(5) FAC 6037 嘉手納飛行場(Kadena Air Base)
ア 施設の概要
(ア)所在地:
嘉手納町(字水釜、字兼久、字嘉手納、字屋良、字野国、字国直、字東、字野里)
沖縄市(字諸見里、字山内、字森根、字白川、宇御殿敷、字宇久田、字大工廻、字嘉長川)
北谷町(字伊平、字浜川、字上勢頭、字下勢頭、字砂辺)
那覇市
(イ)面積:19,953 千平方米
単位:千平方米
市町村名 |
国有地 |
県有地 |
市町村有地 |
私有地 |
計 |
沖縄市 |
365 |
33 |
21 |
7,041 |
7,460 |
嘉手納町 |
919 |
70 |
356 |
7,506 |
8,851 |
北谷町 |
123 |
6 |
20 |
3,489 |
3,637 |
那覇市 |
0 |
- |
- |
5 |
5 |
合 計 |
1,407 |
109 |
396 |
18.041 |
19,953 |
(ウ)地主数:7,179人
(エ)年間賃借料:200億3千3百万円
(オ)主要建物及び工作物
建物:司令部事務所、管制塔、ターミナルピル、格納庫、兵舎、住宅、学校、教会、劇場、銀行、消防署、診療所等
工作物:滑走路(3,689×91m、3,689m X 61m)、駐機場、エンジン調整場、消音装置(F-15、KC-135、E-3用)、Fl5用シェルター
(カ)基地従業員:MLC 1,751人、IHA 881人、計2,632人
イ 米軍部隊名
(ア)管理部隊名:第18航空団
(イ)使用部隊名:
第18作戦群第18作戦支援中隊、第33救難中隊、第909空中給油中隊、第961空中警戒管制中隊、第12・44・67戦闘機中隊、第623空中管制小隊、第633空輸機動支援中隊、第353特殊作戦群、第82偵察中隊、在沖米艦隊活動司令部、海軍第1哨戒航空団嘉手納分遣隊、その他
エ 使用主目的及び使用条件(5.15メモより抜粋)
オ 施設の現状及び任務
本島中部の嘉手納町、北谷町、沖縄市にまたかるこの施設は、300mオーバーランをもつA、B2本の滑定路(A=3,689m X 91m、B=3,689m X 61m)を有し、極東で最大かつ最も活発な米空軍基地である。この施設は第5空軍指揮下の第18航空団のホームベースとなっており、他のテナント部隊の役割と併せて、防空、反撃、空輸、支援、偵察、機体整備等の総合的な場所となっている。
第18航空団の主力は第18作戦群であり、この部隊は、F-15イーグル戦闘機をそれぞれ18機有する3個(第12、第44、第67)の戦闘機中隊、E-3Bセントリー機を有する空中警戒管制中隊、KC-135R機を有する空中給油機中隊等からなる。
この施設は、北西側の飛行場地区と南東側の居住地区からなり、飛行場地区の滑走路の南東には、空軍の駐機場(F-15イーグル戦闘機、HH-60へリコプター、HC-130救難機等)がある。
滑定路の北西、嘉手納町屋良側は空軍の大型機や海軍航空施設地域となっており、KC-135空中給油機やP-3Cオライオン対潜哨戒機等の駐機場やエンジンテスト場があり、E-3B空中早期警戒管制機もこの地域に駐留している。
なお、1996年12月2日の沖縄に関する特別行動委員会(SACO)の最終報告において、嘉手納飛行場におけるMC-130航空機を1996年12月未までに、海軍駐機場から主要滑走路の北西隅に移転することが合意されたことに伴い、同年12月中旬までに海軍駐機場から約2,500m離れた滑走路北西側への移転が完了した。
そのほか、SACOの最終報告では、海軍の航空機(P-3C)についても、現在の海軍駐機場から、主要滑走路の反対側に移転することか合意されている。
嘉手納飛行場における常駐機種は、次のとおりである
F-15C | イーグル | 戦闘機 | 約 54機 |
KC-135R | ストラトタンカー | 空中給油機 | 約 15機 |
E-3B | セントリー | 空中早期警戒管制機 | 約 2機 |
HC-130 | ハーキュリーズ | 救難機 | 約 5機 |
MC-130 | ハーキュリーズ | 特殊作戦機 | 約 10機 |
HH-60 | ペイブ・ホーク | 救難機(ヘリ) | 約 9機 |
