無実のゴビンダさんを支える会からも参加し、アピールを行いました。以下、参加した武蔵さんからのレポートを掲載します。
1969年9月、奥西勝さんは母タツノさんが炊いた赤飯を半分食べて「残りは帰ってから食べるわ」と笑顔で名古屋高等裁判所に向かった。それが最後だった。高裁は地裁の無罪判決の証拠をすべて合理的な説明もないまま不当にも引っ繰りかえして逆転死刑判決。食べ残した赤飯の主は戻らず。孤独な処刑台を背負っての闘いが始まる。
2005年4月、名古屋高裁は第7次再審請求に対して新証拠の新規性・明白性を認め再審開始の決定を出した。ところが名古屋高等検察庁はこの決定に異議申立をして再審を阻もうと躍起になっている。無実の者を救済するために設けられた再審制度の門を開くことこそが国民の負託に応える検察の立場ではないのか。
最後に再審を闘っている「鹿児島・大崎事件」「布川事件」「東電OL事件」の取り組みの状況報告がなされた。「東電OL事件」では支える会の客野事務局長が挨拶にたち『一審無罪のゴビンダさんが高裁で逆転判決をされた瞬間の無念の叫びは奥西さんと同じものである。後続する再審勝利のためにもぜひ頑張って欲しい。ともに闘いましょう』と結んだ。
7/18 武蔵記
●名張毒ぶどう酒事件についての詳細はここをご覧下さい。