☆音楽夜話 私とブルーグラス 第11話
栃木県職労 松本 敏之
今回は、ブルーグラスとブルース(blues、何なら「ブルーズ」と言ってもいいです)との関係を書いてみます。というのは、ここ2週間ほど、クラシックやブルーグラスはほとんど聴かずに、ブルースやリズム&ブルース(ソウル)、それからブルースっぽいロックばかり聴いているからです。
ブルーグラスの父、ビル・モンローの手許にあるレコードを見ただけでも、「ワー・ユー・ゼア」(ブルーグラス・タイム)、「スイング・ロー・スイート・チャリオット」(ビーン・ブロッサム)とニグロ・スピリチュアルのうたがすぐ見つかります。それだけでなく、「ミュール・スキナー・ブルース」(ビーン・ブロッサム)はジミー・ロジャースのうたですが、題がそうだからと言うまでもなく、明らかにブルースを模倣しています。そのほかにも、「聞こえないのかい(Can't
You Hear Me Callin')」(ビル・モンロー・グレーテスト・ヒット)はビル・モンローの作というクレジットですが、マック・ワイズマンのうたい方はブルー・ノーツを使って明らかにブルースを意識したものです。ビル・モンロー以外にも、例えば「アメイジング・グレイス」(例えば、オールド・タイム・ミュージック・アット・クラレンス・アシュレーズ)も黒人のゴスペルと白人のカントリー、ブルーグラス音楽に共通するものです。
逆に、たまたま私の手許にある「ビューティ・オブ・ザ・ブルース」(ソニー・レコーズ)というCDにある「神の王冠(ゴッズ・ゴット・ア・クラウン)」(アリゾナ・ドレインズ)といううたは、明らかに白人のカントリー(ヒルビリーとかマウンテン・ミュージックと言うべきか)とそっくりです。このアリゾナ・ドレインズという人は、ゴスペル・シンガーということになっているようですが。
ビル・モンローの伝記には、アーノルド・シュルツというブルース・マンが登場します。「もう一つの音楽上の強い影響は黒人の音楽である。この田舎ダンスめぐりの時にめぐりあった、地方では伝説的な男、アーノルド・シュルツというフィドルとギターをひく黒人に特に強い影響を受けた。田舎ダンスでビルはシュルツのフィドルの伴奏もしたのである。ブルーグラス音楽のシンコペイションを使った「ブルージィ」なフィドル奏法はもともとこのシュルツからビルが学びとったものらしい。シュルツは歌はうたわなかったが、ブルーズを口笛でよく吹いたという。ブルーズの影響はシュルツに限ったことではなく、ビルは畑で働く黒人たちが口笛でブルーズを吹くのをよく耳にする環境にいたという」(『ブルーグラス音楽』三井徹)。
何もビル・モンローに限らず、アメリカ南部は人種差別と人種対立が激しいとはいえ、結局は白人と黒人が一緒に生活していたのですから、音楽に交流があったのは、考えてみれば当たり前のことです。のちに、ロックンロールが「リズム&ブルースとカントリー&ウェスタンの合いの子」として生まれたと言われていますが、何もロックンロールを待つことなく、ブルースとカントリーはずっと交流していたのですね。エルヴィス・プレスリーもそういう環境の中で、当たり前にブルースやリズム&ブルースを聴いていたことでしょう。
最近、アレサ・フランクリンの「ゴスペル・グレイツ」というCDを買いました。一九七二年にロサンゼルスの教会でライブ録音したものです。最後の「アメイジング・グレイス」は圧巻です。機会があれば、このCDのことも書いてみたいですね。
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