Aug.1999


31(di)
なんだか午前中トロトロしていた。午後、紅茶をポットごと温めるウォーマーのろうそく(thee licht=tea light)が切れたので、IKEAへ買いに行った。IKEAは久し振りだったので、ついゆっくり見てしまった。カーテンの生地売り場でハギレを物色したら、テーブルクロスに使えそうなのがあったので買ってきた。

夜、遅いはずの夫がいつもより早く帰宅。さては反省して早く帰るようにしたか、と思っていたら、さにあらず。「風邪引いたみたい。風邪薬あるぅ?」フラフラしている。フン、私を邪険にし、無視し、ほっといたバチが当たったのよ。「オイオイ、そこまで言うかぁ、ふつう」

とりあえずカミーレに熱湯を注ぎ、鼻と喉に吸入させる。カミーレ茶を服用させ、風邪を引いた時のオランダの民間療法を試す。

体温計を腋の下に入れて計るも熱はない。夜中にドバァと上がるのよ。と嫌がらせを言う。「オイオイ、そこまで言うかぁ、ふつう」

明日から1週間出張が入っている。風邪でも行くつもりのようだ。管理職はつらいね。20代のころ、38度の発熱でも出勤し、仕事の段取りをつけて定時で帰宅したことがあったっけ。まだ気合は入ってるんだ。でも歳を考えにゃぁ。会社人間にそんなこと言っても無理か。


30(ma)
朝、起きられない。つらいが、きょうはゴミ集収日だ。ゴミを出さねば。よろよろとゴミを集め、コンテナに放り込み、ゴロゴロとゴミ置き場まで引っ張っていく。夫のヤツめ、家事分担せんかい!病身の妻にゴミ出させおって。ッタク、こんなことは男の仕事だぜ、オランダじゃ。おっとっとそれじゃあジェンダーフリーに反するわい。しかし、近所のオランダ人は男性が出しているので、東洋の女は奴隷状態じゃのぅ、と思われやしないか、心配。

メールチェックした。返事を書いていたら結構時間が経ってしまった。

いつものように夫が夜遅く帰ってきた。テーブルの上の夕食を見て、「きょうは何も作ってくれないと覚悟していた」だと。一応働いている人間に対する仁義だけはきるわい。「ごめんね昨日は。」 フン。忘れないわよ。アンタの昨日言ったことは。「なんかしゃべって。」 今後必要以上のことはしゃべらないことにした、と宣言したら、ヘラヘラ笑った。ナ、ナンダ、その態度。懲りないヤツを懲らしめるのにはどうしたらいいのか作戦を練ろう。


29(zo)
なんだか気分が悪い上に夫婦喧嘩してしまった。私はきれた。暴走してしまった。ふてねした。身体中の節々が痛い。


28(za)
昨日は夕方気分が良くなったので、思い切って自転車で近くの小さな湖とアムステル川に沿って1時間ほどサイクリングしてきた。
だが、きょうもまだ調子が悪く、寝たり起きたり状態。洗濯しながら合間に寝に行くのだ。朝はおかゆ。遅目の昼は夫がスパゲッティを茹でて、ガーリックと唐辛子で香り付けをしたオリーブオイルをかけて、アリオリオペペロンチーノを作ってくれたが、いつものようには食べられない。食べる量も減った。いったいどうなっているんだろう私の身体。単なる疲れ?食べ過ぎ?


27(vr)
もう金曜日になってしまった。昨日は一日中寝込んでいた。
水曜日の夜から調子がおかしくなり、早めに寝た。夜中、吐き気に襲われ眠れない。昨日あさ、朝食の支度をしたら、身体がだるくベッドに戻った。再び激しい吐き気。トイレに駆け込んだ。こんなにひどく吐いたのは最近ない。で、何も食べられず寝込む羽目に。
今朝も10時まで寝ていた。メールをチェックしたら長女が半休取って在宅のよう。30分前のメールなのでまだ家にいるだろうと電話した。久しぶりにおしゃべりした。少し気分がよくなってきたので、ホームページの更新もすることにした。

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25日にハーレムへ行って来た。Corrie Ten Boom Houseを見るためである。大戦中、ユダヤ人を匿った場所としてはアムステルダムのアンネフランクハウスがつとに有名であるが、このハーレムの隠れ家はひっそりと建っているが、敬虔なクリスチャンファミリーが、家族ぐるみ、レジスタンス運動に関わり、ユダヤ人を匿い、自分達の命を落としてしまった。アンネの家の物語との違いは関係者が死ぬという点にある。アンネの方は逮捕されても協力者の命はあり、収容所送りにはならなかった。テンボームの方はユダヤ人より、ファミリーが捕まって、収容所送りになった。最後まで神を信じる強い信仰が今日なお人々を引き付けている。私の行った時はアメリカ人の参観者が多かった。映画の影響であろうか、あるいはコリーの伝道の成果か、この話は知っていると言っていた。夜、買ってきたビデオ映画「The Hiding Place」(1975)を見て泣いた。


23(ma)
本日一日中洗濯をしておったぞ。シーツ、枕カバー、布団カバー、タオル類、息子が脱ぎ捨てて行った衣類、たまった我が家の通常の洗濯物。干すところを考えずにどんどん洗濯機に入れていたので、干す場所にハタッと困ってしまった。こうなったら早く乾かさねばならない。太陽の移動と共に物干しを移動させていた。シーツなどを大量に洗濯するのは、夏の終わり、夫婦二人の生活に戻る前の年中行事である。すなわち来客が帰り、帰省していた子どもが自分の場に戻るのだ。洗濯しながら本を2冊読んでしまった。

キョウコ・モリ著「シズコズ ドーター」と小川洋子著「アンネ・フランクの記憶」。前者は日本人が英語で書いた小説の翻訳本。後者はアンネの足跡をたどる多分に感傷的な本。

「シズコズ ドーター」で印象に残ったのは父親の存在の希薄と継母の性格の悪さ。妻が夫の愛人の存在に悩んで自殺したのに、1年で愛人と結婚してしまう薄情さ。父親と継母の娘に対する関心のなさ。小説としての完成度はあまり高くないと思った。
「アンネ・フランクの記憶」の方は、旅行記プラスアンネの周辺の人々へのインタビュー。アンネの心の軌跡を実際にたどってよくまとめている。しかし出版社の手配のせいか、飛行機でぽんぽんと飛び、タクシーで走り、なんだか大名旅行みたいだな。

きょうは洗濯で始まり、洗濯で終わった。


22(zo)
午後、息子がアメリカの大学へ戻るため空港へ送って行く。フライトラッシュか、チェックインの列が長〜い。でもカウンターが全開しているし、ファミリーやグループの旅行者が多いので、列がどんどん進み20分ほどで番が来た。寂しがる私に、今度はサンクスギビングに帰ってくるよ、と言う息子。子どもはどんどん離れて大きくなる。大人はちっとも成長しない。嘆き。


21(za)
夫の会社がスポンサーをしているコンサートのチケットが手に入った。2枚1組でもらうので、3人で出掛けるには1枚足りない。で、昼前にコンセルトヘボウまで車を走らせ買いに行った。ラストワンのチケットだった。30ギルダー。安い!。サマーコンサートだから安いのだ。同じメンバー、プログラムでもシーズンなら70〜80ギルダーはする。夜8:15に始まるので、また来ることになる。

そのままゴルフの打ちっ放し練習に行く夫と息子に付き合った。ゴルフショップで、ウッドのいいのがあって、夫が欲しそうにしていた。 番号違いのが749ギルダーで、ちょっと使った跡があるようだ。彼が欲しいのは1099ギルダーのほう。新品でビニールがかぶせてある。情けないことに、「店員に値下げを交渉して、して」と言う。しゃあない。店員に、 749ギルダーのと同じ製品だから同じ値段でしょ?と言ってみた。店員はじっとクラブを見て、同じ値段だ、と言った。グゥッ!めでたく749ギルダー で買ったのだった。夫はよう交渉せんのだと。何言ってんだか。 オバタリアンパワーを見習え! ゴルフ場のテラスで遅いランチを食べ(ウッドが安く買えたので気が大きくなったのか?)、買ったウッドの試し打ちにまた練習場にもどり、ご機嫌なうちに帰ってきた。

