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シオニスト『ガス室』謀略周辺事態

1999年3月発行分(10-13号)合併号


(その10)『ガス室』妄想ネタ本コテンパン(Leichenkeller編)

 前回も述べたように、デタラメ本の典型、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』(p.76)に出てくるVergasungkellerに関する文書は、決してプレサックの新発見ではなくて、ニュルンベルグ裁判の書証として提出されていた。証拠番号はNO-4473.である。ただし、Vergasungkellerという単語の意味については、提出当初から争いが続いている。

 この文書[作業報告書]には、これも前回に述べたように、Leichenkellerという単語も出てくるが、この単語の意味自体には争いはない。日本語に直訳すれば「死体の穴蔵」であり、意訳すれば「遺体安置室」である。

 このような文書の解釈は、あたかも日本の古代史研究で、ごみ焼き場の跡から発見された「木簡」の短い断片的な文章の一部とか、地中から出てきてボロボロの状態の刀剣に刻まれた微かな数文字などの解釈の場合と同様に、慎重かつ厳密になされなければならない。幅広い議論が必要なのは、言うまでもないことである。

 ところが、このデタラメ本の典型、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』では、この著名な書証についてのニュルンベルグ裁判の証拠番号をも示さず、過去の議論をも、まったく無視して、いかにも物々し気に、ホロコースト見直し論者の「誤った主張を覆す」(p.75)という断定的な説明を付けて、画期的な新証拠の発見であるかのように書き立てている。これは、読者を誤導する露骨なデマゴギーの手法以外の何物でもない。

 さらには、Vergasungkeller の意味が「ガス室」であり、当然のごとくに、「ユダヤ人の民族的な絶滅を目的とする大量殺人機械工場」の意味なのだとばかりに、断定的に決め付けている。こういう詐欺的かつ恫喝的な手口も、政治的シオニストの使い古した常套手段なのである。

 そこで、ここでも、その「訳文」を、再び引用し直す。前述のように出典説明は、「アウシュヴィッツの収容所建設本部」から「ベルリンに報告した書簡」となっている。

「第2焼却棟は、言語に絶する困難と極寒にもかかわらず、昼夜を分かたぬ作業の末、施工上の細部を除いて完成した。焼却炉はエルフルトの製造メーカー、トプフ・ウント・ゼーネ社の主任技師プリューファー氏の立ち会いのもとで点火され、申し分なく稼働している。死体置場の鉄筋コンクリートは凍結のために型枠がまだ取り外されてないが、ガス室(Vergasungkeller)の使用は可能であり、それはさほど問題ではない」(p.76)

 再び最後の部分の原文だけを示すと、つぎのようである。[Umlaut省略]

 Die Eisenbetondecke des Leichenkellers konnte infolge Frosteinwirkung noch nicht ausgeschalt werden. Die ist jedoch unbedeutend, da der Vergasungkeller hierfur benutzt werden kann.

 この最後の部分を、私は前回、つぎのように訳すべきだと主張した。

「死体置場[複数]の鉄筋コンクリートは凍結のために型枠がまだ取り外されてないが、それはさほど問題ではない。その代用としてVergasungkeller[単数]が使えるからである」

 そして、「型枠がまだ取り外されてない」のであれば、この技術者間の報告書では当然のごとくに省略されてはいるものの、「使用不能」を補って解釈すべきであること、さらには、その「使用不能」の状態を受けて考えると、日本語版『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の訳文では完全に欠落している「その代用として」(hierfur)の部分に、決定的に重要な意味があること、この意味の欠落は、この際、誤訳では済まされなくて曲訳であると主張したのである。

 これも再び確認のために繰り返すと、以上の解釈から出てくる結論は、「死体置場」とVergasungkellerは、本来は、別の機能の部屋であるし、さらには別の部屋であるということになる。

 Leichenkellerと Vergasungkellerとが、同じものだと主張する「隠語」説の源は、これまたデタラメ本の典型、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』には出典の明示がないのだが、すでに紹介済みのジャン=クロード・プレサックの著書、『アウシュヴィッツの火葬場/大量殺人機械工場』(93)の誤読によって生じたものであろう。プレサックの「隠語」説では、Leichenkellerに内の1つが「ガス室」だと主張しているのであって、そこでは、Vergasungkellerという単語を使っていないのである。

 もう一度、彼に似合いの口上を繰り返し、この「隠語」説をも加えてみよう。

 プレサックが、万単位の「関連史料」調査の「実績」を利用する手口は、今や大道芸にまで昇格した「蝦蟇(ガマ)の油売り」の口上に比べれば、お粗末至極な素人手品でしかない。たとえば、つぎのような台詞である。

「さあて、おっ立ち会いの皆々様、こっこに取り出だし(いだし)ましたるは、旧ソ連ことオッロシア国はモッスクワの国立中央特別文書館にて、私奴(わったくしめ)が、数万枚の古文書をば夜も昼もこれなく、めくりにめくってまくって、やっとのことで発見致しましたるビルケナウの火葬場、じつは大量殺人機械工場の設計図なのでございます。これこそが、私奴がオッロシアの地に赴き、苦労に苦労をば重ねまして、やっとのことで入手致しましたる実に明白な新証拠なのでござります。どうか、おっ立ち会いの皆々様、ず、ず、ずいっと、こう近寄って、しっかりと御覧下さい。はいっ、これが、その設計図でございます。では、かの恐ろしきガス室はどこにあるかと申しますと、ほれ、ほれ、ここに、ライヘンケラーと書いてございます。ドイツ語では死体の穴、つまり、死体置場なのでございますが、これが実は、な、な、なんと、ああ、かの恐っそろっしき『ガス室』の暗号なのでござります」(『アウシュヴィッツの火葬場。大量殺人の機械工場』p.65参照)

 ここだけはプレサック説に間違いはないのだが、設計図には、ライヘンケラー(死体置場)としか書いてないのである。この事実を反映してか、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』でも、つぎのように主張している。

「死体置場はガス室として使われるようになり」(p.46)

「死体置場がガス室として使用されるようになった」(p.97)

 ここで本来なら、「おっ立ち会いの皆々様」は、驚いて、つぎのように質問しなくてはならないのである。

「な、な、なんとおっしゃる。何百万人ものユダヤ人の民族的殲滅のために、大量殺人の機械工場まで建設したというのに、その中心であるべき『ガス室』が、死体置場からの転用だったとは、いかにも手際の悪い話ではござらぬか」

