第一章 米軍による土地接収の経過とその違法性
第四 復帰後の土地接収と違法性
一 沖縄の日本復帰と軍用地問題
1972年(昭和47年)5月15日、「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」(以下「沖縄返還協定」という)により、沖縄の施政権は米国から日本政府に返還された。この日以降沖縄の米軍基地は、ほぼそのままの形で、本土における在日米軍基地同様、日米安保条約第6条、日米地位協定第2条等によって日本政府から米国に提供されたものとなり、その法的性格は名目的には日本本土と同一となった。
しかし、県土面積に対して基地の占める割合・密度、その機能・規模をみるとき、基地が沖縄県民の全生活に与える影響は、本土の比ではない。のみならず、どのような歴史的経緯で基地とされたのか、どのような場所が基地とされているのかをも視野に入れて考えるとき、本土の米軍基地と沖縄の米軍基地を同一視することは到底できない。
沖縄の基地は、いわば頭のてっぺんから足の爪先に至るまで違法性という汚辱にまみれたものであった。また本土の場合、米軍用地の多くは国有地(戦前の陸軍の演習場、海軍の軍港、陸海軍の学校・施設など)であって、民有地は少ないのに対し、沖縄の場合は、大部分が民有地ないし市町村有地である。
いみじくも「諸悪の根源」といわれてきた基地、その基地に対して、復帰を迎える沖縄県民は強く反対し、その撤去を求めていた。本土へ復帰することによって、これまで県民の蒙った基地によるあらゆる権利侵害・生活破壊は解消されるものと期待した。
仮に直ちにこの県民の要求や期待が全面的にかなえられないにしても、基地の態様が変り、大幅な整理縮小によって不安が大きく軽減されることを強く求めていた(政府ですら口を開けば整理縮小を唱えていた)。
このような切実な要望をもった沖縄県民に対して日本政府は、沖縄返還協定三条によって、米国に対し基地の継続使用を、復帰前とほとんど変らぬ状態で認めることをもって応えた。
このようにして、法的には新たに米軍に提供されるようになった軍用地を、復帰の時点で空白を生じることのないようにし、また、米軍から肩代わり的に自衛隊が基地を使用できるようにするため、公用地法が制定された。後に述べるように、この法律は憲法に違反するもので、その仕組と役割は、実質上、占領中に米軍が発布し発令し乱用した諸種の土地強奪布令と同じであったと言ってさしつかえない。
沖縄県民の平和な生活を根底から破壊している、このような大量の軍用地使用を、日本政府が引き続き米軍と、新たに自衛隊に対して認めることによって、沖縄の不幸はさらに続くことになった。
この法律は、結局、「本土並み」返還の美名の下に、日米安保体制の維持と米軍基地の固定化、さらに新たな自衛隊の配備に道を開く役割を担うものとなった。
二 「公用地法」による土地の違法使用の「追認」
復帰時、本件土地を含む沖縄の軍用地は、おおよその97パ−セントが、地主との「賃貸借契約」の形式をとっていたが、これは実際は、米軍が強制的に収用しておきながら後になって布令20号の下での「契約」の形を整えたにすぎないものであった。
軍用地の所有者たちは、このような一方的土地接収に対して争う法的手段を否定されたまま「契約」を強いられ、はなはだ低廉な地代を押しつけられて先祖伝来の宅地や肥沃な田畑を軍用地とされていたのであった。
このような、へ−グ陸戦法規等国際法の上からいっても認められないような米軍の強制的土地収用を事実上合法化し、施政権返還後も日本政府がそのまま収用土地に対する米軍の継続使用を認めることを目的として制定されたのが「公用地法」である。
しかもこの法律は、復帰前から使用していた米軍の継続使用のためのみならず、新たに配備するにすぎない自衛隊の基地のための用地確保をもその自的としており、多くの県民・国民の反対を押し切り、強行採決によって立法されたものであった。
三 「公用地法」の違憲性
憲法上の問題として、次の諸点が指摘される。
第一は、この法律では、暫定使用期間が5年という長期になっていた点である。
米軍用地収用特措法附則第2項は、本土における講和後の米軍基地の継続使用を可能にするための規定であったが、これによると、調達局長は、日米安保条約発効の日から90日以内に、継続使用に供すべき土地等の所在、種類、数量および使用期間をその所有者等に通知し、6力月を越えない期間においてこれを「一時使用」することができるとされている。
