米軍用地強制使用裁決申請事件

同  明渡裁決申請事件

  意見書(三)


 [目次


第一〇 牧港補給地区

一 安保条約に違反する基地の役割

 牧港補給地区は、キャンプキンザーとも呼ばれているが、浦添市の西部、国道五八号線と東シナ海にはさまれた細長い平地を占有している(K・スライド29)。

 一九七八年からキャンプ瑞慶覧から海兵隊が移駐し、約二〇〇〇人が駐留している。基地の司令官は、第三軍役務支援群司令部及び役務大隊司令官である。海兵隊の補給、整備、医療などの中心部隊である。資材倉庫や施設工場、兵舎・家族住宅などの施設がある(K一号証・高文研「情報公開法でとらえた沖縄の米軍」梅林宏道著、二〇二頁〜二〇八頁)。

 この第三軍役務支援群という部隊は、海兵隊の戦闘員に分類されており、前線における戦闘支援を本来の任務としているといわれている。すでに指摘したように安保条約の枠を無視して活動しており、その駐留事態が違憲・違法な海兵隊のための部隊であるから、この牧港補給地区の部隊も、駐留の法的根拠はないと言わなければならない。したがって、本件裁決申請は、特措法一条の目的に反する強制使用であり、「適正且つ合理的」(特措法三条)とはいえない。

二 基地によるさまざまな障害

 牧港補給地区を米軍が使用していることにより、以下のように様々な障害が発生している。このような米軍の使用に供することは、「適正且つ合理的」(特措法三条)であるとは到底言い得ないのであって、裁決申請は却下されるべきである。

 1 都市機能の障害

  基地の広さは、二七五万平方メートルであり、市の面積が一八九二万平方メートルであるから、基地は市の面積の約七分の一を占める。人口の急増地域であり、七二年の復帰時で五万人の人口であつたが、現在は倍の一〇万人と急増し、那覇市、沖縄市に次ぐ第三位となっている。那覇への通勤住宅地域が基地により圧迫されている。

 また、基地は、浦添市の海側にあり、南は那覇市〜北が宜野湾である。国道五八号の西、反対側は浦添市の商業中心地区で商業など産業発展の障害となっている。基地の存在が国道五八号線の慢性的な渋滞の原因ともなっている。

 2 有害物質の危険性

  牧港補給地区では、基地内の修理工場等から廃油類が海に排出され、沿岸一体が著しく汚染され続けてきた。

 過去に一九七三年二月二〇日二は、錆洗浄用のクリーニングコンパウンド剤の原粉が風で飛散し、日本人従業員らに被害を与えた。一九七五年八月一二日にも、薬物が流出し、付近の海岸一帯を汚染する事故が発生した。この事故では、水質汚濁防止法の排出基準の二〇〇〇倍という高濃度の六価クロム(基準〇・五に対して一一二〇PPM)・鉛(基準一に対して二八二五PPM)、一〇〇〇倍のカドミウム(基準〇・一に対して一〇〇PPM)、同じく十数倍の水銀(基準〇・〇〇五に対して〇・〇八四PPM)、四倍の砒素(基準〇・五に対して二PPM)が検出された。このような有毒物質は基地内に充満しており、基地内で働く労働者も、喘息、皮膚のただれ、内臓疾患、肺結核などにおかされていた。このような有毒物質が海浜に流出し、近隣の漁民、住民に多大な被害を与えてきたのである。一九七五年一月一四日には、同地区の海岸で多量の死魚が浮くなどの事態も発生している(K二号証・同時代社「基地と環境破壊」福地曠昭著、九一頁〜九六頁)。

 また、基地内には、国防再利用売却事務所の沖縄事務所があり、すべの米軍財産の再利用や廃棄物の処理を管轄している。嘉手納基地で発生したPCB汚染でも有害廃棄物の回収窓口となっている。米軍は、核・生物・化学戦争(NBC戦争)に遭遇したときに備えており、これに対応する様々な危険物質を扱っていると考えられる(K一号証・高文研「情報公開法でとらえた沖縄の米軍」梅林宏道著、七七頁〜八三頁)。 現に、九七年一一月一三日、基地内で発生した火災事故では、人体に有害な塩素ガスを発生する次亜塩素酸カルシウムという化学物質が焼けたものである。静かな住宅街の近くで発生したこの火災のため、国道にモウモウとあがる煙とともに、ゴムが焼けたような臭いが一面に漂い、住民が緊急に避難した。しかも、米海兵隊は、当初有害物質が燃えたことを隠していたが、後に訂正された。酸素ボンベとガスマスクをつけた関係者が基地内で対応している写真がその火災事故の危険性を示している(K三号証の一ないし五・九七年一一月一四日一五日付同沖縄タイムス記事−K・スライド30、31)。

 このような危険な物質のある基地のために、浦添市の都市機能の発展がいっそう阻害されている。

 三 不法な占拠

 基地のある土地は、沖縄戦の後に上陸してきた米軍が占拠した。地主らは、収容所に入れられている間に、基地として囲い込まれていった。基地以外の土地を居住地を指定され、そこで生活するようになった。それでも、基地内に囲い込まれた畑も、一九四七年ころから一九五〇年ころまでは、農作物を作っていたが、その後、基地内で施設の建設が始まり、畑は、ブルドーザーで地ならしされて住民・地主は、そこからも追い出されたのである。その際、内間清子本人の陳述で明らかにされたように、先祖から守ってきた墓も、つぶされ、なくなってしまった(K四号証−K・スライド39)。

 本件各土地は、このようにして米軍により違法に占拠され、復帰後もその違法な占拠を続けている。本件で強制使用を許すことは、これらの違法を容認することとなるのであるから、認められるべきでない。

