益岡 賢
2003年8月15日
『「シャヒード、100の命」展---パレスチナで生きて死ぬこと---』という展覧会が、東京(既に終了)・京都・沖縄・松本・大阪で、行われ(てい)る。展覧会に対応したかたちで、同名の書籍(展覧会のパンフレット)が、発行=「シャヒード、100の命」展実行委員会、発売=インパクト出版会として出版されており、書店で手に入れることができる。私自身は、残念ながら展覧会に行くことができなかったが、出版されているパンフレットを、先日入手して、見た。
見開き2ページに記された、一人の命。左側ページには、アラビア語と日本語と英語で名前が記され、顔写真があげられ、その人の存在について、日本語と英語で簡素な説明が付与されている。右側のページには、遺品の写真。マーヘル・オベイドさんの説明は、次のようにある。
23歳。家族はブライル村の出身。村はナクバで破壊された。ガザのジャバリーエ難民キャンプに住んでいた。幼くして両親を亡くし、ハーン・ユーニスの叔母のもとに引き取られた。家族は貧しく、彼が唯一の働き手だった。マーヘルは小学校を卒業し、カンフーとボクシングをたしなんだ。9月30日、いつものように家族にいくばくかの食料を届けると、彼はすぐにネツァリーム入植地の近くの衝突現場に出掛けた。デモに参加しているさなか、胸と腹部に3発の弾丸を見舞われ、亡くなった。
ページをめくって行く。180・181ページ。アラー・バニー・ニムラさん。顔写真の欄は枠の中にベージュが塗られている。説明には、次のように書かれていた。
15歳。両親と8人の兄弟姉妹がいた。サルフィートの貧しい家庭に生まれた。
アラーは小学校を終えることなく父親や兄たちと働き出し、イスラエルで野菜を売って家計を助けた。2000年10月20日、アラーは嫁いだ姉を訪ね、小さな甥っ子にキスをした。その足で衝突現場に行き、心臓を撃ち抜かれたのだった。貧しい家族にアラーの写真は1枚もなかった。
一人一人の、単独の存在を示した固有の証言。本の帯には、「パレスチナの100人のシャヒード、『証人』たちの真実を再現する」と書かれている。「シャヒード、100の命」展が、アラビア語圏以外で行われるのは、日本が始めてだと言う。私自身は展覧会に全く関係していないが、できるだけ多くの人が、展覧会に行けないとしても、このパンフレットを通して、証言に耳を傾けて欲しいと思った。
原因を認識し理解することは、一つ一つの、単独の存在と死に思いを馳せることと矛盾しない。むしろ、「単独性への拘泥」をファッションとして消費しないために、必須の前提である。『「シャヒード、100の命」展---パレスチナで生きて死ぬこと---』のページをめくりながら、頭を離れなかったことは、パレスチナが不法占領下に置かれている、という単純な事実、そしてその事実が日本の主流メディアではきちんと伝えられていないという状況である。
占領下に置かれているというのは、1948年、イスラエルがパレスチナ人を暴力的に追放して建国した「イスラエル」の地について、ではない(それをも占領と言うことはむろん可能であるし、理論的にはその点も考慮しなくてはならないが)。1967年の戦争でイスラエルが奪い取って以降、国際的な前提となっている枠組みのもとで、パレスチナ人の領土とされている、もともとのパレスチナのうち、約22%を占める西岸地域とガザの話である。この、いかなる異論の余地もない(最低限の)パレスチナ人の土地で、パレスチナ人は、イスラエルに完全に不法な軍事占領のもとに置かれているのである。
簡単に言うと、オスロ合意とそれ以降の交渉は、地理的な焦点としては、ガザとヨルダン川西岸地区の、この22%を巡るものである。イスラエルは交渉中も不法占領地への不法入植を進め、パレスチナ自治区をこの地域のさらに断片化され孤立したいくつかの領域に封じ込め、周囲を取り囲んでいる(ネット上で明快な地図はここにある。また、E・W・サイード『戦争とプロパガンダ2 パレスチナは、いま』(中野真紀子訳・みすず書房・1200円)にもわかりやすい地図がある)。この既成事実をあたかも法的な出発点であるかのようにして、イスラエルは自ら不法占領している土地からの条件付き「撤退」を「寛大な措置」として宣伝している。
