憎まれ愚痴総合案内項目別案内ホロコースト神話一覧「ガス室」謀略『ガス室』謀略周辺事態

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シオニスト『ガス室』謀略の周辺事態

1999.1月1-5合併号


(その1)「私にガス室を見せるか描くかせよ」

(Show me, or draw me, a gas chamber)

1999.1.1.1号所収分

 この小見出しは、昨年の1998年1月、ホロコースト見直し論の国際的な最高権威のフォーリソン博士が、いかにもフランス人らしい力を込めた手振り身振りを交えて、私に教えてくれた論争用の台詞である。

 昨年10月15日にやっとのことで出版に漕ぎ着けた拙訳・解説『偽イスラエル政治神話』の原著者、ロジェ・ガロディが、ユダヤ人の大量殺人用ガス室の存在を否定したことを有罪とされた裁判は、1998年1月の8,9,15,16日と、 4日にわたってパリ地裁で行われたののだが、その傍聴取材の際、フォーリソン博士は、安宿の契約まで面倒を見てくれた。

 日本に帰って早速、何人かを相手に、この台詞を試してみたが、まだまだ、決定的な効果があったとは言えない。

 たとえば、ある法律事務所のベテラン事務局員、つまり、かなりの法律的手続きの経験があり、しかも、長らく地域の労働組合の協議会で幅広い活動もしてきた中年男性の反応は、その典型の一つだった。彼は、湾岸戦争報道などに関する私の著述や活動を知っているから、私を、嘘付きとは思わず、いい加減なことを書くとも思ってはいないようだ。

 しかし、こう言うのである。

「いくら木村さんでも、これだけ、教科書とか、あらゆるところで何十年も書かれてきたことを、いきなり嘘だと言うのは、にわかに信じ難い」

 そこで、「なぜ信じるのか。ヨーロッパで地動説が信じられるようになるまでには長いこと掛かった。それまでは天動説が何世紀も信じられていたのだ。信じるには科学的な証拠が必要だ。実物を見せるか描くかできるか」と言うと、彼は、「うーん」とうなったまま、「しかし、やっぱり」と頑張るのである。それほどまでに「信じ込んでいる」のである。

 自分の力で「実物を見せるか描くか」できないものの存在を「信ずる」のは、私の考えでは、非常におかしいのだが、アッラーの具象化を禁ずるイスラム教などの実例を考え合わせれば、人類社会の歴史上では、それほど奇妙な行為とは言えない。

『ガス室』の場合には、さまざまな形の手のこんだ偽情報が溢れている。アウシュヴィッツ博物館には粘土細工が展示されていて、その写真が出回っている。NHKが衛星放送で流した9時間にも及ぶ愚作、映画『ショア』にも、その映像が出てくる。ある程度の具象イメージは植え付けられているのである。

『ショア』については、わがホームページでも簡単にふれているから、下記のリンクで参照されたい。先方にも、この頁に戻れるリンクを貼ってある。

イスラエル国策映画『ショア』の欺瞞

教え込まれたホロコーストの「記憶」

アウシュヴィッツの「ガス室」の法医学的調査を行って、それが大量虐殺には適さないし、従来主張されてきたようなシアン化水素ガス(青酸ガス)使用の痕跡はないという報告をまとめ、カナダのツンデル裁判の証人となったアメリカ人、フレッド・ロイヒターは、この調査旅行以前の自分について、こう書いている。

「私は、第二次世界大戦中またはその後に生まれたすべてのアメリカの子供と同様に、ナチ党がユダヤ人に対して犯した民族虐殺について教えられた」

Like all American children born during and after World War2, I was taught about the genocide perpetrated by the Nazis on the Jews.

(Inside the Auschwitz “Gas Chambers”)

 つまり、多くの人々は「教えられた」から、信じているのである。むしろ、「教え込まれた」という表現の方が正確であろう。

 私には、不当解雇争議の特殊な事情があって、額も少ない年金が64歳になるまでは出ないのだが、それ以後なら何とか生計が立つので、本拠地アメリカに住込んで、シオニスト・ロビーによる「教え込み」の実態調査をしようかと思っている。

 ところが最近、思わぬところで、その実態の一部に関する面白いデータの存在を知ったのである。以下は、私が昨年の1998年12月21日に送った「です調」のmailの文章を、「である調」に直した改訂増補版である。

