脱走兵援助に関する文献

  (書籍のみ、雑誌、新聞等に載った文献は、雑誌・新聞掲載の論文、記事の年月順目録を参照してください。)

 現在、もっとも基本的で、必読の文献は、『となりに脱走兵がいた時代』です。脱走兵援助問題についてお知りになりたい方は、まずはこれをご覧になってください。 それ以後の新情報は、斉藤憐『お隣りの脱走兵』および高橋武智『私たちは、脱走アメリカ兵を越境させた…』を参照してください。この3点は、脱走兵援助問題を知るための出発点であると同時に、知りたいことで、現在知りえている 基礎的事実は、ほとんどすべてこれに載っていると思います。下の本の表紙をクリックしてください。(吉川)

         

左から鶴見俊輔ほか編『帰ってきた脱走兵』、鶴見俊輔ほか編『脱走兵の思想』、小田実『人間、ある個人的考察』、種谷牧師裁判を支援する会編『国権と良心』、T・ホイットモア『兄弟よ、俺はもう帰らない』の表紙。表紙をクリックすると各そのページに飛びます。
 

(1)反戦米脱走兵

小田実『人間・ある個人的考察」筑摩書房、1968年

小田実・鈴木道彦・鶴見俊輔編『脱走兵の思想――国家と軍隊への反逆』太平出版、1969年

小中陽太郎『手づくりの論理』合同出版、1969年

飯沼二郎『キリスト者と市民運動』未来社、1970年

鈴木正穂「わが友ポールわが友ポール 彼は反戦脱走米兵」(大沢正道・内村剛介編『われらの内なる反国家太平出版社、1970年所収)

マーク・レーン『人間の崩壊――ベトナム米兵の証言鈴木主税訳、合同出版、1971年

『ジャテック』になる人びと」(小田実『自立する市民朝日新聞社、1974年所収

ダニエル・ラング『国旗なき愛国心−勇気あるベトナム離脱金勝久訳、佑学社、1975年

種谷牧師裁判を支援する会編『国権と良心――種谷牧師裁判の軌跡新教出版社、1975年

鶴見俊輔「ポールの残したもの」、「アメリカの軍事法廷に立って」、「ちちははが頼りないとき」ほか(『鶴見俊輔著作集5時論・エッセイ筑摩書房、1976年所収

栗原幸夫「脱走ルートは市民のなかに」ほか(粟原幸夫『肩書きのない仕事三一書房、1977年所収

栗原幸夫・阿奈井文彦・室謙二・山口文憲・吉岡忍「JATEC見えない共和国」前・後(『PLAYBOY日本版』1981年1・2月号、集英社所収

小中陽太郎「神の掟と人の法――種谷牧師裁判」(小中陽太郎『ぼくは人びとに会った! 法と人間のはざまにぼくは人びとに会った! 法と人間のはざまに日本評論社、1990年所収

マイラ・マクファーソン『ロング・タイム・パッシンク――ベトナムを越えて生きる人々松尾弌之訳、地湧社1990年

山田塊也『アイ・アム・ヒッピー――日本のヒッピームーヴメント60〜90』第三書館、1990年

テリー・ホイットモア『兄弟よ、俺はもう帰らない吉川勇一訳、第三書館、1993年 

 コンチェンの戦闘で重傷を負い、ダナンの病院ではジョンソン大統領から直接勲章を授与された黒人の米海兵隊員、ホイットモア元軍曹(現在ストックホルム在住)の半生記。彼は日本で脱走し、多くの日本の市民に助けられて北海道から脱出、ソ連を経てスウェーデンに向かう。日本での脱走兵自身の唯一の感動的証言。(この本は、1975年7月に時事通信社から発行されたが、その後絶版になり、1993年に新版として第三書館から再刊されたもの。)
  最近、インターネット上の百科事典『ウィキペディア』で「ベ平連」の項目を引くと、ベ平連が当時、ソ連のKGBから資金援助を受けていたなどという記述が出てくる。元来は、1993年1月18日の産経新聞が大見出しで「ベ平連 KGBと秘密接触 資金援助求める」というトップ記事で報じたのが最初だったが、今でもこういう記述が公表されれてる。このホイットモアの本の最後のつけられた「補遺へのもう一度の追加」では、この問題を取り上げ、反論しているので、それを、本ホームページでは再録した。以下をクリックしてください。
兄弟よ 俺はもう帰らない』の「 補遺へのもう一度の追加」吉川勇一


