わがまま音楽紀行
連載第四回 香港編
宮本雄一郎(大阪市職労)
○ 香港の音楽
思いつくままに「わがまま音楽紀行」という雑文を書き出して四回目になります。前号までネパールやタイを気ままに歩き回ってきました。今回も引き続いてアジア各地をふらふらと迷走していきたいと思います。時間に余裕のある方はどうぞ読んでやってください。
関西空港を離陸したジャンボ機は、南西諸島の上空を飛んで一路南へと向かいます。三時間半後、海ばかりだった窓の外に突然高層ビルの林立する島があらわれます。香港です。ジャンボ機は香港上空を旋回してビル群をつき抜け、翼でマンションのベランダの洗濯物をかすめるかのようにして啓徳空港に着陸します。飛行機を降り立つと、リュックを背負った身体に、亜熱帯のむっとするような濃厚な空気がまとわりつきます。風はねばりつくように熱く、気のせいか空気に屋台の食べ物のにおいが含まれているような気がします。借りものの時間、借りものの土地」といわれた英領時代の香港、旧空港に到着したら、その足で重慶大厦というオンボロ雑居ビルにある旅行会社に直行します。タイムトラベルという名の旅行社には、香港から中国大陸に向かう人、逆に中国から香港を経て世界各地に向かう人、それからいわゆるバックパッカーなどが格安チケットやビザの手配を求めて集まってきます。
香港という場所には世界中の音楽も集まってきます。欧米のポピュラーやクラシックからアジア各地の民族音楽、中国や台湾、地元香港のありとあらゆる音楽がごった煮のように渦巻いています。その中で、人々にもっとも広く支持されているのは、地元の歌手が歌うポピュラー音楽のようです。
○ 真夏の果実
香港の歌手に張学友(ジャッキー・チュン)という人がいます。九十年に日本で発表された桑田佳佑の「真夏の果実」という曲を聞いて、この曲を是非自分に歌わせてくれと申し入れたのがこの張学友でした。
「真夏の果実」は、映画「稲村ジェーン」の主題曲としてヒットしましたが、ヒットは日本国内だけでおしまいでした。この曲が国外で注目を浴びるようになったのは、張学友が「真夏の果実」を広東語にアレンジして歌ったことがきっかけです。そして、日本のヒット曲が日本国内だけの現象にとどまらず、アジア各地のヒット曲もそのエリアを越えて行き交う、「脱欧入亜」ともいうべき現象が出現するようになりました。それまで、外国のポピュラーソングといえば欧米のものと相場が決まっていたのが、アジア発の音楽もようやく正当な評価を得る時代となったのです。張学友の歌う「真夏の果実」は、九一年に八百万枚を売る空前のヒットとなったばかりでなく、アジア各地の中国語圏にも広がっていきました。
張学友はアジアや欧米でのコンサートを成功させ、地元香港では最大の、一万二千人を収容する香港コロシアムで三〇日間連続のコンサートを行いました。香港の人口が大阪と同じくらいということを考えると、このヒットのすごさがわかるのではないでしょうか。張学友は以前から香港を代表する歌手として、その曲や歌唱力には定評がありましたが、この「真夏の果実」の成功は彼を国境を越えたスターへと導くきっかけとなりました。
○ 海南島の砂
アジアをめぐる旅に出ると、旅の間中いつも頭の片隅に音楽が鳴り続けているような気がします。九一年頃は、香港の街角には「真夏の果実」のメロディーがどこからか流れているような雰囲気がしていました。
ところで話は個人的なことに変わりますが、一九九四年、私はこの香港から中国南部の昆明、南寧、という地方都市を回って中国最南部にある北海というところを訪れました。
日本ではまったく無名の街ですが、北海は中国のリゾート地で、名前から連想されるイメージとは正反対の常夏の地です。私が訪れた時は正月休みなので当然真冬です。お正月の現地の天気予報が「北京零下十度、長春零下三〇度、上海零下四度…」などといっていても、北海は夏です。このあたりには季節は夏しかなく、季節感には「暑い夏、すごく暑い夏、死ぬほど暑い夏」という三種類しかありません。
私は友人たちと北海の郊外にある「銀灘」という有名な海水浴場に行きました。銀灘という名前のとおり、海辺には真っ白な砂浜がはるか彼方まで続いています。太陽はきらきらとまぶしく輝いています。正月の砂浜にはところどころにビーチパラソルが立ち、少数民族らしい娘がパラソルの下に品物を並べて暇そうに客を待っています。霞ゆらめくはるか沖合には、白い帆を掲げたジャンク船がゆっくりと海をすべっていくのが見えます。絵に書いたような美しい南のリゾート地の光景です。
なぜかまったく分かりません。この時突然、以前訪れたことのある海南島のイメージが浮かんできて、歌が私の頭に浮かび上がってきました。私は銀灘の砂浜を歩きながらその曲想を頭の中に書き留めました。真冬の南国のきらめく光の下に立ち、次々と浮かぶ勝手なストーリーを記憶しながら、延々と湧き起こる旋律を感じていたのでした。
その時から、頭の中で鳴り響く旋律が止まらなくなってしまい、ついには自主製作でCDを作るところまで行ってしまったのです。
○ 東京へ
ところで話はまったく飛びますが、今年の5月に東京で行われた自治労コンサートと働く者の音楽祭に私も参加させていただきました。大阪からギターと自分のCDを抱えて上京しました。東京駅で荷物を抱えておろおろとおのぼりさんをしていると、何となく不安な気持ちがつのってきました。始めての参加、ひとりでの歌と演奏、ということでもともと不安いっぱいだったのですが、オリジナル曲の「急いでベイビーズ」「ピエロにはならないで」の二曲をなんとか無事こなすことができてほっとした、というのが正直な感想です。持っていったCDもおかげさまで完売しました。
コンサートに参加してたくさんの人と知り合いになれたこと、一緒に舞台に立ったことは貴重な体験でした。音楽は人と心を通じ合えるすばらしいものだということをあらためて発見したような気分です。はじめて会った音協事務局や会員の方々、本部の役員や青年部の人達にお世話になりました。紙面を借りて感謝の気持ちを伝えさせていただきます。
ありがとうございました。 (つづく…かもしれない)
はたらくものの音楽祭スポットライト出演の宮本さん
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中国南端の北海の海辺。真冬のビーチパラソルで客を待つ子ども
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マカオの馬祖廟に住むドラ猫
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