関東大震災の報道検証 その2:報道例

その2:東京の新聞の「朝鮮人暴動説」報道例の意外な発見

 ただし、石井の回想通りに、朝日が「朝鮮人暴動説」報道を抑制したのかどうかについては、いささか疑問がある。内務省筋が流した「朝鮮人暴動説」は、全国各地の新聞で報道された。

『大阪朝日』は9月4日、「神戸に於ける某無線電信で3日傍受したところによると」、という書き出しで、さきの船橋送信所発電とほぼ同じ内容の記事を載せた。『朝日新聞社史/大正・昭和戦前編』には、震災後の東京朝日と大阪朝日の協力関係について、非常に詳しい記述があるが、なぜか、大阪朝日が「朝鮮人暴動説」をそのまま報道した事実にふれていない。『大阪朝日』ほかの実例は、『現代史資料6/関東大震災と朝鮮人』に多数収録されている。この基本資料を無視する朝日の姿勢には、厳しく疑問を呈したい。

 東京の新聞でも、同じ報道が流されたはずなのであるが、現物は残っていないようである。わたしが目にした限りの関東大震災関係の著述には、東京の新聞の「朝鮮人暴動説」の報道例は記されていなかった。念のためにわたし自身も直接調べたが、地震発生の9月1日から4日までの新聞資料は、実物を保存している東京大学新聞研究所(現社会情報研究所)にも、国会図書館のマイクロフィルムにも、まったく残されていなかった。

 たしかに地震後の混乱もあったに違いないが、そのために資料収集が不可能だったとは考えにくい。報知、東京日日(現毎日)、都(現東京)のように、活字ケースが倒れた程度で、地震の被害が軽い社もあった。各社とも、あらゆる手をつくして何十万部もの新聞を発行していたのである。各社は保存していたはずだから、9月1日から4日までの東京の新聞の実物が、まるでないというのはおかしい。戒厳令下の言論統制などの結果、抹殺されてしまった可能性が高い。

 ところが意外なことに、『日本マス・コミュニケーション史』(山本文雄編著、東海大学出版会)には、新聞報道の「混乱」の「最もよい例」として、「9月3日付けの『報知』の号外」の「全文」が紹介されていた。要点はつぎのようである。

「東京の鮮人は35名づつ昨2日、手を配り市内随所に放火したる模様にて、その筋に捕らわれし者約百名」

「程ヶ谷方面において鮮人約二百名徒党を組み、1日来の震災を機として暴動を起こし、同地青年団在郷軍人は防御に当たり、鮮人側に10余名の死傷者」

 同書の編著者で、当時は東海大学教授の山本文雄に、直接教えを乞うたところ、この号外の現物はないが、出典は『新聞生活三十年』であるという。

 実物は国会図書館にあった。著書の斉藤久治は当時の報知販売部員だった。同書には、新聞学院における「販売学の講演」にもとづくものと記されている。発行は1933年(昭7)である。[中略]


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