 
なお、この本の原書は、最初、1971年に、Doubleday & Company, Inc., Garden City, New York から、"MEMPHYIS NAM SWEDEN――The Autobiography of a Black American Exile" by TERRY WHITMORE as told to Richard Weber として出版され、その後、絶版となっていたが、1997年になって、University Press of Mississippi / Jackson から、"Memphis Nam Sweden――The Story of a Black Deserter" by Terry Whitmore as told to Richard Weber with an Afterword by Jeff Loeb として再刊された。
 この再刊本は、ハードカバーとペーパーバックとがあり、どちらも Amazon などから入手可能。そしてこの再刊本には、上記のように、新しく Jeff Loeb による「あとがき」がつけられた。この「あとがき」では、本書がそれまで、アメリカの中でほとんど無視されてきた理由、アメリカ社会の中における脱走兵に対する感情など、ベトナム戦争後のアメリカにおける、この戦争をめぐる評価の状況などが記されており、なかなか参考になる文献だ。「あとがき」は、1998年6月に『となりに脱走兵がいた時代』が刊行され、それを記念したシンポジウムが東京・国際文化会館で行われた際、翻訳され、パンフレットとして参加者に配布された。現在、入手不可能になっているが、その全文を、採録した。以下をクリックしてください。『兄弟よ 俺はもう帰らない』の原書再版「あとがき」吉川勇一訳、1998年、パンフレット

吉川勇一「ベ平連――国境を超える運動」(池田浩士・天野恵一編『検証〔昭和の思想〕X思想としての運動体験社会評論社、1994年所収

鶴見俊輔・吉岡忍・吉川勇一編『帰ってきた脱走兵――ベトナムの戦場から25年第三書館、1994年 \1,500

前出ホイットモアは、1993年3-4月に日本を訪問する。25年前に彼を援助した人びとの招待による。彼は思い出の地を訪ねながら各地で講演をする。その記録集。実際の活動から4半世紀を過ぎた後、関係者が語る感想、総括は重要な意味を持つ。ホイットモアのほか、吉岡忍、鶴見俊輔、海老坂武、坂元良江、栗原幸夫ら多数の人びとが語っている。


鶴見俊輔「序論『精神革命』の実像」(『戦後日本 第3巻 戦後思想と社会意識』にある「序論」のなかの「四 弱い個人の重さ」
岩波書店 1995年\2,800

関谷滋・坂元良江編となりに脱走兵がいた時代――ジャテック、ある市民運動の記録』思想の科学社、1998年 \5,700+税  

     脱走兵援助活動に関する集大成。必読文献。詳しく「ベ平連のニュース」 No.25 を参照のこと。

岡田孝一中部の戦後文学点描中日新聞社、1999年 \1,680(税込)

 この中の「ベトナム反戦と文学者」の節に筆者自身を含め、中京地域のとくに文学関係者が脱走兵援助に関わったことが、脱走兵を扱った小説の紹介とともに書かれている。

阿奈井文彦『ベ平連と脱走米兵文春新書、2000年 \710+税

 著者自身がかかわった脱走米兵、ジョセフ・クメッツとの交流を中心とした「『帰ってきたヨッパライ』を歌う男」や、同じく脱走兵3人を連れて諏訪之瀬島でくらした経験の回想記「ヒッピーと脱走兵」など、ジャテックが国外に脱出させるまで各地を転々としながら脱走兵を匿い、その世話を焼いた若者たちの様子を具体的に描く。いくつかの章はすでに雑誌に発表されたものの再録もあるが、大半は書き下ろし。 

斎藤 憐お隣りの脱走兵而立社、2001年 \1,500+税 

2001年6月に公演された同タイトルの演劇の台本。この本については、本ホームページのニュース」欄 No.143を参照。

海老坂武『かくも激しき希望の歳月――1966〜1972』岩波書店 2004年5月 \2,200 +  

 ベ平連を正面から論じたというよりは、著者がベ平連の運動や脱走兵援助活動、あるいは大学闘争にどうかかわったかという体験や、交友関係を事実に即して叙述し、その中で感じたことを率直に記述した記録。

なお、つぎは雑誌に掲載されたものだが、ベ平連の脱走兵援助の北方ルート(根室から漁船でソ連へ)の状況を叙述したものとしては最も詳しいので、紹介しておく。
 本田良一・「国境の海」のものがたり――第一章 密漁の海――(その三・ジャテック事件

『しゃりばり』2003年4月号 No.254(『しゃりばり』は、(社)北海道総合研究調査会発行の月刊誌) これは、つぎの『密漁の海で』に採録、出版された。

本田良一『密漁の海で――正史に残らない北方領土』凱風社 2004年6月 \2,500 +  

 この中の第三章「ジャッテック事件」は、上で記したように、根室からソ連へ脱出する際のいわゆる「レボ船」についての詳細なルポルタージュ。著者の直接の評価を出さず、事実関係を記述している。これまで知られなかった事実や背景もかなり掲載されている。