 すると、つぎのように、慌てて弁解する向きも出てくるだろう。

「いや、これはアウシュヴィッツのメイン・キャンプの第1火葬場の場合でして、本格的に建設されたビルケナウでは、云々」

 しかし、実は、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の下敷きの方のプレサックの本では、ビルケナウの「死体置場」のことを、こう主張しているのである。

 以下、拙訳『偽イスラエル政治政治神話』(p.339-340)から、このプレサックの手口を批判する部分を、前回は省略した前後関係をも加えて引用する。

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[前略]記録文書の意図的な小細工を、1例だけ示しておこう。ジャン=クロード・プレサックは、著書、『アウシュヴィッツの火葬場』(93)の中で、この恐ろしいほどの多数の死亡者名簿に、付録の恐怖を付け加えたいという熱心さが高じた余りか、ドイツ語のLeichenkellerという単語に出会う度に、直訳すれば「死体の穴蔵」、つまり、「遺体安置室」でしかないのに、「ガス室」と訳している。そうしておいて、彼は、「暗号化された言葉」という考えを持ち込み、死刑執行人(名前はメッシング)には、《「死体の穴蔵」が「ガス室」だと書く勇気がなかったのだ》と称しているのである。

訳注1. ここでガロディが例に挙げているプレサックの原著の65頁では、chambre a gaz (la Leichenkeller 1)[ガス室(遺体安置室1)]となっており、その隣が、vestiaire(la Leichenkeller 2)[更衣室(遺体安置室2)]だという主張になっている。

 ところが、この「暗号化された言葉」という仮説は、記録文書を自分の都合の良いように利用するために、しばしば活用されてはいるものの、何の根拠も持たないのである。まず最初に、ヒトラーとその共犯者たちは、すでに本書でも詳しく指摘したように、自分たちの他の犯罪を隠す努力を、まったくしておらず、その上に、図々しくも明確な用語で発表していた。さらに、イギリスは、当時、極めて高度な暗号解読の技術と機械の開発に成功し、ドイツの通達類を明瞭に受信していた。何百万人もの人間を工業的に絶滅させるというような、巨大な技術的計画が実行されていたとすれば、その関係の通達類は必ずや数多かったに違いないのである。

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 さて、前回、私は、Leichenkellerと Vergasungkellerとが別物だという考えを「新発見(?)」ではないかと記したが、この点を、私よりも5年も前から「ガス室」問題に気付いていた西岡昌紀に質した。西岡は、『マルコポーロ』廃刊事件の主人公であり、1989.6.15.付けの日本語版『ニューズウィーク』で、アメリカのメイヤー教授を主人公とする記事、「『ユダヤ人は自然死だった』で揺れる歴史学会」を読んで以後、関連資料の収集を続けていた。拙著『アウシュヴィッツの争点』(1995)にも、その経過を記したが、その西岡が、拙著『湾岸報道に偽りあり』(1992)を、たまたま書店の棚で発見して、1994年春になってから、私に「資料提供」の電話をしてきたのである。

 すると、西岡は、「鋭い!」と言いながら、国際電話で得た重要な耳情報を教えてくれた。前回も記したアメリカの工学博士、バッツが、私と似たようなことを言い出したらしいというのである。バッツの新しい解釈は、設計図にはLeichenkellerが2つ記されているだけで、「Vergasungkellerと記された場所はない」という点に着目したもののようである。

 この同じ点から、「だからしてLeichenkellerと Vergasungkellerとが同じものだ」という屁理屈も出てくるだろう。しかし、以上述べたように、論理的に追及すると、LeichenkellerとVergasungkellerとは、「代用」が可能なものではあるが別物なのである。

 そこで、具体的な手順から考えると、その場所は、すでに稼働中の焼却炉から焼いた遺体の骨を掻き出して、いったん焼き窯を冷やし、次の作業に掛かる時に、新しく焼く死体を運んでくるのに便利な位置であろう。それは「同じ建物の中とは限らない」というのが、バッツの発想の転換の着眼点らしいのである。まだ論文は発表されていないものか、ともかく西岡の手元にも届いていないのだが、バッツのこの発想の転換には、どうやら、私の場合と同様に、プレサックの強引な「隠語」説の刺激があるらしいのである。

 以上、最新の耳情報に関しては、「らしい」が多くて耳障りだろうが、仕方がない。私は、戦争中ではなくとも死者の衣服の再利用は珍しくないことだから、火葬場のすぐ側に、その衣服の虱退治のための小部屋があったのかもしれないと考える。前々回の(Vergasung編)で述べたように、Vergasungの意味で唯一明確に説明できる書証があるのは、殺虫剤チクロンBの使用説明書だけである。そのVergasungの意味は、チクロンBが発生する青酸ガスで「害虫を殺す」ことである。そこからのVergasungkellerの一番自然な解釈は、殺虫室、または、消毒室である。

 ここで振り返って、Vergasungkellerが「ガス室」であり、それが「大量殺人機械工場」の意味だったのだと主張する向きの議論を読み直すと、いわゆるダブルスタンダードの典型である。さらには、Leichenkellerを「ガス室」の「隠語」であるというプレサックの説は、Vergasungkellerを「ガス室」とする説と対立する。しかも、「ガス室」実在論者は、これこそが「ガス室」を証明する文書だと主張する一方で、別のところでは、「ガス室」は絶対の秘密とされたので、文書は出されず口頭命令だったとか、すべての文書を湮滅したのだという主張もしているのである。

 しかし、そのような恐ろしい「絶対の秘密」の命令に基づいて、「大量殺人機械工場」としての「ガス室」を建設中の技術者が、「うかつにもVergasungkellerという「絶対の秘密」の単語を書いてしまったり、それを受けとった上司が、そのまま放置してしまったりなどということが、果たしてあり得るのだろうか。もともと、そのような恐ろしい「絶対の秘密」の仕事に、多数の技術者、職人を使って、しかも、その問題の報告書に記されたような「言語に絶する困難と極寒にもかかわらず、昼夜を分かたぬ作業」などを、無事に続けることができたのだろうか。

 さらには、これまでにも何度か指摘してきたことだが、この報告書の「第2焼却棟」は、見晴らしのきく広い平らな敷地に作られたビルケナウ収容所の東端で、引き込み線路の終点に隣接し、多数の収容者から丸見えの位置にあるのである。こんな位置に「大量殺人機械工場」を建設するなどというのは、誰が考えても、「無茶苦茶でござりまするがな」(漫才師・故アチャコの決まり文句)なのである。

 以上で(その10.1999.3.5.発行)終わり。次回に続く。

(その11)『ガス室』妄想ネタ本コテンパン(Gas総合編)

 この間、インターネットで若干の「ガス室」関連情報が飛び交った。「同時進行版」の意味では、ここでも、最新のE-mail情報に接している読者向けに、いささかは最新の打ち返しをしないわけにはいかない。

 本連載10号既報のように、「山崎カヲル」こと、東京経済大学教授(異文化コミュニケーション専攻。本名は馨。本稿末尾に注1.)が、amlメーリングリストでの私の「ガス室」関連発言を封じようとして、決闘の場を京都は四条河原ならぬ aml-stoveに指定し、「論争」を挑んできた。当方には彼について、陰湿な口喧嘩マニアとの世評の持ち合わせがあったので、直ちに拒否した。山崎カヲルは、結局のところ、自らをaml-stoveという狭い井戸の中に閉じ籠めてしまい、まさに自縄自縛、壁に向かって罵倒を続けるという漫画そこ退けの状態に陥った。当方にも配達された一部mailによると、しきりに私の「ドイツ語能力」を嘲っているようだが、笑止千万である。そうまでして大学暮らしを鼻に掛け、自分の学を誇りたいのなら、後生大事のネタ本にしているドイツ語の本を、自分で訳してみるがいい。

 私の方は、自慢じゃないが、大学ではドイツ語を「第3外国語」で受講登録したものの、授業に出たこともなく、社会人になってからも、リートの物真似と『資本論』の珍妙な日本語訳を判読する目的以外には、ドイツ語は愚か、英語すらほとんど必要のない年月を、ああ、数えてみれば、なんと、27年半も過ごし、フリーのものかきに転じてから初めて、教授、様、様、その他、文化人商売のお方々の余りのお粗末さに呆れ果て、今では仕方なしに、シャンソンしか覚えていなかったフランス語の本を訳したりしている。太り過ぎの横綱じゃあるまいに、これ以上、他人に尻拭いをさせないでほしいものだ。

 もう一人の身元不詳(求めても明らかにしない)の口喧嘩マニア、高橋亨は、またまた新しいシオニスト・サイトを発見したものか、ビルケナウ収容所の火葬場の過大も過大の「処理能力」説を丸写しで入力して、何か論じたつもりになっている。この件は、すでに紹介済みのシュテークリッヒ著『アウシュヴィッツ/判事の証拠調べ』(p.47-55)と、これも紹介済みのプレサック著『アウシュヴィッツの火葬場』を徹底批判したマットーニョ著『アウシュヴィッツ/伝説の終り』(p.6-15)で、すでに詳しく論じられている。

 これらの批判は後に紹介するが、本連載の現段階との関係で一言だけして置くと、上記の過大も過大の「処理能力」計算を「ガス室による大量殺人」の根拠とする説は、実に奇妙な矛盾に直面するのである。これもすでに紹介済みのニュルンベルグ裁判の証拠番号、NO-4473.の建設作業報告書では、火葬の焼き窯は順調に稼働しており、死体置場は型枠が外せず(つまり使用不可能)、代わりにVergasungkellerを使っているのである。プレサック説では、死体置場の1つが「ガス室」なのであり、ニュルンベルグ裁判では、Vergasungkellerの方が「ガス室」だったのだが、これが死体置場の代わりに使われているのであれば、「ガス室」としては使用不可能となり、当然のことながら、「ガス室殺人」は不可能となる。たとえ桁外れの「処理能力」があったとしても、肝心要の「ユダヤ人絶滅のための大量殺人工場」としての「ガス室」による何千という死体の山は、いったい全体、どこから運ばれてくるのであろうか。

 さて、閑話休題。前回までに、上記の報告書の一字一句を検討し、そこに出て来るvergasungkellerと言う単語が意味する場所を、広く考え直してみた。

 前回の後段では、技術用語にこだわって火葬炉の「気化穴」説を立てていたアメリカの工学博士、バッツが、私と似たようなことを言い出したらしいという「最新の耳情報」を紹介した。バッツの新しい解釈は、設計図にはLeichenkellerが2つ記されているだけで、「Vergasungkellerと記された場所はない」という点に着目したもののようである。

 そして前回の最後に、私自身の考え方の最新の到達点を、つぎのように記した。

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 私は、戦争中ではなくとも死者の衣服の再利用は珍しくないことだから、火葬場のすぐ側に、その衣服の虱退治のための小部屋があったのかもしれないと考える。前々回の(Vergasung編)で述べたように、Vergasungの意味で唯一明確に説明できる書証があるのは、殺虫剤チクロンBの使用説明書だけである。そのVergasungの意味は、チクロンBが発生する青酸ガスで「害虫を殺す」ことである。そこからのVergasungkellerの一番自然な解釈は、殺虫室、または、消毒室である。

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 では、その殺虫室、または、消毒室は、どこにあったのかというと、私の手元には、そういう場合には非常に便利な『ボール報告』(The Ball Report)がある。副題は、とても長い。

「明るみに出たアウシュヴィッツ! 第二次世界大戦中の航空写真から描いた集中収容所」(Auschwitz exposed! Concentration camps drawn from W W II air photos)である。

 私が持っているのは、32頁の無料パンフレットで、116頁の本『航空写真の証言』(Air Photo Evidence)の宣伝として届いたものであるが、これにも、戦後30年以上も過ぎた1979年になってからCIAが公開した航空写真に、詳しい解説付きの手書き図面が添えられている。この場合も、探すとすぐに、上記NO-4473.報告書の「第2棟」と収容所の入り口の中間の位置に、殺虫室、または、消毒室(日本式の表記を考えると「青酸ガス燻蒸室」なので、以下ではそう記す)を含む大きな建物があるのが分かった。

 ところが、これだけの詳しい材料が揃っていることからも想像できるように、私の最新の着眼は、まるで「新発見」でも何でもなかったのである。改めて調べ直してみたら、実は、すでに4年以上も前に、そのことを示唆する文章まで読んでいたのだった。頭の中の記憶こそなかったが、頁の欄外に鉛筆のメモが残っているから、間違いはない。

