5月19日より開始しましたMさんの仮放免要請書は、5月22日までに集まった35団体、106個人の賛同署名と共に、残りの書類と共に、5月23日、茨城県牛久市の東日本入国管理センターへ提出しました。
たった3日間という短い期間にも関わらず、これだけの賛同を集めることができましたのも、皆さまのご協力とご支援のおかげです。本当にありがとうございました。
結果につきましては、後日、改めてご報告させていただきます。
ご協力を重ねて御礼申し上げます。
5月25日
APFSでは5月18日、1999年9月1日に東京入国管理局に出頭したものの、2月2日に不許可となってしまい、父親だけが収容されたままのビルマ国籍Mさんの仮放免許可を求めて、法務省との交渉及び法務省前での抗議行動、引き続き茨城県牛久市の東日本入国管理センターへの申し入れとMさんへの支援行動を行いました。
法務省との交渉は13時からの約30分間行われ、入管企画広報係長、法務専門官を始めとする3人が出席し、APFSから仮放免の申請と共に、1日も早い仮放免許可を訴えました。
その間、法務省の正門前ではAPFSの外国籍メンバー30名が座り込み、Mさんの仮放免が1日も早く認められることを訴えました。その後、茨城県牛久市東日本入国管理センターに移動。あいにく渋滞につかまってしまい、3時半の到着予定が4時20分となってしまいましたが、メンバーはさっそくオレンジ色の旗を広げ、東日本入国管理センター前でMさんへの支援行動を開始しました。センターの敷地はセンター前の道路も含まれているとのことで、敷地内での活動は困る、出るようにと指示があり、途中から場所を移さざるを得ませんでしたが、センター前での市民団体の活動は、これまでに前例がなかったとのことで、職員たちの非常に慌てた様子が印象的でした。メンバーたちが支援行動を行っている間、吉成代表とMさんの妻と長女の3人が、東日本入国管理センターの総務課長鈴木正信氏ほか2名と面会し、申入書を手渡しました。
Mさんの仮放免の申請は2月2日に収容されて以来、初めてのことです。
法務省側は「逃亡のおそれ」を心配しますが、Mさんは妻も家の近くで安定した職を得ており、近所つき合いも深く、長女も地元の保育園に通っているなど、地域との関係が強く築かれています。Mさんが収容前日まで勤務していた職場でも「いつでも戻ってきてほしい」と社長が1日も早く戻ってくる日を待ち望んでいます。また現在、東京地裁で裁判中でもあり「最後まであきらめない」と強い意志を持つMさんが逃亡をするとは考えられません。運動の力で、なんとしても良い結果を得たいと考え、皆さまからの要請書を募り、5月22日に集め、残りの申請書類と共に提出し、Mさんの仮放免を求めていきます。
期間が短いためどのくらい集まるかまったくわかりませんが、1名でも2名でも多くの要請書を提出したいと考えております。ご協力を心よりお願い申し上げます。
※要請書の送付は終了しました。ご協力、ありがとうございました!※
ASIAN PEOPLE'S FRIENDSHIP SOCIETY(APFS)