Edward Said Interview | ペンと剣 |
---|---|
「凱旋の集いには、すべての者を招く余地がある」−−エメ・セゼール中東という地域が領土国家に分割され、シリアにはシリア人、レバノンにはレバノン人、ヨルダンにはヨルダン人、エジプトにはエジプト人が住むというふうに変わっていったのは、すべてごく最近の現象だということを忘れてはいけないと思います。僕が子供だった頃は、レバノン、ヨルダン、シリア、パレスチナ、エジプトなどをまたいで国から国へ自由に移動することができました。僕が少年の頃通ったような学校はどこも、人種の異なる生徒たちであふれていました。僕にとっては、学校でアルメニア人、ムスリム、イタリア人、ユダヤ人、ギリシャ人などと机を並べるのはごく自然なことでした。なぜなら、それがレヴァント地方であり、僕らが育った風土だったのですから。今日見られるような分離主義の傾向や自民族中心主義は比較的新しいもので、僕にはまったくなじみがありません。それには、嫌悪を感じます。だからこそ、セゼールの引用が重要なのです。それは、すべての者が集う余地があるというヴィジョンですから。なぜ、人は他の者たちの上に立たねばならないのでしょう。なぜ、いち早くそこに到達し、凱旋の集いから他の人たちを閉め出さねばならないのでしょう。そのような行動は、まったく誤っていると思います。 |
|
Nationalism ナショナリズム |
|
|
|
DB:あなたは、好むと好まざるとにかかわらず、合衆国ではパレスチナ民族主義運動のトップ・スポークスマンです。それでも、あなたの作品の中には、ある種の相反する感情の存在を感じるのですが。すなわちナショナリズムそのものに対する是非の入り混じった気持ちです。例えば、「僕らは流浪の境遇でいた方がましだ、と僕はときどき思う。彼らの帰還によって、ぞっとするような音を立ててよろい戸が閉まり、償いによる調和ではなく、あからさまに世俗的な要素がくり出してくるというのなら」と書かれたことがありますね。ここでの彼らとは、誰のことを言っているのですか。 おもに僕たちのことだと思います。「パレスチナ人」であることには、現在、二つの側面があります。 ひとつは独立運動で、これは抑圧に対する抵抗というナショナリズムに支えられたものです。その意味では、支持せずにはいられません。僕だってその一部なんですから。しかし、それは同時に、ナショナリズムというものの限界もひと通り備えています。要するに、僕らの誰もが感染するパレスチナ人中心の世界観から逃れられないということです。それと絡んで、ある種の、排外主義、抵抗のナショナリズムには避け難く内在する国粋主義的な要素も存在します。これらは、すべてがと言うわけではありませんが、イスラエルの抑圧に対する反応です。 もう一つは、祖国を追われた者たち《エグザイル》の運動だということです。僕には、こちらの方がずっと居心地がいいのです。祖国を追われた者たちとは、1920年代以降のアルメニア人のように、欧米に移住してきた人々のことです。文化的ナショナリストと呼んでもいいでしょう。ただ、僕らの場合は、周辺のアラブ世界との接触が今もかなり多いため、故郷とは完全に断絶したアルメニア人の場合とは多少違うところもあります。しかし、いまや僕らの半数以上にとって異邦に暮らすことが常態化しています。僕らの歴史で初めて、55%ものパレスチナ人が歴史的にパレスチナと呼ばれた土地の外で暮らしています。この人たちのためには、祖国への郷愁や思慕や帰還の夢(僕らは皆それを信じていますが)などに基盤を求めない、新しい共同体のモデルや存在様式を探求する必要があるような気がします。 でも僕らはまだそのことに本格的にとりかかれる段階にはありません。あまりにも悲劇的な体験だったため、心の準備ができないからです。その結果、僕たちはどっちつかずの状態になります。時には、独立運動に参加し、時には、異邦で暮らすことを真剣に考えます。しかし、僕らが好むと好まざるとにかかわらず、すべてのパレスチナ人を代表しているPLOには、ナショナリズム運動のご多分にもれず、正統派信仰があり、公式路線があります。これには、たまらなく居心地の悪いものを感じることもありますが、同時にまた明らかに僕はPLOを支持しているのです。こうした態度を取らざるを得ないから、いろいろな問題を抱えこむことになるのだと思います。 DB: 『パレスチナとは何か』のなかで、イェーツの「レダと白鳥」という詩の一節を引いていますね。「大気に漂う獣じみた凶暴な気配に、あまりに深く取り込まれ、あまりに強く支配されたため、彼女[レダ]は彼[ゼウス]の知識を、彼の力を通じて身につけた。無頓着な 嘴 によって振り落とされる前に」。この表現では、レダは何者なのでしょう。 パレスチナ人、またはパレスチナ人の良心です。レダが白鳥に身をやつしたゼウスにレイプされたのと同じように、それはある意味で歴史によってレイプされたのです。12、3歳でパレスチナを離れるまでに、そこで過ごした幼い頃のことを思い出すと――いくぶん郷愁めいたものが影響しているのかも知れませんが――そこには、周りの状況に対して目を閉ざしてしまおうという試みがあったような気がします。