C-21 | リアジェット | 汎用機 | 約 4機 |
C-12 | ビーチクラフト | 輸送機 | 約 2機 |
P-3C | オライオン | 対潜哨戒機 | 約 3〜10機 |
居住地区には、航空団司令部、兵舎、通信施設、家族住宅、診療所があるほか、銀行、郵便局、小・中・高校、幼稚園、図書館、野球場、ゴルフ場、体育館、映画館、スーパーマーケット等、多種の米軍向支援施設があり、9,000人以上が生活している。国道58号西側の嘉手納マリーナ地区は、米軍人等の福利厚生施設となっている。
カ 共同使用の状況
(イ)地位協定第2条第4項(b):
○航空自衛隊与座岳分屯基地
提供目的 管制施設
提供面積 建物26平米
提供年月日 1987年2月5日
使用期間
1 航空自衛隊那覇基地の施設か使用できない場合、一時的に代替として使用する間
2 年約4回、1回あたり3日ないし15日
○航空自衛隊那覇基地
提供目的 管制施設等
提供面積 建物25平米
提供年月日 1988年9月22日
使用期間 合衆国航空機の飛行運用中
キ 施設周辺の状況
(ア)地域との関わり
嘉手納飛行場には米国の6つの大学機関(短大1、学部1、大学院4)がある。県は、国際性豊かな人材育成を図るため、1986年2月の第ll回三者連絡協議会において、県民が基地内大学へ就学できるよう方途を講ずるよう提案した。その結果、1986年から毎年35〜43名の県民が就学し、1997年度までに421人か就学している。(沖縄県人材育成財団調べ)
(イ)嘉手納飛行場周辺の航空機騒音
嘉手納飛行場には、F-15C戦闘機やKC-135Rストラトタンカー空中給油機等の常駐機に加え、空母艦載機や国内外から飛来する航空機によって、タッチ・アンド・ゴーなどの飛行訓練や、低空飛行、住宅地域に近い駐機場でのエンジンの試運転が絶え間なく行われているため、騒音は激しく、正常な日常生活はもとより、疲労の過重、聴力の異常、授業の中断等、周辺住民に看過できないほどの甚大な被害を与えている。
また、通常の訓練のほか、臨時的に行われるORI演習(運用即応観察)や定期的に行われるローリー演習(現地運用態勢訓練)などの演習期間中の騒音は一段と激しく、同飛行場の周辺住民は、激しい騒音禍に悩まされている。
国は、生活環境を保全し、人の健康の保護に資するうえで維持することが望ましいとされる航空機騷音に係る基準を、1973年12月に設定した。嘉手納飛行場は第1種空港相当とされ、10年を超える期間内に可及的速やかに、地域類型に応じて70又は75WECPNL以下の環境基準の達成を図ることとされている。
県は、これまで知事が直接訪米したり、また三者連絡協議会や渉外関係主要都道県知事連絡協議会の場などを通して、日米両国政府に対し、嘉手納飛行場周辺の航空機騒昔の軽減を働きかけてきた。そして、県と沖縄県軍用地転用促進・基地問題協議会及び関係市町村により、1995年9月、嘉手納飛行場及び普天問飛行場周辺における航空機騒音の軽減措置について取りまとめ、日米両国の関係機関に要請した。
その結果、1996年3月28日の日米合同委員会において、嘉手納飛行場及び普天間飛行場における航空機騒音規制措置が合意された。また、同年12月の沖縄に関する特別行動委員会(SACO)の最終報告では、騒音軽減イニシアティブの実施として、海軍航空機の海軍駐機場から滑走路の反対側への移転、嘉千納飛行場の北側への遮音壁の建設が合意されるなど、航空機騒音の軽減措置について一定の前進が見られた。
その後、1998年2月26日の日米合同委員会において、長さ2.3キロ、高さ5メートルのコンクリート製遮音壁を日本側の負担で建設されることが合意された。1998年度中に完成の予定である。
しかしながら、県と関係市町村が共同で実施している嘉手納飛行場周辺の1996年度騷音測定結果によると、同飛行場周辺においては、18の測定地点のうちllの地点(61.1パーセント)て環境基準値を上回っており、依然として周辺住民の生活環境等への悪影響が憂慮される状況にある。(詳細は、航空機騒音の項を参照)
(ウ)航空機事故
