侵略:戦争とテロを巡る40の嘘
---第2部 (11)から(20)まで---

スティーブ・ペリー
原文
2003年7月30日


イラク侵略とテロリズムを巡る40の嘘のうち、ここでは11番目から20番目を紹介致します。1番目から10番目については、こちらをご覧下さい。必ずしもイラクを巡るものだけではなく、アフガニスタン、パレスチナ等関連のポイントもあります。


(11) 米国はテロに対する戦争を行なっている

実質上、学校に通っている子供ならば誰でもブッシュ・ドクトリンの言葉を繰り返すことができ、アッシュクロフトの司法省が終わりになるまでは繰り返さなくてはならないかもしれない。それは次のようなものである。対テロ世界戦争はテロリスト・グループ及びテロリストを匿う国に対するものである。米国は、テロリストやテロリストの安息地を提供している国とは取引をしない。

米国が、イスラエルが占領地で行なっている行為に対していつも目をつぶってきたことは置いておこう[米国自身が中南米カリブ地域出身者を中心に、多数のテロリスト(米国自身の定義に従って)を匿い、また、自らテロ行為(米国自身の定義に文字通り従って)を行なってきたことも置いておこう)。ブッシュ屋は、他の場所で、自ら発表した原則に対してどう振舞っているだろうか?イラクの大量破壊兵器に関する証拠の捏造と悪用から話を始めることができる。国連安保理も、米国の諜報アナリストたちも、世界のほとんども、何ら差し迫った脅威ではない、としていたものである。

ここ数カ月の出来事は、ブッシュの「対テロ原則」に対する大きな違反を明確に示している。4月、ペンタゴンは、イラクを拠点とする反イラン・テロリスト・グループであるムジャヒディーン・エ・ハルク(MEK)と協力協定を結んだ。1979年のイラン革命以前、米国諜報筋は、イランで何人かの米国人を殺害したとして、MEKを非難していたのである。

最も目立っているのは、ブッシュ政権のサウジ・アラビアに対する態度である。2001年9月11日のハイジャッカーたち19人のうち11人がサウジ・アラビア人だったことを思い起こそう。サウジ王家は、アルカイーダをはじめとするテロリスト組織と以前から関係があることはよく知られており、サウジで悪さをしないように資金を提供している(保護金のようなものである)。『アトランティック・マンスリー』誌の5月号には、サウジ王家のこうしたコネクションに関して優れた記事がある。

それにもかかわらず、ブッシュ政府は国際テロについて、サウジに対して何の批判もしていない。実際、5月に爆弾がリヤドで爆発し、米国人労働者も働いていた建物が攻撃されたとき、コリン・パウエルは、サウジ王家に泥を塗ることを避けるために、わざわざ次のように述べた。「テロリズムはあらゆる場所であらゆる人を標的とする。文明世界に対する脅威である。アルカイーダを追い詰めるために、サウジの友人たちそして世界中の友人たちとより密接な関係を持って働くために努力を倍増させる予定である」。後に、リヤド爆撃を行なった者たちが、サウジ国家警備隊から武器の一部を購入していたとの主張が流れたが、パウエルも含め誰も、「サウジの友人たち」に関する宣言を変更する必要があるとは考えなかった。

ブッシュ屋たちは、テロ温床であるサウジを認めているのだろうか?理由は、サウジ王家が膨大な石油をコントロールしており、今でも彼らは(どんなにわずかであれ)我々の側にいるからである。そして、テロリズムではなく(それは米国を始めとして米国の仲間たちも行なっているのだから)、それこそが、ブッシュの外交政策における計算で重要なのである。

リヤドの爆弾がまだ煙を上げているときに、ジョージ・W・ブッシュはフィリピン大統領グロリア・マカパガル−アロヨと面会した。面会後の演説で、ブッシュは、フィリピンの「テロリストたち」の喉にアメリカの手をもっと強固に回す合意と引き換えに、米国の軍事援助の取引を行うと述べた。彼は特に永年の敵であるアブ・サヤフに言及し、また、モロ・イスラム解放戦線---ミンダナオを拠点とする小さなグループである---についても述べた。

ミンダナオがアジアで最も裕福な石油埋蔵量を誇る場所であることは、全くの偶然であることは、もちろんである。


参考リンク

Haroon Siddiqui, Toronto Star [via Truth Out], 5/4: Real American Agenda Now Becoming Clear

Alejandro Lichauco, ABS-CBN, 4/30: Mindanao is next target of US oil imperialism?

