注:4回分合併につきファイルサイズが大きくなっています。個別ファイルがあります。
今回もmailのやり取りの再録です。
amlML上で『ロイヒター報告』の説明を求められ、簡略にお答えしたところ、続いて、ロイヒターの経歴などへのご質問を頂きましたので、これにも簡略に答えます。これまでの「ガス室」(論争)の経過との関係で一言すると、揚げ足取りではなくて、本当に関心を待たれる方からの通信に答えるために、方針を変更して、逐次、わがホームページ所収のWeb週刊誌『憎まれ愚痴』への転載予定の執筆方法に切り替えることにしたのです。
最初に、高橋亨さんらが論拠にされる『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』にも載っているロイヒターの「学歴」デマゴギーを、完膚なきまでに粉砕しておきます。
以下はまず『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』p. 92-93.の引用です。
……トロントの裁判所は[中略]ボストンのガス室専門家の鑑定書に、当然ながらほとんど意義を認めなかった。それどころか、ロイヒターがピアソン検事による反対尋問の際に与えた印象はまさにお粗末そのものであった。というのも彼はそこで、自分がエンジニアとしての専門教育を全く受けていないということを認めるはめに陥ったのである。(質問「エンジニアの学位をお持ちですか」答え「私は哲学修士です。」質問「それはエンジニアの専門教育ですか。」答え「エンジニアの専門教育ではありません。でも私の仕事にはそんなものは必要ありません。)……
これは、「証人の信憑性に関する反対尋問」の類いです。この種の反対尋問は、証人の証言の中心部分を崩せない場合に、「争点逸らし」として、裁判官の印象を薄める目的で行われることが多いのです。この部分は、「エルサレムのヘブライ大学の調査プロジェクトの一環として出版」(拙著『アウシュヴィッツの争点』p.29)されたアメリカのユダヤ人宗教学教授リップスタット名の著書、訳題『ホロコースト否定論』でも、私が名誉毀損で訴えた『週刊金曜日』記事でも、同様の目的で取り上げられています。
ところがまず、問題のトロントのツンデル裁判は、最高裁で被告ツンデルの勝利に終わっているのです。『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』では、この確定判決の存在を、ことさらに無視しています。「重要なことを言わない」という「嘘」手法です。
カナダの最高裁は、『ロイヒター報告』の評価、ひいては「ガス室」の存在の否定までの判断は避けました。しかし、ツンデルは、『600万人は本当に死んだか?』というパンフレットの頒布を理由に告発されたのですが、カナダの最高裁は、その告発の根拠となった刑法の条項、「虚偽報道の罪」そのものが言論の自由を保証する憲法の条文に違反するという判決を下したのですから、この判決は、ドイツなどでの刑事罰強化の動きと考え合わせるならば、大変な勝利なのです。だからこそ、シオニスト・ロビーは、必死になって、『ロイヒター報告』の揚げ足取りを始めたのです。
しかし、この種の揚げ足取りデマゴギーの手法に頼ること自体、先にも述べたように、本命の「争点」、この場合は「ガス室」と称されてきた場所の「シアン化合物」の残留テストそのものについて、最早争いの余地がなくなったことの承認でもあるのです。
この「学歴」デマゴギーを、「学歴詐称」が明白になった本多勝一(わがホームページ所収)が、自分が編集長時代の『週刊金曜日』(97.2.14)に載せていたのは、いかにも醜悪極まるのですが、私の訴状(同上)p.21-22では、『週刊金曜日』(97.2.14)p.66-69の記述、「自称『エンジニア』の人文科学修士ロイヒターが、実際には自然科学系の大学を卒業などしておらず、『エンジニア』の称号を不法に使用していたことが91年に発覚」を取り上げて、次のように記しています。
……被告・金子マーティンが、『ロイヒター報告』の信憑性を傷つけるために「発覚」などと威嚇するロイヒターの「学歴」問題は、トロント裁判の反対尋問で出されたものだが、「エンジニア」を名乗って営業することは「不法」でもなんでもない。
「エンジニア」は「称号」ではなくて一般名称にすぎない。いささかもアメリカの法律を犯してはいない。人文科修士が「エンジニア」を名乗るのが「不法」だというのなら、高卒や中卒、さらには昔は沢山いた学歴の無い叩き上げの技術者たちは、何と名乗れば良いのだろうか。
原告の下には、歴史見直し研究会の会員で技術系専門学校卒の「エンジニア」経験者から、「文系卒業の『エンジニア』が、日本の産業界に多数ゐる事を私は知ってゐます」とし、被告・金子マーティンの乱暴な誹謗中傷の仕方を、「名も無き彼らへの侮辱と私は捉えます」とする長文の手紙が届いている。……
拙訳『偽イスラエル政治神話』p. 199-200.では、……もしも、誠実に公開の場での議論をする気があるのなら、現在すでに、「ガス室」に関する論争に終止符を打つ「研究報告」という位置付けで、以下のように『ロイヒター報告』(88.4.5)とロイヒターその人を紹介しています。文中[ ]内は訳注です。
……チクロンBは、シアン化水素[気化した状態を日本では青酸ガスと呼ぶ]を主成分としており、無数の収容者たちのガス殺人に使われた製品だと主張されてきた。普通には、第1次世界大戦以前から、衣類や、病原菌、特にチフス[ママ。正確には発疹チフスの病原体リケッチャが寄生するシラミ]が繁殖する危険のある設備の消毒に使用されていた。しかし、シアン化水素は、1920年、最初にアリゾナで死刑囚の処刑に使われた。アメリカの他の州も、これを死刑囚の処刑に使った。特に知られているのは、カリフォルニア、コロラド、メリランド、ミシシッピ、ミズーリ、ネヴァダ、ニューメキシコ、ノースカロライナである(『ロイヒター報告』)。
技師のロイヒターは、ミズーリ、カリフォルニア、ノースカロライナの各州で、コンサルタントを勤めていた。現在では、これらの各州の多くは、この処刑方法を廃止しているが、その理由は、費用が掛り過ぎるからである。青酸ガスの値段だけではなくて、それを使用する際の安全性が要求されるために、設備の建造と維持に要する費用が、この方法による処刑では非常にかさむのである。……
もう一つ、『ロイヒター報告』の評価を低めるための「争点逸らし」デマゴギーの一つに、「ビルケナウの火葬用の穴」問題があるので、これにも簡単にふれておきます。
ロイヒター自身は、次のように結論を出しています。
《ビルケナウは沼沢地に建設されており、すべての敷地で水位線が地面の約60センチメートル下になっている。ビルケナウには火葬用の穴はなかったというのが、私の意見である》(拙訳『偽イスラエル政治神話』p.203)
これに対して、たとえば『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』では、「敷地内の地下水は、囚人の強制労働によって張り巡らされた排水網を通じてヴィスワ河に放水されていたということを、ロイヒターは明らかに見逃している」(p. 98)としています。高橋亨さんも、これを嬉しそうに書いて私の揚げ足を取ったつもりのようでした。