テレビや新聞では、「イスラエル」における、パレスチナ人の「自爆テロ」が報じられている。あまり報じられていないのは、例えば、次のような事実である。2000年9月末に第二次インティファーダが始まってから最初の3カ月間、被占領地でのパレスチナ人の死者は279人、そのうち82人は子供。同じ時期、イスラエル人の死者は41人、子供はゼロ。そして4人を除いて全員が、ガザと西岸地区で犠牲になっている。さらに言うと、第二次インティファーダが開始されてから、イスラエル領内で「自爆テロ」が最初に起きたのは、パレスチナの被占領地内で、イスラエル軍や入植者たちが5週間のうちに200人以上のパレスチナ人を殺した後のことである。ガザと西岸地区、それは22%残されたパレスチナ人の土地であり、イスラエルが不法占領している土地である。そしてイスラエル兵が護衛する中、ブルドーザがパレスチナ人が暮らす家々や木々をなぎ倒し、イスラエル人の入植を進めている土地である。石を投げるパレスチナの人々に、イスラエル兵が発砲しているのは、こうした地域である。
とはいえ、ここでは、だからイスラエルが悪い、という議論を展開しようとしているわけではない(度重なる国連決議に反して占領という不法行為をイスラエルが続けていることが法的に「悪い」のは明らかであるし、その占領地で家屋の破壊や人々の殺害を続けることも法的に「悪い」のは明らかであるが)。誰が悪いと糾弾することと責任を問うことは別であるし、責任を問うことと原因を問うこととは別である。ここで論じたいのは、単純ではあるが、原因について、より正確には、原因について知ろうとすることについて、である。
歴史を参考に単純な思考実験をしてみるならば、「自爆テロ」と「不法占領」の因果関係が円環的な連鎖ではなく因果的に明確な始点を有することは、明らかである(上述の、第二次インティファーダ以降最初の「自爆テロ」が起きた時期も、それを示している)。すなわち、パレスチナ人が「自爆テロ」をしなくてもイスラエルによる不法占領は終わらない(それどころかレバノンからのイスラエル軍撤退の経緯は、武力攻撃がないとイスラエルは占領を止めないのではないか、という仮説をすら、人々に引き起こしうるものである)。一方、イスラエルによる占領が終われば、パレスチナ人による「自爆テロ」は、ほぼ確実に終わるであろう。
それゆえ、本当に暴力を止めたいと望む観点からは、現在起きている暴力は、暴力の「連鎖」でも「悪循環」でもない。因果的には起点となるイスラエルによる占領が終わればもう一方の遙かに規模の小さい暴力もかなりの部分止むであろうから、連鎖しているとも循環しているとも言えない。また逆に、これまでの歴史が示すように、パレスチナ人が「自爆テロ」を止めてもイスラエルの占領とそのもとでの暴力が続くであろうことを考えると、現在の暴力が「連鎖」でも「悪循環」でもないことは、出来事のレベルでは明白である。一方、暴力を止めたいと思っていないのであれば、起きている事態は、やはり暴力の「連鎖」でも「悪循環」でもない。暴力を止めたいと思っていない、継続したいと思っているということは、暴力が何か連鎖の問題としてあるいは悪循環で続けられているのではなく、暴力を望む意志があって暴力が続いているということなのだから。
以上の議論で、あまり強調しなかった二つの点がある。一つは、暴力の規模の問題である。センセーショナルな報道に反して、圧倒的に大規模な暴力は、圧倒的に大規模な兵力を有し不法占領を続けているイスラエル軍によって加えられている。二つめは、「自爆テロ」という、日本のテレビや新聞でよく耳にし目にする言葉である。「テロ」の定義を巡る議論をここで展開する気はないが(定義を巡っては、例えばノーム・チョムスキーの「誰がグローバル・テロリストか?」や「対テロ戦争インタビュー」を参照)、この言葉に強い否定的なトーンが含まれているとするならば(どうやらそのようであるが)、暴力を止めるために必要となる、原因を認識することへの指向を鈍らせる、という点で、大きな悪影響を与えているだろう。
原因を巡る検討のために、構造的・状況的に類似した出来事を考えることは有効である。すぐに思い浮かぶのは、最近イラク報道で乱発されている「爆破テロ」という言葉が指し示す事態とその文脈である。
