メデジン:占領下の生活

フォレスト・ヒルトン
2003年3月23日
ZNet原文


「私は、準軍組織部隊という概念を、イスラエルからコピーした」
カルロス・カスタニョ 準軍組織コロンビア自警団連合(AUC)の長


5カ月前、コロンビア大統領アレバロ・ウリベは、「オリオン作戦」を命じた。3000人の兵士からなる軍・警察・諜報の連合部隊が、メデジン中西部の丘にある、人口10万人からなるコムーナ13に侵入し、「転覆的分子」の地域を、戦車と戦闘ヘリにより「浄化」する作戦であった。予想されたとおり、コムーナ13で「標的」となった地域(特に20デ・フリオ、ベレンシト、コラソン、レウ・サラド、ラス・インディペンデンシアス)は、現在、準軍組織AUC(コロンビア自警団連合)の統制下に置かれている。

2002年遅くに、ウリベ大統領は、AUCの指導者たちと「和平交渉」を開始した。この交渉により、1995年から1997年までウリベがアンティオキア州知事だった時代のCONVIVIRと同様、おそらくは、準軍組織を合法化することになるだろう。けれども、メデジンのブロケ・メトロやカシケ・ヌティバラをはじめとする様々な地域の準軍組織は、この合意から除外されることになるかも知れない。準軍組織が深く手を染めている麻薬取引について、おそらくは、この合意が、それに反対する線を打ち出すだろうからである。今のところ、オリオン作戦の中枢にいたコロンビア軍第4旅団は、コムーナ13の準軍組織に対して行動を起こしてはいない。数年にわたり、コムーナ13で、そしてメデジン全体で、両者が密接に協力してきたことを考えると、これは驚くことではない。

2002年10月半ば以前、コムーナ13の大部分は、3つの「革命的」都市民兵の統制下にあった。コロンビア革命軍(FARC)と民族解放軍(ELN)そして人民武装部隊(CAP)である。これら民兵の第一世代が広まったのは、1980年代の半ば、ベリサリオ・ベタンクール大統領とFARC・EPL(毛沢東主義ゲリラ)・M−19(民族主義ポピュリスト)のゲリラとの間で行われていた和平交渉が決裂したあとである。コムーナ13における民兵の第三世代は、周辺の若者たち、ときに参加する大学生、そして1990年代のメデジン戦争を生き延びた一握りの第二世代ベテランたちから構成されている。民兵達は、コロンビア政府を追放し、より公平で民主的な政治・経済体制をつくることを目標に掲げているが、採用する方法はしばしば好ましくないものであり、誘拐や強請、脅迫や殺害なども用いられる。

しかしながら、こうした民兵達と並行して(これらの民兵が1年以上にわたり準軍組織をコムーナ13に近づけなかったことは指摘しておかなくてはならない)、そして雇用も教育もあまりなく資源も少ない中で、コムーナ13のコミュニティは、自分たちの生活を造り上げるために努力してきた。人々は、警察や軍、準軍組織からの日常的な暴力や脅迫、嫌がらせの中で、自らを組織し協力することにより、これを進めてきたのである。コムーナ13では、自ら道路や学校、診療所を作り、高齢者センターや青年センターを作ってきた。自らの手と資金によって。さらに、人々は、適切な下水設備と飲み水、電気のために闘ってきた。

1999年以降に現れた政府と準軍組織は、「革命的」民兵を憎悪するのと同じくらい、こうした、自らを組織して行く独立コミュニティを憎悪している。1980年代と1990年代に、準軍組織は、かなりの数のアフリカ系コロンビア人マイノリティを地方部から追放したが、これらの人々は、全員、コムーナ13にやってきた。そのとき、これらの人々が有していたコミュニティの組織化や抗議の経験は、傷つかずにコムーナ13にもたらされたのである。コムーナ13に対するオリオン作戦とその後の準軍組織による占領は、したがって、追放された人々を再び追放したことになる。

こうした追放の繰り返しには、悲劇的に馬鹿げた要素があるが、その論理は明快である。2003年2月に、追放された人々の一部がコムーナ13に戻ってきたとき、オリオン作戦により住人が追放された家々は、準軍組織に直接つながりのある人々に占拠されていた。コミュニティの組織も準軍組織に浸食されていた。「秩序部隊」の目には、AUCに協力しないコムーナ13出身者は、潜在的なあるいは実際のゲリラであり、除去すべき敵と映っている。