 1994年秋、思えば『マルコポーロ』廃刊事件が翌年春に起ころうなどとは夢にも思わず、料金が一番安い大韓航空のそのまた1番安い期限付き団体往復券1枚を、これまた手数料の1番安い旧知のNGO支援ヴォランティア個人営業旅行代理人に頼んで入手し、その飛行機の狭い座席で時差ぼけの予感に怯えながら読んだ本に、その文章が載っていたのだった。私が、そのメモまでした箇所の記述を忘れていたのは、おそらく、当時の私の関心が、その同じ年の年末に予定していたアウシュヴィッツなどの「実存」と称されている「大量殺人用ガス室」の構造に集中していたからであろう。その時期には、言葉だけで実物がないものへの関心は低かったのである。しかも、その本の文脈を、「青酸ガス燻蒸室」よりも、「大量殺人用ガス室」に直結しているように読んでしまったらしいのである。

 本の名は、すでに紹介済み、拙訳題では『アウシュヴィッツ/判事の証拠調べ』、著者は元ドイツ空軍アウシュヴィッツ防衛部隊勤務の経験がある元司法官、ヴィルヘルム・シュテークリッヒである。シュテークリッヒは、この本と同主旨の発言を理由として司法官の資格を剥奪されている。ドイツ語の初版には1973年という記録もあるが、1979年に発売直後に禁止となり没収されたともある。私が持っているのは、1990年版の英語訳で、かなりの改訂増補部分があるようだ。重要な部分にはドイツ語の原文が併記されている。

 シュテークリッヒは、上記のバッツの「気化穴」説を紹介した後に、つぎのように記していた。

「もう一つの、もっともらしい説明は、この部屋が、すべての集中収容所で通常業務となっていた衣類その他の身の回りの持ち物の燻蒸を目的としていたというものである。この目的で使用された青酸ガス燻蒸の特許薬品チクロンBは、『ユダヤ人の絶滅』のためにも同様に使用されたと推測されていた」(p.47)

(Another plausible explanation is that this room was intended for the fumigation of clothig and other personal effects, a common practice in all concentration camps. The proprietary hydrocyanic Zyklon B used for this purpose is supposed to have been used for the“extermination of the Jews”as well.)

 この部分を最初に読んだ時の私は、本連載で記したチクロンBの説明書の英語訳では「虱退治」(delousing)となっていた用語が、ドイツ語の原文では「ガス燻蒸」(以後、これをVergasungの訳語とする)だったことを知らなかった。シュテークリッヒも、ここでは、このキーワードにドイツ語の説明書の用語を対照していなかった。

 シュテークリッヒは、さらに、私が先にドイツ語原文を示して、hierfurの「その代わり」の意味を指摘して、LeichenkellerとVergasungkellerとは別の部屋だと主張した点についても、ドイツ人だから当然と言えば当然のことながら、同じ頁で、いとも簡単に「2つの別の物」(two different things)としている。

  こんなってくると、もう一度、日本語版『アウシュヴィッツとアウシヴィッツの嘘』の訳文の「曲訳」を強調しないわけにはいかない。以下、簡略化して繰り返す。

 NO-4473.の該当部分の「訳文」を一行だけ繰り返すと、以下のようである。

「ガス室(Vergasungkeller)の使用は可能であり、それはさほど問題ではない」

 原文を示すと、つぎのようである。[Umlaut省略]

 Die Eisenbetondecke des Leichenkellers konnte infolge Frosteinwirkung noch nicht ausgeschalt werden. Die ist jedoch unbedeutend, da der Vergasungkeller hierfur benutzt werden kann.

 ニュルンベルグ裁判の書証として提出された英語訳をも示すと、つぎのようである。

 The planks from the concrete ceiling of the cellar used as a mortuary could not yet be removed on account of the frost. This is , however, not very important, as the gas chamber can be used for that purpose.

 以上の文中の、「その目的のために(またはより意訳的に「その代用として」)Vergasungkellerが使えるからである(da der Vergasungkeller hierfur benutzt werden kann.)」という部分からの、死体置場の「目的のために」、または「代わりに」「代用として使える」という意味の欠落は、この際、誤訳では済まされない。曲訳である。

 しかも、すでに記した通り、この日本語版の「訳者代表」、石田勇治は、奥付によると、「東京大学教養学部助教授(ドイツ現代史)」の肩書きなのであり、「主要著書」にはドイツ語の論文を掲げており、しかも私に対しては電話で、これも前述のごとく、「こんなドイツ語も知らずに云々」と罵ったことさえあるのである。

 ああ、ローマ字でhierfur とあって、そのuの上に丸い小さな点が2つ並んでいるのですが、東京大学教養学部助教授、様、様、におかれましては、この単語の意味を、ご存じでないはずはないと思うのですが、なぜ、お訳しにならなかったのござりましょうか?

注1.「山崎カヲル」に関しては、この間、下記のmailの応酬をした。現在、1999.3.11.であるが、わが下記1999.3.9.mail以後、先方は沈黙している。以上、途中経過報告。

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[aml 11378] ホロコースト否定派の語学能力

From: ykaoru@tku.ac.jp (KaoruYamasaki)

Date: Mon, 8 Mar 1999 10:31:36

 Aml-stoveで簡単に触れたことですが、二、三のかたからamlでも出してほしいという要望が寄せられたので、議論のためでなく(議論の余地などまったくない問題です)、事実確認のためにポストします。

 日本のホロコースト否定派が、どれほどいいかげんな知識ででたらめを振りまいているかを、ご確認いただけると思います。

  Aml-stoveへの投稿ではなく、私のWebサイトに貼ったほう(http://clinamen.ff.tku.ac.jp/Holocaust/German.html)を使います。

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 ホロコーストの存在を否定するという、きわめて重い作業をするためには、一応基本的な資料にあたれるだけのドイツ語の能力が要求されます。否定派のフォリソンやウィーバーも、ドイツ語が読めますが、それがあたりまえです。

 私は木村愛二さんのドイツ語の力を知りませんでした。そうすらすらとは読めないだろうが、まるでだめというわけでもないだろう、と思っていました。

 甘かった!

 この人はドイツ語の初級文法のはじめのほうさえ知らないのです!

 木村さんは自分のページ(http://www.jca.ax.apc.org/~altmedka/glo-99-2.html)で

 Die Eisenbetondecke des Leichenkellers konnte infolge Frosteinwirkung nochnicht ausgeschalt werden. Die ist jedoch unbedeutend, da der Vergasungkellerhierfur benutzt werden kann.

