には「?」の符丁を付さないのが自然だと思われる。したがって、被告人のことを、前年12月12日のHビル401号室での売春相手であることを知っている被害者が、2月28日の売春結果欄に、「?・外人」と表示することは考え難い。

 なお、先に触れた平成9年手帳の1月23日の「ネパール0.2万」の記載は、被告人が供述する2回目の被害者相手の買春とは、売春代金の違いが大きくて、照応するとは認め難いが、百歩譲って仮にそれが被告人であったとしても、右に検討したと同様の理由から、2月28日結果欄の「?外人」の記載は、なおのこと被告人ではなく、別人であるというべきである。

次に、被告人が支払ったという買春代金と2月28日の「0.2万」の記載につき検討する。

 前記1(一)(5)まる2のとおり、被告人は、原審の第26回公判で、最後の買春の際、(代金は5000円で)実際に支払った金額は4500円くらいだったと供述する。そして、平成9年手帳の取調べがなされた第27回公判でも同旨の供述をした。この供述は、定期券の購入代及びAからの借金の記憶と結び付けてなされていて、明確かつ具体的であったが、第28回公判では、「最大で4500円というのは確かだと思うが、それより少ない可能性は幾らでもある。千円札だけということはなかった」と供述を変え、第30回公判でも、「多ければ4500円で、3500円かも知れないし、2500円かも知れない」と、実際に支払った金額を低い方へ修正して供述しているのである。被告人の最後の買春の支払金額についての供述の変遷は、当初、定期券代(4640円)に少し足りない金額すなわち4500円くらいを支払ったという明確な供述が、途中から「それより少ない可能性は幾らでもある」などとと変更されること自体、不自然であるといわなければならない。

 被告人が当初から支払額として述べていた4500円という金額が、平成9年手帳の2月28日の結果欄に記載された売春代金「0.2万」と大きく異なることは、いうまでもない。また、変更後の供述に出た3500円ないし2500円も、右の記載とは違っている。

 他方、被害者手帳を検分すると、被害者は、日々の結果欄に相手毎の売春代金を克明に百円の単位まで記載していたことが認められるのであり(例えば、同じ2月28日の欄には「?1.94万」という記載が、同月26日の欄には「新城2.55万」という記載がある)、仮に被告人から2500円を受領したとしたら、これを「0.25万」と記載するはずで、「0.2万」と記載することは考え難い。

 しかも、被害者の売春代金などを受け取る態度を見ると、本件で事情聴取を受け、あるいは証人となった馴染みの買春客のうちの少なからぬ者が、被害者の金銭に対する強い執着心を指摘していて、売春代金の持ち合わせが足りないと嘘を付いたが、納得してもらえず、全額を支払わされたとか、4000円のつまみ代について3000円しか小銭がないと言うと、1万円をくれれば釣りがあると言われて、結局右代金全額を支払わされたとか、売春代のほかにビール代を請求され、「飲んでもいないビール代なんか払わない」と言うと、しつこくまとわり付かれ、これを振り切ると、被害者はその場に座り込んで「払って」と叫んだなどという経験を持っているのであり、その他の関係証拠も併せ見ると、被害者は、心安くなった売春の相手客に対しては、頼まれなくても、関心のありそうな仕事の資料を収集して渡してやるなど、細かな心遣いを見せていたが、事が金銭のことになると、たとえ相手が馴染み客であっても、容易に妥協することはなかったことが認められるのである。

 このような被害者の金銭に対する日頃の態度にかんがみると、被害者が、被告人相手に売春をして、1万円札が出されると釣り銭のいらないように要求し、代金の5000円に足りない金額が差し出されると、「足りない分は次のセックスの時に精算すればいい」などと、文句も言わずに、鷹揚にこれを受け取って済ませたなどということは考え難い。被告人の弁解は、たやすく信用できない。

以上、被告人の被害者との係わりに関する弁解を、被害者の金銭に対する態度、本件手帳の記載の確度、その2月28日の結果欄「?外人0.2万」の記載の趣旨の考察などと併せ検討したのであるが、被告人の前記1(一)(5)ないしの弁解は、それ自体信用できず、また、被告人を売春の相手としたのであれば、その事実を被害者が本件手帳に き落とすことは考え難いことであり、本件手帳の2月28日の売春結果欄の「?外人0.2万」の記載は、被告人が2月25日から3月2日ころまでの間に、101号室で被害者の売春の相手になったという弁解と照応しないことは明らかである。

 このような次第で、被告人の弁解、すなわち、「本件が発生するより1週間ないし10日余り前である2月25日から3月2日ころまでの間に、被害者と遭って、K荘101号室で性交した際に使用したコンドームを、トイレの便器に自分が投棄した」旨の供述は、信用できない。

(三) K荘101号室の鍵の保管状況

 検察官は、被告人がK荘101号室の出入口の鍵(以下「本件鍵」という)を「カンティプール」店長のMから預かったままになっていたところ、3月1日に同人から電話で滞納分を含め家賃と本件鍵の督促を受けたが、実際に返したのは、3月10日(月曜)であって、それまで被告人が本件鍵を保持していて、他に合い鍵は存在しなかったから、3月8日の当夜、本件鍵を用いて被害者を101号室に連れ込んで、性交して殺害することができたのは、被告人であると主張する。