僕らはみな、この土地が占拠されつつあり、いずれはヨーロッパからの移住者たちと闘うことになるだろうという明白な現実から、自分たちを遮断してしまおうとしていました。しかし1948年になって現実に目覚めることになったのです。僕の家族はまるごと放り出されました。 知識と権力というのは、とても面白いテーマです。あのような権力から無頓着な嘴によって振り落とされる前に、そこから知識を身につけることができるものでしょうか。僕の場合、1948年に自分の家族全員と、いとこや祖父母やおじやおばなど、父方も母方も一族のすべてが、わずか数カ月の間にパレスチナから追放されたという事実を、気がついてはいたものの本当に理解するまでには35年ほどかかりました。彼らの多く、特に年長の世代は、この精神的なショックから決して回復することはありませんでした。若い世代のなかにも、同じ問題を引きずっている例が多く見られます。精神的、経済的なものを含め、多くの問題が下の世代へと受け継がれているのです。 パレスチナ知識人として僕が抱える大きなテーマは、はたして僕らの民族には確固とした歴史の積み重ねというメカニズムが存在するのだろうか、それとも僕らは、同じ経験を何度も繰り返すように運命づけられているのだろうかという疑問です。かつて僕がもっと悲観的だった頃、1948年以来このかたというもの、絶え間ない権利剥奪の繰り返しであったと主張していましたが、そのように主張することは今でも可能です。その事態には今なお何の変化もありません。イスラエル人は絶え間なく僕らの土地を奪い続けており、僕らがこうして話している間にもそれは続いているのです。なぜ僕らはそれを阻止できずにいるのでしょう。なぜ僕らは、あのような剥奪の事態にみまわれた上の世代の経験から教訓を引き出せないでいるのでしょう。なぜ僕たちは、いまだに歴史の次のステップを踏み出すことができずにいるのでしょう。僕らにはできていません。 DB:僕には、「無頓着な嘴」の意味が、どうもはっきりしません。二度ほど読み返してみたのですが……。これは、帝国の権力そのものを指すのでしょうか、それともナショナリズム運動を指しているのでしょうか。 両方です。この詩に、あまり厳密な比喩を押しつけたくはないのですが、それはナショナリズムの経験であると言うこともできるし、また帝国主義の経験であると言うこともできるでしょう。まっ先に心に浮かぶのは、この二つのことです。でもそれはまた、みずからの歴史の体験であると言うこともできます。レダの人生に白鳥が介入したことは、ある意味で、歴史への参加を指しているとも言えるのです。それによって、帝国の形成、脱植民地化、解放闘争、ナショナリズムの興隆など、20世紀の諸運動の一端を担うことになるのです。僕らはその一部を経験しました。 南アフリカから帰ってきてから、僕はパレスチナの民族運動を、以前よりずっと健全なものとして受けとめられるようになりました。少なくとも1970年代から80年代初期にかけては、パレスチナ人はアラブ世界では唯一、先に述べたような運動との連帯を通じて、植民地化という20世紀の経験を共有することができたからです。ネルソン・マンデラは五月の末頃、ヨハネスブルクで、「私たちは決してパレスチナ人を見捨てることはしません。なぜなら、それが私たちの主義に沿ったことであり、また、あなた方が私たちを援助してくれたからです」と僕に言いました。ANC〔アフリカ民族会議〕は1964年代から70年代にかけて最も苦しい時期にありましたが、そのときには僕らやアルジェリアなどからの支援を受けていました。それは、SWAPO〔南西アフリカ人民機構〕やニカラグア、ヴェトナムやイランなどの場合も同じで、これらの抵抗運動はパレスチナ人、通常はベイルートのパレスチナ人から大きな支援を受けていたのです。 こうした事実は、歴史における自分たちの位置付けの仕方に一つの示唆を与えます。僕らは単なる無知な遊牧民だったわけではなく、20世紀のこの大きな運動の一部なのだという解釈が可能になります。これを知ることは、重要な歴史的前進だと思います。でも、それが僕らをどこに導いていくのかということになると、それはまた別の問題です。 DB:パレスチナ問題のいまひとつの隠れた側面は、パレスチナ運動のなかでキリスト教徒が占める位置の問題です。あなた自身がキリスト教徒ですし、ほかにもジョルジュ・ハバシュ(George Habash)やナイエフ・ハワートメ(Nayef Hawatmeh)などがいます。間違っていれば訂正していただきたいのですが、パレスチナのナショナリズム運動の最前線に立つ人々のなかには、大学教授、建築家、医師など、キリスト教徒の家庭で育った人々の割合が不釣り合いに多いようです。これはなぜなのでしょう。 それについては、オリエンタリストが二つの古典的な理由を挙げています。ひとつは、中東のキリスト教徒は自分たちが共同体の一員にふさわしいことを証明しようとやっきになっているというものです。彼らは、イスラム教スンニ派が多数派であることに不安を感じている。