 というドイツ語の文章を引用しています(ホームページのリンクの貼り方が無茶苦茶なので、通常の方法で探ると、なかなかここに到達できません)。

 そしてこういいます。

「もう一つの、キーワードというよりもキー文字は、たったの1つの小文字の「s」だった。上記の「代用」論とともに決定的な重要性を秘めていそうなのは、日本人が見逃しがちな「複数」と「単数」の違いである。上記のように、英語訳の方では、the cellar used as a mortuaryと、明白に単数の扱いになっている部分が、ドイツ語の原文では、Leichenkellersと、複数になっているのである。」

 複数!

 さらにこうもいわれます。

「つまり、私には、Leichenkeller と設計図に記された部屋が2つあるという予備知識があった。プレサックの原著には、設計図の写真も入っていた。だから、上記のドイツ語原文と、英語の訳文を、ワープロで入力する際の作業で、いやでも気付いた「s」1文字の刺激が、それらの予備知識と衝突して発火したのである。

 プレサックは、2つある「死体置場(Leichenkellers)[複数]」の内の1つが「殺人用ガス室」だと主張している。しかし、上記の報告書の時点では、その複数について、同じように、「鉄筋コンクリート」が「凍結のために型枠がまだ取り外されてない」と記しているのである。そうすると、Vergasungkeller[単数]は、何だと言うのであろうか。」

 お判りのように、まったく複数であると思い込んでいます。

 いまさら注意することさえばかげていますが、Leichenkellersについているsは、複数のしるしではありません。

 ドイツ語の名詞は強変化(若干の例外があります)や混合変化において、単数2格(属格とか所有格ともいって「~の」の意味です)で名詞の末尾にsをつけます。例えば、おじさん(der Onkel)の単数2格は「おじさんの」(des Onkels)となります。このsを見て、「おじさん」は複数だといったら、「ドイツ語初級」の単位はもらえません。

 第一、des Leichenkellersとあります。Leichenkellerは男性名詞なので、単数2格の定冠詞は当然そのようにdesになります(複数だったらderですが、この場合名詞にsはつきません)。

 文中のDie Eisenbetondecke des Leichenkellersは、「Leichenkeller[単数]の鉄筋コンクリート製の天井」と訳すのです。

 要するに、ドイツ語を学ぶ学生なら、初級の1学期目でならうことを、木村さんは判っていません。こんな知識でドイツ語原文を引用して、論争相手を脅かそうというのですから、冗談ではありません。

 とにかく、木村さんのドイツ語能力はよく判りました。

 ありもしない「予備知識」をこれ以上「発火」させて大恥をかかないよう、ドイツ語の引用など、これからは絶対に止めましょう。

 そして、ご自身がドイツ語の資料に直接にあたって議論を立てる能力がまったくないことを、明言してください。

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[aml 11387] 「ガス室」ドイツ語個人教授に御礼

Sent: 99.3.9 11:07 AM

From: 木村愛二

 木村愛二です。

 これは、またまた、山崎カヲル教授、様、様、におかれましては、わがWeb週刊誌『憎まれ愚痴』のご愛読を頂くばかりでなく、aml-stoveよりamlへと、仇敵、中宮さんの非難をも、ご覚悟の上での、ご無理な、ご出張、個人ご教授を頂き、珍謝に堪えません。

 私奴のような、学生時代にはドイツ語の落第生どころか、かすかな記憶では最初だけ授業に出席して麻雀仲間と出会ってしまい、「デル、デス、デム、デン」だから「出ん」などと、単位は放棄した程度の不真面目極まる愚才に、かくも深き、ご愛情を、お注ぎ頂くのは、果たして、なにゆえであろうかと、何も御礼の用意もないままに、ただただ、ひたすら、ご貴重な、お時間の、お無駄を、お案じ申し上げております。

 さて、ドイツ語の複数にかんするご知識のほどを伺い、こりゃ少し失敗したかな、とは思いますが、わがWeb週刊誌『憎まれ愚痴』の下記連載記事(その9-10)を御覧頂けば明瞭なように、語尾のsが複数か単数かには深い意味はなく、むしろ、どうでもいいのであって、それをも1つの脳髄への刺激として、「ガス室」妄想患者のネタ本、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の重要な曲訳に気付いたことの方に重点があるのです。このデタラメ本の訳者代表も、それこそ「ドイツ現代史」を専門とする東京大学教養学部助教授、様、様、なのです。

 なお、山崎教授、様、様、によるご罵倒、および、わがドイツ語能力への誠に以て有り難き叱咤激励に関しては、下記のごとく、999.3.12.発行予定の冒頭に、「同時進行版」型の記述を準備していたところでした。お陰様で早期予告の口実を得ましたので、その点にも重ねて、珍謝申し上げます。

(以下、本稿冒頭部分と重複)

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『シオニスト『ガス室』謀略周辺事態』(その11)

『ガス室』妄想ネタ本コテンパン(Gas総合編)

 この間、インターネットで若干の「ガス室」関連情報が飛び交った。「同時進行版」の意味では、ここでも、最新のE-mail情報に接している読者向けに、いささかは最新の打ち返しをしないわけにはいかない。

 本連載10号既報のように、「山崎カヲル」こと、東京経済大学教授(異文化コミュニケーション専攻。本名は馨)が、 amlメーリングリストでの私の「ガス室」関連発言を封じようとして、決闘の場を京都は四条河原ならぬ aml-stoveに指定し、「論争」を挑んできた。当方には彼について、陰湿な口喧嘩マニアとの世評の持ち合わせがあったので、直ちに拒否した。

 山崎カヲルは、結局のところ、自らをaml-stoveという狭い井戸の中に閉じ籠めてしまい、まさに自縄自縛、壁に向かって罵倒を続けるという漫画そこ退けの状態に陥った。当方にも配達された一部mailによると、しきりに私の「ドイツ語能力」を嘲っているようだが、笑止千万である。そうまでして大学暮らしを鼻に掛け、自分の学を誇りたいのなら、後生大事のネタ本にしているドイツ語の本を、自分で訳してみるがいい。

 私の方は、自慢じゃないが、大学ではドイツ語を「第3外国語」で受講登録したものの、授業に出たこともなく、社会人になってからも、リートの物真似と『資本論』の珍妙な日本語訳を判読する目的以外には、ドイツ語は愚か、英語すらほとんど必要のない年月を、ああ、数えてみれば、なんと、27年半も過ごし、フリーのものかきに転じてから初めて、教授、様、様、その他、文化人商売のお方々の余りのお粗末さに呆れ果て、今では仕方なしに、シャンソンしか覚えていなかったフランス語の本を訳したりしている。太り過ぎの横綱じゃあるまいに、これ以上、他人に尻拭いをさせないでほしいものだ。

