●人権を真に理解するには想像と共感する力が必要です。戦火に苦しむ人々の届かぬ声をどうか心で聴き、感じとってください。 ●小児病院、保健所の心理相談員として子どもの心の問題と向き合い、子どもの権利に関わる市民活動を行ってきました。 ●「最悪なものは戦争」であり、戦争の反省から「子どもの権利条約」が条文化されました。 ●何よりもアフガンの子どもたちの惨状に心を痛め非力を痛感するのみで、大人としての責務を果たせない矛盾を抱えて日本の子どもたちに人権教育をしなければならないのは大変辛いことです。 ●人権を問う違憲訴訟として初めて「子どもの権利条約の援用」を求めます。 |
「テロ特措法・海外派兵は違憲」 市民訴訟 第二回口頭弁論 原告 斎藤 紀代美 さんの意見陳述 |
12月25日 さいたま地裁第4民事部法廷 |
2002年12月25日、さいたま地裁で、テロ特措法・海外派兵違憲訴訟の第二回口頭弁論が開かれました。
第一回の原告団長 尾形 憲さん、橘 紀子さんに引き続き、第二回口頭弁論で原告陳述を行った斎藤紀代美さんの意見陳述を紹介いたします。
第二回口頭弁論では、まだ2回目の法廷で、実質の審理など行われていないにもかかわらず、裁判長が3月結審をほのめかすなど、国・政府と一体となった官僚的・強権的な態度を見せています。
是非一人でも多くの人が原告になってください。この裁判の意義をより広く訴え運動を強化することにより、憲法の番人としての裁判所に、責任ある判断を要求していきましょう。
テロ特措法・海外派兵は違憲 市民訴訟の会 | ●この裁判についてもっと知りたい方はここをクリック。 ●原告になりたい方はこちらをクリック。 ●裁判を支援したい方はここをクリック。 |
原告 斎藤 紀代美 さんの意見陳述 |
人権を真に理解するには想像と共感する力が必要です。戦火に苦しむ人々の届かぬ声をどうか心で聴き、感じとってください。想像と共感できない者が戦争を引き起こすとも言えましょう。
私は小児病院、保健所の心理相談員として長年、子どもの心の問題と向き合い、また子どもの権利に関わる市民活動を行ってまいりました。その仲間たちも今回の原告として10数名加わっています。最も弱者である子どもの権利保障が全ての人の権利保障につながるとの観点から、日本が加担したアフガン戦争がいかに非人道的で生命と発達の権利を奪い「子どもの権利条約」にも反していたかを、また訴状に充分書き込めなかった事項についても訴えたいと思います。
はじめに、アフガンの子どもたちの惨状について
長期にわたる紛争と干ばつの上に、さらに降りそそぐ米英軍によるハイテクを駆使した無差別攻撃。例えば大量の殺傷能力を持つクライスター爆弾、1個の母爆弾から202個の明るい黄色のソーダ缶そっくりの子爆弾が空中で飛散し、不発弾は地雷となり、投下食料そっくりの缶を拾って、死傷する子どもが続出しています。爆撃だけではなく、劣悪な環境で真っ先にいのちが奪われるのは抵抗力のない脆弱な子どもたちです。子どもと武力紛争担当のオルアラ・オトゥヌ国連事務総長特別代表は、2001年11月9日、米英軍の空爆が続くアフガニスタンでは170万人の子どもが飢えと寒さで生命の危機に瀕している。子どもの半数は栄養失調状態、全体の25%が5歳までに死亡する。200万人の子どもが難民または避難民となっており、首都カブールに住む子どもの40%は親を失っていると言っています。この発表の後も空爆は続き、今もなお戦争は終結しておらず、被害の実態はさらに深刻の度を深めたのです。
また、わずか100kg足らずの小麦粉と引き換えに、ヘラート州、ファラー州の地域では、10歳の少女が"花嫁"として売られ、国際赤十字の報告では、パキスタンのジャムルドでは、5歳から17歳のアフガンの少女が常に80ドルから100ドルで競売にかけられ、売春させられているという。尊厳を深く傷つける女児や女性への性暴力は許せません。同性として強い怒りがこみ上げて来ます。私がかつて勤務した小児病院では、長期入院となる子どもの母性はく奪(maternal deprivation)による無気力、発達の遅れが最大の関心事でそのケアーが私の仕事の重要な部分でした。戦時下でなくても母子が引き離されると心理的問題が生じます。ましてや、惨状に遭遇したショックや愛する肉親を失う紛争下の子どものトラウマ(心的外傷)やPTSD(心的外傷後ストレス障害)はもっと問題にされなければなりません。国際的NGO団体Save the Children USAのアフガンの子どもの心理的調査(2002年2月報告)では、「ボクには幸せなときが思い出せない、アラーはボクの生涯を苦しめるためにボクを創造された」と両親を失った子どもの発言や、隣家の爆撃により10歳と12歳の二人の子どもがショックを受け、話すことも歩くこともできないケースも報告しています。辺見庸氏のアフガン報告(朝日新聞1月8日)では爆撃のショックで精神に変調をきたし、全身痙攣とへらへらと空笑している子どもを目の当たりにした衝撃を記しています。一筋の飛行機雲に空爆の恐怖がフラッシュバックされる少年、テレビ映像に映された彼は片足を失っており、「もう戦争はいやだ、平和がほしい」という訴えが私の心に突き刺さります。子どもの発達に必要な遊びや教育の権利も奪われ、家族の団らんもあらゆる権利が奪われたのです。
第2に、テロ特措法及び自衛隊の海外派兵は「子どもの権利条約違反」であり、憲法の条約遵守義務違反について
締約国(States Parties)である日本は、子どもの権利条約(前文、第3条子どもの最善の利益、第4条立法・行政その他の措置、第6条生命への権利、生存・発達の権利、第38条武力紛争における保護、第39条犠牲になった子どもの心身の回復と社会復帰等)に基づき国際協力の下アフガンの子どもたちの保護を最優先に考慮した措置をとり、アメリカの報復戦争を阻止するために、率先してあらゆる努力をすべきところ、日本政府はテロ特措法を立法し、それに基づいて自衛隊を戦争地域へ派兵し米英軍の後方支援にあたりました。この立法および自衛隊の海外派兵・参戦は、戦争放棄を謳った憲法9条に反すると共に、子どもの権利条約に反することは明らかです。さらに、子どもの権利条約および国際法、ジュネーブ第四条約等の国際人道法に反することは、憲法98条2項の「条約や国際法の遵守義務」違反にも相当します。
子どもの権利条約は自国の子どもの権利保障だけを義務付けたものであるとの理解が一部にありますが、決してそうではありません。権利条約が誕生する経緯をたどると、第一次世界大戦の後に出された1924年の「児童の権利に関するジュネーブ宣言」では「児童は危難の際、最初に救済を受けるものでなければならない」として「子ども最優先の原則」が導き出され、第二次世界大戦後の1959年の「子どもの権利宣言」「人類は子どもに対し最善のものを与える義務を負う」として「子どもの最善の利益を最優先で考慮しなければならない」と宣明しています。言うまでもなく「最悪なものは戦争」であり、戦争の反省から2つの宣言が出され、それらが集約されより具体的な権利保障へと「子どもの権利条約」が条文化されたのです。先の大戦でナチスの迫害の中、孤児の救済に生涯を捧げ孤児たちと共にホロコーストの犠牲となったコルチャック。偉大なる彼のことを忘れないポーランドの人々は、生誕100年を記念して「国際子ども年」を「コルチャック年」と呼び、条約起草に熱心だったと言います。
「子どもの権利条約前文」では、先の2回にわたって出された児童の権利宣言、国際連合憲章、世界人権宣言、市民的及び政治的権利に関する国際規約等々にも言及し、極めて困難な条件の下で生活している児童がすべての国に存在し、特別の配慮を必要としているので国際協力が必要と明記しています。また、特に第38条の武力紛争における保護の条項1では、適用可能な国際人道法の規則で子どもに関連するものの尊重とその確保を、第4項では武力紛争下の文民保護の国際人道法に基づく義務に従い、子どもの保護とケアーのためにあらゆる措置をとることを締約国に義務付けています。国際人道法とは、いうまでもなく武力紛争時の最低限のルールを決めた条約等の総称で、ほとんどは、1949年のジュネーブ第四条約と1977年の2つの追加議定書に記され、子どもの権利に関する計25条項が規定されています。この国際人道法とも補い合い191カ国と最大の締約国数を誇る子どもの権利条約を、唯一大国で批准していないのがアメリカで、この戦争でも一国中心主義(単独行動主義ユニラテラリズム)の傲慢さと横暴で国際秩序を撹乱しています。米英軍による殲滅や迫害は国際刑事裁判所規定7条の「人道に対する罪」であり、日本は共犯者です。今度はイラク攻撃に備え、政府は12月16日イージス艦を派遣させ戦争加担は強化されるばかりです。
第3に、罪のないアフガンの子どもたちをはじめ、市民を犠牲にして私達の平和的生存権(憲法前文)は成り立たない。平和と人権の不可分性について
日本の違憲訴訟の判例をみると、「人権」の概念が旧態依然として固定的で個別的であり、国際的認識との乖離を感じます。国連やユネスコでは「人権」を『個人の自立性』と『関係性』とを統一して捉える概念を提示しています。ユネスコ第28回総会(1995年9月)で採択された「平和・人権・民主主義のための教育 総合的行動要綱」の第5項では「すべての人権は普遍的、不可分、相互依存的、相互関係的である。(All human rights are universal, indivisible, interdependent and interrelated)」と人権を定義しているし、また国連総会決議「人権教育の10年・行動プラン」第4項(1994年12月22日)でも、すべての権利の不可分性と相互依存性を認識して(recognizing the indivisibility and interdependence of all rights)、人権教育が行われなければならないとしています。権利と権利が相互に補完し支え合っている関係性、権利の主体である人と人との関係も同様に相互に依存し、相互に信頼し合う関係性において権利が成り立つとの認識が重要です。決して権利は一方的主張や要求ではなく、力づくで奪い取ることでもない。他者の権利を侵害してはならないし、何よりも他者の尊厳を傷つけてはならないという義務が伴うものです。その相互信頼・相互尊重の関係性は人と人とをつなげるものとなり、トラブルや紛争を平和的に解決し、民主主義の手続きを必要とすると言えましょう。
世界の憲法ともいうべき憲法前文の「われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と謳う「平和的生存権」は条約や憲法の規定する基本的人権と相互に補完しあい、世界の人々と「共存」しあうと言えるのです。この共存のためには、米大統領ブッシュのようにイスラム世界への蔑視や敵視はあってはならず、富める大国が発展途上国を搾取したり、侵略して平和的生存権を脅かしてはならないのは自明のことで、平和や分かち合い(sharing)が不可欠なのです。
「締約国は、国際連合憲章において宣明された原則に従い、人類社会のすべての構成員の固有の尊厳および平等かつ奪いえない権利を認めることが、世界における自由、正義、および平和の基礎であることを考慮し」と子どもの権利条約前文にあるように平和と人権は不可分で、相補的です。すべての人権保障のためには平和でなければならず、平和であるためにはすべての人権が保障されていなければならないのです。
その平和についての国連の捉え方は、「平和の文化に関する宣言」(1999年9月13日国連総会採択)で、「平和とは、ただ単に紛争がない状態ではなく、相互理解と協調の精神で対話を奨励し、紛争を解決する積極的で活力に満ちた参加のプロセスを必要としていることを認識し」と具体的条件を述べており、この認識と対話による紛争解決のスキルを高めることが、人権教育の目的でもありますが、何よりも各国首脳に求められていることなのです。判例にあるように平和的生存権の平和は抽象的だとして違憲判断の回避は許されません。
第4に、日本の子どもたちに与えた影響と平和を求める子どもたちの声
9.11事件、そして米英によるアフガン攻撃の報道は世界中に伝えられ、人々を恐怖と不安に陥れました。テレビで惨状が繰り返し報道され、戦争という暴力を映像を通して日本の子どもたちの心にも深く刷り込まれました。その影響は計り知れないものがあります。やられたらやりかえしていいのだという暴力肯定は暴力の連鎖を生み、暴力による解決方法を学んでしまう恐れがあります。「有事となったら自衛隊に志願する」と誇らしげに語る男子高校生に出会いました。一方、純粋な子どもたちの心を深く傷つけているのです。9歳の男の子の不安を母親は冊子「ちいさな声」に次のように書き綴っています。
「日本の平和憲法をかえてしまわないでほしい。おとうさんが戦場へいくことになったらどうしよう。日本が報復に協力することは、息子にとってお父さんが死んじゃうかもしれないと思うほど怖いことなのです。息子は目にいっぱい涙をためています。いくら、命の危険が無いところに自衛隊を派遣すると言っても、米国で起きたあの惨劇を目の当たりにした私たちにとって、何の説得力もありません。小泉総理、あなたが報復するといった言葉は、明らかに言葉の暴力となりわが子の心に傷をつけ、不安に陥れていることを、お伝えしておきます」