ここでも、米国によるイラクの不法占領という状況が、前提にある(米国がイラクを解放したのだという読売ウィークリー型のナンセンスを主張されたい方は、とりあえず「イラク侵略」ページにある諸記事を参照して欲しい。とはいえ、米国がイラク「解放」を行なっていなかったならば「爆破テロ」も起こっていなかったであろうという点から、ここでの議論には、「不法占領」か「解放」かは無関係であり、お望みならば「不法占領」を「解放」と読み替えても、論理に影響はない。いずれにせよ、不法占領を解放であるとごり押しするためには知性と理性の徹底的な放棄が必要になるであろうから、以下の議論も簡単に拒否できるかも知れないけれど)。そして、米国によるイラク侵略と不法占領がなければ、「爆破テロ」も起こらなかっただろうということは推測できる。一方で、イラクの人々(?)が「爆破テロ」を行わなかったとしても、米国によるイラク侵略占領は起こらなかったとは、決して言えないことも。
暴力の規模を巡る問題も、明確である。イラクの民間人犠牲者は6000人〜8000人程。イラク兵の犠牲者は数万人と言われる。米国兵士の犠牲者は大体二桁少ない。そして、占領者である米軍は、イラクの民間人に対して、例えば次のような犯罪を犯し続けている(いくつかについてはこちらも参照)。
2003年4月15日、米軍兵士たちは、モスル市の新市長マシャーン・アル−ジュブリが親西洋的な演説をしたことに腹を立てた抗議者の集団に向けて発砲した。7人が殺され、数十人が怪我をした。目撃証言によると、兵士たちは、人々がものを使ってジュブリを殴っている中、ジュブリを連れ去った後、それから射撃姿勢をとって、人々に向けて発砲を始めた。
4月28日:米兵たちはサダムの誕生日に集まったデモ参加者たちに発砲し、13人を殺し、75人に怪我を負わせた。米軍司令官は兵士たちが攻撃を受けていたと主張したが、目撃証人たちはこれに反駁しており、米軍自身のハムビー(高機動多目的装輪車両)が群衆の上に警告発砲したことに怯えた兵士たちが人々に向かって発砲を開始したと証言している。その二日後、米軍兵士たちは、ファルージャで別の群衆に対して発砲し、さらに3名を殺している。
イラクを巡っても、暴力の「連鎖」や「悪循環」は存在しない(とはいえ米軍によるイラク不法占領下での民間人殺害や破壊・弾圧と「爆破テロ」を「連鎖」や「悪循環」とする論調も多くないが、それはパレスチナ−イスラエルを語る構図よりもさらに不気味なことに、米軍の暴力を暴力として認識していないことが一つの要因になっている)。存在しているのは、始点を有する因果性である。それについては、日本の政治家やメディア、米国の政治家やメディアよりも、米兵の家族の一部の方が、遙かに明晰に認識しているようである(「米兵を連れ戻そう」参照)。そして、ここでも、こうした因果性の中で「爆破テロ」という言葉を扇情的に使う報道は、暴力を止めることに対して負の悪影響を与えていることになる。石油を略奪するという観点からは、そうではないのかも知れないが。
他に、似通った例であると同時に、現在の「テロ」を巡るマスメディアの議論をもう少し明らかにする例として、1975年以来1999年までの24年間、インドネシアの不法占領下に置かれ、75年当時の人口約60万人の3分の1にのぼる20万人の犠牲者を出した、東チモールがある。侵略から約5年間の大規模な「軍事作戦」による殺戮。強制収容キャンプでの飢餓。占領者であるインドネシア当局による日常的な殺害。1981年ラクルタでの数百人もの虐殺、1983年クララスでのやはり数百人の虐殺。1991年サンタクルス墓地での300人もの虐殺。占領下での過酷な人権侵害。この間、米国も英国も日本もオーストラリアも、インドネシアを大規模に支援してきた。なお、東チモール抵抗運動はゲリラ戦も行なっていたが「テロ」(民間人への暴力)に訴えることはほとんどなかったことを指摘しておこう。
1999年。東チモールの人々による自決権行使が実現に向かっていたときも、インドネシア軍は民兵を創設・訓練して武器を提供し、脅迫や殺害、誘拐、放火といった暴力を続け、激化させていた。4月6日、リキサの教会に避難していた人々をインドネシア軍と民兵が襲撃し数十名が殺される。4月17日、マヌエル・カラスカラン邸が襲撃され、避難していた十数人が殺される・・・・・・。
インドネシア治安当局とその手先の民兵による殺害や放火、脅迫や暴行が続いていた1999年7月30日、今となっては見慣れた、次のような見出しが、朝日新聞に現れている(記事はジャカルタ特派員翁長忠男氏):
