編集長の辛口時評 2007年1月 から分離

ホロコーストに疑義を呈すのを禁止する法律がフランスで論争

2007.01.24(2019.9.4分離)

http://asyura2.com/07/holocaust4/msg/103.html
ホロコーストに疑義を呈すのを禁止する法律がフランスで論争

 朝日新聞(2007年1月23日)に、半頁の長大特集が掲載された。ホロコーストに関しては、むしろ、最も狂信的な朝日新聞が、この記事を掲載したのは、イランのアフマディネジャド大統領の「ホロコースト神話」発言以来の現状の反映であろう。


http://www.jca.apc.org/~altmedka/shoten-holo.html
『ヒトラー・ホロコースト神話検証』
木村愛二著 四六版280頁 木村書店発行 2006年10月13日発売 定価2,500円
木村書店注文方法
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ドイツ誌シュピーゲルは「ホロコースト神話」発言で話題騒然のイラン大統領、アフマディネジャドの顔写真を「世界が畏敬する男」の説明で表紙に飾り、長文のインタビュー記事を掲載。元ドイツ首相コールはアフマディネジャドの発言に感謝し、「われわれにはこれを言う勇気がなかった」と告白した。


 以下、朝日新聞の記事を抜粋する。

 大見出しは「歴史記憶法 仏で論争」
 小見出しに「ナチス犯罪への疑義 禁止/奴隷貿易を人道犯罪と規定・・・・」「政治が介入」「過ちを防ぐ」。
 記事の冒頭の(パリ=沢村亙)記者によるリードは、以下である。


「フランスには、ユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)に疑義を呈するのを禁じたり、奴隷貿易の非人道性を記憶にとどめたりする法律がある。歴史の評価を法律で定めた一連の「歴史記憶法」について、「歴史認識の押しつけ。歴史研究への政治介入を招く」「被害者をまもり、過ちを繰り返さないために必要」と、論争が広がっている。歴史と政治の関係について、賛成派と反対派に聞いた。


 記事の本文の書き出しは以下である。


 仏リヨンの軽罪裁判所は18日、右翼政党・国民戦線の幹部に有罪判決を言い渡した。「ユダヤ人虐殺の死者数やガス室の有無について、もっと議論すべきだ」と述べた発言が、ゲソー法違反と認定された。
 昨年11月、仏法曹界の56人が、施行中の三つの歴史記憶法の全廃を求める声明を出した。「立法府が歴史家に成り代わって歴史に口を出すのは職権乱用だ」と訴えた。 [後略]
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「反対派」の「ユダヤ系フランス人の歴史家」ピエール・ノラのコメントには、「歴史家の研究・発言に枠はめる危険」の小見出しが付いている。
「賛成派」のユダヤ人、「弁護士セルジュ・クラルスフェルド」コメントには、「戦争の生存者を虚言・中傷から保護」の小見出しが付いている。
 [後略]


 上記の有罪判決を言い渡された「右翼政党・国民戦線の幹部」は、以下のゴルニッシュである。


ガス室:ゴルニッシュが執行猶予付3ヵ月の禁固刑を宣告される(仏『ヌーヴェル・オブセルヴァトゥール』より)
http://www.asyura2.com/0601/holocaust3/msg/712.html
投稿者 さすれば 日時 2007 年 1 月 22 日 13:55:56: reQxnNwQ2shuM

ガス室
国民戦線:ゴルニッシュが執行猶予付き3ヵ月の禁固刑を宣告される
NOUVELOBS.COM 19.01.2007

国民戦線のナンバー2が、彼のガス室に関する論争的な言葉によって執行猶予付3ヵ月の禁固刑と5000ユーロの罰金刑を宣告された。

国民戦線のナンバー2ブリュノ・ゴルニッシュ Bruno Gollnisch は、2004年10月にガス室に関する話で訴追されていたが、1月14日、リヨンの軽罪裁判所で執行猶予付き3ヵ月の禁固刑を宣告された。