しかし第1に、この「火葬用の穴」なるものは、ノーヴェル文学賞ではなくて平和賞を受けた作家、エリー・ヴィーゼルのアウシュヴィッツ体験を記した初期短編『夜』(日本語訳あり)に出てくるのですが、それ以外の証拠は何もありません。逆に、この『夜』には、「ガス室」に関する記述がまったくないのです。だから、ホロコースト見直し論者は、「ホロコースト生き残り」を称して「ガス室」の目撃者であるかのように登場するエリー・ヴィーゼルを、「偽者の目撃者」と名付けているのです。
第2に、「排水網を通じてヴィスワ河に放水」する工事の写真も手元にありますが、たとえ排水しても、表土を乾かすことや、少し水位を下げることはできても、沼沢地帯周辺全体の水位を変えるのは不可能です。少し掘れば湿っていて水が溢れてくるのです。
しかも、この「火葬用の穴」説の決定的な欠陥は、すでに私自身が何度か記したことですが、飯盒炊爨や、キャンプ・ファイアの経験者なら、すぐに分かるはずです。
表意文字の「爨」にも示されているように、「火」は下から上に燃えるのです。平地でも、下や横から空気が入るように、しょっちゅう手を加え続けなければ、米の飯さえ炊けません。煙に巻かれて涙が止まらなくなります。
ましてや、水分の方が多い人体を、わざわざ穴の中で焼くなどという芸当を、どうしても信じたい方は、実際にやってみてからいかがでしょうか。もちろん、人体を焼けば違法行為になりますから、水分の比率が同じ肉類でも買って、できるだけ傍迷惑にならない場所に出掛けて、穴を掘って、試してみることですね。ヴィデオにでも撮影しておいて下さい。肉類の値段はどうでもいいですが、薪の使用量は正確に報告して下さい。
同様に、この「野焼き」の証拠として使われる写真があります。アウシヴィッツ博物館にも展示してあります。『週刊金曜日』にも2度(96.8.9,97.2.28)載りました。これも奇妙な写真で、平地に、まだ焦げてもいない死体が転がっていて、白い煙が上っているのですが、肝心の「薪」が、まったく見当たりません。私は、この写真の唯一の合理的な説明として、アメリカ軍かイギリス軍が収容所の死体処理をした時のDDT散布を考えています。私自身、北京から引き揚げてきた時に、佐世保の埠頭でアメリカ兵に寸胴切りの袋を頭から被せられ、DDTを浴びせられましたし、その後も DDT散布の現場に何度もいた記憶がありますが、当時は DDTに毒性があるという話を、まったく耳にしませんでした。
また最近、ガンジーの野焼きの記録映画を見ました。ポル・ポトの野焼き写真(日経98.4.19)もありました。いずれも山ほど薪を積み上げています。
以上、やむを得ず、「争点逸らし」へも対抗しましたが、本命の「核心的争点」(拙著『アウシュヴィッツの争点』p.187-249)は、あくまでも「ガス室」なのです。「ユダヤ人の民族的絶滅」=「絶滅収容所」=「大量殺人」=「ガス室」こそが本命の「世紀の大嘘」なのです。その典型は、3日間の瀕死の拷問を受けた元アウシュヴィッツ収容所長ホェス(ヘス)の矛盾だらけの「告白」の「ガス室」に関する次の一番詳しい部分です。文中の「特殊部隊の抑留者」は囚人の中のナチ協力者のことです。
……特殊部隊の抑留者は、処置が速やかに、平静に、スムースに行われることに、最大の関心を持った。脱衣後、ユダヤ人たちは、ガス室に導かれる。が、そこは、換気孔や水道栓が配され、完全に浴室らしく見せかけてあった。まず、子供をつれた女たちが、次に男が入った。……(『アウシュヴィッツ収容所/所長ルドルフ・ヘスの告白遺録』p.199)
ところが、チクロンBからシアン化水素のガス化が行われる温度(沸点が摂氏26度)などの疑問が提出され、『ロイヒター報告』が出た後、たとえば『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』には、次のような「物語」が載るようになったのです。
……アウシュヴィッツでは、ナチは囚人の体温でこの室温を確保できるよう、大勢の人間をガス室に詰め込んだのである。[中略]暑さのために短時間で気化した青酸ガスの大部分が犠牲者の体内に吸い込まれたのである。[中略]おそらく、これらの人々の死後、壁面から採取され得るほどの毒ガスはほとんど残留していなかったにちがいない。……
想像力の豊かさは認めますが、タイムマシーンでニュルンベルグ裁判以前に戻ってホェスの拷問をやり直してからにして頂かないと、折角の創作が台無しになります。
以上で[1999.2.5.](その6)終わり。次回に続く。
今回もまたmailのやり取りの再録です。
前回に続いて出た新たな質問に答える準備をしていたら、またしても、私が「ガス室」妄想症候群の診断を下した『対抗言論』(退行減論)の高橋亨さんが、「アウシュヴィッツのガス室」とかいう長いmailを送ってきました。ざっと下まで矢印を飛ばすと、おやおや、参考資料に拙著『アウシュヴィッツの争点』が載っています。しかし、我慢して少し読むと、拙著を読んだとは到底思えない内容です。昔から「心ここにあらざれば、見えども見えず、聞けども聞こえず」と言います。これは「読めども読めず」なのでしょう。
もう一つ、日本語の文献が、たった一つですが増えていました。しかし、これは、これまでのたったの一つの本、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の「編訳者」が書いた引き写しの学生論文程度のものですから、本当に出典が増えたとはいえません。他の読みにくい小さな英数字の文献名を無理して読むと、なんと、全部がアウシュヴィッツ博物館のホームページではありませんか。
(1999.2.26.注記。このホームページの件では高橋さんから違うと主張され、忙しいのでアメリカの見直し論者に問い合わせたところ、「悪名高い事実と想像情報を混ぜてまき散らすサイト」との返事あり。さらに詳しいデータが来る予定。)
これでは、本多勝一程度の言論詐欺師者の「取材」よりも、お粗末という他ありません。ブンヤ用語では偉そうに「裏取り」「複数の取材源」などと言うのですが、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の中心的な下敷きは、アウシュヴィッツ博物館の管理係のダヌータ・チェックが1960年代から、ぼつぼつとまとめた『アウシュヴィッツ・ビルケナウ集中収容所の事件年譜』ですから、出所が同じなので、「複数の取材源」とは言えません。『アウシュヴィッツ・ビルケナウ集中収容所の事件年譜』に対する批判としては、拙著『アウシュヴィッツの争点』に記載した資料「アウシュヴィッツでの最初のガス殺人/神話の創世記」などがあり、「何らの証拠書類をも示していない」シロモノです。
要するに、高橋「ニュルンベルグ・コピー」検事さんは、いくら掘っても証拠が出てこない穴を掘り続けているのです。しかし、おそらく根は純情な高橋さんを、こんな症状にしてしまたのは、私の用語で言うと、アカデミー業者とマスコミ業者でしょう。
さて、準備中だった原稿に戻ります。高橋さんが奢り高ぶって、私にケチを付ける論拠に挙げていた唯一の日本語の本、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』については、すでにその「本体部分」のガッカリするくらいの超(チョウ)超(チョウ)短さと、出典明示のない「お粗末さ」を指摘しました。下記のブックレットと比較するために、白頁と余白をギリギリ差し引いて、より正確に勘定し直すと、正味96頁でした。
「本体部分」が96頁というのは、最近流行のブックレットにしても短い方です。手の届く位置の本棚にあった『平和憲法を世界に』(影書房、1991)を引っ張り出して、物差しを当てると、厚さ僅か6ミリですが、 112頁あります。正味も96頁あります。ただし、普通の雑誌のサイズですから、1頁は同じく16行でも、1行は44字で、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の42字より多くなっています。
たとえば日本で、この程度の出典明示もないブックレットを1冊読んだだけで、「そもそも南京事件とは」などと論ずる大学教授どころか、新聞記者風情ぐらいでもいたら、直ちに物笑いの種になり、一生、その業界では馬鹿にされ通しで、生意気な口はきけなくなるでしょう。それと同じことを、どこの何者か分からないネットサーファーの高橋さんがやるのなら、まだしものこと、「哲学者」の肩書きで高齢の久野収さん(1999.2.26.注記。この記載以後に物故)までを名ばかりの「編集委員」に担ぎ出し、戦前のフランスの反ファシズム運動時代の1935年創刊『金曜日』(ヴァンドルディ[Vendredi])の歴史までを偉そうに引き合いに出させて(『月刊金曜日』93.8.27)、お人好しの一般市民から巨億の前納金を集めて発足した『週刊金曜日』誌上(96.8.9/23)で、肩書きは宇都宮大学教授、それも歴史学教授がやってのけたのですから、これは唖然、愕然、呆然、茫然、惘然、寒心の至りという以外にありませんでした。
一番の元凶は、これらの歴史学教授です。私の用語ではアカデミー業者です。
その名は笠原十九司(とくし)。これまで一度も聞いたことのない名前ですが、いわゆる左翼出版の大手、大月書店刊『日本近代史の巨像と実像』シリーズの3で、これも僅か16頁ながら「南京大虐殺の真相」を担当していますから、「左翼」出版業界では、この問題の専門家と目されているのでしょう。
それを受けてか、SAPIO(98.12.23)では「大虐殺『肯定派』の重鎮が『否定派』に反論」(TOKUSHI KASAHARA)を載せ、「[PROFILE]1944年群馬県生れ。東京教育大学文学部卒。中国近現代史専攻。著書に『南京難民区の百日』『南京事件』ほか多数」と紹介するなど、こちらは「右翼」雑誌なのでしょうか、野次馬商業主義なのでしょうか、ともかく、こちらでも今や国際級の「悪役?」主力選手扱いです。
この大学教授こと、アカデミー業者は、私より7歳ぐらい若いので、戦後の「マルバツ」教育の産物であることは間違いないでしょう。この手の上昇志向の強い戦後偏差値エリートは、今や「ホンマ狂」の異名が一番通りの良い言論詐欺師、エセ紳士の名を戦前からほしいままにしてきた朝日新聞の元ゴロツキ記者、本多勝一の良い鴨にされてきたのです。「鴨」の由来を知らない若い人もいるでしょうから、一応説明すると、昔は狩猟で野鴨を獲物にすると、その場で農業用具の鋤を鍋代わりにして食べたようです。それが今の「スキヤキ」の元祖で、その時に葱を入れたのです。そこで、「鴨が葱を背負ってくる」から、短縮用語「鴨葱」ができて、次には「鴨」だけに単純化されたもののようです。
さて、実質短めブックレット『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』については、すでに、その内容の一部への驚きと批判を記しましたが、この本の「編訳者」代表、石田勇治(ゆうじ)は、奥付によると、「1957年生れ。東京大学教養学部助教授(ドイツ現代史)」の肩書きで、「主要著書」として、ドイツ語の本が1冊、日本語の「共著」が2冊、「主要訳書」に「共訳」が1冊あります。この本は1995年出版なので、その時には38歳ぐらいですから、この年で、この肩書きで、まだ単独の著書がないというのは遅すぎます。お得意のご様子のドイツ語の勉強に時間を費やし過ぎたのでしょうか。業界でのし上がる機会を伺いつつ、かなり焦っていたと推察します。
それは少し言い過ぎじゃないか、などと、心配なさる向きも、おありでしょう。ところが、この助教授、様、様、に関しては、『マルコポーロ』廃刊事件の直後、1995年2月初頭に、電話で大変に失礼な対応をされ、決定的な心理分析資料を得ながら、今まで、特には、お返しもしてこなかったのです。
以下は、1995年6月26日に出版した拙著『アウシュヴィッツの争点』(p.253-254)の一節です。
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「『マルコ報道』[中略]日本のマスメディア報道のお粗末さの典型」[中略]
『サンデー毎日』(1995.2.19)も『マルコ』記事の評価を簡単な電話取材でごまかした。
「『中吊り広告を見てすぐ買ったが、驚いた。不正確な記述としかいいようがない』というのは、ドイツ史が専門の石田勇治東大助教授。『タネ本はすぐに分かる。ロンドンで出版された「ロイヒター報告」という本で、これはネオナチのバイブル(後略)』」
本人に直接たしかめたところ、『ロイヒター報告』そのものを読んでいるどころか、実物を見てもいない。ドイツ語の見直し論批判本の名を2つ挙げただけだった。こんなズサンな肩書きだけの談話記事で、西岡が「ネオナチのバイブル」を引き写して作文したかのような印象が作りだされているのだ。
石田はさらに、「歴史研究の立場からすると、論争はまるでない」としているが、論理矛盾もはなはだしい。本人が「2冊持っているドイツ語の本」そのものが、論争の存在の立派な証明である。論争とは、権力御用、学会公認の公開論争だけを指すのではない。
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以上の部分は、『マルコポーロ』廃刊事件の直後に、記者会見資料として作成した手作りニュースの一部を、さらに『創』(95.5)への寄稿に連載し、最後に拙著に収めたものです。
ここでは書きませんでしたが、この「本人に直接たしかめた」時の電話では、かなり長い時間話しました。『サンデー毎日』記事に「助教授」とあったので、きっと私より若いとは思っていました。私の同窓生の大学教員の中からは当時、学部長も出ていましたし、とっくに皆が教授になっていたからです。しかし、20歳も若いとは思いませんでした。私の子供の世代ですから、いわゆる「キレやすい」のは仕方ないのかもしれません。
ともかく、気を使って、優しく諭すつもりで話していたのですが、この時、石田助教授、様、様、は、私が非常に優しく「ネオナチのバイブル」こと『ロイヒター報告』そのものを読んでいるかどうかを確かめた際に、ついつい慌てて不用意に、「持ってない」と答えてしまったものですから、その後はシドロモドロで、困り果てていたようでした。私がさらに、それでは『ロイヒター報告』については何で知ったのかと聞くと、上記のように2冊のドイツ語の本を持っていて、それを読んだというので、私は、またも優しく、なだめすかすように、その2冊のドイツ語の本の題名を聞きました。
この本の『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の題名は直訳ですが、ドイツ語では後の方の「アウシュヴィッツの嘘」の前後に、クオーテイオション・マークが付いています。そのドイツ語、Auschwitz-Luge(Lugeのuの上に点が2つ、「ユー・ウムラウト」と呼ぶ)の内のLuge(リューゲ)の発音が、はっきりしなかったこともあったので、私は、スペルを確認しました。その際、私が、ゆっくりと「ああ、リューゲですか」と言った途端に、石田助教授、様、様、の、堪えに、堪えていたであろう屈辱感が、格好の噴火口を見付けたのでしょうか、いきなり、「あんたは、ドイツ語も知らないで」と、大声でわめき出したのです。
私は、すぐに、また、なだめすかしながら、私が、その時に手元に持っていた英文のパンフレットの原題、『アウシュヴィッツの嘘』(Auschwitz-Luge)(u同上)と同じ単語の配列なのに、どうやら逆の意味で使われているようなので、一応確かめたのだと説明しました。こちらの『アウシュヴィッツの嘘』の方は、拙著『アウシュヴィッツの争点』でも簡単に紹介しました。原題のドイツ語は英語版にも記されていますが、ドイツ語の原本は手元にありません。これは歴史的文書ですが、ドイツ国内では現在、事実上の国禁の書です。著者のクリストファーセンは、その後、亡命生活に疲れたのかドイツに戻って逮捕され、獄中で故人となりましたが、アウシュヴィッツ収容所付属のゴム成分を作る草の試験栽培農場に勤務していた傷痍軍人です。自分の経験に基づいて、いわば命懸けで、「ガス室は嘘だ」という趣旨の禁断の告発をしたのです。
その後に確認できたことですが、ドイツ国内では、このクリストファーセンの『アウシュヴィッツの嘘』のことを逆に「嘘」だとして、「嘘」の対象を入れ替えるキャンペーンが張られていたのです。ともかく、石田助教授、様、様、は、「ネオナチのバイブル」と決め付けた『ロイヒター報告』そのものを読んでいるどころか、実物を見てもいないし、クリストファーセンの『アウシュヴィッツの嘘』のことも、まるで知りませんでした。
私は、大学でドイツ語を「第3外国語」に選びましたが、授業はサボってばかりいたので、単位が取れないというよりも、期末試験を受けもしませんでした。その後、『資本論』の勉強を始めてから、やはり原語に当たる必要があると思い、結果的には、ドイツ語、英語、フランス語、ロシア語、日本語は2種の、隣の頁か1頁めくれば比較できる学習資料『5か国語資本論』(ただし1巻のみ13分冊)限定300部を発行しました。この希代の珍本は、残部が最後の3部のみとなりましたが、わが「インターネット個人書店」で特価販売中です。お確かめ下さい。ともかくドイツ語は、『資本論』1巻の切り貼りができるくらいには読めます。もちろん、すらすらではありませんし、発音は、普及版のリートに出てくる単語以外は不勉強ですが、一応の検当ぐらいは付きます。
というわけで、石田助教授、様、様、の、失礼極まりない対応には、少しは、お返しをしなければならなかったのです。
私は、このように、大学などのことをアカデミー業界と呼びますが、自分が所属してきた業界のことも、平等に、マスコミ業界と呼んでいます。別に「大学憎けりゃ教授まで憎い」という立場ではありません。どの業界にも平等に「憎まれ愚痴」をきいています。
アカデミー業者の失礼な一例としては、別途、やはり「ガス室」問題で私を創価学会系雑誌『パンプキン』で誹謗中傷した同志社大学教授、様、様、の渡辺武達にも、「学問的素養がない」などと表現されました。この様、様、も、上記の2人の様、様、と、ご同様に、1,2冊のデタラメ本しか読まずに、「ガス室」問題で鼻血ブーとなっていました。
それが偉そうに「学問」を騙るのですから、これまた、唖然、愕然、呆然、茫然、惘然、寒心の至りです。
私は、アカデミー業者ではなくて、マスコミ業者の端くれでしたが、少し遅目の35歳で、最初の本『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』(74)を出しました。
長さは、折からのオイルショックで紙の値段が高騰中、切り詰めて本文 300頁、1頁に18行、1行に45字です。巻末リストの「引用した本」だけでも60冊の文献を見比べました。洋書は6冊しか載せてませんが、どれも論点を絞って探した分厚い本ですし、一応、国内で入手できる日本語の関係書は全部見る努力をしました。私は、それが当然のことだと思っていました。拙著『アウシュヴィッツの争点』でも、同様の努力をしました。これと同じことを「大学の歴史学の」教授、助教授、様、様、が、まるでやらずに鼻血ブー。それを「左」出版社が、またまた鼻血ブー。何も知らない読者は、当然、鼻血ブー。最早、呆れているだけの場合ではありません。
長くなり過ぎたので、中身への批判は次回にします。以上。
以上で[1999.2.12](その7)終わり。次回に続く。
以下、 amlメーリングの投稿mailとして作成し始めたものを補正し、増補した。
先に「『ガス室』妄想ネタ本コテンパン」と題したmailを送りましたが、編訳者批判の前置が長くなりすぎたために、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』と題するデタラメ本の典型(より正確にはペラペラのパンフレットにガラクタを盛り足した上げ底本)そのものの細部には、あまり触れることができませんでした。
しかも、私自身が、あまりに長いmailを受けとるのは苦痛だと感じているので、急がずに今回を予定していました。
ところが、それでもすでに amlで高橋さんが、つぎのような非常に持って回った屁理屈のごまかし方で、逃げを打ち始めました。高橋さんは、このamlで、自分の方から私を名指して、「論争」と称する口喧嘩を挑みながら、身元を求めても明らかにせずに、このデタラメ本だけを「ネタ本」の日本語文献に挙げて、揚げ足取りに熱中してきたのです。それがどうでしょう。こう言い出したのです。
「[前略]資料上の制約(バスティアンはIFRC報告を見ていない)もあり、バスティアンのロイヒター報告批判には必ずしも的確とは言えない部分もありますが、そもそもシアン残留量に関する私の見解はバスティアンと同一ではないので、そんなことを持ち出しても無意味です。[後略]」([aml 11057]ロイヒターの疑似科学的「報告」(2))
引用文中の「バスティアン」は、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の著者の「医学博士」(同書p.9)で、「IFRC報告」とは、ポーランドの第2の首都ともいうべきクラクフ市にある国立の法医学研究所が、アウシュヴィッツ博物館の依頼を受けて実施した「ガス室」鑑定報告のことです。この報告書についても先に、拙著『アウシュヴィッツの争点』(p.239-247)の要約を紹介しました。このクラクフの研究所を訪問した日本人は、少なくとも1994年末までは、間違いないしに私一人でした。
高橋さんが「そんなことを持ち出しても無意味」と逃げを打っているのは、私が、上記のデタラメ本『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』だけを日本語文献に記す高橋さんに、厳しい批判の質問を向けたからです。これまでにも、いくつかの点で、このデタラメ本の中身の怪しさを指摘しましたが、問題点は、ほとんど全部にわたると言えるほどの状態なのです。パンフレット程度のペラペラとはいえ、一応は全体を語ろうとしているシロモノですから、「ガス室神話」の問題点のほとんどすべてを含んでいるのです。
ここからは、本連載向けに「である」調で記します。上記の「逃げ口上」については、また後に詳しく批判します。細部の批判を先にして、今回は(Vergasung)編とします。
