2000.8.22.(火)(2019.6.10分離)
本日は、中野ゼロ映写室に赴き、ビデオプレスのヴィデオ(発音にこだわる表記)販売を手伝い、二次会に参加する約束をしていたのだが、揺れに揺れた挙げ句の果てに、断わりの電話を留守録音した。おそらく、ビデオプレスの松原明さんは、常時携帯のはずのポケットベルとかで留守録音の存在を知り、ヴィデオ上映の合間に廊下の電話で自分の事務所に電話を掛けて、私の短い詫びの台詞を聞いてくれるだろう。
振り上げた拳のおろし場所に困る奇妙な気分
なぜ、約束を翻したかと言うと、別途、わがホームページの「元日本共産党『二重秘密党員』の遺言」(その20)で紹介した「国鉄闘争に関する中央批判の日本共産党員メール」に答えたかのような『しんぶん赤旗』(2000.8.19./20.)連載論文が出現したからである。
私は、国鉄闘争に関する日本共産党員有志の「さざ波通信」中央批判メールを受け取るや否や、国鉄闘争を継続取材し続けている松原明さんに転送した。さらに、それをA3判裏表に押し込め編集し、リソグラフ印刷の1000部で1万2千円也の出費をした。わずかに欄外に、わがホームページにも転載記事ありとアドレスを記して、「広告費」出費と納得している。これを本日の『国労冬物語』と『7.1.国労臨時大会』ヴィデオ(私は両方とも見てしまった)のリピート上映会に集まる人々に配り、紙の印刷物による「さざ波通信」メールへの呼応とする予定だったのだが、上記『しんぶん赤旗』論文の出現で、いわば、振り上げた拳のおろし場所に困る奇妙な気分に襲われた。しかも、このところ多忙で疲れが溜まっている。何も私が一人で必要以上に力むこともあるまいと思い定めたのである。
争議団先輩の「偲ぶ会」の流れでも上記ビラ活用予定
上記のA3判ビラ作成の主要配付目標は、実のところ、きたる8.26.開催の松本勇先輩の偲ぶ会に集まる予定の昔の争議団の仲間たちだった。ほとんどが共産党員か支持者である。私も昔は同じ立場だった。彼らと松本勇先輩の葬式で会った際、最早10年以上も前のことになる労働戦線の「右傾化」時代の話になり、その当時の日本共産党の方針の「誤り」について、私に「書け」と言う声が大勢を占めた。
現在の全労連に至る「左派分裂」に関する日本共産党の「引き回し」の誤りについては、争議団の当時に侃々諤々の議論をしたのである。争議団の仲間は、「我々の意見の正しさが現在の状況によって明確に証明された」と考えているのである。その状況の一部でもあり象徴でもあるのが、国鉄闘争である。労働戦線の分裂の結果、総評の中心的存在だった国労は、JR全体の中でも少数派になっただけでなく、「右」の連合にも「左」の全労連にも参加できずに、全国段階では全労協という極少数の全国組織に所属しているのである。
昔の仲間が私に「書け」と言うのは、私が「ものかき」だからでもあるが、最近の改称のごとくに「野人」でもあるからである。いかなる権威にも屈することなく、自我を貫く私なればこそ、えへん、このような期待が掛けられるのである。なんて、良い気になって、まあぞろ敵を増やすのだろうか。ああ、しんど。