“この論争は起こらねばならない”

彼は2004年10月のリヨンでの記者会見で、“ナチによる強制収容や数百万人の死については見直すべきではない”と断言した。しかしながらこうも付け加えた.“だが一方、死の原因について論争は起こらねばならない”
ガス室については、“私は殺人ガス室を否定しない。だが私はこの問題の専門家ではないので、歴史家の討議に任せるべきだと考える。そしてこの討議は自由であるべきだ”と語った。そのために彼はヨーロッパ議会から議員としての特権を剥奪される羽目になった。
 [中略]
◆ 1月17日付の『ル・モンド』に、「ホロコースト否定論者への罰則化がヨーロッパ人を分裂させる」と題する記事が出たが、その中で、ヨーロッパ議会の議長国ドイツがこうした法制化を提案しているのは、ちょうど議会内でゴルニッシュを代表とする極右政党が結成されたことがタイミングとしてあると書いている。


ゴルニッシュはナチ・ホロコーストに疑問を呈し控訴して戦う
http://www.asyura2.com/0601/holocaust3/msg/715.html
投稿者 木村愛二 日時 2007 年 1 月 22 日 20:54:05: CjMHiEP28ibKM

(回答先: ガス室:ゴルニッシュが執行猶予付3ヵ月の禁固刑を宣告される(仏『ヌーヴェル・オブセルヴァトゥール』より) 投稿者 さすれば 日時 2007 年 1 月 22 日 13:55:56)

ゴルニッシュはナチ・ホロコーストに疑問を呈し控訴して戦う。

ブルーノ・ゴルニッシュは京都大学に留学した経験を持ち、妻は日本人である。
 [後略]


 上記の「賛成派」セルジュ・クラルスフェルドと、その妻ベアテの「ベアト・クラルスフェルド財団」に関しては、以下の『偽イスラエル政治神話』に、若干の記述がある。いわば、プロのシオニストである。


http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-19.html
『偽イスラエル政治神話』
第2章:二〇世紀の諸神話
第2節:ニュルンベルグの正義の神話
(b)証言

[芸術作品による歴史的事実の歪曲]

 セルジュ・クラルスフェルドが“発見”したと称する在郷軍人省の偽造文書に始まり、ノーベル賞[文学賞ではなくて平和賞]受賞者のエリ・ヴィーゼルによる事実無根の黙示録的空想にまで至る。ヴィーゼルが見たと称するのは、“彼がその目で見た”のであり、それは野外の穴から燃え上がる“巨大な火焔”なのであって、“その中に幼児が投げ込まれる”というのであるが、その当時、その収容所の上空から間断なく撮り続けていたアメリカ空軍の航空写真には、まったく火焔の映像が見当たらないのである。
 [中略]
(c)凶器
『アウシュヴィッツ・アルバム』は、その当時のビルケナウで撮影された一八九枚の写真を収集している。発行者のセルジュ・クラルスフェルドが「はしがき」を書き、J・C・プレサックが解説を書いている。一八九枚の写真は、ハンガリーから来た収容者の一隊が到着してからの集中収容所での生活の情景を、視覚的に伝えくれる。ところが、ここにもまったく、厳密に見てもまったく、大量かつ組織的な絶滅を確証するような映像は、見当たらないのである。それとはまったく反対に、当時の収容所生活を視覚的に伝えてくれる写真が、非常に多い。それらの写真が示す情景は、いささかも絶滅を確証するようなものではなくて、むしろ逆に、同じ時期に、収容所のどこかの“秘密の”場所で、絶滅と称される作業が行われていたなどという状況とは、まったく相容れないのである。J・C・プレサックは、写真の実物とは関係のない勝手な解説を付け加えているが、その意図とは反対に、かえって、彼の捏造の仕組みが視覚的にも触覚的にも明らかになっている(『アウシュヴィッツ・アルバム』83)。
 [後略]


http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-20.html
『偽イスラエル政治神話』
第2章:二〇世紀の諸神話
第2節:ニュルンベルグの正義の神話-8/8
(c)凶器