嘉手納飛行場では、復帰前に死傷者を出し、校舎、住宅等に多大な損害を与える大型航空機の墜落事故が相次いで発生していたが、復帰後も同飛行場に所属する航空機の墜落事故が、同飛行場内及ぴ沖縄本島周辺において14件も発生している。
また、堅落事故以外にも、同飛行場の所属機や同飛行場に飛来している航空機等による物品等落下事故、着陸失敗、緊急着陸、空中援触等の事故が多発しており、住民を絶えず不安に陥れている。
幸い、住民を巻き込んだ惨事には至っていないものの、飛行場周辺及び飛行コース下の住民は、常に航空機事故の危険にさらされており、航空機の整備点倹、周辺住民の安全を最優先したパィロットの安全教育、住宅地域等市街地上空における飛行の中止及び飛行制限等徹底した安全対策が求められている。
県としては、これまで再三にわたり航空機関連事故等の末然防止と安全管理の徹底について、日米両国の関係機関に申し人れてきたところであるが、航空機事故は跡を絶たない状況が続いている。
(エ)PCB漏出事故
1992年1月31日、太平洋軍備撤廃運動という市民団体が、入手した米下院軍事委員会環境回復審議会の太平洋基地視察報告書(レイ報告書、91年4月作成)の内容を公表した。レイ報告書は、嘉手納基地内のl箇所がPCBに汚染されていたと指摘していた。
2月14日、嘉手納基地報道部は、この事実を認め、1987年以来、日本製474基、米国製1,647基の変圧器を試験し、PCBの除去作業をしていたこと、含まれていたPCBと汚染土壌は米国に搬送したこと、現在も変圧器2基と汚染上壌のPCB除去作業を実施していること、除去作業は1992年春いっぱいかかる見込みであること、経費は40万ドル使ったことを明らかにした。
2月27日、日米合同委員会は、在日米軍基地のPCB問題について環境分科委員会で協議することに合意、席上、米側は、嘉手納飛行場でのPCB漏出事故は地下水汚染をもたらしていないと説明した。
嘉手納飛行場でのPCB除去作業は6月24日に完了している。
なお、沖縄県が1991年までに実施した基地周辺の氷質分析ではPCBは検出されていない。また、1992年6月から11月までにかけて実施した基地従業員の特別健康診断の結果でも、全員異常はなかった。
(オ)油流出事故
嘉手納飛行場周辺では、復帰前に、周辺地域への油流出事故かたびたぴ発生していたが、復帰後も昭和50年代には油流出事故が続発して、周辺住民に不安を与えていた。そのため、嘉手納空軍は1985年に環境企画課を設置し、油水分離槽の設置に努めている。その結果、平成に入って、汚染事故は起きていない。
ク 返還後の跡地利用計画等
(ア)これまでに返還された土地は、ゴミ処理場、行政センター、道路用地等に利用されている。
(イ)沖縄市においては、現在のところ、同飛行場返還後の跡地利用計画の策定には至っていない。
(ウ)嘉手納町は、マリンタウンプロジェクト事業を推進するため、1990年に沖縄県軍用地転用促進・基地問題協議会を通して嘉手納マリーナ地区(175.4千平米、うち水域部分73.4千平米)の返還を要求してきた。
その後嘉手納町は、1997年、従来の基地行政のスタンスを「基地の整理縮小」から「基地の全面返還」へと方針転換、基地被害の町からの脱却と地域経済活性化の起爆剤となりえる地域として、従来の嘉手納マリーナ地区に加え、さらに屋良地域に至る約1、500千平米(1.5平方キロメートル)の即時返還をを要求している。
しかし、米軍は、嘉手納町の玄関とも言える嘉手納マリーナ地区(102千平米、うち水域部分37千平米)については、高層建物による航空機活動への支障、騒音被害の新たな拡大等の支障を挙げて、難色を示している。
(エ)北谷町においては、公共施設(ゲートボール場・駐車場)の整備改善と宅地の利用促進及び区域問の交通アクセスの利便性を増進するため、1986年に沖縄県軍用地転用促進・基地問題協議会を通して、嘉手納飛行場南端(24千平米)の返還を要望した。その後、1990年6月の日米合同委員会で、返還に向けて調整・手続きを進めることが確認され、1996年l月31日に返還が実現した。
出典:『沖縄の米軍基地』平成10年3月 沖縄県総務部知事公室 基地対策室
注: