嘉手納飛行場 沿革
1943年9月 | 旧日本陸軍航空本部が建設工事を開始 |
1944年9月 | 旧日本陸軍が中飛行場として使用開始 |
1945年4月 | 米軍の占領後、整備拡張 |
1945年6月 | 全長2,250mの滑走路が完成し、B29等大型爆撃機の主力基地として使用 |
1965年7月28日 | 台風避難のためB-52戦略爆撃機初飛来 |
1967年5月 | 全長3,250mの滑走路2本が完成 |
1968年2月5日 | B-52部隊が移駐 |
1970年10月6日 | B-52部隊が撤退 |
1972年5月15日 | 「嘉手納飛行場」、「キヤンプ・サンソネ」、「陸軍住宅地区」が統合され、「喜千納飛行場」として提供開始 |
1974年1月30日 | 第15回日米安全保障協議委貝会で一部(ロータリ沿いその他、114千平米)の返還を含意 |
1975年5月 | 在沖米国艦隊活動司令部とP-3C対潜哨戒機が那覇海軍航空施設から移駐 |
1976年8月 | 牧港住宅地区の空軍関係住宅200戸分の移設工事完了 |
1976年11月30日 | 土地の一部(嘉手納町屋良付近、106千平米)を返還 (第15回安保協合意の実施) |
1977年1月27日 | 飛行場関係施設と土地(600平米)、建物(22,500平米)、通信ケーブル囲障等を迫加提供 |
1977年3月10日 | 住宅施設、給排水施設として建物(27千平米)、工作物を迫加提供 |
1977年5月5日 | AV-8Aハリアー戦闘機が山口県岩国飛行場から移駐 |
1978年1月1日 | VOA宿舎跡地(55千平米)に宿舎、事務所としての建物(1,200平米)等を追加提供 |
1978年3月31日 | 電話交換所等として建物(14,400平米)、舖床、発電装置等の工作物を追加提供 |
1978年6月1日 | 機構の再編成により戦術戦闘中隊を主とした第18戦術戦闘群を新設 |
1978年10月19日 | 住宅(18,700平米)、給排水施設等の工作物を追加提供 |
1979年3月22日 | 住宅(140戸、建物面積23,200平米)、給排水施設等を迫加提供 |
1979年9月29日 | F-15イーグル戦闘機配備開始 |
1980年5月23日 | E-3A空中早期警戒管制機を配備 |
1981年3月26日 | 隊舎等(21,572平米)を迫加提供 |
1982年2月28日 | 土地(1千平米)を返還 |
1982年4月30日 | 牧港住宅地区からの移設施設として住宅(60千平米)等を追加提供 |
1982年5月14日 | 土地(210平米)を返還 |
1982年5月31日 | 土地(410平米)を返還。(防衛施設周辺整備協会用地) |
1982年8月10日 | 牧港住宅地区からの移設施設として住宅(35千平米)等を追加提供 |
1983年3月31日 | 一部(県道23号線用地、76千平米及び嘉手納町庁舎等用地、9千平米)を返還 。(それまで県や町が共同使用していた) |
1983年5月13日 | 一部(東シナ海側、31千平米)を陸軍貯油施設に統合し、那覇空軍・海軍補助施設の一部(3.7千平米)を嘉手納飛行場に統合 |
1984年1月10日 | 土地(嘉手納町水釜、1.3千平米)を返還 |
1984年3月21日 | 事務所として建物(100平米)を追加提供 |
1984年6月5日 | 土地(嘉手納町水釜、1.3千平米)を返還 |
1984年8月28日 | 航空郵便取扱所として土地(20千平米)と建物(930平米)を迫加提供 |
1984年10月5日 | 住宅等として建物(20千平米)と工作物を追加提供 |
1984年11月27日 | 消音施設として建物(3.5千平米)と工作物を追加提供 |
1985年2月8日 | 住宅等として建物(23千平米)と工作物を追加提供 |
1985年7月12日 | 住宅等として建物(30千平米)と工作物を追加提供 |
1985年9月30日 | 土地(30平米)を返還 |
1986年1月31日 | 土地(94千平米)を返還 |
1986年3月28日 | 航空機掩体として建物(5.5千平米)と工作物を迫加提供 |
1986年6月30日 | 土地(沖縄市側、県道23号線用地、25.1千平米)を返還 |
1986年7月11日 | 隊舎として建物(5.7千平米)と工作物、住宅等として建物(32千平米)と工作物を追加提供 |
1986年10月2日 | 住宅等として建物(27千平米)と工作物を迫加提供 |
1986年11月25日 | 変圧器処分場に保管されていた変圧器からPCBが漏出し、土壌を汚染した。変圧器は米国に返送され、汚染土壌の掘削は1992年に完了した |
1987年2月5日 | 管理棟として建物(3.3千平米)を迫加提供。また、航空自衛隊与座岳分屯基地施設の建物(約30平米)を地位協定第2条第4項(b)の適用ある施設及び区域として迫加提供(使用期間:必要の都度) |
1987年8月31日 | 一部(沖縄自動車道用地、237千千平米)を返還 |
1987年9月30日 | 一部(沖縄市側県道75号改修用地、4.1千平米)を返還 |
1987年10月 | 基地内大学への県民の就学を受入れ |
1987年12月11日 | 家族住宅として建物(4.2千平米)と工作物を追加提供 |
1988年2月5日 | 航空自衛隊那覇墓地の建物(60平米)を事務室として追加提供 |
1988年3月10日 | 家族住宅等として建物(3.7千平米)と工作物を迫加提供 |
