TKOPEACENEWS
  3面 NO.9/00.8.1発行

********27,100人参加で大成功沖縄嘉手納米軍基地包囲**********

基地はいらない人間の鎖沖縄県民大行動 ー



1.沖縄の現状ついて
 沖縄の米軍基地は、国土面積のわずか0.6%に過ぎない狭い土地に、米軍専用施設面積の75%が集中しています。少女暴行など基地から派生する事件や事故は後を絶たず、航空機の墜落や爆音による被害は県民の生
活や児童・生徒に計り知れない悪影響を与えています。
 復帰前の憲法なしの27年間にわたる米軍統治下の過酷な時代を含め、今日まで54年間基地の重圧は変わりありません。

2.戦後、沖縄の米軍基地はどのように形成され、強制使用されてきたか。
 太平洋戦争において、1945年4月から8月にかけて、沖縄は「本土防衛の捨て石」とされ、悲惨な地上戦を体験しました。
 米軍は沖縄占領後、住民が収容所生活を余儀なくされている間に、地主の同意も得ず、当時の日本軍の基地を中心に基地を建設拡大していきました。 住民が自分の土地に戻ってきたときには、土地はすでに基地のフェンスで囲まれていたのです。
 嘉手納飛行場は、15の村落と3つの国民学校がありました。1950年に入り、沖縄の基地を重要視した米軍はさらに「銃剣とブルドーザー」により強権的に土地を強奪しその後「米軍用地特措法」などにより強制使用しているのが現状です。
3.今日の沖縄米軍基地について
 在日米軍兵力46,800人の62%にあたる29,000人も駐留しており、そのうち最も多いのが海兵隊の17,700人で在日海兵隊21,600人の82%の多さである。
 また、沖縄の米軍基地は、核戦争からテロ対処まで対応できる複合機能をもった太平洋最強の軍事基地で、出撃、兵站、通信、訓練、哨戒の5大機能を有しています。
 新ガイドライン関連法・周辺事態法により後方支援で民間の港、空港、公民館、体育館、医療機関などが強制的に使用されようとしています。

4.普天間基地の返還と新基地建設について
 日米特別行動委員会(SACO)の合意にもとずいて普天間基地の返還を決定したかのように沖縄県民に説明しているが、米軍は1960年代から基地機能強化のため“新たな飛行場の建設”をSACO合意以前計画していたことが米軍の文書で明らかになっています。米軍はヘリコプターに代わるオスプレイという新鋭機を配備するためにも、新たな基地としてキャンプシュワブ沖海上に建設することで県民の基地の整理・縮小の声を逆手にとっていること。なりよりも、基地の固定化、強化、近代化をねらっている。

5.サミットとの関連について
 安保の堅持、そのための基地確保は国政の重要課題とし「基地と共存・共生」を沖縄県民に押しつける。そのために沖縄にサミットを持ってきたとされています。クリントン大統領の「基地問題が未解決な状態で沖縄に行きたくない」(99.6.25)の発言で日本側に急速に圧力をかけ、政府は北部振興として毎年100億円10年間1000億円の予算を決定し、知事、市長に代替え地の受入れを強制したところです。

6.基地のない平和な沖縄をもとめて
 現在の沖縄では、行政、立法、司法などの権力機構から県民の人権よりも、日米安保の義務のため、米軍基地の確保、日米地位協定で米軍の利益を最優先していますが、95年県民投票、97年名護市民投票で基地の整理・縮小・撤去は民意となっています。
 7月10日の嘉手納基地包囲「人間の鎖」の行動について、現地新聞社の調査によれば60%以上の県民が「沖縄の平和の心を世界にアピールする」ことは非常にいい機会であると賛成しています。
 私たちとしてもこの「人間の鎖」行動を成功させるためにも、各団体、労働組合、センター個人会員の皆さんの積極的なご協力をお願いします。