 これに対して、弁護人は、被告人は3月6日に、同居していたCを介して、本件鍵と滞納分をふくめ家賃10万円を「カンティプール」において勤務中のMに届けて返還したと主張し、被告人も、原審公判で、これに沿う供述をしている。

 そこで、検討する。

(1)鍵の返還時期

 Mが3月18日午後3時ころ、K荘101号室を見回りに行った際、同室の出入口が施錠されていなかったことは、前記二1(一)に見たとおりである。

 Mの原審証言等によれば、同人は、渋谷区桜ケ丘所在のビル地下1階のネパール料理店「カンティプール」の店長の傍ら、同店経営者から命じられてHビル、アパートK荘等の家賃の徴収と納金、部屋の鍵の管理等をしていたこと、K荘101号室は、平成8年10月初旬ころ、それまで賃借していたネパール人のL、Q、Z、Pが退去し、以後空室になっていたこと、Mが知る限り同室出入口の鍵は1個だけで、右退去後は同人が保管していたが、翌年1月下旬ころ、被告人が右鍵を借り受けたことが認められる。

 関係証拠によれば、被告人が本件鍵をMから借りたのは、都合上、同居人のC、J及びDに、隣のK荘101号室を借りて移転するように申し入れていたからで、被告人は本件鍵の借受後間もなくこれを使ってCらに同室の内部を見せたりしたが、結局、移転の必要がなくなり、話は立ち消えになったこと、そこで、Mは、3月1日、被告人に対して、本件鍵の返還と、滞納しているHビル401号室の2月分の家賃の支払を求める伝言を、同室の留守番電話に入れたこと、すると、被告人は、折り返しMに電話して、本件鍵と一緒に2月、3月分の家賃合計10万円を届けることを約束し、その後、「カンティプール」にいたMにこれらを届けたこと、Mはこの家賃を、同しビル3階にある、経営者が共通するカブセルホテルの会計担当者Iに納金し、同人は同月11日に銀行日座に入金したことは、明らかであって、争いがあるのは、Mに本件鍵と家賃が届けられた時期である。

(2)M証言の検討

Mは、本件鍵の返還と家賃を会計に納金した時期について、大要、「(催促の留守電を入れた)3月1日の2、3日後に、被告人から電話があり、3月5日の水曜日に本件鍵と家賃を持って来ると返答があった。ところが、3月5日には持って来ず、その4、5日後に「カンティプール」に持って来た。受け取った家賃10万円は、同じ建物の3階にある(地階の「カンティプール」と経営者が同じの)カプセルホテル事務所にいる事務員Iにすぐに届けた。警察の取調べで、届けた家賃をIが銀行に入金したのが3月11日で、被告人の休日が同月10日だったと聞き、10日に(本件鍵と家賃を)持って来たと思った」と証言している。この供述は、被告人に本件鍵と滞納家賃の催促をしたいきさつから始まる事態の推移を自然かつ具体的に述べるものであり、それ自体信用性が高いと認められる。殊に、3月5日の水曜日に持って来ると思っていたのに、それからしばらく経って持って来たという供述は、主尋問、反対尋問を通じて一貫しており、この点についてのMの記憶は確かなものであると認められる。  ところが、原判決は、Mが本件鍵の受取日を3月10日と証言したことにつき、取調官の誘導に乗った面があることを否定していないとして、10日を受取日とする同証言の信用性には疑問がある旨説示する。しかし、前記証言の内容は、もともと「(返還約束の日である)3月5日から4、5日経った日」という自分自身の記憶があるところへ、被告人の休日と事務員Iの銀行入金の口を捜査官に教えられて、受け取った日が10日であったと合点したというのであり、捜査官の教示を殊更な誘導と目すべきものではない。原判決の判断は当を得ない。  もっとも、Mは、本件鍵等を受け取った具体的状況については、「全く覚えていない」と供述し、さらに、それらを届けた人物についても、当初は、「被告人が持って来たと思っており、ほかの人が持って来たという記憶はない。Cという記憶もない」と述べながら、最後には、「鍵を被告人から受け取ったかどうか、ちょっと記憶にない」と述べるに至っている。このようなことから、原判決は、M証言は本件鍵の受取状況につき記憶が相当希薄で、曖昧であり、3月10日に返還を受けたという供述自体信用性に疑問があると判示しているが、本件鍵受取りの具体的場面の記憶がはっきりしないからといって、それが直ちに受取時期に関する供述の信用性を損なうものと見るべきではない。

