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さざ波通信(2002.11.25) 一般投稿欄
本日落手の「拉致」問題論文[註1]の重要部分に異議:もともと右顧左眄で判断できなかった幹部
2002/12/5 木村愛二、60代、元日本テレビ社員、現電網雑誌編集長
本日落手の「拉致」問題論文[註1]には、以下の部分がある。
緒方氏らのこうした思考方式は、「自分で資料を調べて考え、判断する」ということが、日本共産党幹部に出来なくなっていることを意味している。
しかし、「出来なくなっている」という表現は、論理的に、「過去には出来た」という意味を含む。
私は、過去にも、自分では出来ずに、小利口な若者、その後のシンデレラボーイたちに書かせた論文を、時には、あまりにも自分には出来過ぎなので「無署名論文」としたりして、権力の座を確保してきた「カリスマ」の実在を知っており、その連中から実害を受けた立場から、この表現には異を唱える。/p>
もともと、結党以来、ソ連、中国、右顧左眄、今じゃ、きょろきょろ、しがみつき、自力のないのに、一本足の案山子[註2]、だったのである。
註1:「拉致」問題論文:
[以下、関係箇所のみ引用]
http://www.geocities.jp/sazanami_tsushin/sazanami/029/02.html北朝鮮による日本人拉致問題と日本共産党
2、党指導部は一貫していたか?[中略]
緒方氏らのこうした思考方式は、「自分で資料を調べて考え、判断する」ということが、日本共産党幹部に出来なくなっていることを意味している。[後略]
[引用終わり]
註2:一本足の案山子:
1960年代、日本共産党は「党活動と大衆運動の2本足の活動」という主旨の方針を発表したが、依然として、いわゆる大衆運動への蔑視、軽視の風潮は止まず、われわれ労組関係者は、党の専従を「一本足の案山子」と揶揄していた。
以上。