Bush Wars 5/15: Bunker-Buster Nukes

Bush Wars [undated]: Overview...oil


(12) 米国は、世界のテロ分子、特にアルカイーダに対する戦いにおいて前進している。

再生したアルカイーダは、5月のサウジアラビアにおける爆撃事件の頃から国際ニュースとなっている。最上の記事は、アジア・タイムズ紙の特派員シイェド・サレーム・シャフザドによるものである。シャフザドの詳しい説明によれば、アルカイーダはより無駄のない拡散したラインに沿って組織を改編し、実質的に、頻繁により小規模な攻撃を世界の多数の場所で行う地方のユニットの連盟となった。5月のリヤド爆撃で犯行声明を出して以来、アルカイーダのものとされるコミュニケは、イラクでの米軍に対する攻撃についても犯行声明を出している。


参考リンク

Michael Tomasky, American Prospect, 6/18: Guess who's appeasing the Taliban now?

Syed Saleem Shahzad, Asia Times, 6/28: US shooting in the dark in Afghanistan

Bush Wars 5/19: Play It Again O-Sam-a

Bush Wars 5/20: New al-Qaeda Blueprint: Smaller is Better

Bush Wars 5/28: What if There's No Such Thing as "al-Qaeda"?


(13) ブッシュ政権は米国内でテロの脅威からアメリカ市民をより安全に守っている

ペンタゴンの戦後イラク占領「計画」と同様、国土安全保障省(DHS)は主にブッシュ政権のPRの道具であり、実質はあまりない。国土安全保障省は、将来スキャンダルになることを待つ身である。ジョージ・W・ブッシュにとって唯一の良いニュースは、これから起こるであろうスキャンダルの長いリストの中で、国土安全保障省を巡るスキャンダルはほとんど最後に近い場所にあることである。

5月26日、『フェデラル・コンピュータ・ウィーク』誌がDHS発足後最初の100日について報じた。その時点で、ブッシュの国内的な対テロ戦争の中枢であるはずのDHSはようやく電子メールを使い始めたばかりであった。機能的な組織グリッドを作り、さらにはDHSが処理することになっている膨大な量のデータを統合するためのソフトウェア・アーキテクチャ計画については、全く何も進められていなかった。政府が閣僚級の国土安全保障局を作る意図を発表してから2年近く経ったにもかかわらず、何ら有意味なことは達成されていない。そして、ネットワーク計画があったとしても、それを実施する資金はない。同誌によると、「著作家で元情報オフィサのロバード・ダビッド・スティールは、[理論的にはDHSに提供されることになる]少なくとも30の異なる諜報システムがあるが、それを相互に接続し相互に機能するようにするための資金は全くないという。『大統領の国土安全保障プログラムには、アメリカ人にとってより安全な状況を作るためのものは何一つない』と彼は述べた」。


参考リンク

Dan Higgins, Ithaca Journal, 6/20: FBI on the lookout for David Nelson, any David Nelson

Chris Harris, Hartford Advocate, 6/26: You can't talk back to the Office of Homeland Security

Frank James, Seattle Times, 6/30: Homeland security underfunded, unprepared

Jim Lobe, Inter Press Service News Agency [undated]: Post-9/11 Immigrant Roundup Backfired


(14) ブッシュ政権は、2001年9月11日の出来事について、そしてそれ以前に集められた情報証拠に関して、何ら隠すものはない

まず、ディック・チェイニーが個人的に、この日の出来事とその原因をめぐる包括的な議会調査をあきらめさせようと介入した。そして、過去数カ月間、先週遅れて発表された2001年9月11日に関する議会のより穏健な報告を巡り、政府は静かに裏で働きかけを行なってきた。ホワイトハウスは、公聴会で既に提示された資料について事後的に機密扱いにしさえした。

何を隠そうとしていたのだろうか?主としてサウジ・コネクションである。そして、詳細を述べた約27頁が公開された報告書からは削除されてはいたが、それでも、多くの手を入れられたこのテキストから多くの証拠を見てとることができる(カッコ付きで「外国」と書かれているときには、ほとんどの場合「サウジアラビア」である)。報告書の資料は、サウジ市民そして政府の少なくとも一人から大きな支援を受けた大規模な攻撃が起きる兆候があると繰り返している。報告書はまた、諜報担当がその話をもっと追求しなかった理由の一つはそこにあるとしている:サウジ・アラビアは政策決定により「友好」国であり、それゆえ脅威ではないというのである。報告書は、政府が情報ブリーフィングに対してどう対応したかについては述べていない。報告書が扱う範囲は諜報活動についてだけである。それ以外の問題はすべて、今や独立の9/11委員会の責任であり、その仕事は、ホワイトハウスが証拠提供を渋っているために遅くなっている。


参考リンク

Bush Wars 5/9: Has Graham Got 9/11 Goods on Bush?