NHK放送文化研究所のアメリカ報道調査結果

 昨日、英語の演説の即時通訳ができる人、つまりは普通の日本人よりも英語使用国の事情に通じていそうな方から、今回のアメリカでのイラク爆撃60%支持率などという状況についての考えを聞かれた。それに答えながら、その方でも驚いているぐらいだから、普通の日本人にはなおさらと思い、以下の情報と分析を拙速で送る気になった。

 基本的には、アメリカの与論がアラブ嫌いに誘導され続けているということである。

 第1には、60%支持率という報道そのものへの疑問が必要だということである。

 湾岸戦争の時にも、ニューヨーク近辺で60台%でも、同じニューヨーク近辺でも黒人は30台%、サンフランシスコなどの地域も同様とか、地域・人種による違いがあった。

 最近のML情報で面白かったのは、アメリカのある地域の放送局のアンケートで、大統領の弾劾と関係ありが60%だということだったが、日本でもアンケート調査に地域による差があり、アメリカでは、それがさらに激しいようである。その一方で、アメリカの新聞も放送局も、日本よりは地域的だから、それぞれが行うアンケート調査の結果には日本よりも大きな差がありそうだ。

 与論調査については、そもそも、与論誘導の効果が問題になっていた。

 アメリカでは、ユダヤ人口が多くて「ジューヨーク」の異名すらあるニューヨークの与論調査が先行すると、それが全国の与論を誘導することになる。

 ニューヨークタイムズもワシントンポストも、ユダヤ人所有のメディアである。映画もテレヴィも、ほとんどがユダヤ人の支配下にある。

 さて、第3には、これからが取って置きの情報と分析の拙速提供であるが、イラク爆撃の9日前、12月8日夜、NHK3チャンネル、ETV特集「メディアと戦争」2「第2次世界大戦をアメリカはどう伝えたか」は、日本人向けに「真珠湾攻撃」「原爆」に重きを置いていたが、ここには別の実に面白い情報が潜んでいた。

 NHK放送文化研究所は、1968年以後のアメリカ3大ネットワークのイヴニングニューズに含まれていた907本の第2次世界大戦に関する報道の「内容」と「印象」、つまりは視聴者に与える効果を分析した。放送直後に電話をすると、その分析結果は12月10日発行の『NHK放送文化調査研究年報43』1998年度版に収録されているのことだった。ただし、1冊4700円とのことなので、近所の図書館に取り寄せ依頼中した。

「複数の専門家」が見た「内容」と「印象」の項目別の数字は、以下のようなものである(以下、数字は取り寄せ後に正確に訂正増補)。

 ユダヤ人迫害    159

 ノルマンディ上陸  132

 原爆投下       99

 ナチスの犯罪     70

 ドイツとの戦闘    56

 真珠湾攻撃      50

 ドイツ降伏      37

 日本の降伏      30

 日本軍との戦闘    30

 日本の戦争犯罪    10

 捕虜収容所問題    3

 つまり、アメリカ人の頭の中の「第2次世界大戦」の「印象」の最大のものは、「ユダヤ人迫害」であり、「ナチスの犯罪」と合計すると「229」にもなる。

「第2次世界大戦」で、「民主主義の擁護者」たるアメリカは、世界の覇者となった。

 これはアメリカ最大の現代神話である。この神話教育を徹底的に叩きこまれたアメリカ人、特に白人、アングロ・サクソン、プロテスタント、いわゆる「WASP」の頭の中には、その後さらに、アラブ人を「民主主義の破壊者」として憎む「正義の味方」=「ユダヤ人擁護者」の心理構造が、継続して植え付けられている。過去の「ナチス」「ドイツ」が、現在の「テロリスト」「アラブ」に入れ替わっているのである。

 日本人の心理構造にも、そのようなアメリカ人、特に白人の心理構造の亜流の傾向が見られるのではなかろうか。

 以上で(その1)終わり。次回に続く。

(その2)複眼の視点設定の提案

~戦争の記憶はどのように『捏造』されたか~

1999.1.8.2号所収分

 前回の「(その1)」の後半で紹介した NHK放送文化研究所による「調査分析」について、改めて評価を述べたい。

 実は前回「(その1)」を入力したあとで、メーリングリスト仲間の中に何人も NHKの職員がいることを思い出した。私の辛口は、われながら時として皮肉が過ぎることがあるので、今回を書き始める前に、 NHK放送文化研究所に電話して、担当者に挨拶した。その細部は省略するが、評価を述べると同時に、『 NHK放送文化調査研究年報43』(1998)におけるこの研究のメインタイトル「戦争の記憶はどのように伝えられたのか」の方に、注文を付けた。「伝えられ」という部分は、「歪曲され」にも、「抹殺され」にもなり得るのである。その「複眼」の視点の発想を、今後に期待すると伝えたのである。