次に14歳の中学2年生の声を紹介します。「私も報復には反対で、友人と3人で報復反対のHPを作りました。相手の立場に立って考えるというのは人間社会において最も重要なことだと学校でいつも言われます。でも日本は報復に荷担するのですから、訳が分かりません。ここで新たな戦いをするのは本当に必要なことでしょうか?私にはそうは思えません」(「ちいさな声」より転載)
また、6月に行われた埼玉県の高校生の集いでも「平和について」のテーマで討議しました。「ブッシュ大統領は21世紀の新しい形の戦争だと言った。日本は全面協力するっていうんだから、一緒に戦争しているのと同じ。だから日本でもテロが起こるかもしれない」「戦争ができる国が何を言っても説得力がない。だから戦争をやらない憲法を持つ日本だけが戦争を止められるはず」「平和憲法を無視して戦争ができる法律を作って欲しくない。コスタリカのように軍隊はいらない」と、子どもたちは今回の参戦が憲法に反すると明快な認識を示しています。原告の中には子どもが数名、自らの強い意思でこの訴訟に加わっていることを申し添えます。
※ 註 「ちいさな声」は、インターネットなどを通じて寄せられた声を転載し小冊子にしたもの。呼びかけ人の一人が原告。
第5に、私の精神的苦痛について
何度反省したら人類は戦争を克服できるのでしょうか?戦争のできる国へと日本のナショナリズムへの傾斜は不気味です。テロ特措法・有事法制と連動して教育基本法「改悪」に触手が伸ばされようとしており、私の心は侵食され悲鳴をあげています。よりどころとしている子どもの権利条約や平和憲法が踏みにじられ、平和を希求する私の尊厳が、思想・良心の自由が深く傷つけられました。今は酷寒の冬、アフガンの子どもたちよ、私は罪の重さにおののき、寒さと飢えをしのいで生き延びて欲しいと祈る気持ちです。何よりもアフガンの子どもたちの惨状に心を痛め非力を痛感するのみで、大人としての責務を果たせない矛盾を抱えて日本の子どもたちに人権教育をしなければならないのは大変辛いことです。子どもは自己の周囲の環境の影響を受け発達を遂げて行くのですが、'正義の名の下に人を殺してよいのだ'と暴力の論理、非条理の蔓延で最悪の環境と言えましょう。皮肉にも2004年まで国連・人権教育10年の期間中です。
最後に、人権を問う違憲訴訟として初めて「子どもの権利条約の援用」を求めます
子どもの権利条約と憲法との関連について、双方とも同趣旨であるというだけでは41条の要請する義務も不十分です。意見表明権や遊ぶ権利など憲法にはない規定も多数含まれ、さらに子どもの権利条約では、憲法制定から約50年にわたる世界の人権の理論上、実践上の発展を反映している部分があり、子どもの権利条約は憲法の人権規定を補完するのみならず、拡大した国内実定法であります。
繰り返しになりますが、「締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」と憲法98条第2項で明記されていますし、さらに国際子どもの権利委員会の1998年第1回日本審査・勧告では、日本の裁判で判決を下す際に子どもの権利条約を直接適用していないことへの懸念が示されました。
伊藤正己(元最高裁判事)は、同様の指摘をし、積極的に人権条約を援用できるために、条約、規約を憲法をこえた保護を与える部分を持つ法令としてとらえ、条約、規約に反する公権力の行使が違法もしくは適用違憲であると構成してゆくことの提案をされています。
日本は過去の侵略戦争でアジアの人々に多大な苦痛を与えました。その「人道に対する罪」の謝罪と国家補償が済まないうちに、私達の意に反してまた新たな罪の責任を負うことになったのです。次世代を担う子どもたちにこれ以上の負の遺産を残さないために、精いっぱい平和への努力をすることが大人としての責務ではないかと原告の一人となりました。私たちは国連子どもの権利委員会へこの訴訟についてのNGO報告書を出します。言うまでもなく戦争は最大の人権侵害です。憲法の主権在民を再確認し、権利の主体は子どもにあるという子どもの権利条約も適用し、子どもにも納得のいく公正な裁判をお願いいたします。