英国労働組合の指導者たち、議員とキャンペーナーたちからの大きな抗議にもかかわらず、またガーディアン紙の詳細な英軍の関与に関する記事、そしてコロンビアのNGOによるエネルギッシュな反対にもかかわらず、先週ロンドンで開催されたコロンビア国際支援会議で一つの点だけははっきりしている。英国首相トニー・ブレアが、コロンビアのアレバロ・ウリベ極右政権のために国際的な状況打開を指揮したことである。米国に次ぐコロンビアに対する第二の武器提供国である英国のブレアは、西半球最悪の人権侵害政府に対して、新たな国際貸付の扉を開いた。EU、米、アルゼンチン、ブラジル、チリ、日本、メキシコ、ノルウェイ、スイス、IMF、世銀、アンデス開発銀行、米州開発銀行の上級代表が集ったこの会議は、ブレアの個人的なイニシアチブとスペインのホセ・アリア・アスナール首相の全面支援により集められたものである。この二人が今ひとたび、欧州における親米枢軸として振舞っている中、このイニシアチブの詳細は、ウリベのチームとの緊密な相談のもと、ボゴタの英国大使館で策定された。
厳密に管理されたこのプロセスを辿って、ブレアがどのように、国際舞台で自らの望むことを得るために「長話」を使ったかを見ることは有用である。外交官たちは、奇策が必要であることを知っていた。というのも、労働組合や社会運動、人権組織による広範にわたる強い根拠のある批判が、コロンビアの外でも知られていたからである。それゆえ、このプロセスにおいては、市民社会の見解を考慮しているように見せかけると同時に、そうした見解が影響力を持つことを封じ込めなくてはならなかった。ビクトリア朝時代の行儀の良い子供のように、市民社会は見る対象とはなったが、その意見は聞かれなかった。
会議では、2段階戦略が採られていた。最初の日には、NGOとの会議前コンサルテーションが行われ、そこで作成した報告が、2日目の会議に参加する各国政府や国際貸付機関の代表に提出されることになっていた。ウリベ批判の余地を注意深くコントロールする必要があったため、2日目には、NGOの2代表だけが1時間だけ主張を述べることになっており、それからその場を立ち去るよう求められていた。残りの時間は、ウリベの手下たちがセールス・ピッチを披露するためのものであった。
そして策略が使われた。これまで知られていなかった「ヨーロッパ戦略思考センター」のもとに約30の労働組合、農民、先住民、女性、平和、人権団体代表がロンドンに連れてこられた。他に、雇用者連合や「基金」---政府やCIAの資金潤沢な前線の呼称---も会議に参加していた。
ロンドン会議で、コロンビア政府は、自ら「コロンビアにおける国際的な平和同盟」と呼ぶものを求めている。それはつまり、政府の左派ゲリラ運動---FARCとELN---に対する戦争への、無条件の財政・政治支援のことである。あるコロンビア政府情報筋によると、「不法グループが引き起こす暴力が発展の主要な障害となっており、人間・社会資本の大規模な損失となっており、同時に、移民の増加につながっている」という。
NGOによると、ウリベの「民主的治安」政策のもとで、「人々は基本的な権利を享受する資格がないものとされ、何よりも戦争の道具と見なされている」。さらに、「ウリベ大統領は、公に、コロンビアでは戦闘員と民間人の区別が妥当なものであると信じてはいないと宣言した」。地方部のコミュニティや労働組合などの諸組織に対する迫害は、この軍事化された政策の直接的な結果である。ウリベは平和を望んでいない。戦争に勝つための外国の援助を望んでいるのである。ある人権活動家が述べたように、「紛争に対する交渉による解決という考えとウリベの全面戦争政策との間には、根本的な齟齬がある」。
ウリベは、人権侵害について「下降傾向にある」と主張する(英国政府もこの主張を一貫して繰り返してきた)。しかしながら、コロンビア法律家委員会の報告は、ウリベが政権に就いた初年に、政治的殺人と失踪が7000件近くもあり、それは、パストラナ政権4年間の平均よりも悪いと述べている。そして、人権侵害はパストラナ政権最後の年にピークに達したが、2002年7月から2003年6月までのウリベ政権下における一日19人の殺人犠牲者が、2001年7月から2002年6月までのパストラナ政権における1日20人の殺人犠牲者よりも受け入れ易いものであるかどうかには疑問の余地がある。
法律家委員会は、政府プロパガンダが人権状況を意図的に歪曲していることを示している。2003年3月、副大統領事務局は、コロンビアにおける殺人の増加と暴力による記録的な数の追放を述べた報告を発表した。しかしながら、大統領事務所は、同じ報告に基づくとしながら、「コロンビアにおける人権侵害の大規模な減少」と称する記者会見を行なった。
ロンドン会議から2つの大きな結果が生まれた。短期的には、ウリベの立場は強化された。というのも、「コロンビア政府と援助国に都合が良い時に米州開発銀行が組織する」支援国調整会議がロンドン会議のフォローアップとして開催されることが合意されたからである。もう一つの結果は、NGOと社会運動は、ウリベとブレアによる策謀に対して大きな怒りを抱いていることである。公式政策が市民社会のパートナーシップのもとで合意されたという見せかけは全くの偽りである。コロンビアには、実際に国際的な平和同盟が求められているが、それはナリニョ・パラス及びダウニング街10番地で企み出されたものとは全く違うかたちのものでなくてはならない。国際的な平和同盟は、コロンビアの人々を中心とし、ウリベの軍事国家の権力をうち倒す必要性を中心とするものでなくてはならない。
アンディ・ヒギンズボトムは英国のコロンビア連帯キャンペーンのメンバー。
インドネシアでも、ほぼ同様のことが起きています。インドネシアの「支援国」会議では、コロンビアよりもさらに日本の役割は大きいですが。コロンビアでは、米国オクシデンタル石油のパイプライン防衛のためにコロンビア軍が傭兵として訓練され使われており、インドネシアでは、アチェのエクソンモービルや西パプアのフリーポート・マクモランの破壊的操業を維持するためにインドネシア軍が傭兵として使われています。いずれも、市民社会に対して累々たる人権侵害を犯してきました。
ささやかですが、準軍組織を使って労働組合指導者を殺害・脅迫しているコカコーラ社への不買運動の案内をアップしました。ご覧下さい。