上記デタラメ本の「日本の読者へ」(p.11)には、つぎのように書いてある。
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これまで封印されていたモスクワ国立中央特別文書館の関連史料も公開され、ガス殺の手法と焼却の手順までが欠落なしに解明されつつある。こうした文書の中では「ガス殺(Vergasung)」あるいは「ガス室(Gaskammer)」ということばも使われているし、青酸ガスがガス室の中で殺戮目的に使用されたこともうかがえる。また、ガス室の施工に携わった職人の作業日誌までも発見されているのである。
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これだけを読めば、そして、著者の「医学博士」、編訳者の「助教授」という肩書きを見れば、ほとんどの普通の読者は、これが真実で、「殺戮目的」の「ガス室」が存在したことは間違いないと信ずるだろう。ところが、これこそが典型的な素人騙しの詐欺の手口なのである。魔術師は、観客をまず視覚的に幻惑し、ひいては催眠術を掛けられたような心理状態にするために、必ず、ド派手な、人目をあざむく衣装で登場する。因みに、わがワープロでは「あざむく」を変換すると「欺く」と出るのである。
さて、第1に、上記の「モスクワ国立中央特別文書館の関連史料」に関する記述の出所は、J.C.プレサックの著書、『アウシュヴィッツの火葬場/大量殺人の機械工場』(Les Crematoires d'Auschwitz. La Machinerie du meurtre de masse. accent省略。以下同じ)以外にはない。『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の巻末文献目録には、そのドイツ語版の題名が載っているが、本文には引用箇所の頁が明記されていない。この出典頁明記の不備、またはごまかしも、このデタラメ本の顕著な特徴の一つである。
プレサックについても、「フランスの薬理学者で毒物学者」(p.99)だなどと、実に物々しく紹介しているが、「博士」とか「教授」とかには一応、大学の認定があるので、素人騙しのひと工夫で「学者」としたのだろうか。プレサックの公的な資格は薬剤師だけである。最初は小説家への転身を志してホロコーストを題材に選び、そのためにホロコースト見直し論者のフォーリソンに弟子入りし、その後、裏切って立場を変え、小説家ではなくて、シオニスト資金を頂くデマ宣伝業に転じた。
私の手元には、プレサックの原著もあるし、昨年の1998年1月7日の日付で、著者のフォーリソンが私の目の前で詳しい献辞を記してくれた『ジャン・クロード・プレサックへの返答』(Reponce a Jean-Claude Pressac)もある。この本でフォーリソンは、プレサックの詐欺の手口を徹底的に暴いている。下手な小説にすぎないと皮肉っている。フォーリソンからは、この本の日本語への訳出の許可を得ているのだが、未だに、その時間が作れない。いずれ訳出して、お目に掛けたい。
プレサックは確かに、シオニスト資金を得ているだけに、かなりの時間を掛けて万単位の「モスクワ国立中央特別文書館の関連史料」を調べたようだ。実際には、結局のところ、何も新しい「証拠」は出てこなかったのだが、彼は、この調査旅行を、いかにも重要な実績であるかのように振る舞い、素人騙しのド派手な冒険談に仕立て上げたのである。
プレサックが、万単位の「関連史料」調査の「実績」を利用する手口は、今や、わが日本の大道芸にまで昇格した「蝦蟇(ガマ)の油売り」の口上に比べれば、お粗末至極な素人手品でしかない。たとえば、つぎのような台詞である。
「さあて、お立ち会いの皆々様、ここに取り出だし(いだし)ましたるは、旧ソ連こと、オロッシア国はモッスクワの国立中央特別文書館にて、私奴(わったくしめ)が、数万枚の古文書をば夜も昼もなく、めくりにめくりまくり、調べに調べ上げて、やっとのことで発見致しましたる決定的な新資料なのでござりまする」
ところが、実は、こんなものは新資料でもなんでもないのである。
一番簡単なごまかしから摘発すると、Vergasungという動名詞の意味である。これは、ニュルンベルグ裁判以来、何度も利用され尽くしてきた手品である。手元にある簡単な現在の独和辞典では、基本となる動詞のvergasenの訳語が、1)「ガスに変ずる」「気化する」「気体にする」2)「ガスで満たす」3)「毒ガスで殺す」の順序で記載されているが、最後の3)は、おそらく毒ガスが兵器として使われた第1次世界大戦以後に加わった用例であろう。国会図書館の参考書室に行けば、確か、グリム童話で知られる一家の大仕事として、百科事典並の分量のドイツ語大辞典があるから、興味のある方は、その膨大な19世紀の用例紹介でも見て頂きたい。
言葉は、法の規定に基づいて使用し始めるものではないから、時代とともに意味が変わる。日本でも山登りで霧が立ち込めると、およそベテラン・リーダーたるものは、玄人面でブスっとして、「ガスってきたな」などと呟くことになっているのだが、手元の安物辞書の「ガス」の項には「濃霧」として「ガスがかかる」の用例しか載っていない。
第1次世界大戦で兵器として毒ガスが使われた際にも、ドイツ軍のベテラン軍曹などが、「ガスってきたな」とブスったのかもしれない。こんなことだから、上記の「毒ガスで殺す」の意味が、何時から加わったのかは特定しにくい。しかし、戦争の場合なら、「殺す」相手は敵兵だった。場所は戦場だった。ニュルンベルグ裁判で書類の上での証拠として出現したVergasungという単語にも、確かに「殺す」という意味はあった。だが、「殺す」ことは殺すのだが、この場合の相手は、発疹チフスの病原体リケッチャを媒介する虱(しらみ)だった。場所は殺菌室だった。人間様の勝手な都合に関して一言すると、可愛い小動物の虱を殺して、自分だけは生き延びようとしたのであるから、この場合のVergasungは、「(人間様のみを)生かす行為」と意訳してもいいぐらいである。
ニュルンベルグ裁判では、英語、フランス語、ロシア語が公式とされ、特に英語が中心だったので、私が最初に見た殺虫剤チクロンBの製造元、デゲシュ社の使用説明書は、英語訳だった。チクロンBは英語圏でも販売されていたのである。本来はドイツ語で書かれたもののはずだが、それはまだ見ていない。しかし、前述のフォーリソンの著書『ジャン・クロード・プレサックへの返答』の末尾には、デゲシュ社の使用説明書のフランス語訳が付録として収録されており、フランス語のgazageにドイツ語の(Vergasung)が添えられている。意味は当然、虱退治のことである。
この Vergasungと言う単語は、ニュルンベルグ裁判の時から、「ガス殺人」の意味だと主張されていた。この裁判は、裁判とは名ばかりのお芝居で、反対尋問をも許さなかったのだが、いくらなんでも、「殺人」の根拠としては、デゲシュ社の「殺虫剤」使用説明書そのものだけでは具合が悪い。そこで、Vergasungkellerという言葉が入っている文書が活用された。先に引用したデタラメ本の順序に従うと、Vergasungのつぎに出てくる単語は、Gaskammerであるが、この単語の前に、 Vergasungkellerを説明する必要がある。
ところが、この単語をめぐる議論は、拙著『アウシュヴィッツの争点』でも紹介したアメリカ人バッツの本『20世紀の大嘘』でも、3頁を要しているほどの複雑な問題をはらむので、次回に詳しく説明する。
以上で[1999.2.19.](その8)終わり。次回に続く。
前回記事の(gasung編)発表以後、VergasungkellerとGaskammerの関係を見直していたら、もしかすると、これは私の新発見ではなかろうか、と思える重大な問題点に気付いた。もしもそうだとすると、私は、この実に面白い新発見(?)に関して、『週刊金曜日』の南京事件問題連載記事(わがホームページ「本人陳述」参照)の出席者と、amlメーリングリストで「論争」と称する口喧嘩を挑んできた高橋さんに、かつて中国共産党が使った「反面教師」という称号を奉り、感謝を捧げるべきであろう。
だが、その新発見(?)の意味を説明するのには、いささかの手順が必要となる。なお、以下に出てくる「証拠文献」については、手持ちの何冊かの本に、現物の写真コピーがあるので、その確認と出典については、後に整理して掲載する。
当面はまず、デタラメ本の典型、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の訳文に添って、問題点をあきらかにしていく。この本には、前回も紹介したように、「ガス室(Gaskammer)」という用語が出てくる。それを含む「日本の読者へ」(p.11)の、つぎの部分を、もう一度、ここにも引用する。
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これまで封印されていたモスクワ国立中央特別文書館の関連史料も公開され、ガス殺の手法と焼却の手順までが欠落なしに解明されつつある。こうした文書の中では「ガス殺(Vergasung)」あるいは「ガス室(Gaskammer)」ということばも使われているし、青酸ガスがガス室の中で殺戮目的に使用されたこともうかがえる。また、ガス室の施工に携わった職人の作業日誌までも発見されているのである。
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前回も、魔術師の幻惑の手法を指摘したが、この文章の構造は、まさに霧(ガス)が掛かったように曖昧模糊としている。「こうした文書」と総称されるものは、「これまで封印されていたモスクワ国立中央特別文書館の関連史料」と、そのままでイコールなのであろうか。それとも、「これまで封印されていたモスクワ国立中央特別文書館の関連史料も公開され」たので、「こうした文書」が「欠落なしに」なったのだろうか。これがまず分からない。要するに、意識的か無意識的かは分からないが、それぞれの個別の文書の位置付けを特定し難いように、最初から、まやかしの魔術が、ほどこされているのである。
また、原著ではVergasung, Gaskammerとしか書いていないものを、日本語の編訳者が、「ガス殺(Vergasung)」とか、「ガス室(Gaskammer)」として、勝手な解釈を押しつけること自体が、言葉による幻惑の手品なのである。
前回検討した Vergasungと言う単語は、ニュルンベルグ裁判の時から、「ガス殺人」の意味だと主張されていた。何も新しい発見ではなかった。ところが、魔術師は、あたかも、それが最近のプレサックによる「モスクワ国立中央特別文書館の関連史料」の発掘による決定的新発見であるかのように、観客を幻惑したのであった。ニュルンベルグ裁判は、裁判とは名ばかりのお芝居で、反対尋問をも許さなかったのだが、それにしても、「殺人」の根拠として、デゲシュ社の「殺虫剤」使用説明書そのものだけでは具合が悪い。そこで、何とかして、別の「殺人用の部屋」の証拠を探さなければならない。デタラメ本の順序に従うと、つぎに出てくる単語は、Gaskammerである。
ところが、上に引用した「『ガス室(Gaskammer)』ということばも使われている」という『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』(p.11.「日本の読者へ」)の文脈自体が、出典も出所頁も不明のデタラメ振りの典型なので、Gaskammerの前後の文脈どころか、証拠となる出典そのものも確かめようがない。だが面白いことには、本文の方ではなくて「訳注」の方に、それが出てくるのである。原資料は「左官職人」の「1943年3月2日の作業日誌」であり、引用部分は、「『ガス室(Gaskammer)でのコンクリート打ち』を行う」となっている(p.166)。上記の引用部分「『ガス室(Gaskammer)』ということばも使われている」は、「日本の読者へ」という見出しの中にある。明らかに後に書かれた文章であるし、その文章を著者に注文したのは「編訳者」であろうから、「編訳者」は、原著の不備に気付いて追加を注文したのかもしれない。ともかく、奇妙な構造の訳本である。
その奇妙な構造ゆえに、本文の76頁の方では何らの説明もなしに、いきなり、Gaskammerではなくて、「ガス室(Vergasungkeller)の使用は可能であり、それはさほど問題ではない」となっている。出典は、「アウシュヴィッツの収容所建設本部」から「ベルリンに報告した書簡」となっている。このくだりにも、やはり、出典も、出所頁も記されていない。
この Vergasungkellerという単語が入っている文書 (以下、「Vergasungkeller文書」)も、すでに、ニュルンベルグ裁判で活用されていた。ニュルンベルグ裁判の証拠番号では、NO-4473.である。新発見でもなんでもない。デタラメ本における記述の前後関係から判断すると、この部分の既述は、NO-4473.も含めて、プレサックの『アウシュヴィッツの火葬場/大量殺人の機械工場』(p.55-75)からの部分的な引き写しと判断できる。
ところが、すでにVergasungkeller文書ことNO-4473.は、ニュルンベルグ裁判でも提出され、後述のように、その証拠番号を示して、見直し論者が詳しい検証をしているにもかかわらず、デタラメ本『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の著者は、この証拠を示す前に、つぎのような意図的または口真似の「仄めかし」をしているのである。
「[アウシュヴィッツ博物館の]こうした史料は、ナチ国家の命令書、書面、公式表明には、『ガス殺(Vergasung)』と言う言葉が一度も使われていない、というしばしば出される誤った主張を覆す。例えば、……」
これだけを読めば、ホロコースト見直し論者は、アウシュヴィッツ博物館が公開している文書すら見ずに、「ガス室」を否定しているという意味に取れる。しかも、最後の言葉の「例えば」とくると、いくつもある証拠の中から、一つだけ紹介しているのかな、とも思える。ところが、一つも一つ、これ一つしか、Vergasungkellerと言う単語が出てくる文書は存在しないのである。
先に引用したデタラメ本(「日本の読者へ」p.11.)の順序に従うと、 Vergasungのつぎに出てくる単語は、Gaskammerであるが、上記のように出所頁不明のデタラメ振りの典型でもある。だからして、これを直接検討することは不可能である。「訳注」の方のGaskammerで検討するしかないが、これも上記のように、部屋(kammer)は部屋でも、何の部屋だかまるで分からない。この単語をめぐる議論は、拙著『アウシュヴィッツの争点』でも紹介したアメリカ人の工学博士、バッツの本『20世紀の大嘘』(初版1976)でも、3頁(p.120-122)を要しているほどの複雑な問題をはらんでいるが、バッツは、ニュルンベルグ裁判の証拠番号を示しつつ、詳細に検証している。
