暴力の連鎖

益岡 賢
2004年8月15日


「暴力の連鎖」、「憎しみの連鎖」といった言葉を耳にすることが多い。武力で問題は解決しない。暴力の、憎しみの連鎖を生むだけである・・・。武力による占領はテロを生むだけである・・・。また、「戦争で何よりも苦しむのは民間人である」といった言葉も、よく耳にする。

コロンビアでは、過去40年にわたって紛争が続いている。政府軍による農民の追放と土地の奪取、農民の自警団による抵抗。都市型ゲリラの誕生。そしてとりわけ最近では、右派準軍組織と左派ゲリラの対立。相手側と通じているのではないかと疑った民間人の殺害。現象としては、まさに、「暴力の応酬」と民間人犠牲者の増大である。

疑問が生まれる。紛争が40年も続くのは何故だろう。そもそも、なぜ戦闘員が不足しないのだろう。世代サイクルを約30年として、1サイクル以上にわたる紛争で、戦闘員が補充され続けるのはなぜだろう。とりわけ、コロンビア革命軍(FARC)が社会変革のアジェンダを失いつつあり、ますます「ただの」武装グループ化している中で。

一つの理由は、はっきりしている。稼ぐため。食べるため。人口の7割が貧困生活を余儀なくされているコロンビアで、ゲリラや準軍組織に参加すれば、生活を支えることができる。FARCの給与は月約200ドル。準軍組織は約300ドル。兄弟で、特に政治的に対立しているわけではないのに、兄がFARCに、弟が準軍組織に参加するケースもある。また、100ドルの収入増を求めてFARCを辞め準軍組織に参加するケースもある。

もう一つ疑問が生まれる。戦闘員が、そもそも経済的事情で戦闘員となった人々であるならば、そして継続的に「民間人」が戦闘員として参加する状況では、戦闘員と非戦闘員(民間人)との間に最大の分断線を引くことは----むろん法的な区別は必要であるが----、認識を曇らせてしまうのではないだろうか。


マイケル・ムーアの『華氏9/11』に、米軍のリクルータたちが、経済的崩壊状態にあるミシガン州フリントで、新兵のリクルートにあたっている、興味深いシーンがある。仕事もない、教育の見通しもない。軍に参加すれば、教育も受けられるし、世界中を見て回ることもできる。給料までもらえる。

米国は、少なくとも現在は、徴兵制ではない。建前上は、個々人の選択で軍に参加することになっている。むろん、様々な職業選択肢の中から、積極的に軍人となることを選ぶ者たちも少なからずいるだろう。一方で、ムーアの映画に示唆されたように、少なからぬ人々は、経済的苦境の中、他に仕事が見つからないために軍に参加する。

そして、たとえば侵略占領のためにイラクに派遣され、イラク人を殺害する。武装した人々も武装していない人々も、無差別に。当然、占領下に置かれた人々は、レジスタンスを開始する。相手は国際法を犯し、大嘘の理由をでっち上げて自分の目的に好都合の言葉以外はすべてに耳をふさぎ侵略をごり押しした者たちで、恣意的に人々を拘束し拷問し、武装の有無にかかわらず、子供であっても殺害する者たちだから、被占領者の言葉には耳を傾けないことは十分過ぎるほど明らかになっている。

したがって、レジスタンスも武力----占領者たちの理解する唯一の言語(『ファルージャ2004年4月』の中で、自分のライフルを「世界一の通訳」と自慢した米兵の言葉が紹介されているが、この米兵の言葉は、このことを特徴的に示している)----を用いたものになる。

ここに、「暴力の連鎖」と呼ばれる状況が出現する。

こうして生まれた「紛争」状況を前提として、たとえば、「紛争の解決に武力を用いることは、暴力の連鎖を生むだけである」とか、「紛争の中で最も犠牲になるのは民間人である」といった言葉が発せられる。


これらの言葉は、「紛争」を出発点とするならば、妥当なものであろう。けれども、次のような疑問には答えていない。

A.「暴力の連鎖」に始点はないのか? 紛争には、始点は定義できないのか?

B.イラクでは普通の人々がレジスタンスに参加している。また米軍兵士についてさえ、上で述べたような背景があるのなら、そもそも「戦闘員」はどのような位置づけをもつ存在なのか?

現在イラクで起きていることについては、Aへの答えは明快である。始点は、2003年3月の米軍によるイラク侵略にある。スーザン・サランドンは、次のように言っていた。

アメリカの若者達が遺体袋に入れられて帰ってくる前に、イラクで女性や子供たちが命を落とす前に、知っておきたいことがあります。イラクは私たちに何をしたでしょうか。

ジョージ・W・ブッシュ大統領が何と叫ぼうと、コリン・パウエル国務長官が国連の場でどんな子供だましの捏造証拠を示そうと、イラクは米国に何ら暴力行為を加えてはいなかったのである。したがって2003年3月20日の米軍による暴力の前に連鎖の輪は存在しなかった。

だから、それを始点とする「暴力の連鎖」に言及する前に、そもそも何を目的にこの暴力が開始されたのかを考えておこう。

多くの分析が示しているように、大きな目的の一つは、石油支配の確立強化にある。イラクが石油取引通貨をユーロにしようと試みていたことが要因の一つとなったことを考えると、この目的は、米国企業利益のための武力行使に一般化することができる。さらに、ハリバートンや戦争企業をはじめとする関連企業の、戦争および「復興」段階での、直接的な利益。都合良く税金をこれらの企業につぎ込むことができる。