[ヒルバーグ説は現実観念が欠けグロテスク]

 決定的な重要性を持つと思われる細部の事実についての証言が、一九八八年四月五日と六日の両日にわたって行われた。証人は、カナダのカルガリー火葬場の監督、イヴァン・ラガセである。同火葬場はビルケナウと同じようなタイプの設計になっており、同時期の一九四三年に建造されている。つまり、この証人は、このタイプの火葬場の焼却炉の焼き窯の、技術的な制限や、設備維持のための必要事項に関して、全体的な説明ができるのである。彼は、火葬作業の中間で、つぎの死体を入れる前に、休みを置いて焼き窯を冷やす必要があると証言した。そうしないと、焼き窯の耐火煉瓦の被覆が破損するのである。

 ラガセ証人は、ラウル・ヒルバーグの記述に関しての意見を求められた。ラウル・ヒルバーグは、その著書、『ヨーロッパのユダヤ人の破壊』(前出の2版)の中で、ビルケナウの四つの火葬場の四六の焼却炉について、その処理能力を、つぎのように言い張っている。

《ビルケナウの四つの火葬場の理論的な一日当りの処理能力は、四四〇〇体以上である。しかし、停止や作業の遅れを見込むと、実際の限界は下回る》

 ラガセの主張によれば、ヒルバーグの断言は、“馬鹿げ”ており、“現実観念が欠如”している。四六の焼却炉で一日に四四〇〇体を焼けるなどと言い張るのは、グロテスクである。ラガセは、自分自身の経験にもとづいて、ビルケナウで一日に焼けたのは、一八四体だと断言した(同裁判記録)。

 ラガセの証言は、確実に、プレサックの本に出てくる主張とも違っている。プレサックがパリで一九九三年に出版した『アウシュヴィッツの火葬場/大量殺人の機械』では、一四七頁の内の二〇頁だけしか“ガス室”に当てられていない。しかも、プレサックは、この本で『ロイヒター報告』を引用すらしていない。プレサックは一九九〇年に、いつものようにクラルスフェルド財団[訳注1]の資金援助を得て、『ロイヒター報告』に対する“反駁”を試みているのだが、その内容にはロイヒターの分析に釣り合うものがまったくないので、ここではあえて紹介はしない。

訳注1:より正確には、ベアト・クラルスフェルド財団。ベアトは、すでに本書にも「在郷軍人省の偽造文書」“発見”者および『アウシュヴィッツ・アルバム』発行者として登場済みのユダヤ人、セルジュ・クラルスフェルドの妻。フランスのフォーリソン博士に追加情報を求めたところ、アメリカのホロコースト記念館[サイモン・ウィゼンタール・センターの中心的“ショア・ビジネス”]の協力で発行された『死の収容所アウシュヴィッツの解剖学』(94)の中から、つぎのような記述を発見したのはフォーリソン自身だった。

《一九八二年以来、プレサック氏の仕事は、ベアテ・クラルスフェルド財団から奨励され、資料収集、編集、資金面での援助を受けている》

 フレッド・ロイヒター技師の報告と、アウシュヴィッツ博物館当局の要請にもとづいて、クラクフの法医学研究所が一九九〇年に実施した再鑑定については、同じ資格を持つ専門家の間での科学的かつ公然たる論争が起きていない。“ガス室”に関する断片的な論争の全体像は、自由な議論の対象となり得ない状況にある。だからこそなおさらに、疑問が増し、懐疑がさらに深まるばかりなのである。

 これまでのところ、公式の歴史に異議を申し立てたものに対して取られた唯一の対応は、議論の拒絶、暴行、検閲と言論弾圧である。
 [後略]