「カンティプール」のあるビルは、その3階に経営者が同じカプセルホテルの事務所があり、そこで経理事務を担当しているIは、「自分は、カプセルホテルの毎日の売上金と、Mが届けてくるHビル等の家賃などを、いずれも、東京三菱銀行渋谷支店の経営者名義の預金口座に入金していたが、売上金は当座預金に、家賃は普通預金にそれぞれ入れていた。ホテルの売上金は銀行持参用の袋に入れていたが、家賃を受け取ると、これも同じ袋に入れ、売上金を入金する時に銀行へ一緒に持って行って入金していた。売上金との混同を避けるため、家賃は受け取ったらなるべく早く入金するようにしていた。銀行の通帳を見ると、Hビル401号室の家賃10万円は3月11日に入金になっている。10日(月曜日)に6日から9日までの4日分の売上金が入金になり、11日に10日の売上金が入金になっていることも併せてみると、家賃は、10日の夕方から翌日入金するまでに、Mが持って来たと思う」と原審で証言している。この証言は、銀行の記録した客観的資料に基づく明確かつ具体的なものであり、これによれば、3月10日ないし翌11日にMが事務員Iに家賃10万円を届けたことは間違いないものと認められる。  この点につき、原判決は、Iが3月6日にMから家賃を受け取りながら、10日までに入金するのを失念した可能性を否定し切れないというが、Iは、売上金と家賃などの銀行入金を、日常の業務として行っている者なのであって、前記のような具体的な証言内容にかんがみると、原判決のような見方は失当である。

したがって、右のI証言は、「3月5日の4、5日後に本件鍵と家賃を受け取り、すぐに家賃をIに届けた」旨のM証言と符合するもので、両証言を併せ見ると、Mが本件鍵等を受け取ったのは、3月10日ないし11日であったと認めることができる。

 なお、原判決は、M証言中の「家賃を受け取ってから何日も自分の手元に置いたこともあったと思う」旨の以前の出来事を述べた部分を捉えて、I証言を前提にしても、Mが被告人から家賃を受け取ったのが3月10日であるとまではいえないとも説示するが、前述のとおり、Mは、被告人の方から約束した3月5日には家賃と本件鍵を持参せず、それよりも遅れて、4、5日後に受け取ったという記憶に動揺はないのであり、原判決の見方に与することはできない。

(3) C供述の検討

 Cは、6月9日に行われた証拠保全の証人尋問において、「3月5日の夜12時ころ、Hビル401号室で、被告人から、翌日昼に本件鍵と家賃10万円を自分の代わりにMに届けて欲しいと頼まれ、それらを預かった。そして、翌6日午後1時ころ、「カンティプール」に行き、レストランの扉の外側で本件鍵と家賃をMに渡した」と、弁護人の前記主張に沿う供述をしている。また、Cは、これに先立つ6月1日付けの渋谷警察署で作成した供述書において、「3月5日夜12時前、被告人が帰って来た。部屋には、ネパール人HとDと私がいた。私は、被告人に家賃を請求されて1万円を渡したところ、これに9万円を足した10万円と本件鍵を被告人がくれて、翌日「カンティプール」に行ってMに渡すよう言われた。翌6日午後12時30分ころ、家を出る前に、Eに何処へ行くのか聞かれ、「カンティプール」に行くと答えた。同店に行って、Fと会い、Mを外に呼んでもらって、10万円と本件鍵を渡した」旨より詳しく供述し、なお、4月27日付け、同月28日付けの各供述書、5月10日付けの弁護士金竜介らに対する供述調書においても、同旨の供述をしていた。

 しかしながら、Cの右供述は、次の各事情に照らすと、これを信用することができない。

 第一に、Cの供述調書等の供述内容は、「3月6日に自分が本件鍵をMに返した」旨の前記供述と「自分は本件鍵を返したことはない」「自分が返した旨供述したのは目裏合わせの嘘である」旨の否定供述の間で何度も変転動揺しており、周囲の働き掛けに影響されて安易に供述を変える傾向が看取されるのであって、その動揺する供述のどちらが正しいのか、にわかに決し難いといわざるを得ない。

 第二に、「3月6日に自分が本件鍵をMに返した」旨の前記供述は、本件鍵と家賃を届けた日につき、前述のMの原審証言と相反している。同人は、賃借人である被告人以外の者から本件鍵等を受け取った記憧もないと述べている。そして、当時「カンティプール」の従業員であったFも、原審で「Cはよく知っているが、昼の時間帯に来てMを呼んでくれと言われた記憶はない」と証言している。もっとも、反対尋問に対して、「当時店が忙しかっためで、Cが来たとしても覚えていない可能性がある」とも供述しているが、Cの来訪の記憶がない点では変わりがない。

 第三に、3月5日の夜、被告人が帰宅した時、401号室にいたDは、検察官調書で、被告人に起こされて家賃と電話代の支払を請求された状況を詳細に述べているが、Cと被告人との間で金品の受渡しがあったという記憶はないと供述している。また、Hは、3月3日から同月7日まで401号室に滞在し、5日の夜も在室していたものであるが、原審で「被告人は、帰宅後雑談中に、Dに家賃の話をしたが、Cとの間で現金のやり取りはなかった」と証言している。六畳和室一間の狭溢な401号室で、内密に行われたのでもない本件鍵と現金の受渡しが、他の者に気付かれなかったというのは、不自然である。

 以上によれば、Cの供述は、弁護士の前記主張を支持する証拠として評価することはできないといわなければならない。

(4)被告人の収支状況

 被告人の収支が、3月冒頭の時点で、相当逼迫していたことは、弁護士も認めて争わない。そこで、被告人が3月5日に給料を受け取った直後の6日の時点で、家賃10万円をMに支払うことが可能であったかを検討し、被告人の弁解が成り立つものであるかを見ることにする。