帰宅後、夫はなんと昼寝、息子はゲームボーイ。私はおでんとサラダをせっせと作っていたのだ。

おでんは大根を圧力鍋で手早く柔らかくし(時間がない時圧力鍋は威力を発揮する)、ゆで卵、こんにゃく、はんぺん各種、昆布。サラダはルッコラ、サラダ菜、レタス、ポモドロトマトをオリーブオイルとバルサミコ(酢の一種であまり酢っぱくない)で食べる。ダイエットっぽい食事。食卓にウォーマーを置いて、その上におでん鍋を置く。熱々のをフーフー言いながら食べると幸せな気分になるので私は好きだ。

夜はコンサート。メインはマーラーのシンフォニー4番、ソプラノソロ付き。入り口で配られた歌詞を見ながら聴く。ドイツ語なので、息子は楽に聴けたに違いない。私は眠くてしかたなかった。身体が疲れていたに違いない。そう夫にいうと「オレは全然眠くなかったぞ」と言う。フン、しっかり昼寝して、その間、人にメシ作らせて、それを食べて、コンサートに行けば、眠くなんかないでしょ?ッタク!


20(vr)
朝から夏のキューケンホフ公園に出掛けた。http://www,keukenhof.nl
今年はキューケンホフ開業50周年だそうだ。毎年3月中旬から5月中旬まで開園するが、今年から50周年記念行事として夏も開園することになった。

春はチューリップを中心に、アマリリス、アイリス(水仙)、クロッカス、バラ、カーネーション、ゆりなどが堪能できる。夏はダリア、グラジオラス、菊、ひまわり、ベゴニア、蘭などを楽しむことが出来る。

あいにくきょうは天気がよくなくて雨が降ったり止んだりで、客も少なかったので駐車場からさほど歩かずにすんだ。残念ながらグラジオラスはまだ開花していなかった。あと2週間したら満開であろう。

夕方、帰国するN子さんを空港まで送った。

なんだか猛烈に眠くて、夕食前に一眠りをしたら8時半までぐっすり。グータラ妻はあわてたぞ。しかし夫の帰宅は10時半!もっと早く帰ってこい!


19(do)
オルガニストのN子さんをピックアップに行った。彼女の帰国のための買い物に出掛けた。

夕食時、皆既日食のことで話がわいた。この2分間を見るためだけに飛行機に乗って出掛けたなんて、相当なミーハーであり、超贅沢である、と夫に散々言われてしまった。まぁ、オランダに住んでいる夫婦が、フランスのランスとドイツのミュンヘンでそれぞれ皆既日食を見たなんて、あまり多い例ではないだろうな。宇宙に子どものころから興味を持っている息子は、そのころ企業研修で日本にいたので見ることができず、とても口惜しそうであった。次はアフリカで見ることが出来るそうよ。


18(wo)
パソコンが壊れた!強制終了によくなるので、メモリーを増設したいと思い、ハードディスクの裏からコードを引き抜き、カバーを取り外したところまではよかったけど、息子が、これは2〜3時間かかる、と言って諦めてカバーを取り付けてしまった。それから調子がおかしい。


17(di)
クローラーミューラーミュージアムへ行ってきた。うちから約100kmの距離。国立公園内にあり、公園入り口で入園料・入館料を払い、車を乗り入れる。入り口の外の駐車場に車を止めて入場すれば車両入園料(NLG 8.50)が不要。そこから2,4kmのミュージアムまで自転車で移動するのも気持ちがよいが、あいにく雨が降っていたので自転車はやめた。ゴッホの『馬鈴薯を食べる人』はアムステルダムにもあるのと同じ物。自画像やひまわりもあって、多作の人だったことがわかる。他にスーラー、モンドリアン、ピカソ、ピサロなどのコレクションが充実しているが、館外の彫刻、塑像も多い。