鈴木道彦『越境の時――一九六〇年代と在日』集英社新書 2007年4月 \700 +  

     
「ニュース」欄 No.463 の記事を参照してください。

鶴見俊輔・吉岡忍『脱走の話――ベトナム戦争といま』編集グループSURE 2007年4月 \1,000 +  

     「ニュース」欄 No.464 の記事を参照してください。

高橋武智『私たちは、脱走アメリカ兵を越境させた……ベ平連/ジャテック、最後の密出国作戦の回想作品社 2007年11月 2,400円+税

上記の関谷滋・坂元良江編となりに脱走兵がいた時代――ジャテック、ある市民運動の記録』の範囲以後の、脱走兵支援活動を詳細に記述したもので、ベ平連の活動が1930年代のヨーロッパの抵抗運動と結びついた国際的な行動だったことを含め、後期脱走兵支援活動の大変な活動であったことが明らかにされている。

高草木光一編 吉川勇一、原田正純、最首悟、山口幸夫『 一九六〇年代 未来へつづく思想』岩波書店 2011年2月 \2,500 +  

このうちの吉川勇一「原水爆禁止運動からベ平連へ」の「W 脱走兵援助運動、反軍・叛軍闘争」の節は、脱走兵、金鎮洙の場合などに触れながら、脱走兵援助活動について叙述し、それがラディカルな性格のものだったと指摘している。

室謙二『天皇とマッカーサーのどちらが偉い?』岩波書店 2011年5月 \2,100 +  

 インターネット上のフリー百科事典「ウィキペディア」の「ベ平連」の項や「小田実」「吉川勇一」などの項には、ベ平連の中心メンバーにはソ連のKGBのエージェントがあり、脱走兵の援助活動はその方針に従っていたとか、そのため、吉川はベ平連に20万円を受け取っていたなどの記事が載っている。室の本書の最終章「9 同世代の脱走――ヨコハマ港から世界に向かって」では、この問題を詳細に分析し、KGB,FBI、CIAのも含めて、資料を全部検討し、この「ウィキペディア」論や『産経新聞』の報道などの、ベ平連=KGB説を完璧に否定した労作である。


(2) 日本人米兵・韓国軍兵の脱走

京都金東希を守る会編『権利としての亡命を!権利としての亡命を! 金東希問題を考える』1968年

清水徹雄「平和に生きたい」(小田実編『べ平連とは何か――人間の原理に立って反戦の行動を
徳間書店、1969年所収)

小田実「変革の主体としての市民」(前掲『ベ平連とは何か』所収

鶴見俊輔「わが欠落U」(鶴見俊輔『私の地平線の上に潮出版社、1975年所収

玄武岩「グローバル化する人権――「反日」の日韓同時代史」(岩崎稔・上野千鶴子・北田暁大・小森陽一・成田龍一編著 『戦後日本スタディーズ 3 80・90年代』 紀伊国屋書店 2008年12月  所収)

(3) 米軍内反軍運動

清水知久・古山洋三・和田春樹『米国軍隊は解体する――米国反戦・反軍運動の展開三一新書、1970年

ヤン・イークス、小野誠之『戦争の機械をとめろ!戦争の機械をとめろ! 反戦米兵と日本人三一書房、1972年

吉川勇一「自由の危機――権力・ジャーナリズム・市民」(江藤文夫・鶴見俊輔・山本明編『事件と報道――講座・コミュニケーション5研究社、1972年所収

M・オッペンハイマー編『アメリカの軍隊長沼秀世訳、福村出版、1972年

ハワード・ジン『民衆のアメリカ史[下]油井大三郎訳、TBSブリタニカ、1982年

高嶺朝一『知られざる沖縄の米兵――米軍基地十五年の取材メモから高文研  1986年

ハワード・ジン『甦れ独立宣言――アメリカ理想主義の検証』飯野昌子・高村宏子訳、人文書院、1993年

(4) 戦前の兵役拒否・徴兵忌避などについての文献(構築中)

 この項目はまだほとんど未整理で、今後徐々に掲載する計画だが、とりあえず、ほとんど知られていない神田文人「徴兵忌避と千葉県」(『千葉県史研究』第12号 2004年3月)の全文を、故神田文人さんの夫人美枝さんの許可を得て、全文掲載しておく。(PDFファイル)

神田文人「徴兵忌避と千葉県」(『千葉県史研究』12号 千葉県 2004年(PDFファイル)

 

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