2007.07.01(2019.9.6分離)
日経(070701)書評
マキァヴェッリの生涯
その微笑の謎
マウリツィオ・ヴィローリ〔著〕
武田好訳
白水社 (2007/06)
『君主論』で知られるルネサンス期イタリアの政治思想家の生涯を、本人が書き残した報告書や書簡をもとに詳細にたどる。一四九八年に二十九歳の若さでフィレンツェ共和国の外交問題を扱う第二書記局の書記長となってから、一五二七年、後に「マキァヴェッリの夢」として知られることになる病床での夢の話を友人に語り、亡くなるまで。著者は激動の時代を生きた思想家の人生に寄り添うようにして筆を進め、人物像に迫る。
インターネット書店「ビーケーワン」の内容説明
マキァヴェッリは他人を笑い、自分を笑った。運命の女神に戦いを挑み、ときに欺き、また身を任せ、敗れ去る彼の、息苦しいほどに凝縮された日々とその時代背景を、彼自身が書き残した膨大な報告書や書簡を駆使して克明に描く。
著者紹介
〈マウリツィオ・ヴィローリ〉プリンストン大学の政治学教授、マッツィーニ協会名誉会長、日刊紙『ラ・スタンパ』論説委員。ルソー、マキャヴェッリの研究をはじめ、イタリアの共和主義等に関する書物を多く上梓。
(2019.9.9以下構成替え)
『憎まれ愚痴』内の「マキャヴェリ」抜粋
(マキャベリ、マキャベッリ、マキャウェルリ、マキアウェリ)
●季刊『真相の深層』創刊号の編集後記より
欧米では政治学の祖とされる5世紀前のイタリア人、マキアウェリは、主著、『政略論』(中央公論社、世界の名著)の訳を借りれば、「君主政は容易に潜主政へ、貴族政は簡単に寡頭政へ、民衆政はたちまち衆愚政へと姿を変えてしまうものである」と論じた。
簡単に言えば、マキアウェリは、君主、貴族、民衆(ローマでは護民官の制度を含む共和制が代表)の権力対立関係に、自浄作用を見いだしていたのである。民衆政、または民主政、さらには社会主義、共産主義を至上とした最近の事例は、旧ソ連の崩壊で、衆愚政、または暴政(岩波文庫『ローマ史論』の訳語)への「たちまち」の変化を如実に示した。
(2019.9.9以下追加)
●「マキャヴェッリが定式化した「裸の猿」組織統制の秘訣」
ヨーロッパでは近代政治学の祖とされるマキャヴェッリは、
1.利益。
2.信仰。
3.恐怖。
このマキャヴェッリ説をさらに敷衍した説は多数あるが、基本型は変わらない。特に3.の「恐怖」となると、マキャヴェッリの同国人の末裔のマフィアなどが、未だに続けている典型的組織統制手段である。これも実は簡単な話で、何よりも自分自身の死を恐れる裸の猿の弱みを突く決定的な統制手段なのである。
●トマス・ペインの平和主義
イギリスにはすでに名誉革命(一六八八~八九)からピューリタン革命(一六四〇~六〇)で国王を処刑した歴史まである。ペインがいだいた共和政の思想は、ヨーロッパではギリシャ、ローマ以来の歴史的経験をふまえてのことで、マキャヴェリ時代のイタリアにも実例があるし、けっして突飛な発想ではない。だがそれを本心で、生命の危険をもかえりみずにかたり、執筆するには、それなりの自前のいかりが胸の内にもえつづけていなければならない。
●『煉獄のパスワード』第五章 アヘン窟の末裔 6
「雑誌の随想でマキャヴェリの『政略論』に触れておられましたね」
「ああ、あれを見て貰えましたか。有難う。それで、……失礼ですが、君は『政略論』を読みましたか」
「いえ。『君主論』止まりで、……。『政略論』の方は書名だけ知っていて、いずれ読みたいとは思っているんですが、単行本が手に入らないとか……」
「そうなんです。これも今の日本文化の不幸の一つですね。古典全集と選集に入っているのが絶版でしょ。岩波文庫では『ローマ史論』という訳題ですが、これも三十年来品切れのままです。名著を常に安く提供するという文庫本本来の趣旨に反しますね。ところが、この『政略論』の方がマキャヴェリの主著なんでして、長さも『君主論』の五倍はあります。『君主論』はその抜粋に過ぎないといっても良いぐらいですし、世間的な意味では趣旨が違っています。ともかく両方ともマキャヴェリの生きている内には出版されていないんですから、その点はクラウゼヴィッツの『戦争論』と同じです。そういう古典は著者の生涯を味わいながら、じっくり読む必要がありますね。日本では『政略論』とか『ローマ史論』と呼ぶ習慣になっていますが、あちらの省略名の直訳はニコロ・マキャヴェリの論叢集、ソウはくさむら、ですね。最初の題名はもっと長くて、ティトゥス・リウィウスという歴史家の書いたローマ史論の最初の十巻に関する論叢、論叢は複数形なんです。『君主論』と対比するには『ローマ共和国論』と名付けた方が良いくらいの内容ですね。僕はイタリア語はやらなかったので、今、英語訳で味わいながら聖書のように毎日少しづつ読み直しています。注文する時に英語の新刊書目録を見ましたが、『君主論』だけでなく政略論』も、ハードカバーからペイパーカバーの文庫本まで何種類も出ていますね。今でも古典の必須文献なんでしょうね、あちらでは」
「そうですか。マキャヴェリは、その他にも『戦術論』とか『フローレンス史』とか、コメディまで書いているそうですね」
「『戦術論』は英語訳の『アーツ・オブ・ウオー』を丸善で注文しました。コメディは今でも上演されているそうですね。イタリアではマキャヴェリは大変に偉大な思想家として尊敬されています。歴史的な偉人なんですよ。単なる権謀術数を説いた陰謀家のイメージではないんですね。ヨーロッパ全体としても近代政治学の始祖という評価が確立しています。僕は今、マキャヴェリからクラウゼヴィッツを経て現代にいたる軍事思想の体系を考えているんですよ」
「なにか最近、そんなものがアメリカで出たとか聞きましたが」
「ええ。しかし、あれは共同執筆の論文集です。僕は一人でまとめたい。軍事学を単なる技術論としてではなく、もっと深い、人類の悲劇の歴史として考えたいんです。そして、そこから日本の近代の軍国主義を全面的に評価し直したい。君も知っての通り、日本の軍事指導者は最も初歩的な所で決定的な誤りを犯したわけですから、これを完膚無きまでに批判し尽くしたい。
軍人が政治に口を挟んではいかんということは、マキャヴェリもクラウゼヴィッツも口を酸っぱくして繰返しいっていることです。『孫子』の冒頭にも〈兵とは国の大事なり〉としていますし、〈兵久しくして国の利する者は、未だこれあらざるなり〉とか、〈用兵の害を知らざる者は、用兵の利をも知らざる者なり〉などときつく戒めています。日本でも同じです。もともとこのシビリアン・コントロールの原則は、軍人勅諭にも明記されていることです。