しかし、日本の17、18世紀の彫刻として、子ども像の地蔵(墓?)がたくさん置いてあった。「施主」だの「釈xx童子」だのの文字が読める。いったい、こうしたものはどういったルートでここまで運ばれてきたものなのだろうか?とても不思議だ。建立した人の心を考えると悲しくなる。クローラー氏は知っていたのだろうか?異国情緒があるから買ってきたのだろうか?売ったのはどんな人物だったのだろうか?ずっと気になって仕方がない。


16(ma)
昼頃、息子とゴッホ美術館に行った。夏休みのせいか混んでいる。特にゴッホの常設展はオーディオツアーを利用する人で行列である。これは絵の番号をポータブルディスクに打ち込み、絵を見ながらイヤーホーンで解説を聞くという便利なもの。その解説を聞くと結構時間がかかるので列が渋滞してしまうのであろう。地元民としては渋滞を避けて、空いているところに逃げるのが賢明。それでも2時間で疲れてしまった。

夕方、息子のランニングに自転車で付き合った。3kmくらい走ったであろうか。息子はヒザを痛めているのでゆっくりと走ったようだ。ところで私の自転車は折り畳み式なので車輪が小さい。車輪のでっかい自転車に乗ったオランダ人にスイスイといとも簡単に追い越されて行くと、なんだか疲労感が倍増する。それでも必死にペダルをこぐのであるが、オランダ人が一こぎするのに私は3〜4回こぐのである。大きい車輪の自転車が欲しい、と夫に言ったら、今の自転車はダイエットにいいのではないか?と私の弱点を突いてくる。思わず出っ張ってきた腹部を見ると、たしかにそのとおりだ。納得してしまった。でもまたオランダ人のスイスーイとスピードを出して走って行く自転車を見ると、欲しくなるのである。


15(Zo)
きょうは息子が日本から帰ってくる。米国企業の日本法人でケミカルエンジニアリングのインターンプログラムで2ヶ月研修をしてきたのだ。条件はウィークリーマンションを2ヶ月提供、研究所と宿舎との往復の交通確保、1日8500円の手当て。まあまあの条件だったが、米国(息子の大学の所在地)と日本の飛行機代を引いたとしたら残らない。

ゴルフに出掛けた夫が帰りにスキポール空港へ行き、息子をピックアップしてくるという。なんのことはない。息子は父親の仕事の運び屋をやらされたのだ。部品を日本から運んできて、空港で父親と一緒に待ち構えている社員に渡し、社員はそれをもってどこかに飛ぶらしい。息子に日当を出せ、と言った。無視された。

きょうはオランダの公共の建物に国旗が掲げられる日(掲げるかどうかは責任者の自由裁量)。理由?日本が8月15日に戦争に負けて、蘭領インドネシアのオランダ人が解放されたから。今年、法案が通った。被害者はいつまでも覚えていることを加害者は心しなければならない。口先だけの謝罪は世界では通用しない。相当の痛みを伴う謝罪でなければならない。

私の住んでいる町の市役所、図書館には掲げられてなかった。日本人がオランダの中でもっとも多く住んでいる隣町の市役所、議会にも掲げられてなかった。他の町はどうだったのだろうか?


14(za)
ウッ!またやってしまった!サイトのトップページを消してしまった。それと言うのも 「日々想うこと」が昨日の転送後にトップページになってしまっていたことで、サイトを作り直す羽目になったからだ。原因はさっぱりわからない。転送時のミスか、上書き保存をうっかりクリックしてしまったのか?ともかくわからない。頭を抱える事態!そんなこんなでまた初歩的ミスで夜更かし!もうかんべんしてよ。

きょうは昼頃から夕方に掛けて夫と久しぶりに(何年かぶりに)アムステルダムの町を歩いた。車を途中で乗り捨て、トラムで都心まで出た。ピッツァリアで遅目のランチをし、デパートをうろつき、夫は時計のバンドを買い換え、私はクリスマスショップをのぞき、花市場をそぞろ歩き、明治屋で買い物をして帰ってきた。いつも嫌がる夫がなぜ素直にでかけたのか?帰宅後、程なく、明日朝からゴルフに出掛けるだと。それじゃあ、私に対するゴマスリか。それでなくとも私は Business trip widow なのだ。何たること!