Michael Isikoff and Mark Hosenball, Newsweek, 4/30: The Secrets of September 11

Bush Wars 5/12: The Bush 9/11 Timeline

Paul Thompson, Center for Cooperative Research [undated]: September 11: Minute by Minute

Michael Isikoff and Tamara Lipper, Newsweek [via Truth Out], 10/21/02: Cheney: 'Investigators, Keep Out'

Fox News Sunday transcript 5/4: Senator Bob Graham interview

Carl Limbacher, NewsMax.com, 5/7: Prez Wannabe Graham Eyeing Evidence That Bush Blew 9/11

Michael Isikoff, Newsweek, 7/28: The 9-11 Report: Slamming the FBI


(15) 米国の対空防衛機能は2001年9月11日、予定通りに機能した

古い質問が沢山ある。何よりも大きな謎---何故この日米国防空体制がこれだけ上手くない対応をしたのか---について理解するのは簡単である。当日の朝の出来事の時間を見るだけで良い。

8時13分:フライト11が航空交通の指示に従わず、応答機の電源を切った。

8時40分:NORAD(北米防空司令部)の司令センターは、この時間に、フライト11のハイジャック可能性に気付いたと主張している。

8時42分:フライト175が進路を変更し応答機の電源を切る。

8時43分:NORAD(北米防空司令部)の司令センターは、この時間に、フライト175のハイジャック可能性に気付いたと主張している。

8時46分:フライト11が世界貿易センターの北タワーに衝突。

8時46分:フライト77が進路を外れる。

9時03分:フライト175が世界貿易センターの南タワーに衝突。

9時16分:フライト93が進路を外れる。

9時16分:NORAD(北米防空司令部)の司令センターは、この時間に、フライト93のハイジャック可能性に気付いたと主張している。

9時24分:NORAD(北米防空司令部)の司令センターは、この時間に、フライト77のハイジャック可能性に気付いたと主張している。

9時37分:フライト77がペンタゴンに突入。

10時06分:フライト93がペンシルバニア州で地面に衝突。

2001年9月11日の出来事の背景にある公然の秘密の一つは、米国本土の対空防衛は、冷戦後わずかな規模に縮小されていたことである。とても有益な共同研究センターのウェブサイトでポール・トンプソンが公開した報告によると、「北東地域で公式にNORADの防衛システムの一部だったのは、2空軍基地だけだった。一つはニューヨーク市から約188マイル離れた、マサチューセッツのケープ・コッド半島にあるオーティス・エアー・ナショナル・ガード基地である。もう一つはワシントンの南約129マイルにある、バージニア州ノフォーク近くのラングレー空軍基地である。冷戦の間、米国は文字通り何千もの戦闘機を警戒態勢に置いていた。けれども冷戦が終了したため、2001年9月11日には米国本土には14機に警戒態勢機は減っていた」。

遅い対応体制(2001年9月11日には公式に15分)のもとでも、NORADの当日の対応は説明しがたい。NORAD司令部がハイジャックについて知ったと主張する時間を考えてみよう。8時43分までにNORADは、その前5分の間に二機のハイジャック可能性に気付いている。このときに、緊急プランが発動されているべきだったはずである。その3分後の8時46分、フライト11が世界貿易センターに突入した。このときまでに、全ての地方の交通航空センターに、同時ハイジャックが進められているかも知れないと警告が出されていて良かったであろう。けれども、ペンタゴンに突入したフライト77がその3分後8時46分にハイジャックされた際、NORADはそれについては9時24分まで知らなかったと主張している。38分後、ペンタゴンに突入する13分前である。

フライト93に対しての対応時間も驚きである。NORADは9時16分に気付いたと述べているが、ペンタゴンは、ワシントンDCから数分のペンシルバニアの地上に10時06分に突入するまで丸50分経っていたにもかかわらず、ハイジャック機を捕らえられなかったと述べている。

実際のところ、フライト93の墜落については、ペンシルバニアの地方紙で議論されている別の状況証拠がある。フライト93は撃墜されたのかも知れないというものである。第一に、関係者は最終墜落地点から6マイル離れた所に破片が散らばった場所があるとうい報告に反駁しておらず、報道の中には、破片の中には飛行機のエンジンの一つが含まれていると報ずるものもあった。別の場所に破片があることは、飛行中に爆発したことを示しており、あり得る理由は2つである。攻撃者たちが持っていた爆弾か、空軍のミサイルかである。そして調査からハイジャッカーたちが爆発物を持っていた証拠は挙がっていない。また、墜落地近くの何人かの目撃者が、その時間のあたりに、低空飛行を行なっている米軍ジェットを見たと述べている。

そこでもう一つ疑問が起こる。フライト93を撃墜するのは、この状況では「正しい」行動だったはずである。そして、それはNORADとペンタゴンがその日の朝、まともに対応できたことを示していたはずである。それでは、何故否定するのだろうか?逆に、ジェット戦闘機がその場にいなかったとすると、何故だろうか?