共同体の信頼を得るために、彼らは普通のムスリムよりも熱心なナショナリストであることを証明し、民族闘争にもより積極的に関わる必要があると説明されています。少数派は、一種の内的な不安に対処するための過度の補償行為として、常に自分の存在価値を証明したがる、と彼らは主張します。その手段としては多数派を叩くという手もありますが、僕らの場合は、多数派への極端な自己同一化によってその一部となる方法をとっているというわけです。 二つめは、キリスト教徒は生まれつきイスラム教徒より上の階級に属しているので、運動に巻き込まれるのだという説です。キリスト教徒の多くは西洋の教育を受け、西洋の言語を話します。彼らは西洋化された家庭の出身です。したがって、彼らはそれ以外の者たちよりも意識が高く、みずから運動に関わることにも自覚的だというわけです。 僕の感覚では、キリスト教徒であってもイスラム教徒であっても、解放運動に関わるのはごく自然なことです。もしパレスチナのキリスト教徒であることに何か特別の意味があるとすれば、それは、キリスト教徒が何世紀にもわたってパレスチナに住み、そこに属してきたことを、僕らの多くがとても誇りにしているということにほかなりません。ここから必然的に、民族共同体のなかで積極的に行動するという特別な義務を背負うことになります。僕らはみな、そう感じていると思います。僕はこの闘争に何年も関わってきました。僕の親族も多く関わってきましたし、あなたがいま取り上げた人々はみな僕の知り合いです。 僕らのなかに、多数派から差別されているという気持ちを少しでも抱いている者はいません。この点について最後に指摘しておきたいのは、アラブ世界における少数派と多数派の関係は、欧米人にはそう簡単には理解できないということです。彼らは常に、人種差別や抑圧された少数派に対する差別という西洋のカテゴリーのなかで考えてしまいます。でも、アラブ世界では、彼らの尺度はあてはまらないのです。僕はなにも、アラブ世界では少数派が常に夢みたいによい暮らしをし、抑圧されたことは一度もないなどと言ってるわけではありません。抑圧されたこともありました。けれど、普段の両者の関係は、西洋における少数派と多数派の間に見られるような、常に不安にとりつかれ緊張をはらんだ関係よりはずっと健全で、自然で、気楽なものだったと僕は思っています。 DB:エメ・セゼール(Aime Cesaire)の「凱旋の集いには、すべての者を招く余地がある」という一節を好んで引用されますね。 ええ。あるグループに所属するメンバーは全員がまったく均質でなければならないという考え方、またそのグループが多数派の場合、自分たちだけが権利を持つという考え方、このような均質性の志向は、完全に間違っています。僕が育った頃は、そんなふうではありませんでした。中東という地域が領土国家に分割され、シリアにはシリア人、レバノンにはレバノン人、ヨルダンにはヨルダン人、エジプトにはエジプト人が住むというふうに変わっていったのは、すべてごく最近の現象だということを忘れてはいけないと思います。 僕が子供だった頃は、レバノン、ヨルダン、シリア、パレスチナ、エジプトなどをまたいで国から国へ自由に移動することができました。僕が少年の頃通ったような学校はどこも、人種の異なる生徒たちであふれていました。僕にとっては、学校でアルメニア人、ムスリム、イタリア人、ユダヤ人、ギリシャ人などと机を並べるのはごく自然なことでした。なぜなら、それがレヴァント地方であり、僕らが育った風土だったのですから。今日見られるような分離主義の傾向や自民族中心主義は比較的新しいもので、僕にはまったくなじみがありません。それには、嫌悪を感じます。だからこそ、セゼールの引用が重要なのです。それは、すべての者が集う余地があるというヴィジョンですから。なぜ、人は他の者たちの上に立たねばならないのでしょう。なぜ、いち早くそこに到達し、凱旋の集いから他の人たちを閉め出さねばならないのでしょう。そのような行動は、まったく誤っていると思います。 最近の文章のなかで僕が非難してきたもののひとつは、学問でも政治でも抑圧された側の議論に往々にして見られるような、もし自分たちが先に凱旋の集いに到達したら、他の者たちを見返してやろうというような発想です。これは解放という考えにまったくそぐわないものです。これではまるで、勝利によって与えられる特権のひとつは、他者をみな締め出してしまえることだといわんばかりです。闘ってきた理由そのものと真っ向から対立するものであり、とても支持できません。これがナショナリズムの落とし穴のひとつです。フランツ・ファノン(Frantz Fanon)の言葉を借りれば、「民族・国民意識の落とし穴」です。ネイションの自覚が自己目的化し、エスニックな特性や人種的な特性の強調や、捏造によるところの大きい民族や国民の本質といったようなものの追求が、文明や文化や政党の目標になるときには、もはやそれは人間の共同体とは言えず、何か別のものになってしまうのです。 |
All Rights Reserved
(=^o^=)/Contact