常任理事会だより
― 1998年度 第5号 別紙資料 ―
発行日 1998年9月22日(火)
発行 所沢高校PTA常任理事会
県議会における当局の答弁内容に対する意見
ならびに話し合いの要望
埼玉県教育委員会委員長 藤井 均殿
埼玉県教育局教育長 桐川卓雄殿
1998年9月5日
埼玉県立所沢高等学校
PTA会長 君島和彦
去る7月末に行なわれた埼玉県議会での一般質問において所沢高校問題についての
質疑が行なわれましたが、ここでの貴職の答弁には黙過できない内容が含まれている
と判断しましたので、私どもの意見を表明するとともに、PTA代表との話し合いを
要望いたします。
なお、以下の文章は所沢高等学校PTA理事会において討議され確認されたもので
あります。
記
第1 答弁の要旨
1.桐川教育長による宮澤博、武笠勇、大石忠之、各議員の質問に対する答弁要旨
(1) 生徒に国旗や国歌に対する正しい認識を持たせ尊重する態度を育てることは、
日本人としての自覚を養い、国を愛する心を育て、将来国際社会で尊敬され信頼
される日本人を育てる上で重要である。そこで入学式や卒業式が学習指導要領に
基づいて適切に実施されるよう指導していく。
(2) 生徒会活動は学校教育の一環としての活動であり、教師の指導のもとに法令や
学習指導要領の範囲内で行なわれるべきものである。
(3) 学校運営の正常化を図るため、教職員の配置を検討するなど校長を全面的に支
援し、法令や学習指導要領に基づいた学校運営が出来るよう、校長を中心とした
体制の確立に努める。校長の権限強化については、今後ともあらゆる機会を通し
て徹底を図る。
(4) 教員が法令等に違反し、教育公務員としての信用を失わせるような行為があっ
たときは今後とも厳正に対処し、教員の服務規律や教育指導が適正に行なわれる
よう指導していく。
2.藤井教育委員会委員長による大石忠之議員の質問に対する答弁要旨
(1) 生徒はあくまで教育を受ける立場にあり、生徒が無制限に自らの主張を繰り返
すならば教育は成立しない。自由、自主、自立などの主張は法令や社会のルール
を守り、義務や責任を果たした上でなされるべきものであり、生徒にもこの点を
十分に自覚させるよう指導していく。
(2) (教員の総入れ替えをするような思い切った人事異動を断行すべきとの意見に
対し)提言を重く受け止め、教職員の人事異動を含め所沢高校の正常化のために
最大限の努力をする。
(以上の答弁要旨は、埼玉県議会のインターネット・ホームページを参照した。)
第2 意 見
1.学校教育・教育行政への干渉について
まず大前提として、県会議員が議会の場で特定の学校の管理運営や教育内容に対し
事実に反する乱暴な批判を行ない、かつ教育局や教育委員会に圧力をかけるというや
り方は、学校教育ならびに教育行政に対する干渉であると考えます。教育をめぐる問
題は、まずは学校自身の解決にまつことが基本であり、教職員人事や生徒会活動のあ
り方にまで踏み込んで、外部からその変更を指示するがごとき発言は混乱を拡大する
だけです。ところが、教育長ならびに教育委員長はこれを容認したばかりか、同調す
る答弁を繰り返しました。教育長に至っては、「今後とも、県議会及び県民の皆様の
御理解と御支援を賜わりますよう、よろしくお願いします。」(宮澤議員への答弁)
として、議会の応援を求める発言まで行なっております。
本来、教育行政当局はこのような不当な政治的干渉には毅然とした態度で臨むべき
であります。逆に、これにへつらい同調することは、教育に対する「不当な支配」を
否定した教育基本法第10条の精神に反し、県民に対する直接的責任を全うする行為
ではないと言わざるを得ません。
2.責任の所在はどこにあるか
教育長ならびに教育委員長は、所沢高校の現状を「正常化」する必要があるとの認
識にたっておられるようです。しかし、私どもが繰り返し指摘してきたように、所沢
高校の不正常な状況は昨年4月の内田校長赴任以来の横暴な学校運営に由来するもの
です。したがって内田校長個人の責任のみならず、内田校長を任命しその行動を全面
的に支援してきた当局の責任も免れないはずです。ところが、一連の答弁ではそうし
た自らの責任には一切触れず、問題を教職員や生徒会活動のあり方に転嫁し、引き続
き「校長を全面的に支援」する姿勢を強調しております。
このような一方的かつ一面的な現状認識をもって所沢高校の「正常化」を図ろうと
する姿勢では、生徒、保護者、教職員の納得を得ることはほとんど不可能であるばか
りか、事態をますます混乱させる恐れがあると言わざるを得ません。一方の当事者で
ある生徒、保護者、教職員の主張に耳を傾ける姿勢なしに、いかなる解決もあり得な
いことを認識するべきではないでしょうか。