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 以上。

以上で(その11.1999.3.12.発行)終わり。次回に続く。

(その12)『ガス室』妄想ネタ本コテンパン(換気扇編1)

1999.3.22.一部ミスプリ、センタリング訂正。

 これまで3回にわたって、『ガス室』妄想ネタ本『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の「ガス室」に関する記述のカラクリを追及してきた。それでもなお語り切れないのであるが、それは、ひとえに、この「ガス室」こそが、拙著『アウシュヴィッツの争点』では「核心的争点」と表現したように、中心的かつ複雑な問題点だからである。

 そこで、いくつかの問題点については、また再び項目を立てて論ずることにして、「ガス室」の構造に関わる問題点の一つ、換気扇についてだけ、簡略に片付けて置きたい。これだけでも2回は必要となる。事実そのものは簡単なのだが、それほどに作られた嘘の数が多いのである。

 さて、デタラメ本の典型『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の冒頭に配された「編著者まえがき」(p.7)は、つぎの文句で始まっている。

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 雑誌『マルコポーロ』1995年2月号に掲載された「戦後世界最大のタブー。ナチ『ガス室』はなかった」という記事をご存じだろうか。

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 ところが、すでに指摘したように、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の中の原著の部分は、100頁そこそこのパンフレット程度でもあるし、上記『マルコポーロ』記事で提出されていた数々の疑問には、ほとんど答え切れない内容のシロモノだった。その一つが、「ガス室」の「換気扇」の問題である。そこで、「編著者代表」と名乗る石田勇治が、でしゃばって、「日本版〈アウシュヴィッツの嘘〉」(p.141-152)と題する再録雑誌記事の中で、つぎのように(p.146-147)補っている。

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 アウシュヴィッツに展示されるガス室は「処刑用ガス室に必要な構造、特徴」を備えておらず、「全く科学的ではなく」、戦後の共産主義政権の「提造である」

 ……これが西岡氏の2つ目の論点である。具体的には、窓を取り付ける穴や換気扇をつける場所がそこにはないこと、また気密性が低く、青酸ガスで内部を充満させた場含、外部にガスがもれたであろうこと、さらに「ガス室の内部のどこにも青酸の沈着を示す青いシミは見られない」ことなどを指摘している。

 西岡氏の主観的意図はともかく、こうした主張は欧米の修正派だけでなくドイッのネオ・ナチが好んで用いる言説と同じである。アウシュヴィッッ収容所に関する史料の多くが戦後ソ連に押収・封印され、そのために生じた研究上の間隙を、彼らは巧みに衝きながらセンセーショナルな論議を展開してきた。しかし、ソ連解体後、史料状況は一変した。彼らがつけいる隙はほぼ完全に埋まったと言えるだろう。多くの歴史研究者が、いまや自由に利用可能となったモスクワ国立中央特別文書館の関係史料にもとづく本格的な研究を展開しているのである。

 その一人、フランスの研究者ジャン=クロード・プレサックは、初めて日の目を見た膨大な史料との格闘の末『アウシュヴィッツの焼却棟・大量殺裁の技術』(Die Krematorien von Auschwitz. Die Technik des Massenmordes 初版パリ1993年、ドイツ語版ミュンヒェン1994年)を発表し、展示されている焼却棟(このなかに、間題のガス室と焼却炉がある)を含むすべての処刑施設の建設工程、ガス殺に関する「技術革新」の詳細を明らかにした。とくに同書が示すアウシュヴィッツ収容所建設本部の文書史料(帝国保安本部宛報告書、建設計画書、設計・施工企業の送り状、図面、作業目誌、請求書等)を検討する限り、西岡氏の議論に勝ち目はない。

 例えば、「換気扇がない」とされたガス室は、もともと焼却棟内の死体置き場であったが、そのころに使われていた換気装置が、ガス室に改造された後もそのまま使用されていたことを、1942年夏の煙突改修工事の図面が証明している。そもそも換気装置が死体置き場にあったため、そこがガス室に改造されたのである(プレサック、ドイツ語版42ぺージ)。

 1943年以降、アウシュヴィッツのユダヤ人虐殺の主な現場は、隣接の大規模なビルケナウ(アウシュヴィッツ第2)収容所へと移行するが、そこに建設されたガス室にはトプフ・ウント・ゼーネ社製、排気圧8000立方米/時の電動換気装置が取り付けられていることが、1943年3月の同社作業日誌と施工図面から明らかである。ホロコースト見直し論者は、こうした数多くの新史料にどんな反証を寄せるのであろうか。

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 以上の内、最初の段落の最後、「気密性が低く、青酸ガスで内部を充満させた場含、外部にガスがもれたであろうこと、さらに『ガス室の内部のどこにも青酸の沈着を示す青いシミは見られない』こと」という部分に関しては、すでに『ロイヒター報告』の法医学鑑定を紹介したが、この件は、また別途、項目を立てて詳しく論じ直す。とりあえずここでは、石田自身が、この部分の疑問には答えていないという事実だけを指摘して置く。

 さて、石田は、以上の引用部分の最後に、いかにも自信たっぷりな調子で、「ホロコースト見直し論者は、こうした数多くの新史料にどんな反証を寄せるのであろうか」などと見栄を切っている。ところが、石田がドイツ語訳しか示し得ない上記プレサックのフランス語の著作については、すでに紹介したフォーリソン、マットーニョなどが、完膚無きまでに論じ尽くしているのである。私の手元にも、それらの原著があるが、石田が下手くそな揚げ足取りを狙った相手の西岡も、当然ながら、それらの資料を事前に読んでいた。西岡の知識のほどに関しては『アウシュヴィッツ/「ガス室」の真実』(日新報道、1997)を参照されたい。石田の揚げ足取りは、まるで見当違いであり、その上に、この部分のテーマの「換気扇」に関する論争の経過を知らないのか、または、ごまかしているのか、どちらにしても噴飯物でしかないのである。

 細部の追及以前に、まずは、比較検討のために、『マルコポーロ』(1995.2)「戦後世界最大のタブー。ナチ『ガス室』はなかった」記事そのものから、換気扇に関わる部分(p.176)のみを引用する。