沖縄の場合は、本土の10倍の期間とされた。この問、原告を含む土地所有者の同意を要することなく、収用手続も必要でなく、復帰前の関係土地の苦痛をそのまま「追認」させることは、本土と比較してはなはだしく不平等である。沖縄県民に対するこのような差別的扱いは、法の下の平等原則を定める憲法第14条に反する。
第二は、自衛隊による土地使用の点である。
本土では、自衛隊は、日米地位協定第2条4項a「合衆国軍隊が施設及び区域を一時的に使用していないときは、日本国政府は、臨時にそのような施設及び区域をみずから使用し、又は日本国民に使用させることができる」という規定の限度で、事実上米軍基地の引継ぎを行なっており、(たとえば岩国飛行場)、防衛出動の場合の強制的使用(自衛隊法第103条)を除き、自衛隊のための平時における土地等の強制的収用や使用を根拠づける法令は存在しない。
ちなみに、自衛隊法第103条5項は、同条等による「土地等の使用」について「必要な手続は、政令で定める」と規定しており、有事立法の制定企図に関連して、政令の作成が論議されたことはあるが、憲法体系との矛盾、予想される国民世論の反発等もあって未だに制定されていない。
土地収用法第1条にいう「公共の利益となる事業」にも自衛隊は含まれないから、現行制度の下では自衛隊のための土地収用は許されていないのである。「公用地法」は沖縄県民にのみ、新たに自衛隊のため土地収用強制使用権を認めたもので、ここにも憲法第14条の平等原則違反が認められる。
このようにしてまで自衛隊のために用地を確保しようということは、1951年(昭和26年)の現行土地収用法制定に際し、旧法第2条1号に規定されていた「国防其ノ他軍事ニ関スル事業」が、新憲法に適合しないものとして削除されたという経過から、憲法第9条の平和主義の精神と矛盾する。
内閣法制局は、1953(昭和28)年当時、自衛隊の前身である保安隊の用地取得について、土地収用法第3条31号にいう「国・・・が設置する・・・その他直接その事務又は事業の用に供する施設」に該当するという解釈を示したことがある。しかしながら、その後の国会では、河野建設大臣によって、土地収用法第三条の「公共の利益となる事業」には、国防・軍事に関する事業が含まれないことは、社会通念上常識であるとの答弁がなされて今日に至っている。
しかも、公用地法の立法理由は、沖縄の復帰に伴う法秩序の移行に際して、空白を生ずることのないように「暫定使用」を可能にするというところにあったが、自衛隊は新たに配備するのであって、法秩序の移行による空白が生ずるという問題の起こる余地はないものである。
「公用地法」は事実上の土地収用法の改悪であり、自衛隊による土地の強制収用への道を開こうとするものであった。
第三に、収用手続を欠き、土地の権利者の異議申立もない強制使用権を、米軍ないし自衛隊に5力年間も与える点である。この法律に基づく土地使用者は、なんらの手続も要せずに、右期間の範囲内で土地を使用でき、使用土地の区域、使用方法は使用後に「遅滞なく」通知または公告すれば足りるとされているだけである。
土地収用法に定める立入調査、事業の認定、土地細目の公告も、異議申立制もない。このような収用手続の欠如は、憲法第31条から導かれる行政における「適正手続の原理」にもとるものと言わなければならず、それはまた、憲法第29条の定める「財産権の保障」に対する侵犯をもたらすものである。
以上のように、この法律は「防衛上の必要性」を前面に出して県民の基本権を無視したものとなっており、憲法違反の新たな「土地接収法」の性格をもっていたと言わねばならない。
仮りに、「公用地法」自体の違憲・無効の議論は暫くおくとしても、「公用地法」は、「この法律の施行の際沖縄においてアメリ力合衆国軍隊の用に供されている」ことを「暫定使用権」発生の要件としており(同法2条1項1号)、そこで「用に供されている」とは、復帰の時点において、単に米軍が事実上使用していたことを意味するものではなく、まさに使用の正当な権原を有していたことを要件としていることにほかならない。このことは、政府自ら「公用地法」の国会での審議において明言していることでもある。