Richard Wallace, UK Mirror [undated]: What Did Happen to Flight 93?

Jeff Pillets, The Record, 9/14/01: In rural hamlet, the mystery mounts; 5 report second plane at Pa. crash site; the investigation

William Bunch, Philadelphia Daily News, 9/16:02: Three-minute discrepancy in tape

Tom Gribb et al, Post-Gazette, 9/13/01: Investigators locate 'black box' from Flight 93; widen search area in Somerset crash

Richard Gazarik and Robin Acton, Tribune-Review [via Flight93crash.com], 9/14/01: Authorities deny Flight 93 was shot down by F-16

Albert McKeon, Nashua-Telegraph, 9/13/01: FAA worker says hijacked jetliners almost collided before striking World Trade Center



(16) ブッシュ政権は、撃ち合いの戦争が終わった後、イラクの基本社会サービスを復興しイラクのインフラを再建する計画を持っていた

侵略が開始される前から、米国がイラク再建のために何をするかという問題が提起されていた。私は、ある記者会見で、ペンタゴンの官僚が、米国の再建チームが既に戦後のイラクを巡る計画に3週間を費やしていると述べていたのを覚えている!ペンタゴンは当初、イラク再建の最も重要な部分早く100億ドル、3カ月かかると述べていた。これは、国連が1年1000億ドルの強引な再建プログラムで3年かかると述べていたのと大きな対照をなしている。

撃ち合いの戦闘が終わった後、再建開始計画どころか、米国には町の秩序を保つ計画もないことが明らかになった(いくつかの石油関係施設を改善しているが、それは別のことである)。これには二つの側面がある。広まっているのは、ブッシュとお仲間たちは口だけだというものである。そして、彼らのグランド・デザインの詳細に関しては、計画ではなく見せかけだけがありがちだというのは確かである。けれども、この見解は、米国がイラクの国内状況を持続的な(望むらくは統制された)カオスに置いておくことがもたらす米国にとっての戦略的な利点を見逃している。最も重要なのは、そうすれば、大規模な米軍駐留の口実ができ、それにより、イラクの石油の世界市場復帰を米国が統制でき、イラクが好ましくない石油企業をパートナーとして選ばないようにすることができる。長期的な軍事占領は、米国が公式にはできないことを実質上行うために次ごうがよいものである。すなわち、イラクに無期限に空軍基地を維持することである(米国が、今年前半に反米の政治的緊張を弱めるため、サウジアラビアの基地を撤去することに合意したことから必要になったものである)。

この間、米国は、「再建」に要するあらゆる費用をイラクの石油売却から支払おうと計画している。イラクの人々の「ため」に米国が監督する大規模な金づるである。

つまり、ブッシュ屋たちは、イラク再建について「無策」の策を意図している。


参考リンク

イラク:再構築か脱構築か(2)

Susan B. Glasser and Rajiv Chandrasekaran, Washington Post, 4/2: Reconstruction Planners Worry, Wait and Reevaluate

Bush Wars 4/2: Reconstruction Blues

Bush Wars 5/16: Chaos in Iraq

Bush Wars 5/21: Chaos in Iraq: Just What the US Wanted?

PBS Newshour transcript, 3/25: The Cost of War

Bill Walsh, Anniston Star [via Google cache], 3/23: Rebuilding Iraq: Bush's plan to rebuild postwar Iraq draws fire from Congress

Abid Ali, CNN, 3/31: Allies row over rebuilding Iraq

Ehsan Ahrari, Asia Times [via Google cache], 3/26: The lucrative business of rebuilding Iraq

Mike Allen, Washington Post [via The Iraq Foundation], 2/26: US Increases Estimated Cost Of War in Iraq


(17) 米国は「戦後」イラクで平和維持のために誠実な努力を払っている

「[略奪者の中には]略奪品を手にして消え去る前に、米兵と海兵隊に笑いかけたり自らの獲物を置いて親指を立ててよしと示したり、喉に指を横に走らせてサダムとささやく者もいた」(ロバート・フィスク インディペンデント紙 2003年4月11日)