3.日の丸・君が代の強制について
日の丸・君が代の問題については、依然として認識が混乱しているようです。所沢
高校生徒会が主張していることは、現状においてさまざまに意見が分かれている問題
を公教育の場において一律に強制することは憲法や子どもの権利条約、教育基本法等
で保障されている「思想信条の自由」に反するのでやめてほしいということであり、
日の丸・君が代の是非については生徒一人ひとりの判断に任せられるべきであるとの
立場で一貫しております。このような道理のある主張であるからこそ、従来の所沢高
校においてはこれを尊重する立場をとってきたのです。ところが答弁においては、学
習指導要領を根拠に強制を正当化しております。しかし学習指導要領は直接生徒を拘
束するものではなく、憲法や子どもの権利条約、教育基本法を超えた強制力を有する
ものでないことは言うまでもありません。また、強制によっては日の丸・君が代への
「敬愛の念」など生まれようはずもなく、かえって生徒の反感を強める結果を生むだ
けです。
私ども保護者の間でも、日の丸・君が代に対する意見はさまざまです。親は我が子
の教育に対する第一義的な権利と責任を有するものであり、教育内容や生徒指導のあ
り方について学校や行政当局に白紙委任をしているわけではありません。まして、こ
のような意見の分かれる問題について、一律的・強制的な指導を行なうことは、子ど
もの権利条約第14条に規定された「思想・良心・宗教の自由」ならびに親の教育権
をも侵害するものとして看過することはできません。
4.生徒会活動と所沢高校の民主的ルールについて
生徒会活動についても、現実を正しく見たうえでの判断とは思えない無理解があり
ます。「法令や社会のルール」を言うのであれば、所沢高校で長年にわたって築き上
げられてきたルールもまた一種の慣習法ともいうべき実体を備えているのであり、こ
れを一方的に破ったのは内田校長であったことを指摘せざるを得ません。生徒は生徒
会会則に則り、民主的な手続きと討論を尽くして決定を行なってきたのであり、「無
制限に自らの主張を繰り返」してきたのではありません。
所沢高校においては、生徒会の決定が職員会議の決定と食い違った場合は双方から
代表を選んで話し合いで解決を図るという「協議会」組織の規定が明文化され機能し
てきました。この間の生徒会の活動は、この「協議会」を開くまでもなく職員会議で
承認され、それにもとづいて行なわれてきたものです。このような生徒会の活動とそ
れを最大限に尊重する所沢高校の運営方式は、子どもの権利条約第12条に定められ
た子どもの「意見表明権」ならびに学校運営への「参加権」の精神に合致するもので
あり、全国的にも先進的なものといえるでしょう。また「個性を伸ばし生きる力をは
ぐくむ埼玉教育」(平成10年度埼玉県教育行政重点施策)のスローガンの具体化と
もいえます。そして何よりも、生徒自身がこのような活動を通じて自らの意見を確立
し、異なる意見を調整しながら一致点を見出していくという将来の主権者にふさわし
い成長をとげている事実が、所沢高校生徒会の健全さと確かさを証明しております。
しかるに、県当局の一連の答弁は、このような生徒会活動の実態や所沢高校の民主
的運営ルールに無理解であるばかりか、生徒を無法者のごとく中傷する偏見に同調す
るものであり、生徒の名誉を守る立場からも保護者として看過することはできません。
5.教職員人事と校長権限強化について
教職員の大幅な人事異動や校長権限の強化を示唆する答弁については、1で述べた
ことと相まって、学校教育への乱暴な政治的介入と言わざるを得ません。今日の学校
教育に求められていることは、何よりも生徒と教職員との間の信頼関係の確立であり、
教職員が一致して教育に当たることのできる保障としての民主的な運営体制であると
考えます。学習指導要領や県当局の方針を押し通すことだけを目的とした教職員人事
や校長権限強化は、所沢高校において培われてきた信頼関係と民主主義を破壊する恐
れがあります。このような強権的手段は、問題を解決するどころかさらなる混乱を引
き起こす危険性すらあり、教育行政としてはもっとも稚拙かつ乱暴なやり方であると
言わざるを得ません。
6.竹永教諭の処分は不当
答弁では竹永教諭に対する戒告処分を正当とし、今後も同様の方針で臨むとしてい
ますが、3月18日の入学説明会に参加した保護者としては、これが教育公務員の信
用失墜行為に当たるとは考えられず、極めて不当な処分であると判断せざるを得ませ
ん。竹永教諭は第1学年団を代表してこれまでの経過を説明しましたが、これは新入
生と保護者にとって、「入学を祝う会」実施を計画するに至った経過と理由を理解す
るうえで重要かつ必要な説明でした。他方で、内田校長の挨拶ではそうした経過には