この点を検討するに当たっては、3月5日以降における被告人のJに対する借金返済の状況が問題である。

 この点につき、Jは、要旨「2月6日から8日ころまでの問に、被告人から、本国に30万円送金したいので10万円借金したいと申し込まれ、困った時には逆に助けてくれる男か被告人を確かめてみようと思い、倍の20万円にして返してくれるかと半ば冗談で言うと、被告人が次の給料日に返すと約束したので、試してみる積もりで、手持ちの10万円を貸した。すると、被告人は、ほぼ1か月後の3月6日、20万円全額ではないが15万円を返し、その後3月13日か14日くらいに5万円をよこしたので、結局約束を守った形になった」と供述している。被告人も、原審公判で、「2月に30万円を送金するために、Jから10万円を借りた。3月には借金をしてでも給料に加えて10万円を返済し、さらに10万円を融通する約束をJにした」旨供述して、10万円を借りた際に、20万円を渡す約束があったことを自認した上、その履行について、「3月の5日から7日の間にDから、10日にEから、それぞれ家賃3万円を受け取り、自分の給料の残り9万円に右家賃合計六万円を足してJに15万円を支払った。1回で支払ったのか、10日前に先に12万円を支払い、Eからの3万円を別に支払ったのかは、はっきりしない。その後、幕張マハラジャの従業員Y野から5万円を借り、その内4万円をJに渡した。1万円の不足は問題がなかった」旨、J供述とは異なる供述をしている。さらに、Eは、「3月5日から7日の間、被告人の給料日が5日なのでその翌日の6日だったと思うが、午前10時ころ、被告人がJに、『借りていた金を返すよ』と言って、かなり多くの1万円札を財布から取り出し、枚数を数えて手渡すのを見た。少なくとも10万円以上はあったと感じた」と供述している。

 以上を踏まえて、原判決は、J供述のうち、「3月6日に15万円の返済を受けた」との部分は、具体性に欠け、全面的には信用し難く、返済金額については「10万円以上はあったと思う」というE供述の限度でしか的確な裏付けを欠き、被告人がその返済を否定していない額である12万円であるとの可能性が払拭しきれないし、返済日についても、せいぜい3月8日以前とまでしか認定できないと判示する。

 しかしながら、まずJへの返済の日については、被告人の給料日が3月5日であったことは明らかであり、翌6日に、当時西麻布の料理店で夕刻から早朝まで稼働していたJが帰宅すると、あらかじめ「給料日に返す」と約束した金員の返済を、被告人から受けたというのは、極めて自然なことであって、この点のJ供述には、はっきりした裏付けがあるというべきである。当審取調べの同人の警察官調書(同調書は、ヒンディ語の通訳によるものであるが、同通訳の正確性については、当審証人室井正男の証言及びネパール語の通訳により作成された当審検一二〇の警察官調書によれば、特段問題はないと認められる)では、「勤務先を変えたCが新しい店に初めて出勤したのが3月6日で、その日に返済を受けた」旨の記憶の拠り所となるべき具体的な事柄が付け加えられており、Cの初出勤日が6日であったことも証拠上明らかであるから、借金の返済日が3月6日であったことは疑いがない。ちなみに、Jが平成12年10月22日に行ったビデオ供述においても、同人は、返済日が平成9年3月6日であったとの供述を維持している。

 次に、返済額については、「20万円の約束だったが、15万円しかなく、後日5万円を渡してくれたので、約束を守った形になった」というJの供述は、簡潔ではあるが、これ以上に話に具体性がなければ信用できないという原判決の言い分は解せない。同人は、司法警察員に対しては、「被告人から金を受け取って数えると、15万円しかなかったので、約束よりも少ないと文句を言った。被告人があと2日か3日で返すと答えたので、それ以上は言わなかった」とより具体的に供述しており、被告人供述にあるような15万円の支払が2回に分けて行われたという事情は、全く窺われない。被告人供述も、当初の支払額が15万円であったこと自体は認めており、それを12万円と3万円に分けて支払ったか分からないと述べるにとどまるのであって、J供述と真っ向から相反するものでもない。前記E供述も併せ見ると、返済額が15万円であったことは、間違いないものと認められる。

 なお、弁護人は、Jの前記ビデオ供述の「3月6日の朝に被告人から10万円を受け取った。家賃その他の費用を差し引いて、10万円を払ってくれたと思う。警察官調書は、そのような記憶がなかったのに、警察官から『もう大丈夫。早くネパールに帰れ』と言われて、サインしてしまった。同調書の、3月13日か14日ころ残りの5万円を受け取ったという記載部分も、記憶がなかった」というくだりを援用し、この供述は信用できるとして、返済額は10万円だったと主張する。しかし、同ビデオ供述は、前記J供述及び被告人供述が一致して認めていた、借金の時に被告人がJに20万円の支払約束をし、翌月にそれが2回又は3回に分けて履行されたという経過を、唐突に否定するものであり、その全体が信用できないといわざるを得ない。弁護人は、当審弁論で、Jは捜査官に対しても10万円を返してもらったと述べたが、取り上げてくれなかったとか、被告人も混乱して記憶違いをしていたなどと主張するが、採用できない。

 そうすると、J供述等により、同人が3月6日に被告人から15万円を受け取ったものと認めることができ、原判決の前記判断は支持できない。

 ところで、3月5日から翌6日にかけての被告人の収支状況を、被告人の原審公判供述等の関係証拠により検討すると、まず、3月5日、被告人の2月分の給料(21万6925円)がその銀行口座に振り込まれたのであるが、同日、右口座から現金を引き出す直前の被告人の手許現金の額は、せいぜい1万円程度がおったにとどまると認められる(弁護人は答弁書で、5000円程度であったと述べる)。そして、被告人は、即日、21万円を、翌6日6000円をそれぞれ右口座から引き出している。また、3月5日夜に、Cから家賃1万円、Dから電話代2000円を受け取った可能性はあるが、3月7日夜にDから家賃3万円を受け取るまでに、その余の収入があった形跡はなく、そうすると、3月6日に被告人が所持していた現金の総額は、多くても24万円弱程度であったということになる。

 他方、支出は、3月6日に、給料日前に借りていた借金を、職場の同僚A及びGに各1万円返済し、さらに、先に検討したとおり、同日Jに15万円を支払ったことが認められ、支出合計額は17万円となり、これを前記所持金総額から差し引くと、被告人の手許には、計算上、7万円弱が残るに過ぎないということになる。

 したがって、被告人が供述するように、3月5日夜に、被告人がCに対し401号室の家賃10万円をMに渡すように託すことは、計算上3万円余の不足を生じ、不可能であったといわざるを得ない。仮に、10万円貸してくれたJヘ見返りに渡した額が、原判決が可能性を云々するとおり12万円であったと仮定した場合でも、Cへ家賃の10万円を託すことは、手許金が全く残らないことになって、事実上無理なことであったといわなければならない。

 そうすると、3月6日に、Cに託して本件鍵及び家賃10万円をMに届けたとする被告人の言い分は、その手許現金の収支状況からも無理があり、結局信用できないというべきである。

(5)まとめ

 以上検討したところから、被告人が本件鍵を家賃とともにMに届けて返還したのは、3月6日ではなく、同月10日ないし11日であったことが明らかになった。したがって、本件犯行が行われた同月8日から9日にかけて、本件鍵は、被告人が所持していたものと認められる。

 被告人は、原審第25回公判で、Cに101号室を見せた時は、鍵を開けて中に入り、出てから鍵を閉めたと供述しており、Jも、被告人に同室を案内された際に、被告人が鍵を開け、退出の際は鍵を閉めたと思うと供述しているが、アパートの空室の鍵を管理人から預かった者が、所用で室内に立ち入った後に出入口のドアを施錠しないまま放置することは、通常考え難いところであり、右各供述に照らしても、101号室のドアの鍵は普段は閉めてあったものと推認される。

 被告人が本件犯行当時、本件鍵を保管していたことは、とりも直さず、本件犯行に当たって、本件鍵を使用して101号室のドアを開け、被害者と一緒に室内に入ることができたことを意味するということができる。

 この点につき、弁護人は、被告人が本件101号室の鍵を所持していて本件を犯したのであれば、発覚をおそれて、同室のドアを施錠して立ち去ったはずであり、3月18日にMが見回ったとき、ドアが施錠されていなかったのはおかしいと主張する。しかし、犯行後施錠して立ち去れば、本件鍵を保管中であった被告人がまず犯人と疑われるのは必定であるから、これを免れるためには、施錠しないままにしておき、しかも、犯行日以前から鍵を閉めないでおいたと弁解するほかないのである。右主張は全く当たらない。

 もっとも、「Mから本件鍵を預かっていた2月25日から3月2日ころまでの間に、買春のため、本件鍵を使ってK荘101号室に入り、被害者と性交をした後、また利用する機会があると考えて、ドアを施錠しないままで同室を立ち去り、3月6日に、本件鍵をMに返した」旨の被告人の言い分(原審第26回公判等)のうち、被告人が「そのころ被害者相手に同室で買春した」という言い分及び「本件鍵を3月6日にMに返した」という言い分が、いずれも信用し難いことは、先に検討したとおりであるが、それとは別に、被告人の立場からすると、買春のためホテルヘ行けば金が掛かり、Hビル401号室では、同居人の帰りが気になるのは道理であり、買春に利用するつもりで101号室を施錠しないままにしておいて、本件鍵をMに返還したという被告人の言い分は、あながち弁解のための弁解と言いきれないものが残る。また、K荘は相当に老朽化した本造アパートであり、本件当時、101号室は約4か月程空室の状態で汚れており、管理に当たっていたMでさえ、3月18日には、勝手に入り込んだ女性(実は、被害者の死体)を目撃しながら、咎めもせず施錠しただけで引き返したことから見ても、管理がいい加減であったことは明らかであるから、被告人が勝手に同室を買春に利用しようとしたとしても、それが全くあり得ないこととも言い切れない。そこで、原判決の指摘する、被告人が施錠をしないままにしておいた101号室に、被害者が売春のために遊客を伴って入り込んで、本件被害に遭った可能性について、次項で検討する。

(四) 被害者が第三者と101号室に入り込んだ可能性

(1) 原判決は、被害者が、本件以前に、被告人を相手に101号室で売春をした際、被告人が同室の出入口の鍵を掛けなかったことを知っていたため、本件当夜、他の遊客を連れ込んで本件の被害に遭った可能性を示唆するが、被害者の平成9年手帳の記載を調ベても、被害者が101号室で被告人相手に売春した事跡は認め難いことは、先に見たとおりであり、そうだとすると、同室が空室であって、しかも施錠がされていないことを被害者が知るきっかけがあったとは考えられない。他方、K荘は管理があまりよくなかったとはいえ、通常のアパートであり、101号室は空室であったが、隣の102号室は居住者がいたのであるから、K荘に全く関係のない被害者が、遊客を連れて勝手に入り込むという事態が、現実に起こると想定することはできない。弁護人は、アベックを目撃したS田が、女性の方が先にアパートの階下通路へ上って行ったと供述していることを捉えて、被害者が第三者を連れ込んだ可能性を示唆する。しかし、右目撃供述を考慮に入れても、その挙動から、被害者が積極的に第三者を同室に誘い込んだと推認すべきものともいい難い。

(2) ただ、被告人のネパール人仲間が、101号室が空室であって、しかも施錠してないことを聞知して、被害者を同室に連れ込んだ可能性も、全く想定できないわけではないと思われるので、被告人の同居者について、3月8日当時の行動を見ておくこととする。

Cは、23歳で、同月6日に新しい職場である渋谷のカフェレストランに就職したばかりであったが、その勤務時間は、午後7時から午前5時までであり、同月8日深夜から9日にかけて、本件犯行の行われた時間帯には、勤務中であたと認められる。

Eは、18歳で、後記Dの甥である。自由が丘の焼肉店に勤務していたが、いつもどおり、午後1時40分に出勤し、午後3時9分に職場を退出し、午後11時16分発の電車に乗り遅れて、27分発の電車に乗り渋谷に帰ってきたというのである。退出時刻、各電車の渋谷駅到着時刻は、同人の検察官調書に添付のタイムカード、電車時刻表に明らかであるが、勤務先から自由が丘駅まで徒歩で約3分かかり、乗車可能な午後11時台前半の渋谷行き電車は、午後11時16分発(渋谷午後11時28分着)と27分発(渋谷午後11時39分着)の2本であり、どちらに乗っても、K荘前で被害者と一緒にいるところを目撃されることは、時間的に無理であったと認められる。

Dは、36歳で、前記Eの叔父である。平成8年12月5日から、六本木のレストランの厨房の下働きをし、午後6時ころから午後11時ないし翌朝午前5時まで勤務し、これに併せて、2月7日からは、大田区内の弁当屋に午前6時から午後5時まで勤務していた。Dの供述によると、3月8日当日は、早朝から弁当屋で勤務し、正午過ぎに勤務を終え、Hビル401号室で休息を取り、午後6時過ぎに同室を出て、六本木のレストランで午後7時から翌9日午前5時まで勤務し、その帰途、六本本駅のホームでJとぱったり遭って、一緒に401号室へ帰った、というのである。このようなDの昼夜の勤務ぶりを見ると、本件犯行に関与した可能性は認めることができない。

Jは、27歳で、港区西麻布のレストランでバーテンダーをしていたもので、勤務時間は、午後6時から午前4時(日曜は午前2時)までであり、本件犯行の行われた時間帯には、勤務中であったと認められる。

 その上、C、E、Dの3名についてはミトコンドリアDNA型が判明しているが、いずれも、被害者の死体の右眉付近カーペット上から採取された陰毛4本のミトコンドリアDNAとは一致しない。Jについては、ミトコンドリアDNA型は分からないが、ABO式血液型はA型であるところ、前記陰毛にはA型のものはなく、本件精液のABO式血液型(B型)とも一致しない。

 このように、被告人の同居人は、いずれについても、本件当夜、被害者とK荘付近にいた証跡は見出せず、これらの者が本件犯人であった可能性は認め難い。

 なお、平成8年10月初めころまでK荘101号室に一緒に住んでいた前記ネパール人4名についても、LとZは、それぞれ妻が来日することになって同居の必要が生じ、101号室から転居したものであり、Q及びPも2名だけでは月10万円の家賃が負担しきれないため、ほとんど同時に転居したもので、本件当時、L、Q及びPの3名は、いずれも品川区内に住んで、中央区銀座所在の同じ焼肉店に勤務し、他の1名Zについては当時の消息が判然としないが、右4名とも平成9年に入ってからK荘101号室に出入りした事跡は窺われないのである。

五 原判決が指摘する「解明できない疑問点」の検討

 原判決が「解明できない疑問点」として掲げる点のうち、被害者が101号室を自分で利用した可能性については、前記四2(四)において既に検討した。ここでは、本件コンドームの遺留の理由、第三者の陰毛の存在の意味、被害者の定期券入れの発見について、考えることとする。

1 本件コンドームの遺留状況

 原判決は、本件コンドームが犯行当夜使用されたものであるならば、犯人がそれを現場に遺留したのは、不可解であるという。

 しかし、本件コンドームを101号室の便器に捨てたのは犯人か、あるいは被害者か、その時期は本件犯行の前か後か、証拠上特定できず、その状況は判然としないが、犯人において、本件コンドーム(及びその中の精液)が後日重要な証拠となることに思い及ばなかったことは、あり得ることであって、これが特に不自然、不可解な事態とはいえない。

 さらに、原判決は、本件コンドームの包装が現場から発見されていないことを指摘し、犯人が包装を持ち出しながら本件コンドームを放置したのは、不自然であり、犯人は本件コンドームを使用していないのではないかという疑問さえ生じかねないという。包装が発見されなかったのはそのとおりであるが、右包装は、小さな物で、犯人がポケットなどに入れて持ち出した可能性も十分考えられ、これが現場で発見されていないからといって、直ちに原判決指摘の疑問が生じるとはいい難い。なお、K荘2階の居住者が101号室の西側窓の下のたたきに使用済みのコンドーム3個くらいと丸まったティッシュなどが落ちていたのを見ているところ、これは、被害者が、当夜、他の遊客相手の売春に使用したコンドームとその包装を窓から投棄した蓋然性が高く、本件コンドームの包装も右と一緒に投棄された可能性もある(これらは、その朝に、他の居住者が清掃したらしく、押収されていない。石井和信の第23回公判証言)。したがって、原判決の指摘は、相当であるとはいえない。

2 第三者の陰毛の存在

 原判決は、101号室の被害者の死体付近に、被告人及び被害者以外の者の陰毛が2本落ちていたこと、便所床上から採取された陰毛1本も被告人、被害者、前居住者以外の者の物であることからして、第三者が101号室に人って被害者と性交し本件犯行に及んだ疑いが払拭しきれないという。

 検討するに、ミトコンドリアDNA型鑑定により、被害者の死体の右肩付近カーペット上から採取された陰毛4本のうち、血液型B型及びO型の各1本が、被告人及び被害者とは別の人物の陰毛であると判定され、便所床上から採取された血液型O型の陰毛1本も、被告人、被害者及び前居住者であるPとは別の人物の物であると判定されたことは、原判決の指摘するとおりである。

 しかしながら、K荘101号室には、平成8年10月初めころまで、右Pのほか3名のネバール人が居住していたのであり、退去時の部屋の掃除が不十分で、その後も掃除がなされなかったことが窺われるから、原判決指摘の陰毛の存在は、必ずしも、第三者が101号室に入り込んで本件犯行に及んだ可能性があることにはならないというべきである。

3 被害者の定期券入れの発見

 関係証拠によれば、本件犯行3日後の3月12日午前9時40分ころ、豊島区巣鴨の民家敷地内で、その住人が被害者の定期券入を発見して、警察に届け出たこと、中には、被害者名義の定期券(区間は、井の頭線西永福駅から地下鉄新橋駅まで。期間は、3月1日から6か月間。代金は、7万円)等が入っていたこと、同定期券には、3月8日午前11時25分の西永福駅入場が最終使用の痕跡として残されていたことが認められる。右定期券入れがどうしてそのような場所で発見されたかについては、証拠上判然とせず、未解明のままであるといわざるを得ない。その点が幾分かでも明らかにされれば、本件の解明に何らかの寄与をなし得るものと考えられるけれども、これが明らかでないからといって、それゆえに被告人と本件との結び付きが疑わしいということにならないことは、本件証拠に照らして見易い道理である。原判決は、右定期券入れが発見された場所付近につき被告人が土地勘を持たないことを被告人に有利な事情として指摘するが、そのような見方は相当とはいえない。

六 総括と結論

1 以上の検討から、次のようなことが認められる。

(一) 現場で発見された陰毛について、ミトコンドリアDNA型鑑定を実施したところ、陰毛のB型2本の内の1本が被告人のそれと一致し、O型2本の内の1本が被害者のそれと一致するとそれぞれ判定されたこと

(二) 現場の便器から発見されたコンドーム内の精液と被告人の血液につき、警視庁科学捜査研究所において、DNA型(MCT118型、HLA−DQα型、TH01型、PM検査)とABO式血液型のそれぞれにつき型鑑定を行ったところ、両者はすべて一致したこと

(三) そして、これらのDNA型鑑定、ミトコンドリアDNA型鑑定及びABO式血液型検査は、いずれも専門的な知識、技術を習得した経験者により、科学的に信頼される方法で行われたと認められるのであるが、本件精液の発見採取時までの経過時間については、約10日経過したものとしても、押尾鑑定人の実験結果と矛盾はなく、不自然ではないこと

(四) 「2月25日から3月2日ころまでの間に、K荘101号室で被害者を相手に買春し、性交後に自分が同室の便所の便器にコンドームを投棄した」旨の被告人の供述は、買春代金の支払額について不自然な変遷があるなど、その供述自体疑わしいばかりでなく、被害者の本件手帳の売春結果欄の克明で確度の高い記載内容とも照応しないから、信用しかねること

(五) S田のアベック目撃の供述内容は、その余の関係証拠も併せ見ると信頼性が高く、同人の見たアベックの女性は被害者であると認められ、その相手の男性の特徴は、それが被告人であっても不審はないこと