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「ガス室」の「実物」とされるものはアウシュヴィッツとマイダネックにしかないのだが、実はそれら「ガス室」というコメント付きでポーランド当局が展示している部屋は、処刑用ガス室に必要な構造、特徴を全く備えていないのである。

 例えば、今日アウシュヴィッツに展示されているあの有名な「ガス室」は、半地下式の「ガス室」で、すぐ隣に四つの焼却炉を持つ「焼却室」が併設されている。というよりも、そのような半地下室をポーランドの共産主義政権が、戦後「ガス室」として展示してきたのである。この部屋が仮りに説明されている通リ、殺人用ガス室だっだと仮定してみよう。

 すると、まず、この「ガス室」には窓がないことに気付く。窓というより、窓を取付ける穴が何処にも開けられていないのである。窓そのものは、処刑用ガス室にとって必要とはいえないが、窓を取付ける穴が一つもないということほ、換気扇を付ける場所がないということである。

 処刑用ガス室においては、一回処刑が終わるたびに換気をしなけれぱならない。換気をしなけれぱ、次の犠牲者たちを「シャワーだ」とだまして「ガス室」に入れることは出未ないのだから、これはガス室にとって必要欠くべからざる機能なのである。しかし、そのために必要な換気扇を付ける場所が、アウシュヴィッツの「ガス室」にはない。

 アウシユヴィッツの「ガス室」で使用されたことになっている「毒ガス」は青酸ガスだが、青酸ガスの物理的性質の一つに、壁や天井に吸着しやすいというやっかいな性質があり、例えぱ倉庫などで青酸ガスによる殺虫作業を行なった場合、自然の通風では、殺虫作業後の換気に二十時間前後を要したとされている。

 とすれば、アウシュヴィッツの「あの部屋」が「ガス室」だった場合、換気扇がないのだから、出入口または天井の小穴(そこから青酸ガスが投げ込まれたことになっている)から換気したとして、一日に一回しか「ガス室」での処刑は行なえなかった筈である(何という非効率的な「民族絶滅」だろうか?)。

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 西岡だけではなくて、私も拙著『アウシュヴィッツの争点』で同じような方法を取ったのだが、西岡は、上記のプレサックらの説の存在は十分承知の上で、しかし、実情を知らない読者向けに「ガス室」の初歩的な問題点を論じているのである。西岡が「『ガス室』というコメント付きでポーランド当局が展示している部屋」と表現するのは、あくまでも、アウシュヴィッツに行けば必ず見せられる「現存の状態の部屋」のことであって、その部屋の歴史を語ろうとしているのではない。これを題材として「ガス室」物語を始めているのである。この「現存の状態の部屋」は、「処刑用ガス室に必要な構造、特徴を全く備えていない」のであるが、「この部屋が仮りに説明されている通リ、殺人用ガス室だっだと仮定してみよう」という書き出しで、いわゆる「ガス室」に関する疑問を展開しているのある。

 それに対して、石田は、揚げ足取りにために、いきなり大袈裟に、プレサックが「初めて日の目を見た膨大な史料との格闘の末」、決定的史料を発見したかのように騒ぎ立て、「死体置き場であったが、そのころに使われていた換気装置が、ガス室に改造された後もそのまま使用されていたことを、1942年夏の煙突改修工事の図面が証明している」と言い切るのだが、その図面には、なんと、ここでもまた、「ガス室」とは書かれていないのである。フランス語の原著には平面見取り図が4つあるが、最初の1つだけにドイツ語でLeichenraum(死体部屋)とあり、あとの3つではフランス語のMorgue(死体置場)になっている。これが「ガス室に改造された」というのは、「説」でしかないのである。

 しかも、この「改造」説とか、「1942年夏の煙突改修工事の図面」とかが議論の材料に持ち出されたのは、上記の西岡記事のような数々の疑問が提出され、博物館当局が弁解に窮して以後のことである。言わば2段構えの嘘でしかないのである。私は、『マルコポーロ』廃刊決定発表の記者会見で、出たばかりのフランスの名門週刊誌、『レクスプレス』の国際版(1995.1.26)を振り上げて、フランスではホロコースト見直し論に反対の立場のエリック・コナンが「アウシュヴィッツ・メインキャンプのガス室を嘘だと書いている」ことなどを紹介した。「嘘」の原語はfouだが、この日本語訳には「デッチ上げ」も入っている。コナンは、そこで、博物館の従来の説明、「生き残りの記憶に基づく再現」を記しているのだが、その「記憶」には、どうして「換気扇」が入っていなかったのだろうか。コナンは同時に、以上の「嘘」の暴露に関して、ホロコースト見直し論者で自分の終生の敵、フォーリソンの業績を認めざるを得ず、つぎのように記していた。

 1970年代の終りには、ロベール・フォーリソンが、この変造を見破って、博物館の責任者たちを渋々ながら事実を認めざるを得ない立場に追い込んだ。

(p.41.以下の原文はaccent略)

A la fin des annees 70, Robert Faurisson exploita d'autant meiux ces falsifications que les responsables du musee rechignaiet alors a les reconnaitre.

 フォーリソンは『ジャン=クロード・プレサックへの返答』の注26で、認めた博物館の責任者の名前をイアン・マケレク、日付を1976年3月17日(p.77)と記している。石田は、2,3冊のデタラメ本で鼻血ブーとなったり、偉そうに見直し論者に挑む前に、まずは、ホロコースト見直し論に「反対の立場」のエリック・コナンに弟子入りして、自分がいかに時代遅れのデマゴーグであるかに気付き、大いに恥じ入るべきであろう。

以上で(その12.1999.3.19.発行)終わり。次回に続く。

(その13)『ガス室』妄想ネタ本コテンパン(換気扇編2)

 読み切り説明の都合上、若干繰り返すが、デタラメ本の典型『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』で、「編著者代表」を名乗る東京大学教養学部助教授、石田勇治は、「日本版〈アウシュヴィッツの嘘〉」(p.141-152)題する補足を行い、つぎのように(p.146-147)主張している。

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「換気扇がない」とされたガス室は、もともと焼却棟内の死体置き場であったが、そのころに使われていた換気装置が、ガス室に改造された後もそのまま使用されていたことを、1942年夏の煙突改修工事の図面が証明している。そもそも換気装置が死体置き場にあったため、そこがガス室に改造されたのである(プレサック、ドイツ語版42ぺージ)。