大規模な戦闘が静まってから3カ月の間に米軍とイラク人との間に多くの衝突があるが、米軍の「戦後」の振舞いは、なさなかったことにより大きな特徴がある。行政の混沌に介入せず、そもそも基本的な行政手続きを再建し始めてさえいない。これは兵士の問題ではない。伝統的に、占領軍にかわって軍事警察が加わって現地の人と拘留し物資とサービスの復興を監視する。けれども、ラムズフェルドは、早期に戦闘部隊の一部にかえて軍事警察を派遣すべしという助言を繰り返し却下してきた。これは、このところ、多くの軍関係者の批判を浴びている。


参考リンク

Bush Wars 4/16: "I Saw Marines Kill Civilians"

Bush Wars 4/11: Baghdad is Chaos

Jonathan S. Landay and Warren P. Strobel, Knight Ridder, 7/1: Bremer requests more troops as violence, tension escalate

Anthony Shadid, Washington Post, 7/1: Mistrust Mixes With Misery In Heat of Baghdad Police Post

Robert Schlesinger, Boston Globe, 7/10: Rumsfeld is pressed on troops' return


(18) やかましい国際的な反対にもかかわらず、実際には米国は世界の大部分の支持を得ており、それは有志の連合に40カ国以上が加わったことに示されている

世界全体が米国によるイラク侵略に反対した声はとても大きかったため、わずかに米国市民の眠りの中にも入り込んだ。それにより、世論調査で国連の賛同なしの戦争に対して乗り気でない人々の数が増えた。そこで、米国内の人々に対して、全世界が実際には侵略を支持していると言い聞かせる必要があった。そこで生まれたのが有志連合である。米・英からなり、豪が使いっ走りをやり[日本がお小姓を務め]---さらに中東の米国風「民主主義のチャンピオン」たちが加わった。中には、アンゴラやアゼルバイジャン、コロンビア、エリトリア、ミクロネシアといった外交の巨人たちと人々を代表する諸国が加わっていた。米国の人々がこの策略に気付いたとしても、バグダッドが陥落したときに、全てが忘れ去られてしまった。誰もが勝者を愛するのである。


参考リンク

LiveJournal 3/31: Who is in the Coalition of the Willing?



(19) この戦争は民間人を保護したことに大きな特徴がある

以下は5月23日のスコットランド、ヘラルド紙からの引用である。「国連と国際援助機関と独立調査グループが行なった予備調査によると、イラクにおけるこの度の戦争で、アメリカの銃と爆弾とミサイルは、ベトナム以来のどの紛争よりも多くの民間人を殺した。米国は、これが軍事史上最速の最も正確な戦争であると誇らしげに述べるが、「付随的被害」の最初のスナップショットは、このハイテク電撃戦で5千人から1万人のイラク人非戦闘員が死亡したことを示している」。


参考リンク

The Herald (Scotland) [via Refuse and Resist] 5/23: Civilian Deaths in Iraq could be as high as 10,000

Associated Press [via The Globe and Mail] 4/1: 'Precise' bombs going astray



(20) バグダッドの考古学的・歴史的なサイトの略奪は予期されていなかった

戦後イラクの当時の責任者ジェイ・ガーナー将軍自身、ワシントン・タイムズ紙に、イラク国立博物館をサダム政権崩壊後の要防衛サイトのリストの2番目に挙げて置いたが、何故その勧告が無視されたかわからない、と述べている。また、1月にイラクの伝説的なシュメールの古代遺産の保存を心配した米国の学者グループと政府は面会している。戦争屋たちは、問題となっているものの重要さに気付いていたはずである。スコットランドのサンデー・ヘラルド紙によると、ペンタゴンは少なくとももう一度会議を行なった。「自らをアメリカ文化政策委員会(ACCP)と称する骨董品収集家および美術関係法律家のグループが、軍事行動開始前に、米国国防省と国務省官僚たちと面会して支援を持ちかけた・・・・・・このグループは、骨董品の所有と輸出に関するイラクの厳しい制限を緩めることを求める、影響力の強い多くのディーラーからなるものとして知られている・・・・・・[アメリカ考古学インスティチュートの]パティ・ガーステンブリス会長は、「ACCPのアジェンダは考古学的遺産が豊富な国家の法律を弱め骨董品の国家所有を撤廃して、簡単に輸出できるようにするものである」と述べている。


参考リンク

Liam McDougall, Sunday Herald, 4/6: US accused of plans to loot Iraqi antiques

Bush Wars 4/23: General Jay and the Museum

Bryan Pfaffenberger, Pfaffen Blog, 4/15: US failure to prevent looting...


益岡賢 2003年8月5日 

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