前述したように、復帰前における米軍の本件土地の強制使用は、国際法上の条理に明白に違反し、また、日本国憲法上もとうてい容認しえない違法なものであるから、米軍が復帰の時点で本件士地使用の正当な権原を有していたとはいえず、したがって、国は、「公用地法」の制定によっても、本件土地の「暫定使用権」を取得しえなかったものである。 その他にも、沖縄に日本の施政権が及ばない復帰前の1972年(昭和47年)4月27日に、官報に告示がなされていること、「この法律の施行後、遅滞なく、当該土地の区域又は、工作物及び土地又は工作物の使用の方法を、その所有者に通知しなければならない」のに、本件土地については、10ケ月も経過した1973年(昭和48年)2月10日付でなされているにすぎないこと、使用前に縦覧に供された被使用土地等の図面には施設名だけが記載され、肝心の地番の記載がなかったこと、等々従来の土地法の体系の枠を著しくはみ出した法律構造の異常性をもっていることが指摘されてよい。
「公用地法」は、1977年(昭和52年)5月15日午前零時の到来により、時限立法としての生命を終えて失効した。
ところが政府は、同年同月18日「地籍明確化法」を制定し、「公用地法」の5年の暫定使用期間が10年に延長されたとして、本件土地を含む未契約軍用地の違法使用を継続した。公用地法による暫定使用期間は5年であるから、1977年(昭和52年)5月14日をもってその期限が切れ、以後強制的に使用できる余地はなかった。
その経緯については、4以下で言及する。
四 「地籍明確化法」の背景と立法経過
日本政府は、沖縄返還の時点において、おそらく5年もあれば全地主と契約を結ぶことができると踏んでいたのであろう。ところが、1977年(昭和52年)1月1日現在、別表のとおりなお490人の未契約地主が存在した。「公用地法」は1977年(昭和52年)5月14日で失効する。その時これらの土地は地主に返還されねばならないわけであるが、それらは、嘉手納基地、牧港補給基地、航空自衛隊那覇基地等、米軍・自衛隊の重要基地を含め、米軍55基地中25基地に、自衛隊29基地中6基地の中に点在していた。これらの土地を返還するとなると、沖縄の基地機能が麻痺状態となるのは目に見えていた。
政府にとっては、これらの土地はどうしても確保されねばならなかった。政府は地主の同意を得るために、あらゆる手段をとっていたが、全地主との契約は、まず不可能といわざるを得なかった。
かくして政府は、再び沖縄の基地を確保するための新しい法律を必要とするにいたった。
それが「地籍明確化法」であった。
1977年(昭和52年)5月11日、「地籍明確化法」案は、衆議院において可決され、参議院に送付された
その附則6項では、「公用地法」2条1項但書中「5年」を「10年」に改める旨が定められていた。
ところが参議院において右法律案を審議中に、1977年(昭和52年)5月14日「公用地法」による「暫定使用権」の存続期間が満了し、「公用地法」2条1項に基づく「暫定使用権」は消滅した。
「公用地法」に基づく「暫定使用権」の消滅は、政府もこれを認めざるを得なかった。
1977年(昭和52年)5月15日、参議院内閣委員会において、真田秀夫内閣法制局長官は、政府統一見解として「(「公用地法」)第2条第1項但書の期間は過ぎているので、第2条による権限はない。従って第4条による返還の義務がある。5月15日以降も、返還するまでは国は管理する義務と権限があり、それに必要な行為を適法にすることができる。この基準に照らして適法な行為を行なっている」と表明した。
また野党委員(日本共産党)と真田長官・三原防衛庁長官との間では、1977年(昭和52年)5月15日、参議院内閣委員会で、次のような応酬が行なわれた(沖縄タイムス、昭和52・5・16)。
内藤功委員:
15日以降も、(土地を)返還するまでは国は管理する義務と権限があるというが、誰のために管理するのか。真田長官:
(土地)所有者本人のためである。内藤委員:
何のためにするのか。真田長官:
民法の趣旨を生かすために管理したい。内藤委員:
地主の希望・意向を最大限尊重するのか。真田長官:
本人の意思を尊重して管理することになろう。内藤委員:
自衛隊・軍事基地をとどめるための管理でなく返還のための管理とみてよいか。真田長官:
自衛隊基地として使用する権限はない。内藤委員:
(政府が言う新法律成立までの)つなぎ基地を維持していくということではないのか。真田長官:
(土地を)返還せねばならない義務があるので、その手続は進めるのではないかと思う。内藤委員:
地主のために、返還するための管理ということに、厳正に限ってゆくという指示はしたのか。三原防衛庁長官:
具体的な指示はしていない。(しかし)基地の使用についても演習・訓練など積極的な使用はしてはならない。所有者が自分の土地を見たいと言った場合は丁重にやれと伝えている。