 1943年以降、アウシュヴィッツのユダヤ人虐殺の主な現場は、隣接の大規模なビルケナウ(アウシュヴィッツ第2)収容所へと移行するが、そこに建設されたガス室にはトプフ・ウント・ゼーネ社製、排気圧8000立方米/時の電動換気装置が取り付けられていることが、1943年3月の同社作業日誌と施工図面から明らかである。ホロコースト見直し論者は、こうした数多くの新史料にどんな反証を寄せるのであろうか。

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 いかし、この文中の前段部分の「部屋」については、前回も指摘したように、フランス語の原著には平面見取り図が4つあるが、最初の1つだけにドイツ語でLeichenraum(死体部屋)とあり、あとの3つではフランス語のMorgue(死体置場)になっている。これが「ガス室に改造された」というのは、「説」でしかないのである。

 しかも、これは単なる「平面見取り図」であって、不動産広告の図面と同じような素人向けの配置説明図でしかないのである。さらには、「平面見取り図」があったということは、その「平面見取り図」通りの工事が行われたこととイコールではないどころか、工事を実施するためにも、まったく不十分なのである。建築には素人でも家を建てた経験などがあれば、すぐに分かることだが、工事用の「平面見取り図」は「設計図」ではないのである。縦、横、前後左右、細部の構造、材料などについての工事用の精密な「設計図」なしには、工事に掛かるどころか、見積もりも材料の発注も不可能である。

 アウシュヴィッツ・メイン・キャンプの場合、「ガス室」と称されてはいるのは、奇妙なことに、現在も半分は斜めの土手で覆われている小さな建造物である。この建造物に関して、しかも、いわゆる「ユダヤ民族絶滅」が行われたと称される時期について、確かに言えることは、「戦争の末期に防空壕」として使用されていたことだけなのである。それを戦後、ニュルンベルグ裁判終了後の1948年になってから、「生き残りの記憶に基づく再現」によって「改造した」というのが、博物館の従来の説明だったのである。

 上記の石田執筆の引用部分の後段、「ビルケナウ(アウシュヴィッツ第2)収容所」に関しても、「ガス室」という記述は、勝手な妄想にしかすぎない。すでに詳しく論じたように、「平面見取り図」には「死体置場」(Leichenkeller)としか記されていないのである。しかも、この「平面見取り図」も、プレサックの新発見でも何でもない。

 ここで、今後の研究の上での注意をも指摘して置きたいのは、ニュルンベルグ裁判で提出された「証拠」の位置付けである。私は、拙著『アウシュヴィッツの争点』で、ドイツ人の現代史家、ウェルナ-・マ-ザ-著『ニュルンベルグ裁判/ナチス戦犯はいかに裁かれたか』(TBSブリタニカ,1979)などの資料を紹介して、ニュルンベルグ裁判の状況の一端を示した。たとえば、「アメリカ検察局の人員は総計1100トンの書類を調べた」(『アウシュヴィッツの争点』p.100)のである。この「人員」の正確な人数は記されてないのだが、「書類調べ」に動員されたのは、何万人もの軍隊そのものプラス、これも大量動員された法律専門家の一群だった。当然、これと同規模の「書類調べ」作業を個人が行うのは、絶対に不可能である。

 私の考えでは、プレサックが新発見であるかのように振りかざす図面は、「死体置場」(Leichenkeller)としか記されていないからというよりも、むしろ、そう記されていたが故にこそ、ニュルンベルグ裁判では、「これがガス室の証拠だ!」として提出されなかったのである。むしろ、不利な証拠になってしまうからである。そして、今も実は、冷静に検討しさえすれば、「ガス室」妄想患者たちにとっては、不利な証拠なのである。

 なぜ「不利な証拠」なのかということは、まず、犯罪捜査や訴訟の常識に戻って考え直さないと分からなくなる。そうしないと、思考の論理的過程が混乱する可能性がある。この混乱こそが、本連載の冒頭に述べたような「死体」の写真などの心理的影響による「ガス室問題」の特殊性である。だからこそ、1970年代になって、戦後の議論の過程を知った文書鑑定家のフォーリソンが、この特殊性に着目し、『ガス室問題』(le probleme des chambres a gaz)という問題の立て方をしたのである。

 フォーリソンは、ラッシニエの著作によって、ホロコースト見直し論者になった。ラッシニエは、戦後のニュルンベルグ裁判当時に「ガス室」は嘘だと主張し始めたレジスタンス勲章受賞者、社会党の下院議員だった。ラッシニエは今、「ホロコースト見直し論の父」と呼ばれているが、私は、フォーリソンを、日本流の表現で「ホロコースト見直し論の中興の祖」と位置付けている。ラッシニエは歴史学教授であった。フォーリソンは文書鑑定で博士号を取った元ソルボンヌ大学教授だった。両者に共通するのは、冷静で厳密な史料、資料、証拠、書証などの研究である。

「史料」などと、口でしゃべっても分からない業界隠語、符丁を、活字で偉そうに書き、ドイツ語をちりばめたりするのが、とてもお偉い教授、様、様、方の、素人騙しの常套手段の一つなのであるが、どう呼ぼうとも、ともかく「物証」、もっと分かりやすく言うと「物的証拠」にこそ、決定的な重要性があるのである。上記のビルケナウの「死体置場」(Leichenkeller)としか記されていない図面は、常識で考えれば、「ガス室」がなかったことを立証する「物的証拠」なのであり、むしろ、実地検証をまったくしなかったニュルンベルグ裁判の判決を覆す決定的な「新証拠」なのである。

 しかも、このプレサックの「ガス室」妄想ネタ「図面」には、デタラメ本の典型『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』が、その他の数多の「ガス室」妄想本と同様に、気付いていないのか隠しているのか、その経過は分からないが、さらに重大な事実が潜んでいるのである。ここで再び「換気扇」が登場するのだが、フォーリソン著『プレサックへの返答』の指摘によると、上記の「死体置場(Leichenkeller)の換気扇は、壁の下部に設置されているのである。これが「ガス室」なら、「殺人ガス」のはずの青酸ガスは空気より軽いから、換気扇は、普通の家庭の台所でガスコンロを使う場合と同様に、壁の上部に設置されていなければならないのである。それがまったく逆に、下部に設置されているので、そのために、プレサックは、途中で改造したという「新発明」を余儀なくされたのである。

 この「新発明」をめぐる事情も、以外に複雑なので、次回に繰り越す。

以上で(その13.1999.3.26.発行)終わり。(その14)に続く。
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