7.27,100人参加で大成功
 嘉手納基地包囲・基地はいらない人間の鎖県民大行動については、95年10月少女暴行事件に抗議する県民集会、サミット直前7月15日米兵によるわいせつ事件を糾弾する緊急県民総決起大会などのように、全県民が一致して立ち上がるということができなかったこと。日米両政府は名護市に新基地建設をあきらかにし経済振興策で県民を分断していること。嘉手納包囲行動はサミットを妨害することになるなどから包囲行動の成功は当初は危ぶまれていました。
 しかしながら、「沖縄の平和の心を全世界にアピール」する絶好の機会であるとして、沖縄県民はこれまでの基地包囲行動を上回る結集力を発揮してアジア・太平洋の米戦略基地沖縄の15の村を飲みこんだアジア最大の基地周囲17キロを27,100人で完全に包囲し人間の鎖大行動は成功しました。
 東京から参加した組合員は国道58号線嘉手納基地4,000メートル滑走路誘導路近くに21労働組合61人が参加しました。三回の包囲行動中、嘉手納基地を返せ!米軍機沖縄から出ていけ!名護の米軍新基地建設反対!米兵の犯罪は許さないぞ!沖縄の米軍基地を撤去しろ!などのシュプレヒコールを繰り返しながら包囲行動に参加しました。

8.サミットについて
 日米安保の象徴である米軍基地が集中する沖縄で、日米の首脳会談が開催されたのにもかかわらず、基地問題については触れずじまいにおわってしまい沖縄の県民はガックリということになった。
 これまでのサミットを開催した国は7〜8億円の予算で済ませていたが、今回日本は約800億円の国民の税金を使いそれだけの金があれば重債務貧国の救済ができるとした批判が集中することになった。終わってしまえばサミットは沖縄県民に基地の過重な負担を21世紀まで強いる結果になり、米軍基地の固定化なったことは非常に残念である。
 しかしながら、全世界に27,100人でアジア最大の嘉手納基地を包囲することによって、今後の基地撤去の闘いと、名護市の新基地建設反対闘争に大きな弾みがつくことになると思います。
 沖縄をアジア・太平洋の軍事拠点の島から、文化が息づく平和拠点の島まで闘うとした沖縄県民とともに連帯して私たちも闘うことにしたいと考えます。


想像してごらん基地も戦争もない21世紀をー沖縄から世界へ、平和のメッセージ


 私たちは宣言する。戦争のための基地はいらない。
 私たちは今日、アジア・太平洋の米軍事拠点・嘉手納基地を25,000人の「人間の鎖」で包囲した。基地の島から、平和の島へ代えるために。
 沖縄戦から55年目の夏、そして戦争の世紀といわれた20世紀最後の年に、私たちは21世紀に向けて平和を発信する。
 沖縄を知っていますか。
 太平洋戦争では地上戦が行われ、20数万人の尊い命が奪われた。人が人でなくなる悲惨で汚辱にまみれた戦争だった。
 私たち県民がこの戦争で学んだことは、「戦争を起こすのも人間だが、戦争をなくすこともできるのもまた人間だ」ということ。
 しかし、戦後の平和の訪れもつかの間、沖縄は米軍事戦略上、太平洋の要石として、巨大な米軍基地を背負わされた。
 土地を奪われ、人権を奪われ、命をも奪われながら、米軍支配の中、そして祖国・日本復帰後もあわせて半世紀以上にわたりこの異常さは未だ終わらない。
 終わるどころか、日米両政府は「アジア・太平洋の平和と安定」のためと、この沖縄に新たな基地を建設するという。米海兵隊普天間基地の名護市への代替基地は、運用40年・耐用年数200年のとてつもない基地建設である。半世紀以上におよぶ沖縄県民の人権抑圧の上に、これ以上、私たち県民にどう耐えろというのだろうか。
 私たちは提唱する。サミットでは、軍事によらない人間のための安全保障の確立を議論すること。国と国、地域と地域、人と人が、対話による平和的外交解決の促進を。G8という世界のトップ・リーダーたちにはその責務がある。
 私たちは、県民の意志とそれに共鳴する世界の人々が結んだ「人間の鎖」を、軍隊などあらゆる暴力をもっても断ち切らせはしない。沖縄をアジア・太平洋の軍事拠点の島から、文化が息づく平和拠点の島にするまで。
 想像してごらん 基地も戦争もない21世紀を


 2000年7月20日
基地はいらない人間の鎖県民大行動実行委員会

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