これに対応して、Bについては、少なくとも最初に暴力を開始した側の戦闘員は、利益のための道具だ、ということになる。自らはその利益からそもそも排除されていたがために戦闘員となり、戦闘員となったために、自らが排除されている利益に仕える道具となる存在。


企業利益を守るために暴力を必要とする体制。その体制の中で、利益から排除された人々が一方で企業の邪魔者として描き出され、それらの人々に「対処」するために暴力が行使される。他方で、利益から排除された人々を戦闘員としてすくい上げ、企業利益を守るための暴力行為に従事させる。

ウイリアム・D・ハートゥング著『戦争ってどれくらい儲かるの』(阪急コミュニケーションズ発行・1800円+税)には、限定された具体例に基づいてではあるが、こうした構造が示されている。

同じ形式は、様々なところで観察される。たとえばコロンビアでは、コカコーラ社下請けの瓶詰工場が企業利潤最大化のために大規模な解雇を行う。労働者の抵抗を無くすために、準軍組織を雇って暴力的に労働者を脅しながら。こうして仕事を失った労働者にとって、戦闘員となることは、生きるための、一つの----戦闘員市場規模が大きい経済体制下では有力な----選択肢として目の前にある。

現象としての「暴力の連鎖」は、「連鎖」の始点において、このようなメカニズムに支えられている。その結果現れる「犠牲となる民間人」の背後には、戦闘員となるよう追いやられた人々もいる。


とはいえ、このような機構を円滑に回すためには、プロパガンダによる線引きの想像的な創出が必要になる。

「われわれ」アメリカ。「我が国」日本。2001年9月11日、米国ニューヨークにある世界貿易センタービルに飛行機が突入したとき、米国の新聞は「アメリカ、攻撃される」と報じた。飛行機が突入したのは世界貿易センターであり、犠牲者の国籍も様々であり、「アメリカ」から排除された人々も含まれていたにもかかわらず。

われわれは平和国家である。〔・・・・・・〕 これは、世界でもっとも自由な国、憎悪を認めず、暴力を認めず、殺人を認めず、悪を認めぬ価値観を拠り所とする国アメリカ合州国に対する天の命令なのである。そして、われわれは飽くことを知らない(ジョージ・W・ブッシュ 2001年10月 アフガニスタン空爆宣言の際)

われわれはイラクを攻撃しているのではない。解放しているのだ(ジョージ・W・ブッシュ イラク侵略から間もなくして)

自由は、世界中のあらゆる人々に与えられた神からの贈り物である。地球上で最も強大な国として、私たちアメリカ人は、その自由を広める任務を担っている(ジョージ・W・ブッシュ 2004年4月、ファルージャ虐殺を進めていたさなか)

米国がベトナムで行なっているのは、一つの人民が別の人民に提供する博愛主義の最も重要な一例なのである(デビッド・ローレンス『米国ニュース&ワールド・レポート』編集者 1966年2月、米軍がベトナムにナパームや枯葉剤をまき散らしていた中)

「われわれ」「私たちアメリカ人」「一つの人民」。戦争経済体制を支える構造の再生産に必要な同一性を確立するための「われわれ」が執拗に繰り返される。


「我が国」日本でも、急速にここで述べたような体制が整備されている。

一方で、公共の資産を「売却」私営化する動きが、「民営化」「改革」の掛け声のもとで進められている。いつのまにか、「われわれ」の、公共のものだったものが、立入禁止になり、私有財産化されている。それが何を意味するか、本当に「民営化」が「効率化」や責任の透明性を意味するのか。これらについては、コロンビアの例を見るまでもなく、はっきりしている(もう少し知りたい方は金子勝『粉飾国家』講談社現代新書等を参照)。

こうして私営化が進み、社会的セーフティネットは廃棄され、自己責任の名のもとで、経済的に排除された人々を大量生産する体制が造られる。

これに対応するプロパガンダとして、学校では「我が国」を強調した社会科教科書の採択が画策され、メディアでは「我が国」日本の領土が脅かされている、北朝鮮の核に、中国の膨張主義に、ロシアの北方領土対応に・・・といったことが陰に陽に、仄めかされ、示唆される。実際には「われわれ日本」などという利益共同体は存在せず、日々抜け駆けの私営化で利益を手にする者たちとそこから排除される人々とが造りだされているにもかかわらず、それを隠蔽するために。

利益から排除された人々の回収先として、自衛隊を強化する。イメージアップのために、子供向けの宣伝ビデオも制作して。「自衛」のための存在と強弁して。「普通の国」になるために自衛隊の海外派遣を自由に行えるように・・・(そして「我が国」日本の企業利益を武力で守ることができるように)。


「暴力の連鎖」として描きだされる状況の背後には、暴力を必要とし、暴力を求め、暴力に従事する者を創造して回収する、戦争経済の、暴力的な金儲けの機構とそれに対応するプロパガンダのメカニズムが存在する。

どうやら、オリンピックが始まったらしい。「われわれ」、「我が国」、「同じ日本人として」という言葉には注意しよう。

ジョージ・W・ブッシュアメリカ合州国大統領が米国籍の兵士を平然と人殺しそして殺される場所に送り出し、小泉純一郎日本国首相もそれに全面的に協力していることから明らかなように、「われわれ」「我が国」「同じX国人として」といった言葉は、戦争経済機構を支えるプロパガンダ的粉飾の常套手段なのだから。

 益岡賢 2004年8月15日

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