1988年3月31日 | 一部(嘉手納町屋良、4.4千平米)を返還 |
1988年7月12日 | 消火施設として建物(約30平米)と工作物を迫加提供 |
1988年9月22日 | 航空自衛隊那覇基地施設の建物(約30平米)を管制施設等として、地位協定第2条第4項(b)の適用ある施設及び区域として迫加提供 |
1989年3月23日 | 家族住宅等として建物(18千平米)と工作物を迫加提供 |
19896月30日 | 一部(210平米)を返還 |
1989年8月18日 | 日米合同委員会は、那覇空港の滑走路の改修工事期間中、海上自衛隊及び航空自衛隊が航空機の離着陸場等として共同使用することに合意。また、倉庫等として建物(750平米)と工作物を追加提供 |
1989年8月18日 | 航空自衛隊与座岳分屯基地の使用期間を、「必要の郡度」から「航空自衛隊那覇基地の施設が使用できない場合、一時的に代替として使用する間、年約4回、1回あたり3日ないし15日」に変更 |
1989年9月30 | 建物(航空自衛隊那覇基地内、100平米)を返還 |
1989年10月26日 | 倉庫等として建物(870平米)と工作物を迫加提供 |
1990年1月21日 | 第9戦略偵察航空団第1分遺隊がSR-71戦略偵察機とともに米本国へ移駐 |
1990年6月19日 | 日米合同委員会において、一部の土地(施設南側の一部)について、返還に向けて所要の調整・手続きを進めることが確認された。(いわゆる23事案のひとつ) |
1990年2月6日 | 管理棟等として建物(1.3千平米)と工作物を迫加提供 |
1991年6月末 | フィリピンのクラーク基地から、第353特殊作戦航空団の兵員581名とC-130輸送機4機が一時的に移駐。 うち兵員85名とMC-53へリコブター4機は普天間飛行場に一時的に移駐。ピナツボ火山の噴火に伴う措置。同時期に軍事空輸航空団のC-141輸送機による嘉手納飛行場通過任務が増大した。 |
1991年9月12日 | 学校施設等として建物(8.2千平方米)と工作物を迫加提供 |
1991年10月1日 | 第313航空師団と第376戦略航空団が解団し、第313航空師団の下にあった第18戦術戦闘機航空団が改組されて第18航空団が創立 |
1992年9月30日 | 一部(消防庁舎用地、880平米)を返還 |
1992年12月15日 | 嘉手納基地再編統合により、F-15戦闘機18機の撤退が完了 |
1993年9月24日 | 在沖米空軍は、グァムから嘉手納飛行場に一時移駐していた第353特殊作戦群の常駐化を発表 |
1993年9月24日 | 格納庫等として建物(11千平米)と工作物を追加提供 |
1994年2月8日 | 隊舎等として建物(19千平米)と工作物を追加提供 |
1994年5月27日 | 倉庫として建物(1.3千平米)と工作物を迫加提供 |
1994年6月14日 | 嘉手納基地の第33空中救難中隊に、新型のHH-60型救難ヘリコプターが配備 |
1995年2月28日 | 建物(60平米)と工作物(門等)を返還 |
1995年3月28日 | 管理棟等として土地(1,330平米)、建物(2,500平米)と工作物を迫加提供 |
1995年3月31日 | 土地の一部(1,330平米)を返還 |
1995年7月4日 | 倉庫等として建物(5千平米)と工作物を追加提供 |
1995年9月30日 | 土地の一部(1,100平米)を返還 |
1995年10月1日 | 横田基地の滑走路補修工事に伴い、同基地所属のC-130輸送機などの航空機が、嘉手納飛行場に一時移駐 |
1996年1月31日 | 一部の土地(施設南側の一部:21千平米)を返還(当該返還部分は、1990年6月19日の日米合同委員会において、返還に向けて所要の調整・手続きを進めることが確認された、いわゆる23事案のうちの一つである) |
1996年3月12日 | 通信ケーブルとして工作物を迫加提供 |
1996年3月28日 | 日米合同委員会において、嘉手納飛行場における航空機騷音規制措置を合意 |
1996年6月21日 | インドネシアの航空ショーに向かう途中の米空軍のB1戦略爆撃機が、故障のため嘉手納飛行場に着陸(7月3日に飛び立つ) |
1996年7月2日 | 管理棟等として建物(6,600平米)と工作物を追加提供 |
1996年7月26日 | 倉庫等として建物(2,400平米)と工作物を迫加提供 |
1996年10月1日 | 横田基地の滑走路補修工事に伴い、同基地所属のC-130輸送機などの航空機が、嘉手納飛行場へ一時移駐 |
1996年12月2日 | 沖縄に関する特別行動委員会(SACO)の最終報告において、次のように合意された。「嘉手納飛行場における海軍航空機の運用及び支援施設を、海軍駐機場から主要滑走路の反対側に移転する。これらの措置の実施スケジュールは、普天間飛行場の返還に必要な嘉手納飛行場における迫加的な施設の整備の実施スケジュールを踏まえて決定される。嘉手納飛行場におけるMC-130航空機を1996年12月末までに海軍駐機場から主要滑走路の北西隅に移転する。1997年度末までを目途に、嘉手納飛行場の北側に新たな遮音壁を建設する。」 |
1996年12月16日 | 海軍駐機場に配置されていたMC-130特殊作戦機10機が、約2,500メートル離れた滑走路北西側に移動 |
1997年3月25日 | 隊舎等として建物(21,000平米)と工作物を追加提供 |
1997年6月17日 | 囲障等として工作物を追加提供 |