(六) 被告人は、前年12月12日の夜、勤務の帰途、円山町付近の路上で被害者と行きあい、自分が借りているHビル401号室に連れ込んで、被害者と合意の上で、当時同居していたR、Cと3人で、買春を行ったことがあり、K荘101号室の本件鍵を持っていて、同室が空室であることを知っている被告人が、3月8日午後11時30分ころに、被害者と連れだって、K荘階下の通路前路上に現れ、101号室に人ることは、時間的、場所的に十分可能であり、不審はないこと

(七) 他方、被告人の言うとおリに、本件犯行が行われる以前から、K荘101号室の出入口の施錠がされないままになっていたとしても、右アパートに係わりのない被害者が、同室が空室であり、しかも施錠されていないと知って、売春客を連れ込み、あるいは、被告人以外の男性が被害者を右の部屋に連れ込むことは、およそ考え難い事態であること

2 本件関係証拠から認められる前項(一)ないし(七)の事情を総合すると、被告人は、3月8日、勤務先からの帰途、JR渋谷駅からHビルに至る路上で被害者と遭い、午後11時30分ころ、買春目的で被害者を伴ってK荘1階通路の西側出入口から101号室ヘ入り、その六畳間において、被害者相手にコンドームを用いて性交して射精した後、身づくろいを終えた被害者の本件ショルダーバッグの取っ手を握って奪おうとして抵抗にあい、翌9日午前零時ころ、被害者の顔面等を殴打し、頚部を扼して殺害し、右ショルダーバッグの中の財布から少なくとも4万円(1万円札4枚)を奪ったものであり、同室便所の便器の溜まり水の中にあった本件コンドームは、右性交時に使用したコンドームで、殺害の前に被告人もしくは被害者が、あるいは殺害後に被告人が、そこへ投棄したものと認めて誤りない。そして、関係証拠を検討しても、被告人の頑なな否認にもかかわらず、右認定に合理的な疑いを容れる余地はない。

3 原判決が本件につき被告人を無罪としたのは、証拠の評価を誤り、延いては事実を誤認したものといわなければならない。弁護人は、答弁書及び当審の弁論で、原判決が相当である所以を多岐にわたり主張するが、それらを逐一検討しても、所論は理由を欠き、容れることはできない。

 原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があり、検察官の論旨は理由がある。

 よって、刑訴法397条1項、382条により原判決を破棄し、同法400条ただし書にしたがい、更に判決することとする。



第二 自判


(罪となるべき事実)

 被告人は、平成9年3月8日午後11時30分ころ、東京都渋谷区円山町所在のK荘101号室にV(当時39歳)と入り、同女と性交をしたものであるが、それが終了した後の翌9日午前零時ころ、同女を殺害して金員を強取しようと決意し、同室北側和室六畳間において、殺意をもって、同女の頚部を圧迫し、よって、そのころ、同所において、同女を窒息死させて殺害した上、同女所有の現金約4万円を強取したものである。

(証拠の標目)

 略 

(確定裁判)

 被告人は、平成9年5月20日東京地方裁判所で出入国管理及び難民認定法違反罪により懲役1年、3年間執行猶予に処せられ、右裁判は同年6月23日に確定したものであって、この事実は検察事務官作成の前科調書によってこれを認める。

(法令の適用)

 被告人の判示所為は刑法240条後段に該当するところ、所定刑中無期懲役刑を選択し、右は前記確定裁判があった出入国管理及び難民認定法違反罪と刑法45条後段の併合罪であるから、同法50条によりまだ確定裁判を経ていない判示強盗殺人罪について更に処断することとして、被告人を無期懲役に処し、同法21条を適用して原審における未決勾留日数中700日を右刑に算入し、原審及び当審における訴訟費用は、刑訴法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

 本件は、被告人が、買春の相手となった女性を殺害してその所持金を奪取した強盗殺人の事案である。被害者が殺害されており、被告人は犯行への関与を否定しているため、犯行の動機、経緯、態様等の具体的内容はつまびらかでないが、殺害の方法は、かなり強い力で被害者の頚部を圧迫して同人を窒息死させたというものであり、それが強盗目的による凶行であって、実際にも被害者が所持していた現金約4万円を奪取していることを併せると、犯情は非常に悪質である。被害者は、日頃売春を繰り返していたとはいえ、相当な経歴のある会社員であったところ、突如売春の客に襲われ、39歳で短い一生を終えるに至ったもので、その肉体的苦痛が多大であったことはもとより、無念さのほども察するに余りある。遺族の心痛の深さも併せ考えると、犯行の結果は重大である。一方、被告人は、本件を頑なに否認し、原審及び当審を通じ不合理、不自然な弁解を続けている。以上を総合すれば、被告人の刑責は相当に重いといわなければならない。

 そうすると、被告人には、前記確定裁判のほかには、本邦における前科はないこと、入国後飲食店従業員として真面目に稼働していたこと、本国に妻子がいることなどの被告人のために掛酌すべき情状を考慮しても、被告人に対しては無期懲役刑を科するのが相当であり、これを酌量減軽すべきものとは考えられない。

 よって、主文のとおり判決する。 

平成13年1月12日

   東京高等裁判所第4刑事部

          裁判長裁判官    高木俊夫

          裁判官       飯田喜信

          裁判官       芦澤政治