戦争屋がイラク破壊を正当化することが必要な理由

二〇〇三年四月一四日
ウィリアム・ブルム
原文


ここで紹介する記事は2003年4月のものですが、小泉政権が自衛隊をイラクに派遣しようとしている現在、その不当さと犯罪性を改めて見直すために、少しイラク侵略についてたどり直そうとの意図で紹介するものです。ウィリアム・ブルムは『アメリカの国家犯罪全書』(作品社)の著者。1967年に米国国務省を辞任して以来、静かにねばり強く米国の外交政策の問題を暴いてきた人です。


地球上の大多数の人々に反対されている戦争を仕掛けようというとき、人々が一方的な戦争に反対してますます強固に戦闘的になっているとき、その戦争が明白かつ当惑するほど不法で不道徳で非論理的で不正であることを自ら知っているとき、そして戦争の本当の理由を認めることができないとき・・・・・・そんなときには、道徳的な響きを持つ確かなセールス・ポイントを見つける緊急の必要がある。「体制変更」、悪のサダムを取り除けば、イラクの人々は花と音楽で我々を歓迎するだろう!

こうしたわけで、戦争から二週間以上が経っても、世界に向けて示されたイラクのイメージは、ほとんどが、死と負傷、悲痛、膨大な瓦礫の山、爆撃が生みだしたホームレス、米国に深く怒りを抱いている人々であることは、戦争屋にとって苦々しいことであった。けれども、そうでないことなどあり得たろうか?愛する人々をミサイルでバラバラにされ、子供の手足をちぎりとられ、家や病院、学校や仕事を破壊されることを好む人などがいるだろうか?米軍当局は、大砲担当の下働きと軍属メディアに、イラクの人々の否定的な反応あるいは肯定的な反応の不在は、すべて、サダムを恐れているためであると告げた---まるで、サダムのエージェントがイラク市民一人一人の後ろに銃を構えて立っているとでも言うかのように。一〇〇万人もの人々が、降服したり寝返ったり自分たちを「解放」してくれたことに感謝を示す代わりに、命を懸けて闘い抵抗するのは何故だろうか?

今や、勝利のVサインを出す若者、引き倒されたサダムの銅像に上る人、カメラに向かって笑い掛ける者は、誰でも、米国メディアのスターとなり、戦争の崇高さの証拠として扱われる。けれども、イラクの人々のうちどれだけが、侵略を---侵略がもたらす<あらゆる>影響を---幸福に感じるだろうか?サダムがいなくなったということ以外、何を喜ぶというのだろうか?しかも、多くのイラク人がサダムを支持していたのである。そして、「祝福」しているイラク人のうち、どれだけが、死と破壊に触れたのだろうか?どれだけが、それについてそもそも<知って>いるのだろう?米国は、随分早い時期に、イラクのほとんどからイラクとアラブのテレビ局を爆撃で取り去った。電話の大分部も、早い時期に犠牲となった。人々が惨劇を知ってその顔から笑顔が消えるときまで、米国メディアはイラクにいるだろうか?

アメリカ人として、私もまた、自らを私の指導者と称する残酷で無知な独裁者が追放されたら、それを祝福するだろう。けれども、私が暮らす町と私の家が破壊されないならばのことである。イラクでどのような変化が起ころうと、アメリカの残酷な攻撃を正当化するものではない。指導者が気に入らないからといってある国が別の国を侵略できるという世界は、どのようなものになるだろう?いずれにせよ米国のイラク侵略の動機は、サダム・フセインとも、その邪悪さとも、フセインが持っていると言われた大量破壊兵器とも、宣伝された米国に対する脅威とも無関係である(侵略の真の理由を巡っては、「帝国マフィアが本当に望んでいること」を参照してほしい)。


11月9日は選挙です。失業率が上昇し多くの社会問題を抱える中で、税金を適切に割り当てるかわりに米国の言うがママに不法行為のために拠出する政権を平和的に「体制変更」したいと考えているのは私だけではないと思います。

自民党と民主党(しかし民主党に自由党が合流すると自由民主党ですね)の政策比較が、ここにあります。また、このページを運営している(?)「無関心党」のページがありました(それによると、同党は今や日本で自民党を超える最大の支持率を誇る政党のようです)。有益な情報がいっぱいあります。

2003女性差別議員を減らそうキャンペーン」というのもあります。
  益岡賢 2003年10月20日

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