「ガス室(gas chambers)」についての文書証拠を検証する部分で、バッツは、Gaskammerという単語と、Vergasungkellerの関係を、つぎのように説明している。([ ]内は私の注記)。
「ここで問題になっている概念[上記のように英語ではgas chambers]に当たる慣用的なドイツ語はGaskammerであるが、ガス室(gas chambers)と訳されたNO-4473[ニュルンベルグ裁判の証拠番号]の単語は、 Vergasungkellerであり、ライトリンガー[ガス室実在を主張する絶滅論者]もこれを、ガス穴(gassing cellar)と誤訳した」(p.120)
実は、ニュルンベルグ裁判の当時から、この単語の英語訳の「ガス室(Gas chamber)」が妥当か否かが、議論になっていたのである。そういうことなので、Gaskammerという単語と同時に、Vergasungkellerをも説明する必要がある。
上記の引用部分の「訳文」を繰り返すと、以下の一行だけである。
「ガス室(Vergasungkeller)の使用は可能であり、それはさほど問題ではない」
とりあえず、この「訳文」のままで検討するが、おそらく、これだけでも、「アウシュヴィッツの収容所建設本部」とベルリンの担当者の間では意味が通じたのであろう。しかし、第3者にはVergasungkellerが何を指しているのかが、まるで分からない。私は、ここでわざと「訳文」と表現したのだが、そもそもが、先にも指摘した通り、デタラメ本の典型、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の原著ではVergasungkellerとしか書いていないものを、日本語の編訳者が「ガス室(Vergasungkeller)とすること自体が、言葉のごまかしなのである。
ともかく、こんなことで、どうして、「凶器が特定された」と判断できるのであろうか。具体的な物的証拠との関係は、まったく不明なのである。「疑わしきは罰せず」が、刑事事件の基本常識である。それなのに、このたったの一行で、反対尋問もなしに、「英語のGas chamber」[大量殺人用]の存在が認定されてしまったのである。
私は、ここでまた、わざと、「英語のGas chamber」と表現した。少しややこしくなるが、ガス室実在論者は、以上のように、ドイツ語の慣用からするとGaskammerであるべき「英語のGas chamber」に対して、Vergasungkellerをも、それに対応すると主張しているのである。くどいようだが、上記の2つの「証拠文書」のGaskammerとVergasungkellerについての主張を総合してみると、ガス室実在論者は、その双方が、ともに「大量殺人用のガス室」だと主張していることになる。逆に言うと、ガス室実在論者は、ドイツ語の「大量殺人用のガス室」の呼び名が、2つあると主張しているわけである。
確実なことは、第2次世界大戦中にイギリスの国営放送局BBCが、ヨーロッパ大陸にも届くように、「英語のGas chamber」によるユダヤ人虐殺についての噂話を放送していたことだけである。つまり、放送などによる言葉の上での「英語のGas chamber」は確実に存在していたが、それに対応する実物の存在は確かめられてはいなかったし、それを表すドイツ語も「確かめられてはいなかった」のである。こう言うと驚くだろうが、これは間違いないのである。「確かめられてはいなかった」からこそ、膨大な押収文書の中から発見した「意味不明の文書の切れっ端」が、「重要な証拠」とされたのである。ガス室そのものともなれば、ホロコースト見直し論者、または、[これは当人たちの嫌う攻撃的な表現ではあるが]「ガス室否定論者」の考えによれば、それは存在しないのである。
ではまず、Vergasungkeller とは何か。工学博士のバッツのドイツの技術用語による解釈によると、第1には、「気化穴」[拙訳]となる。上記の報告書のアウシュヴィッツ第2収容所、ビルケナウの場合、バッツは、出典の文献名(008 USSR; Central Commission)を明示して、コークスや石炭が燃料と推定している。この推定の当時には、まだ鉄のカーテンが存在していたので、実地調査の裏打ちはない。バッツは、この本では、あくまでも上記のように「ドイツの技術用語」にこだわって考えている。「この本では」としたのは、最近になって、「別の部屋」ではないかという意見を述べているという耳情報があるからである。この耳情報にまつわる後日談は長くなるので、次回に紹介する。
さて、まずは「気化穴」の前提で考えると、死体焼却炉には、燃えやすいようにする気化のための場所があったと考えられる。バッツは、コークスの場合を特定して、燃えているコークスに空気を送って「コークス焼窯ガス(coke-oven gas)」、続いて、水蒸気を送って「水ガス(water gas) 」を作るとしている。具体例としては、ポーランドのルブリン[とあるが、収容所名はマイダネクではないのだろうか]の収容所にあった「石炭燃料(coal-fired)の火葬場」も挙げている。以上の論証には、いくつもの文献が挙げられているが、それは省略する(p.121)。
この点に関しても、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の編著者は、「訳注」の8で、ヴィルヘルム・シュテークリッヒ著『アウシュヴィッツ/判事の証拠調べ』の旧版『アウシュヴィッツ神話』(1979)だけを引き合いに出しているが(p.166)、シュテークリッヒの本のこの部分には、アメリカ人の工学博士、バッツの本『20世紀の大嘘』(初版1976)が出典として明記されているのである。偉そうに原点に当たっているような振りをする割りには、実に、せこい、ごまかした方をする「助教授」たちではある。
その上で「助教授」たちは、「気化穴」の可能性についての主張に対して、つぎのように記している。
「アウシュヴィッツの焼却棟の燃料はコークスが使われており、燃料のガス化装置は必要なかった」(p.166)
しかし、この主張の論拠は明示されていない。以上の両者の相反する見解については、現在のところ、私の手元には追加の材料がない。それぞれから、さらに論拠を示してもらうしかない。
ところが、以上のような主張の日本語、英語、ドイツ語の比較を行っている内に、非常に面白い事実を発見した。何度も同じ資料を見ていても、それ以前に得ていた予備知識や思い込みが邪魔をして、なかなか気が付かない問題点が、よくあるものだが、これも、その一つである。
まず、先に引用した『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の中の、Vergasungkellerに関する文書の「訳文」を、さらにその前まで含めて、引用し直す。前述のように出典は、「アウシュヴィッツの収容所建設本部」から「ベルリンに報告した書簡」となっている。
「第2焼却棟は、言語に絶する困難と極寒にもかかわらず、昼夜を分かたぬ作業の末、施工上の細部を除いて完成した。焼却炉はエルフルトの製造メーカー、トプフ・ウント・ゼーネ社の主任技師プリューファー氏の立ち会いのもとで点火され、申し分なく稼働している。死体置場の鉄筋コンクリートは凍結のために型枠がまだ取り外されてないが、ガス室(Vergasungkeller)の使用は可能であり、それはさほど問題ではない」(p.76)