13(vr)
パリの話の続き;
食糧事情はラーメンと寿司のパリでした。それではあまりにも文化的でなく、パリに失礼なので、かねてより行きたいと思っていたカタコンベへ昨日行ってきました。(Metro or RER:Denfert Rochereau)

しかし、前日の皆既日食、夏休み、見学時間の制約で、行列がすごい。1時間待ってやっと入れた。そして、螺旋階段をどんどん下りて行き、せまい通路を歩いた。そこまではよかった。ガイドなしなので、前後に誰もいなくてひとり で歩くには勇気がいる。後半は、骸骨の遺跡の壁のオンパレード。ローマでもカタコンベを見たけど、こんなに不気味ではなかった。パリのは年代で骨がかためておいてある。しかも下30cmほどの高さが足の骨、その上に頭蓋骨 がずらーり。そして足、頭蓋骨と交互に並べ、壁のようになっていた。くねくねとシャレコウベの壁を歩いた。奇妙な体験だった。


12(do)
皆既日食を見にフランスへ行ってきました。先ほど帰ってきました。

パリ行きの航空券が last minutes で安かったので、空席だらけの飛行機に乗ってパリまで行き、翌日、2分間見られる地帯の Reims まで電車で2時間かけて移動しました。 この電車の込み具合がすごくて、早朝にもかかわらず すごい人出! 連結車両を増やしても焼け石に水状態。 駅員の制止なんてどこ吹く風で、電車に向かって人々は走 る、走る。 立ちんぼでもいい、とにかく乗れさえすれば。 コンパートメントの通路にも人が鈴なりで(私もそのひとり )。 それを取材するためカメラマンが駅で待ち構えているという騒ぎ。

空の雲の流れがとても気になるところでしたが、部分日食のころから 雲が切れたり、おおったり、状況がくるくる変 り、気がきではありません。 町中の人々が観察用のサングラスを手にしています。 私は感光したフィルムを持って いただけでしたので、それを見た人が サングラスをくれました。フランスでは目の保護のために3500万個 を作 り、1500万個は子どもに無料で配られたそうです。私はそれを タダでもらってしまいました。

雲の晴れ間ができると人々は拍手し、雲で覆われると「オー」という どよめきが地響きのようにして、町中雲のいた ずらにふりまわされていました。 皆既日食の時に見られるコロナはちょうど雲がうすーくなったところで見ることが出来ました。薄暗闇になり、神秘的でした。ラッキーでした。 郵便局で記念切手を買いました。パリでは見かけなかったので売り切れ たのかも。 帰りは余韻もそこそこに駅に向かいました。でも私の考えることは人も考えるわけで、またもやラッシュ。でも今度はちゃんとシートをしっかり と確保したのでした。(寝不足解消のため)


10(di)
自宅からバスを乗り継いで空港へ。午後の便でパリへ。電車と地下鉄でホテルへ。夜はオペラ界隈へでかけ、来々軒で海老かた焼きそばを食べた。うまい。翌日の電車の時刻を調べ切符を購入するため、東駅に行った。8時の電車にした。Reims と言うところに行くのである。皆既日食が2分間続くところである。ホテルに戻ったのは12時頃 だった。


