☆道楽道
舞台裏から見続けた二十?年 第6話
芝居を見よう! Part 1
NTT労組 常盤 数行
芸術の秋です。なぜか秋から冬にかけて芝居の公演が多くなります。もちろん一年中やっているのですが、この時期特に多くなる傾向があります。私も十一月十八〜二十日と十二月九〜十二日の二本芝居をかかえていて、時間を見ながら稽古場に通っております。
この秋二本の芝居を手がけますが、この二つの劇団が対象的なのでその内容について触れてみたいと思います。まず、芝居と演劇の違いですが、演劇という言葉は明治以降に普及したもので、それまでは芝居と言われていました。これは、寺院の庭(芝)に座って催しものを観たところからきています。
演劇に対する考え方は大きく二つの流れがあります。その一つは、まず俳優がいて、そのために脚本が書かれ、それが舞台で上演されるものを観客が観る。こういう状態でできる一つの世界を演劇という場合と、もう一つは、まず戯曲があってその内容を俳優が表現しそれを観客が観るという世界を演劇という場合です。
前者の俳優〜戯曲〜観客という形は、演劇の根本に演技を優先を土台においたもので、伝統芸能である歌舞伎のように座付作者が特定の俳優のために脚本を書き、上演される形で一つの例にあげられると思います。後者の戯曲〜俳優〜観客という考え方は、演劇の基本に文学を置くもので、その文学作品としての戯曲を俳優が演技して表現するもので、こんにちの演劇と言われるものは、この様な考え方の場合と言えると思います。十一月に公演する劇団は、まず脚本が出来て、脚本の中に登場する人物のキャラクターを考慮してキャストをきめて上演するという後者の考え方に基ずいています。また、十二月に公演する劇団は、まず、公演内容のイメージを先行させ、公演に参加する人達各々がそのイメージに基ずいて色々な角度からストーリーをとセリフを構成し、その構成されたものをつないでいって上演するといった、どちらかというと後者に近い考えかたに基ずいているといえるでしょう。稽古のやり方、進め方についても、おのずと違いが出てきます。前者は、脚本をよく読み込んで作家は何を言おうとしているか?何を訴えたいか感じとって、様々な表現手法の中からもっとも効果のあるものを探っていく大変さがあります。
また、後者については、上演に参加する人達がイメージを共有するまで何回となくディスカッションを繰り返していくやり方ですが、相当な時間とエネルギーが必要となります。どちらにしても、上演するまでは大変なエネルギーと時間を要することは間違い無いことです。
一方、演劇を観ることで僕自身が大切にしていることですが、基本的には、面白かったかどうかで、面白いという定義は、集中して演劇が観れたかといういわゆる舞台の緊張感が伝わったか、また、プレゼンテーションされている内容を感じ取れたかどうか、この二点が演劇を面白く観れたかどうかの判断になると思います。
音楽活動されている皆さんもここのところを、再度考えて音楽を生み出す事のなかに生かしてみたらいかがでしょう。演劇は必ず見る人がいる、音楽は必ず聞く人がいるのだ、見てくれる人聞いてくれる人の事を少し意識していけばいいのではないかと思います。そしてもう一つ、この秋一つでも多く劇場に足を運んでいただければと思います。以前から演劇人口(公演を観てくれる人含む)は、減りもしないし、増えもしていない、すなわち底辺の拡大は出来ていないとうことのようです。
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