ヨーロッパ旅行(報告編)
◆ パリからモンバールへ ◆ (みどりちゃんと修道院の鐘) モンバールでの短い滞在は、とても快適だった。そのいちばんの理由は、 静かに規則正しい時を過ごせたことだろうか。小さい個室を与えられて、 旅のパートナーのみどりちゃんと、それぞれに自分の時間を持つ事が出来た。 刺激が多くて時間があまり取れなかったので、書きたくても書けなかった 旅先からの葉書を思う存分に書けたことが、何よりも嬉しかった。 特に私は、刺激を受けっぱなしまたはこちらから出しっぱなしでは、 しんどくなってくるらしい。時々旅先から手紙を親しい方に書くことによって、 自分自身も振り返ったり整理できる貴重な時間なのだ。旅も2週目に入り、 そろそろ身体は疲れを覚える時がある。そんな時に静かな修道院に 来れたことは、幸いだった。 キリスト教の音楽や典礼を学ぶ上でも、貴重なひとときであった。 言葉で何かを学ぶのももちろん有益だが、「修道院・カトリック」は、 実際にその中にお世話になって毎時のミサに出ることによって、 身体のリズムで体感できる。修道院訪問を提案してくれた友人の タロウさんに、本当に感謝の思いでいっぱいだ。 この修道院の聖務日課は、日に3回だった。朝と昼と夕方。 1回目の夕方は全く何も分からないので必死だったが、 翌日朝6時からの典礼は、なんと2時間半! ずっと立ちっぱなしなので、さすがにへとへとになってしまった。 ミサは文字通り「お勤め」なのである。お勤めを済ませて、 そうしてようやく食事にあずかれるのだ。 (朝で疲れきって、実は私は昼のミサを一度欠席した) ![]() 食事はとても美味しかった。元々私もみどりちゃんもグルメではないのだが、 慣れないヨーロッパの食事に、少し胃腸が疲れていたように思う。 でも修道院の食事は、ジャムやパン、そして野菜までもが全て手作りで、 シンプルな優しさにあふれていた。 「アレクセイ」な神父と共に、毎食を過ごした。時折シスターも共に食事をした。 私たちの他に、もう一人ゲストがいた。彼はピレネー山脈の近くの修道院 (教会?)から来たブラザー。3週間ほど滞在するのだとか。いずれ東欧の 教会に派遣されるので、ビザンティン典礼の研修・勉強に来たのだと言う。 彼は英語も話せたので、ときどき話し合ったりもした。私たちを思わず 「プルミエ日本人」と言ったのは、この彼である。 最初は共に会衆席でミサに出ていた彼は、そのうちに「至聖所」に連れて 行かれて、神父のサポート的な役割を果たすようになった。 女性から見ていると、やはり何とも違和感がある。シスターたちは 何十年いても、きっとあの「サンクチュアリ」には入れない。 でも男性である彼は、来て間もなく何のためらいも違和感もなく、 入ることが出来るのだ。シスターたちはそのようなことを見ても、 何とも思わないのだろうか。それらを問題視しては、 シスターは続けられないのかな。 神父やブラザーは英語が話せるのに、シスターは誰も英語が出来なかった。 一言も出来ないと言っても過言ではないほど。 それは偶然なのか、何かの意図の結果なのか・・。 金曜日から修道院に滞在し、土曜日の夜のミサは印象的だった。 十字架につけられたイエスを思いながらの、通常のミサとは違う雰囲気の礼拝。 それは、悲しみや暗さにあふれ、修道院全体が自然に重々しい空気に包まれる。 シスターもブラザーも自室での食事、瞑想をしたり他の人とは話をしないようだ。 「アレクセイ」はずっと私たちと一緒の食事で、少しは話していた。 ![]() こんな静かな土曜日はとてもいい。普段日本での週末は、私にとって忙しすぎる。 連れ合いで牧師のTAKEも、毎日仕事で忙しくへとへとになって週末や 日曜日の礼拝を迎える。彼こそ、礼拝に出かけていって癒しや安らぎを 得たいだろうに。フランスの美しい星空を見上げながら、 いつしかそれは浪岡の美しい夜空と重なった。 カトリックや修道院での生活は、ルールやスタイルがかっちり確立されている。 私たちにはなかなかマネは出来ないが、それでも少しずつ学べることも大きい。 「シンプルなこと」は、とても美しいのかもしれない。そしてそこから本当の 優しさも生まれてくるのかもしれない。不必要なことをどんどん削ぎ落として いった時に、残るもの。それが「真実」というものなのだろうか。 「飽食」といわれる時代に育った私たち。帰国後に岩木山の麓で 「森のイスキア」と、佐藤初女さんを訪れる機会が与えられた。 彼女に出会った時も、全く同じようなことを考えさせられた。 初女さんは30年来にわたり、自宅を開放して心を病んだ人や苦しみの ただなかにある人を、受け入れてきた。新鮮な旬の食材をつかって、 食事を提供して共にひとときを過ごす。その行為で、多くの人が癒され生きる 活力を得てそれぞれの場に帰っていったという。特にそのおにぎりの美味しさは、 ほとんど感動的らしい。今回私は食事の機会はなかったが、次回はゆっくりと 泊らせていただきたい。「森のイスキア」は、なんだか浪岡伝道所っぽい ようなテゼ共同体のような、不思議に懐かしい空間だった。 ==================== 久しぶりに「フツウ」のよさを感じています。 私はどうもTAKEの影響なのか、これまで「フツウ」ってなに?っていう 問い直しを多く迫られたように感じます。だからフツウ(というよりは 「一般的じゃない」ってことかな)じゃない自分やアイデンティティにどこか 価値があるような、そういう時をしばらく過ごしていたんですよね。 今でも基本的に、そのスタイルは変わっていないと思います。 でも初女さんのなさっていることは、きっととてもフツウで、だからこそ なかなか他の人や私たちには出来なくて、尊いもののように思えました。 「おにぎり」。ちょうど最近、ホントに久しぶりに出来る範囲で TAKEにお弁当やおにぎりを作るようになっていたんです。 だから余計に、その大切さやリアリティが伝わってきました。 私がおにぎりを作ってあげるようになったのは、自分が非常勤で通い だして、先生の大変さを痛感したからです。昼休みが短かったり、ストレスが 多かったり・・etc。たったおにぎり1個を作るのが辛かったり出来ない時も あったけれど、今はその一個に愛情とか気持ちをちょっぴりでも注げるなぁ・・ と思わされています。 (タロウさんへのメールより) ●森のイスキア訪問記は→こちらです。 ![]() ![]()
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