「フレテリン、山岳部でテロ」
「独立派の武装組織『東ティモール独立革命戦線』は山岳部を拠点に、国軍兵士の誘拐や国軍施設へのテロを繰り返してきた」
インドネシアの「山岳部」、ではない。インドネシアにより不法占領されている東チモールの山岳部である。「国軍兵士」「国軍施設」と称しているのも、東チモールを不法占領しているインドネシア軍の兵士と施設であり、しかも、東チモール内にいる兵士と東チモール内にある施設である。一体、「(インドネシア)国軍」は、こんな所で何をしているのだろう?テロとはそもそも何かとうい定義の問題に行きたい誘惑を抑えて、ここでの問題は、この記事には、どこにも、そもそもインドネシアが東チモールを不法占領しているという、イスラエルによるパレスチナ占領と同様に国際法上明確な事態の記述が一つもないことである(ちなみに、いまだに日本のメディアは、東チモールについて、インドネシアからの独立、という何の根拠もないインドネシアのプロパガンダを繰り返している)。
東チモールの場合、特に1999年は、自決を求める東チモール人の側からの暴力はほとんど無かったから、暴力の「連鎖」とか「悪循環」とは言いにくい。それだけでなく、そもそもどんなに政治的な用法であれ、いずれにせよ定義上暴力を伴う必要がある「テロ」と言う言葉も使えない(はずである)。ところが、フレテリン(ファリンティルの誤り)が「山岳部でテロ」を行なっているとするこの記事からわかるように、一方的な暴力を暴力の対立あるいは連鎖に強引に還元し、さらに自ら捏造した被占領者の暴力を「テロ」と名指すダイナミズムが、存在しているようなのである。
脱線するが、東チモールを巡っては、もう一つ書いておこう。『吉本隆明のメディアを疑え---あふれる報道から「真実」を読み取る法』(青春出版社・667円)という素敵なタイトルの本がある。78ページに、次のようにある。
わたしの考え方は国家と国家の戦争でも、ユーゴの内戦や東ティモールの独立運動などでも、「やりたきゃ、自分たちだけでやれ」というのが原則になる。他国の連合軍が介入する必要はない。戦争までして何か自分たちが主張したいのなら、勝手に相手をつぶすまでやればいいではないか、そのうちに飽きて、反省してやめるからと思うだけだ。
吉本氏は、(1) 自分に全く何の関係もなく自分が中立の立場で、(2) それとは全く別に紛争が起きているときに、お節介をする必要はない、という形式的なことを言いたいのかも知れない。そうだとすると、あまりに凡庸ではあるが、プロパガンダで宣伝する「人道」の名のもとに介入と人権侵害を繰り返す者・国を前提とするならば、こうした主張に現実的効果がないわけではないことも理解できなくはない。
しかし、こうした形式的な主張を現実の状況に対応づけるために、東チモールの例を引き合いに出すのは、単に、「真実」を全く取り違えている。第一に、東チモール独立運動に他国の連合軍が介入したことなど、一度もない。インドネシア軍と民兵による一方的な破壊と虐殺に対して、しかもそれが終わった頃に、インドネシアの合意を得て、他国の連合軍が派遣されただけである。第二に、「国家と国家の戦争」に並置して「ユーゴ内戦と東チモールの独立運動」を置くことで、東チモールの独立運動がインドネシアの内戦であるかのような、全く「真実」とは程遠い印象を与えている(多分、こうした点を巡る事実関係について、著者は確認をしていないのだろう)。
1975年以来、インドネシアによる侵略と不法占領に、日本が大規模な財政支援を与え、米国が武器の9割を提供していた状況、すなわち、(連合軍ではないけれども)他国が連合して介入していた状況で、形式的な不関与の立場を論理的に適用するならば、それは、第一に、関与している日本(あるいは米国)等の「他国」に手を引くよう求めるとうい文脈で、「東チモールの独立運動」をではなく、「インドネシアによる侵略」を焦点に論ずることにならざるを得ないはずである。暴力的対立が円環的に閉じているときその外部から余計な介入をする必要はない、という主張は、東チモールにおけるインドネシア軍と民兵の暴力を巡っては全く成り立たないし、「真実」を踏まえた上で、日本政府のインドネシアに対する大規模な経済援助と政治的擁護を知りながら「やりたきゃ、自分たちだけでやれ」という原則を「東チモールの独立運動」に当てはめようとするのなら、無知の装いを道徳的な武器とした虐殺の擁護者でしかない(これ、ご丁寧に「あふれる報道から『真実』を読み取る法」というサブタイトルが付いている本の中に書かれていることです:笑いを取ろうとでもしているのでしょうか?『口が臭くて臭くてそしてその口臭を取り除けていない本吉明隆さんが書いた本吉明隆の口臭を取り除く法』みたいなノリで・・・・・・とはいえこんなノリで笑いが取れるとも思いませんが)。
さらに、「劇場テロ」などでメディアを騒がせているチェチェン(そもそもモスクワの劇場占拠がどのようなものであったかは完全に明らかにはなっていないようだ)についても、占領者ロシアとチェチェン側の「テロ」として、似通った状況が見られる(チェチェン総合情報を参照)。
東チモールのことについて書き始めたために、大きく脱線してしまった。論点を整理しよう。
まず、出来事のレベルにおいて。暴力を止めるということを目的に据え、因果関係を歴史的に辿るならば(そして思考実験で蓋然性を検討するならば)、暴力の「連鎖」や「悪循環」と言った言葉で表現されている(そして表現される可能性のある)事態は、実際には「連鎖」でも「悪循環」でもない。第一。因果的に起点となるのはここで検討した事例では占領であり、それが終わればもう一方の遙かに規模の小さい暴力もかなりの部分止むであろうから、その意味では、暴力は連鎖しているとも循環しているとも言えない。また逆に、例えばパレスチナ人が暴力を止めても、このままではイスラエルによる暴力は継続されるであろうから、この暴力は「連鎖」でも「循環」でもない(「連鎖」はリングの一つが切れればそこで切れるはずであるし、「循環」もどこかが滞れば滞るはずである)。第二、暴力を止めたいと思っていないのであれば、起きている事態は、やはり暴力の「連鎖」でも「悪循環」でもない。暴力を止めたいと思っていない、継続したいと思っているということは、暴力が何か連鎖の問題としてあるいは悪循環で続けられているのではなく、暴力を望む意志があって暴力が続いているということなのだから。そして、因果性の起点を考えるならば、占領を受けている側が暴力を止めたいと思ったとしても、そして占領を受けている側が暴力を実際に止めたとしても、占領者による暴力は止まらないのであるから(東チモールの例はそれを典型的に示している)、本当に暴力に憂慮しているのであれば、ここで言及した事態について、明晰に見つめなくてはならないのは、何よりも、占領という事実である。
ついでマスメディアが語ることのレベルにおいて。出来事のレベルでのこれまでの分析から直ちに導かれるのは、現在のマスメディアの傾向である、占領についてはほとんど言及せずに「自爆テロ」を多く取り上げるという事態が、控えめに言っても、暴力を止めるために何の貢献もしない、ということである。さらに、東チモールの例に見られるように、メディアが称するところの「連鎖」を繋ぐ「テロ」のリングが存在しないところでは、メディア的に「テロ」を作り出そうとさえ、メディアはする。こうなると、むしろ積極的に暴力を求めているとさえ言えよう。西岸とガザの、入植地や壁を含めた詳細な地図をほとんど見せずに「暴力の連鎖」や「自爆テロ」を語り、インドネシア軍による不法占領について全く述べずに東チモールの自決権行使を「インドネシアからの独立」と記述し、「山岳部でテロ」と報ずるメディアがどのような位置に自らを置いているかは明らかである。そして緩みきった「知識人」が、「メディアを疑い」「真実を読み取る」と称して、メディアが準備した前提を全面的に受け入れながら、コメントをする。
以上展開してきた、暴力の「連鎖」と一見思われ、しばしばそう報じられている事態について、原因を辿れば始点・端点があるのだから、それを変更してやれば暴力は止む、従ってそれを認識する作業が暴力を止めるための第一歩である、と言う議論は、技術的な解の方向性としては、それなりに正しい。そして、このレベルでの分析を論理的に淡々と行う必要は、確実にある。けれども、こうした主張は、すぐさま、では、暴力に悩むことがなければ、いずれにせよ暴力は止まらないのか、と言う問題を導くことになる。また、覗き見的に暴力を楽しみ、因果関係の推測を「分析」の名のもとで楽しむという最悪の態度も少なからず存在するのではないか?