一切触れることなく、単に「入学式を実施するので参加するように」「入学式におい
て入学を許可する」と一方的に述べたのみで、保護者の質問にもまともに答えようと
はせず、「いつまでこんなことを続けるのか」と発言するありさまでした。私ども保
護者からみれば、不誠実な校長の発言と態度こそ教育公務員としての信用失墜に当た
ると見なさざるを得ません。
校長の意見と異なる「主旨の発言」(処分事由説明書)をしたというきわめて曖昧
な根拠をもって教職員が処分されるようであれば、自由な明るい雰囲気の中で教育活
動を行なうことは不可能となります。異なる意見を力をもってねじふせるというやり
方は、学校教育の場に最もふさわしからぬ野蛮な方法であります。教職員を信頼し常
に討論を通じて問題を解決してきた生徒たちに対し、こうした事態をどのように説明
するつもりでしょうか。私どもPTAは、今回の処分を所沢高校の民主的運営システ
ムそのものに対する否定であると受け止め、5月30日の定期総会で「竹永先生に対
する不当処分撤回に向けての緊急決議」(別紙)を圧倒的多数で決議しました。こう
した保護者の意志を真摯に受け止め、公平な行政姿勢に立ち戻ることを強く要求する
ものです。
7.教育行政のあり方について
県当局の答弁に見られる立場は、今日あらゆる分野で進行しつつある地方分権化の
流れや、生徒の人権を核にした「個性ある学校づくり」という時代の要請に、明らか
に逆行するものです。
本年3月に発表された中央教育審議会の中間報告「今後の地方教育行政の在り方に
ついて」においては、「国の行なう指導等は、その相手方である地方公共団体の判断
を法律上拘束するものではないが、教育水準の維持向上を図ることや全国的に学校の
管理運営の適正を確保するとの観点からその運用が強めに行なわれてきたことから、
あたかも法的拘束力があるかのような受け止め方がなされてきた。」と従来の問題点
を指摘した上で、教育行政のあり方として「指揮監督による権力的な作用よりは、非
権力的な作用によって自主的・主体的活動を促進する必要がある。」と強調し、「関
係者の意識を変革する」必要性と、文部省の指導等を定めた地教行法第48条の見直
し、さらには学習指導要領制定の根拠となっている学校教育法第106条の見直しを
提言しています。また「学校の自主的な取り組みを支援する観点からの教育委員会の
機能の見直し」や「学校が保護者や地域住民の意向を把握、反映するための仕組み」
づくりの提言も行なっています。
今求められていることは、教育本来のあり方に立ち戻って、県としての自主的な判
断に立ち、各学校の個性的な教育活動を励ます姿勢であると考えます。学習指導要領
を金科玉条のごとく見なして、各学校の判断や保護者の意向を無視し「指揮監督によ
る権力的な作用」を行使することではないはずです。こうした観点から見たとき、県
当局の一連の答弁は県民感情(直接的には保護者の意志)への配慮や、県としての自
主的判断を欠如させたものであり、旧態依然たる上意下達の発想を抜け出ていないも
のと言わざるを得ません。
もとより私どもは、埼玉県教育委員会が1989年度以来、いじめや体罰等の深刻
な状況を打開すべく、「人権を尊重し信頼関係に立つ教育の推進運動」を展開しつつ
あることを承知しております。しかし、ここで謳われている「生徒の人権」「信頼関
係の確立」「生徒の個性」等々の原則と、今回の所沢高校問題における対応は、あま
りにも矛盾しているのではないでしょうか。県全体の教育行政を担当するものとして
の一貫性ある対応を望んでやみません。
第3 話し合いの要望
昨年来、私どもは貴職に対し数度にわたって自らの見解を示し、誠意ある対応を求
めてきましたが、そのつど失望を味わってきました。今やPTA会員中において、当
局の責任ある説明を求める声が高まっております。そこであらためて、上記の諸点に
つき、私どもPTAの代表と県教育局教育長ならびに県教育委員会委員長との話し合
いを要望する次第です。所沢高校において県民の意志を代表する存在であるPTAと
の話し合いは、県の教育行政をあずかるものとしての義務であると信じます。
なお、話し合いの日時、場所、その他については別にご相談したいと思います。
以上。
(Web管理者記)--------------------------------------------------------
尚、提出文書には「(別紙)」として、1998年5月30日(土)所沢高校
PTA総会で決議された「竹永先生に対する不当処分撤回に向けての緊急決議」
が添付されています。
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