四 地籍不明地

 津波善英が所有の浦添市字城間嵩下一一一二の土地三六八平方メートル、同じく宮城県一所有の浦添市字城間嵩下一二六八の土地一、〇四七平方メートルは、地籍不明地である。これらの土地は、いずれも、特定できない土地であるから、強制使用の対象とできない。しかも、いずれの土地調書についても、それぞれの所有者は、署名を拒否している。施設局からは積極的にこれらを特定する立証がなされていないのであるから、なおさら強制使用されるべきでない。

 しかも、第一〇回公開審理で陳述したように、この津波善英所有の土地は、施設局の提出図面では、海岸からすぐ側になっている(K・スライド33の(12)の土地)けれども、海から一〇〇メートルから一五〇メートル離れていたのが、実際の所有地である。土地調書の図面は、間違った土地を示しているのである。このような土地についてすら、施設局は、地主の立ち入りを拒否し、自ら特定する手続きを拒否しているのである。

 このような土地について、施設局の申し立てる強制使用は、断じて許されるべきでない。

 五 遊休地など強制使用の必要性はない

 物件調書のうえでは、宮城健一の一〇筆の所有地のうちわずか二筆についてだけ給油施設及び水銀灯があるとし、それ以外の土地には、何ら地上に物件がない。また、津波善英の二筆の所有地のうち一筆に排水路があるというのであるが、前述の地籍不明地には、何も地上に物件が存在しないのであり、自分の土地が犬のの運動場に使用されているのではないかと思ったとしても、何ら不思議ではない。内間清子の所有地には、レーダー整備工場及び駐車場、水銀灯、マンホールがあるというけれども、実態は不明である。しかも、いずれもアメリカ合衆国軍隊が使用するという指摘が記載されているだけで、現実に何のために使用されているかは一切説明されていない。

 実際、例えば、宮城健一所有の浦添市港川崎原六七七、同七〇四の各土地(K・スライド33、34の(1)、(2)の土地)は、何ら地上に物件が存在しないばかりか、いずれも草地で使用されていない遊休地であることが明らかである(K・スライド35、36)。

 このように、アメリカ合衆国軍隊が、その機能を維持するために必要かどうかは全く明らかにされいない。その必要性すら明らかにされていない。

 実際地上に物件も存在せず、遊休地、せいぜい犬の運動に使われる程度に過ぎない土地にあっては、とうてい強制使用の理由とならない。また、地上の物件が存在しても、前述のような水銀灯やマンホールなどのために使用されるという程度の必要性のために、強制使用が認められてよいはずがない。

 すなわち、本件強制使用は、この点でも、「適正且つ合理的」とはとうてい言い難いのあって、却下されるべきである。

 六 浦添市民の願い、利用計画実現のために返還するのが合理的

 浦添市も、基地の返還を求めており、市としても、返還後の利用計画を具体的に策定している。

 市では、一九七九年(昭和五四年)度に「浦添市軍用地跡地利用計画書」を策定し、平成四年からの調査にもとづき、「牧港補給地区跡地理由基本計画」をつくっている(K五号証−K・スライド37)。アジア交流都市の形成に向けて公園、住宅地区、商業地区などを整備する計画である。

 九五年(平成七年)に実施した市の調査でも、多くが町づくりの障害となっていることを指摘し、基地の返還をのぞんでいる。九二年(平成四年)、三年前の調査よりその声が強まっている(K六号証・牧港補給地区跡地利用意識調査報告書)。

 基地の用地の九〇%以上が民有地であるが、その地主の半数四八、六%がまちづくりの障害となっていると答え(障害となっているがやむをえないと答えた二七、五%を含めると合計で七六%)、返還を望む声が七七、三%−八割近い(計画後に返還が四二、八%、早期返還が二八%、段階的返還が六、五%)。

 一般市民の間では、障害であるが六七、七%、障害があるがやむを得ないとする一七、一%を加えると約八五%となる。そして、早期返還が五二、八%、計画策定後返還が二六、六%、段階的返還が一五、七%、合計で九五%以上が返還をのぞんでいる。

 以上により、海兵隊の補給基地として、継続して使用すること自体、安保条約上も問題であり、その危険な存在、都市機能の障害など返還することが合理的である。

七 地主の意思を尊重するべきである

 第一〇回公開審理で陳述した津波善英、内間清子は、いずれも、牧港補給地区に存在する各所有地を米軍に提供することに強く反対し、その返還を求め続けている。

 例えば、津波善英は、沖縄戦のさなか、壕に住んでいて、おじいさんが目の前で米軍に撃たれたり、喜屋武岬あたりで実兄を戦死させたなどの体験をしている。大量殺人である戦争につながる目的のために、自分の土地を貸したくないという思いは、悲惨な沖縄戦の体験にもとづく自然の気持ちであって、何人もこれを踏みにじることはできない。 また、内間清子は、牧港補給基地資料統計局でキーパンチャーとして働いていたが、ものすごい労働強化のもとで職業病となった。米軍による様々な妨害をはねのけてたたかい労災の認定を得たが、米陸軍病院の受診を拒否したことを理由に不当に解雇された(K七号証・一九七三年八月三〇日付沖縄タイムス記事−K・スライド38)。

 しかし、不当解雇反対でたたかい、解雇を撤回させた。他方、前述のように米軍の不法占拠によって、墓地すらも奪われてしまった。このような米軍に土地を使わせたくないという内間清子の要求は人間として当然の要求である。

 すでに明らかにしたように、とうてい適正といえない、合理性のかけらもない本件強制使用のために、このような地主の気持ちが無視されてはならない。


出典:反戦地主弁護団、テキスト化は仲田。


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