一方、沖縄基地では、1977(昭和52)年5月18日午後1時過(「地籍明確化法」が成立するのは、同日の午後10時過である)、契約拒否地主4世帯が米軍基地キャンプ・シ−ルズ内に大型トラクタ−1台を持ち込み、土地を耕し、ニンニクを植え、アヒル2羽を放したうえ、「防衛施設庁とアメリカ軍に告ぐ。ここは私の土地です。許可なく、立ち入り、使用を禁ず。反戦地主会、島袋善祐」と記載した立看板を打ち立てた。(沖縄タイムス、昭和52・5・19)
また、那覇市では、同年同月16日、反戦地主上原太郎さんら9人が、航空自衛隊那覇基地内に立ち入ったが、17日も午後2時から自衛隊と防衛施設局職員の案内で“不法占拠”の続く自分の土地を踏んだ。この日の立ち入りは地主9人に弁護士1人を含む10人・・・地主一行は午後4時20分、那覇市具志46、農業上原正義さんの土地(300坪)でむしろを広げ持参の弁当・菓子・お茶などを口にしながら「祖父の土地でいつでもこうしてくつろげる日が必ずやってくる」と語っていた。一方、自衛隊員たちは地主側の動きを遠巻きにみながら無線機片手に連絡を取り合っていた(沖縄タイムス、昭和52・5・19)。
沖縄県及び那覇市も、「暫定使用権」が消滅した土地につき立入調査を行った。
すなわち、5月17日には那覇市が、同年5月18日には沖縄県がそれぞれ牧港住宅地区に立ち入り、市有地・県有地につき、調査を行った。
以上のような経過を経た後、1977(昭和52)年5月18日午後10時11分、「地籍明確化法」は、参院本会議で可決成立した。政府は、同法を即日施行、「公用地法」の失効による4日間の「不法占拠」に終止符が打たれたとして、同日付で官報掲載の手続をとった。
五 「地籍明確化法」による土地使用についての政府の見解
1977年(昭和52年)5月18日の「地籍明確化法」の立法により、政府は「公用地法」2条1項1号所定の「暫定使用権」は、その存統期間が当初の「5年」から「10年」に延長されたものであると主張した。
その根拠は、那覇地方裁判所1977年(昭和52年)(ワ)第95号軍用地返還請求事件(原告平安常次ほか7名、被告国間)における被告国の主張によれば次のようなものであった(同事件における1977年(昭利52年)7月19日付準備書面−第四回−および1977年(昭和52年)11月1日付準備書面−第五回−より引用)。
「暫定使用法2条及び同法施行令1条は、同法2条1項1号に掲げる土地のうち同法の施行の際当該土地についてアメリカ合衆国が有する使用の権限が「賃借権の取得について(1959年高等弁務官布令第20号)」に基づいているもの(以下「施行令1条1号に掲げる土地」という)について、同法の施行の日(昭和47年5月15日)から5年間国においてこれを使用できると規定していた」。
「ところで1977年(昭和52年)5月18日制定、施行された『沖縄県の区域内における位置境界不明地域内の各筆の土地の位置境界の明確化等に閣する特別措置法』(昭和52年法律第40号)、以下「特措法」という」附則6項において、暫定使用法2条1項ただし書中「5年」を「10年」に改正する旨定められ、同改正に伴い、同日『暫定使用法施行令の一部を改正する政令』(昭和52年政令第153号)をもって同施行令1条1号中「5年」とあるのを「10年」に改正され、更に同改正に従い、同日『防衛施設庁告示第5号』をもって1972年(昭和47年)4月27日防衛施設庁告示第7号(沖縄における公用地等の暫定使用に関する法律第2条第1項第1号の土地についての告示)及び同年5月11日防衛施設庁告示第8号(沖縄における公用地等の暫定使用に関する法律第2条第1項第1号の土地及び工作物についての告示)中「5年」とあるを「10年」と改める旨告示されたから、施行令1条1号に該当する土地の暫定使用権の存続期間は、暫定使用法施行の日から10年に延長されたものである。」
「暫定使用法2条1項ただし書の改正の経緯及び特措法附則6項の文書・体裁に照らすと、右附則をもって、暫定使用法施行の際5年の暫定使用権を設定する対象土地を定めた暫定使用法施行令1条1号及び防衛施設庁長官(昭和47年4月27日第7号及び同年5月2日第8号)について暫定使用法の改正に対応する使用期間に係る改正がなされることを前提として、当初存続期間を5年とする暫定使用権が設定された土地につき、右期間の経過によりいったん消滅した暫定使用権を復活させ、その存続期間を暫定使用法施行の日から起算して10年を越えない範囲に延長させることを定めたものと解すべきである。そして、本件各土地につき暫定使用法及び暫定使用法施行令の施行により期間を5年とする使用権が設定され、特措法附則6項が制定施行されるとともに、これに伴い暫定使用法施行令1条1号及び前記防衛施設庁長官告示につき使用期間を5年から10年に延長する改正がなされ、これによって本件各土地に対する暫定使用権も復活したものである。」