実際、ほとんどの場合、暴力の端点にある場所では、暴力に悩んではいないようであるように見受けられる。占領政策を推し進めるイスラエルの政治家や推進者たちは、むろん、パレスチナ人の命を何とも思っていない。イスラエル市民の犠牲についてはもしかすると悩んでいるのかも知れないが、政策的な観点から悩むだけのようにも見受けられる。米国によるイラク占領は、イラクの人々に加えられる暴力については嬉々として推進しているし、さらに、侵略政策を進める者たちは、米国兵士に加えられる暴力についても、自分への批判が高まるために宣伝上まずくなるという憂慮を除いては、ほとんど全く悩んでいないようである(実際、平然とウラン汚染の中に兵士を送り込んでいる)。インドネシアも状況は(程度の差はあるが)似通っているし、ロシアも、状況は似通っているだろう。暴力が(自分に直接関係ない限り)全然OKだと考えるならば、確かに暴力は止まらない。
ここで、長い迂回の末に、一人一人の存在に思いを巡らすこと、という倫理的な問題が再び持ち上がってくる。原因を問い原因について考えることは、暴力を止めようとする意志のもとでのみ有効であり、そのためには、他者の存在に「触れる」ことが必要となる。ここにおいて、『「シャヒード、100の命」展---パレスチナで生きて死ぬこと---』のような媒介の重要性が、改めて、決定的に浮かび上がってくる。一方、ここに至るまでに差し挟んできた原因を巡る分析の概略は、他者の存在に「触れる」ことと他者の存在に触れたという自意識を持って自閉し何もしないこととの決定的な差異を生みだす一つの要素であり得るだろう。改めて、この展覧会を、できるだけ多くの人に見て欲しいと思う。
大日本帝国敗戦の日が近づいている。日本は、1895年、日清戦争後に台湾を植民地化(占領)した。1910年、大韓帝国を植民地化した。1931年、日本は中国を侵略し始めた(アイヌモシリと沖縄も同じ視点から見直す必要があろう)。戦後、「恒久の平和を念願し」ていると称する私を含む日本の「国民」は、日本がなした占領を巡る暴力について、技術的・分析的に認識し、占領を被った人々の存在に触れてきただろうか。朝鮮民主主義人民共和国に関して、出来事レベルでの因果性を認めがたい「植民地支配」と「拉致」を巡って、立場は全くことなれ両者を関係付けて論ずる少なからぬ人々(「拉致」により「植民地支配」は相殺されて余りある/「拉致」はいけなしが、しかし「植民地支配は」・・・)がいることを目にすると、そして、イラク特措法という不法占領にあからさまに荷担する法案が成立し残された問題は自衛隊員の安全ばかりであるかのような議論を見ると、原因を巡る技術的な議論と他者との接触の双方が、私自身も含めて、全く不十分である/あったのではないかと思わざるを得ない。
文献:
太田昌国 『「拉致」異論---あふれ出る「日本人の物語」から離れて』(太田出版・2003年)
エドワード・サイード 『戦争とプロパガンダ2 パレスチナは、いま』(みすず書房・2002年)
アレクサンダー・ジョージ 『西側による国家テロ』(勉誠出版・2003年)
高橋奈緒子他 『東ティモール 奪われた独立・自由への戦い』(明石ブックレット・1999年)
ノーム・チョムスキー 『アメリカの人道的軍事主義』(現代企画室・2000年)
南風島渉 『いつかロロサエの森で---東ティモール ゼロからの出発---』(コモンズ・2000年)
ウィリアム・ブルム 『アメリカの国家犯罪全書』(作品社・2003年)
Milan Rai, War Plan Iraq (Verso, 2002)
Wendy Pearlman, Occupied Voices: Stories of Everday Life from the Second Intifada (Thunder's Mouth Press, 2003)