9(ma)
うふふ、パリ行きの航空券が149ギルダーだったので買った。 KLMのホームページの click & go できょう出たのです。ラッキー! あした、16:55(KL1239)で行くのだ。 もちろん目的は皆既日食を見に行く。 航空券は格安なので当然制約はあり、最低現地2泊しなければいけない。 パリからは電車で100%の場所に移動予定。しかし、すごい人出 だろ うなぁ。イギリスのコーンウォール地方(ポーツマスあたり)の高速道路 の写真がきょうのオランダの新聞に出 ていた。日本の帰省ラッシュ並みなのです。もう eclipse rash が始まっているんだ。

当日(11日)はパリからどこへ移動するかだ。100%見えなきゃお金掛けて行くことないもんな。

パリのホテルの予約もせねば。電話でパリ東駅のHotel Ibis に聞くとすでに満杯。しからば、とナシオンに電話する と空いていたので予約した。398フラン。Hotel Ibis は二人で泊まると安上がりなんだけどな。


8(zo)
木曜日からきょうまで、来客だった。よく食べ、よく飲み、よくしゃべった日々であった。


4(wo)
そろそろ気温も低下するかな、と思っていたら、とんでもなかった。暑い! 夫も娘達も口を揃えて、オランダの暑さ は日本と比べればたいしたことねぇ、と言って私の軟弱ぶりをなじる。トホホ。「海外生活断章」の96年分がやっと入 力し終わった。アメリカ編までは手が付けられないので、外注した。これって、アウトソーシングっていうのかしら? ま、「外注」なんてカッコいいこと言ったが、要するに次女が見るに見かねて(今年の初めからもたついているので )、日本でフロッピーに入れてくれるそうだ。昨日、アメリカのを探し出して郵送した。やれやれ。


3(di)
ドイツのO牧師から電話あり。木曜日からオランダに行くから泊めてくれ、とのこと。今年は来客も少ないし、いつでもどうぞ、と言っておいた。今年たしか80歳のはず。ものすごい勉強家である。インターネットに早く接続しなさい、とけしかけている。

夫が日本出張からもどってきた。頼んでおいた録画ビデオを見た。J.F.K.Jr.の特集。日本語がやっぱり楽。でも番組の突っ込みが足りない。アメリカの生中継を見ちゃうと、日本のTVの力量不足を痛切に感じる。


2(ma)
朝、デンマークのアカデミー出席のため出掛けるオルガニストN子さんを空港まで送っていく。 最近のアカデミー出席者に「変な若い日本人」が増えてきたそうだ。一応オルガンは弾けるが、どんな奏法を教える アカデミーか、特長も知らず、したがって、オーガナイズしているオルガニストの顔も知らないのがやってくるそうだ。 講師のオルガン演奏中に私語する、音に鈍感な音大出身者。ドイツの田舎町で道を探していたら、車に乗ったイタ リア人中年男性に声を掛けられ、誘われて車に乗って海までドライブし、レストランで食事をおごってもらい(男は食 べず)、帰りの車の中でキスされそうになって、ナインダンケと言ってキスさせなかった、と威張る23歳勘違い女。だから日本人の女は軽いといわれるんだよ、まったく。 オルガンに人生を掛けているN子さんの苦悩は続く。


1(zo)
8月だ!夏だ!(~Q〜;)オランダには珍しいくらいの暑さである。例年8月は秋っぽくなってくるのであるが、まぎれも なく夏なのである。 ボス公園(アムステルダム森林公園)は日曜日のせいもあるが、ピクニックの家族が繰り出していた。テントを張って一日すごす家族や、数家族でバーベキューパーティーを開いているグループや、いすを持ってきて本を読んでい る夫婦や、戸外を楽しむ人々でいっぱいである。 今日はホテルオークラのレストラン山里で食事した。次は何が出てくるか楽しみなメニューであった。大満足。リフレ ッシュに上質の外食は有効だ。

7月分を引っ込めてリンクさせ、8月分をトップに持ってきた。成功。これくらいは出来るようになった。うれしい。やがて私は鼻歌交じりでスイスイ、クリック、クリックしてホームページを構築していくであろう。(と宣言しておこう)その前 に書く内容を伴わねばならないから、問題はそちらのほうであるが。


07/1999, 09/1999,


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