「公用地法」および「地籍明確化法」による本件土地等の使用についての、右のような政府見解は、原告の到底承服し難いものである。以下6において、右のような政府見解に対する原告の反論を詳述する。
六 「地籍明確化法」による土地使用の違憲性
1 「暫定使用権」の消減
(一)「公用地法」に基づく「暫定使用権」は、1977年(昭和52年)5月一15午前零時の到来によって消減した。そして「公用地法」が実質的に時限立法ではないかという問題は一応おくとしても、少なくとも土地の使用権取得に関する部分(同法2条)が、5年を経過することによって法的効力を有しなくなり、政府と原告ら土地所有者との法的関係は、原告の土地返還請求権と政府の土地返還義務、原状回復義務の関係(同法4条)を残すのみとなったことは明らかである。
このことは、右同日をもって、土地所有者が土地につき法的に何らの制約も負担もない、文字どおり完全・円満な所有権を回復したことを意味する。従って政府が右同日以降において土地をするには、新たな使用権の設定行為が必要であり、そのためにはそのような権原を発生せしめるに足る要件と効果をもった法規の存在が不可欠であると同時に、そのための適正な手続が履践されなければならない。なぜなら、土地所有者が回復した完全・円満な所有権を再び制限しようとするのであるから、国民の権利・自由を制限するのに法律の根拠なくしてなし得ないこと、法治国家の建前上当然のことであり、また国民の権利・自由が実体的のみならず手続的にも保障されなければならないこと、国民主権主義をとり基本的人権の尊重を宣言する(具体的には憲法13条、31条を根拠として導かれるところの)憲法上の当然の要請だからである。
(二)しかるに政府は、いったん消滅した「暫定使用権」が、「地籍明確化法」附則6項によって、「復活」したと主張する。「復活」という以上そこに使用権原を新たに発生させるという法的側面があることは間違いあるまい。そうでなければ「復活」ということは理論的にありえないからである。
それでは、右附則6項はそのような使用権原を発生せしめる根拠法令となり得るであろうか。附則6項は、その「文言・体裁」からして「公用地法」による「暫定使用権」の期間の延長を定めているにすぎないことは一見明白である。そこには、本件土地について政府に新たな使用権の取得という法的効果を発生せしめる要件は何一つ定められていないし、使用権取得のための適正手続の保障も全く欠いており、現実にも何らそのような手続きはとられていない。
このように「地籍明確化法」附則6項は、「公用地法」による「暫定使用権」の存続期間の「延長」を定めたものにすぎないのであるから、それは「公用地法」に定める「暫定使用権」が生きて存在していることを当然の前提とするものであって、死んだ(消滅した)「暫定使用権」の存続期間を「延長」するということは論理の矛盾というほかはない。「暫定使用権」が消滅してしまった以上、もはや、期間の「延長」という法形式をもってしては、いったん死んだものを生き返らせ、消滅した権利を「復活」させることはできない。
そもそも附則6項をふくむ「地籍明確化法」は、1977年(昭和52年)5月14日の期限が満了する前に成立させることを意図して準備作成されたものであり、そのために「延長」という法形式をとったものが、それに反対する広範な国民の世論と運動、野党の反対にあって、当初の意図に反して右期限を徒過し、「暫定使用権」消滅後の同年5月18日に成立をみたという経過からしてもこのことは明らかである。
先に述べたように、いったん消滅した「暫定使用権」を「復活」させるためには使用権発生のための要件と効果を明確に規定した法形式と実体を兼ね備えた立法措置を講じなければならないのである。
「公用地法」による「暫定使用権」は、1977年(昭和52年)5月14日午後12時をもって確定的に消滅したものであり、「地籍明確化法」附則6項によって「復活」することはありえない。
2 「暫定使用権」の存続期間の延長は許されない
いったん消滅した「暫定使用権」が「復活」したとする政府の主張がいかに根拠のないものであり、法理論として成り立ち得ないものであるかということは、以上にみたとおりであるが、「暫定使用権」の延長ということは「公用地法」の予定するところではなく違法、不当な許されざる法「改正」といわなけれぱならない。
「公用地法」は「復帰」に際して、沖縄において軍用地ないし公共用地として使用されている土地または工作物を「復帰」後も、米軍用地、自衛隊用地または公共用地として引き続き使用するにつき、無権原状態=法的空白状態が生じるのを防止することをほとんど唯一の立法の目的・理由としていることは、その国会での審議の過程において政府自らがそのことを繰り返し言明していた。
また、参議院予算委員会(昭和46年2月8日)において「公用地法」が審議された際、西村直己国務大臣は宮之原貞光議員の質問に対し、「私は、この法案は5年の期間が過ぎましたら、これ自体をその後に延長してやるべきものじゃないと考えております」(参議院予算委員会会議録第6号参照)と答弁していた。
これは「公用地法」制定における立法者の意思が使用期間の延長はしないこと、すなわち「公用地法」の定める使用期間を確定的期間とすることにあったことを明確に示している。しかも「公用地法」は、その立法過程の当初から、憲法に違反することが学者その他の識者あるいは野党から問題とされ、なかんずくその使用期間の「5年」という点については、「米軍用地収用特措法」の「6月」、「小笠原暫定措置法」・「同政令」の「3年」に比較し著しく長期であって、もはや暫定使用の域を越えるのではないかということが指摘されていたのであり、右答弁も当然にそのことを踏まえてなされたものである。
さらに「公用地法」の内容それ自体が、公用地法は「復帰」に際しての暫定的な経過措置を定めたものであることを明言し(同法1条1項参照)、かつ「公用地法」制定後にあっても使用権原の取得は、土地所有者との合意を原則とする旨をわざわざ明記しているが(同2項参照)、このことは、「公用地法」が厳格かつ例外的に適用されるべきこと、またその解釈にあたっては国民の権利を尊重し、国家権力を抑制することを要請していると理解すべきことである。
以上、「公用地法」の立法目的ないし理由とその必要性、立法者の意思、法そのものの内容と性格、その解釈、適用にあたって前記の抑制の原則がとられるべきこと等からして、「公用地法」はその5年の使用期間を延長しないことを法定立の前提条件としていたと解すべきである。
3 「地籍明確化法」附則六項の違憲・無効性
(一) 第一に、附則6項は、土地収用法規であり、政府の契約拒否地主ら所有の軍用地に対する1977年(昭和52年)5月18日以降の占有・使用は右土地収用法規を発動しての新規土地収用であるにもかかわらず、附則6項は、土地収用法規に必要不可欠な、事前に土地所有者の意見を徴することはもとより、事前・事後の不服申立、第三者機関の裁定等の権利者保護のための手続を何らおいていない。これは、憲法31条の定める適正手続保障、憲法29条の財産権保障に真向から反する。
(二) 第二に、そもそも「公用地法」の定めた5年という「暫定使用権」の存続期間が「暫定使用」の域をはるかに逸脱するものであることは、すでに指摘されているところであるが、附則6項は、 政府によれば、この「公用地法」による「暫定使用権」の存続期間を5年からさらに10年に「延長」したものというのであるから、それは、もはや、いかなる意味においても「暫定使用」の名によっては許容しえない代物である。したがって、附則6項による「暫定使用権」の「延長」は、適正かつ合理的な私有財産権の制限・剥奪とはいえず、憲法29条に違反し、それ自体無効であると言わざるを得ない。
〔別表〕公用地暫定使用法に基づく財産権使用状況
(防衛施設庁資料・昭52・1・1日現在)
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29件 |
1,850件 |
3,370 |
6件 |
38件 |
158 |
|
55 |
26,488 |
264,863 |
25 |
452件 |
20,509 |
|
84 |
28,338 |
268,233 |
31 |
490 |
20,667 |
(うち公有地18、935)
(「参考」昭47・5・15現在)
駐・自 |
90 |
31,640 |
288,191 |
62 |
2,941 |
45,330 |