コムーナ13では、1年前の同時期と比べて、殺人は38%減少し、114件から75件となった。けれども、20デ・フリオのコミュニティ・リーダーによると、「彼らは、人々をこのあたりでは殺さなくなった。そのかわりに、別のところに連れ出して、近くの別の地域で殺すようになった。それにより、コムーナ13での暴力の状況は、正しく伝えられない」状態にある。夜、銃声が響き渡ることは、もうない。殺害の半分以上は、ナイフにより行われるからである。準軍組織は、民兵達が犯した過ちを避けたがっており、そのため、公共の交通手段や路上の商売に「課税」することもない。そのかわりに、近くのサン・クリストバルから、エコペトロル[コロンビアの国営石油企業]の石油を盗み出し、1ガロンあたり50ドルから60ドルで売り飛ばしている。これにより、毎日1万ドル相当の売り上げを得る。その一方で、アラウカ州のさらべないでは、米軍特殊部隊が新たなコロンビア軍旅団を訓練し、ゲリラによる破壊活動からオクシデンタル石油のパイプラインを防衛させようとしている。米国大統領ブッシュの「好意」により、コロンビアに対して、石油企業のための補助金として与えられた9400万ドルの一部が、これに使われている。

統合へ向かっているブロケ・メトロとカシケ・ヌティバラという「反抗的」準軍組織に制圧されているコムーナ13にとってはさらに悪いことに、ウラバへ通ずる高速道路が、一部アメリカ資本の注入も受けながら、コムーナ13の中心部を貫通する予定となっている。ウラバは、カリブ海の港町トゥルボに通じており、この地域の準軍組織の中枢部隊の拠点であるとともに、多国籍バナナ・プランテーションや木材会社、大規模牧場主たちの拠点でもある。ウリベとウリベ政権のゲッペルスたる内務司法相フェルナンド・ロンドニョにより、この一団は、現在、コロンビア中央政府レベルでの権力を手にしているのである。

ウラバの「戦略的通路」はコロンビアにおける武器と麻薬の搬入・搬出ルートでもある。ウリベがAUC指導陣との交渉で、どのような法的恩恵をAUCに与えようとも、メデジンのコムーナ13を準軍組織が占領することは、戦略的領土とルート、資源を制圧しようとする米国主導の対ゲリラ戦略のフレームワークに上手くあてはまっている。この戦略が、資本の「原始的」(これについては実際の手法を見ればわかる)蓄積をいかに好んでいるかは、誤りようもなく明確である。

コムーナ13から追放された人々は、どこに行ったのだろうか。貧困層が人口の82%を占め、福祉はメデジンよりもさらに劣悪であるような、地方部に逃れていくという選択肢は、ない。民兵達をはじめとする多くの人々は、メデジン北東部に逃れていったのである。北東部は、緑豊かな山に連なる坂の途中に位置し、山の逆側には、グアルネから東部の地域につながるルートがあり、そこではFARCとELNが勢力を維持しているサンタ・アナ、サン・ルイス、グラナダである。軍の諜報筋によると、東部から、FARCの第34前線とELNのカルロス・アリリオ・ブイトラゴ前線とが、メデジンからのルートをどのような犠牲を払っても防衛するために、援軍を導入したという。

FARC・ELN・CAPと、準軍組織ブロケ・メトロおよびカシケ・ヌティバラの戦闘により、メデジンの北東部は、最も暴力的な地域となっている。警察によると、この地域で、今年に入ってから133件の殺人が行われたという。ロブレドだけで54件の殺人が行われた。

オリオン作戦と同様の作戦が、メデジン北東部でも行われ、準軍組織による支配への道筋をつけるのは、時間の問題であろう。これが、準軍組織にとっては天国である、大規模農場主共和国のやり方である。


フォレスト・ヒルトンはボリビアで、歴史を主題とする博士の研究を進めている。電子メールはforresthylton@hotmail.com


  益岡賢 2003年3月31日

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