この最後のくだり、「死体置場の鉄筋コンクリートは凍結のために型枠がまだ取り外されてないが、ガス室(Vergasungkeller)の使用は可能であり、それはさほど問題ではない」という部分を、原文と比較すると、かなり違っているのである。まずは、前半の終りの「……ないが、」は、「……ない。」と切れている。ここは、それほど意味が違ってくるわけではないが、その後の順序は、続けるならば、むしろ、「……ないが、それはさほどの問題ではない。その目的のために(またはより意訳的に「その代用として」)Vergasungkellerが使えるからである」と訳すべきなのである。以下に紹介するドイツ語の原文のhierfurは、大型の独和辞典にやっと単独の項目がある程度で、「そのために」の一行の訳例しかないが、furは、英語のforと同じで、「代わりに」の意味を持っている。
この比較検討の上では、バッツの本の方には、ニュルンベルグ裁判で提出された英語の訳文だけしかないが、ドイツ語を併記しているシュテークリッヒの本の英訳が手元にあるので、非常に役立った。一応、原文を示すと、つぎのようである。[Umlaut省略]
Die Eisenbetondecke des Leichenkellers konnte infolge Frosteinwirkung noch nicht ausgeschalt werden. Die ist jedoch unbedeutend, da der Vergasungkeller hierfur benutzt werden kann.
ニュルンベルグ裁判の書証として提出された英語訳をも示すと、つぎのようである。
The planks from the concrete ceiling of the cellar used as a mortuary could not yet be removed on account of the frost. This is , however, not very important, as the gas chamber can be used for that purpose.
以上の文中の、「その目的のために(またはより意訳的に「その代用として」)Vergasungkellerが使えるからである。(da der Vergasungkeller hierfur benutzt werden kann.)」という部分は、前述のように、日本語版『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の訳文では単に、「ガス室(Vergasungkeller)の使用は可能であり」となっている。死体置場の「目的のために」、または「代わりに」「代用として使える」という意味の方は、完全に欠落している。この意味の欠落は、この際、誤訳では済まされない。曲訳である。「代用として使える」ということは、つまり、「死体置場」とVergasungkellerは、本来は、別の目的を持った部屋であるし、さらには当然、別の部屋であるし、「鉄筋コンクリート」が「凍結のために型枠がまだ取り外されてない」[「から使用できない」が省略されていると判断できる]「死体置場」とは違って、「死体置場」としての代用が可能だということである。
ところが、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の「訳注8」では、つぎのように説明しているのである。
「アウシュヴィッツのガス室は収容所内の隠語として「死体置(Leichenkeller)」と呼び慣らわされていたが、この書簡の差し出し人は、第2焼却棟の第1「死体置場」をうかつにも「ガス室(Vergasungkeller)」と言い換えている」(p.165-166)
つまり、同じ部屋の名称の「言い換え」だと主張している。この「訳注」の執筆者は、LeichenkellerとVergasungkellerとが、同じものだと主張し、報告者が、その「隠語」[を使へとのヒトラーの極秘命令]を忘れて、「うかつにも……言い換えて」しまったのだと称しているのである。
ところがまずは、この「隠語」説についても、何ら出典明示がない。これで何が「訳注」かと呆れてしまう。しかも、この「隠語」説そのものにも、もともと何らの物証もない。「呼び慣らわされていた」などと断定的に記す根拠は、何もないのである。このデタラメ本の構成から見れば、「隠語」説も、または同じことだが、Leichenkellerを「ガス室」とする説も、やはり出典明記はないが、その源は、すでに紹介済みのジャン=クロード・プレサックの著書、『アウシュヴィッツの火葬場/大量殺人機械工場』(1993)以外にはなかろう。
このプレサック説については、すでに、前回紹介したフォーリソン著『プレサックへの返答』があり、拙訳『偽イスラエル政治神話』でも論じられている。詳しくは次回の(Leichenkeller編)で紹介する。上記の「言い換え」説の特徴は、その部分でプレサックが直接ふれていないVergasungkellerをも同時に論じてしまったことである。「編訳者の」の助教授たちは、これで「串刺し」と力んだのであろうが、これは、将棋などの用語で言えば「差し過ぎ」である。そこで、はてなと、私の頭脳が刺激を受けたのである。
もう一つの、キーワードというよりもキー文字は、たったの1つの小文字の「s」だった。上記の「代用」論とともに決定的な重要性を秘めていそうなのは、日本人が見逃しがちな「複数」と「単数」の違いである。上記のように、英語訳の方では、the cellar used as a mortuary と、明白に単数の扱いになっている部分が、ドイツ語の原文では、Leichenkellersと、複数になっているのである。
拙訳『偽イスラエル政治神話』で、私は、つぎのような訳注(p.339)を付けていた。
訳注1. ここでガロディが例に挙げているプレサックの原著の65頁では、chambre a gaz (la Leichenkeller 1)[ガス室(遺体安置室1)]となっており、その隣が、vestiaire(la Leichenkeller 2)[更衣室(遺体安置室2)]だという主張になっている。
つまり、私には、Leichenkeller と設計図に記された部屋が2つあるという予備知識があった。プレサックの原著には、設計図の写真も入っていた。だから、上記のドイツ語原文と、英語の訳文を、ワープロで入力する際の作業で、いやでも気付いた「s」1文字の刺激が、それらの予備知識と衝突して発火したのである。
プレサックは、2つある「死体置場(Leichenkellers)[複数]」の内の1つが「殺人用ガス室」だと主張している。しかし、上記の報告書の時点では、その複数について、同じように、「鉄筋コンクリート」が「凍結のために型枠がまだ取り外されてない」と記しているのである。そうすると、Vergasungkeller[単数]は、何だと言うのであろうか。
以上で[1999.2.26.](その9)終わり。次回に続く。
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