 表題のすべてを記すと、「戦争の記憶はどのように伝えられたのか~アメリカのテレビニュースにみる第2次世界大戦表現~」であるが、これは非常に貴重な労作である。私には、ホロコースト問題に関しては、当該研究者らの評価と意見を異にするところがあるものの、「非常に貴重な労作」という表現は、決して皮肉などではない。

 むしろ私は、ホロコースト問題を抜きにしても、この「調査分析」の存在を、昨年の開戦記念日の ETV特集を見て知った時には、いささか興奮した。このような手法による大規模な放送内容の調査分析は、私の知る限りでは日本では初めての、いわば画期的な放送研究の新局面を切り開いたものだからである。

 ただし、手法そのものが新しいわけではない。規模と調査の主体が違うのである。

 日本でも、すでに市民運動が先鞭を付けている。FCTと名乗る組織がある。子供に悪影響を与えるテレヴィ番組へのの母親を中心とする批判・抗議運動から出発したので、FCTは最初、Forum, Children, TV の頭文字だった。今では Cを Citizenの頭文字に読み替えているが、まだ組織の規模は小さい。

 FCTは、この手法をカナダに学んだ。 FCTが訳した『メディア・リテラシイ』には、隣国アメリカの電波が否応なしに家庭に飛び込んでくるカナダの特殊な事情が記されているが、そのアメリカでも、テレヴィ局の経営者に有無を言わさないようにする目的で、もっと大人数の組織が総掛かりで番組の暴力シーンをチェックしたりしている。

 私も実は、自分一人だけで、この手法に近いやりかたをしたことがある。その結果の総集編が拙著『湾岸報道に偽りあり』である。私は、湾岸戦争の勃発以前の危機の段階から、関係資料の収集を始めていたので、勃発と同時に、日本のテレヴィ報道のを放送時に見るか録画するかして、可能な限り目を通す決意をした。カセットデッキが一台しかないので、実際には、すべてとはいかなかったが、主な放送は見逃していない。

 活字メディアの場合は、あとで図書館に行けば何とかなるが、故中野好夫が「空中に消えるのをいことに[中略]知らぬ存ぜぬ」と皮肉った「NHKという名の公共放送」を筆頭として、電波メディアは、事後の検証逃れの空遁の術を胎児の頃から自然に身に付けている。「逃がすものか」と必死に追い掛け続けて、やっとのことで戦闘が中止された時には、目の充血が限界に達し、瞼が張れ上がっていた。

 そういう予備知識と自分自身の経験もあったから、 NHK放送文化研究所の「調査分析」の意義を評価する資格に関しては、人後に落ちることはないと自負している。

 私の「シオニスト『ガス室』謀略」批判は、当然、「ユダヤ人迫害」に関するアメリカでの報道には「歪曲され」た面が多々あるという主張になる。この面での私の主張と立場と、 NHK放送文化研究所の担当者のそれとは、相当に離れている。この違いを、いきなり全面的に展開するのは、まだ早い。稿を改めざるを得ない。

 なにしろ、この調査分析は、タイトルをもう一度全部記すと「戦争の記憶はどのように伝えられたのか~アメリカのテレビニュースにみる第2次世界大戦表現~」となるが、この項目だけでB5判ギッシリ106頁である。『 NHK放送文化調査研究年報43』(1998)の全体が303頁だから、その3分1を越える。主要項目5つの中でも最大の長文である。まとめの文章の「第4章/共有された被害体験・ホロコースト報道」も9頁ある。

 だから、今回は、この章の冒頭に記された目的についての記載だけを取り上げる。それは、次のような部分である。

「アメリカのテレビニュースで自国民以外の被害体験で多く伝えられたのが、ユダヤ人のホロコースト被害であった。ここでは、なぜユダヤ人の被害体験が多く伝えられたのか、その理由を探り、アメリカ国内でホロコースト体験が広く認識され共有化されていった経緯を明らかにする」

 こう記された目的を意識しながら、以後9頁の記述を読むと、残念と言うよりも当然と言うべきであろうが、そこには、シオニスト批判はもとより、ホロコースト見直し論の存在も、アメリカ国内の大手メディアでもかなり報道された議論も運動も、まったく記されていない。なんらの疑問もないかのように、アメリカにおけるホロコースト関連報道を、最初から事実に基づくものという前提で調査分析しているのである。

 私は、上記の「アメリカ国内でホロコースト体験が広く認識され共有化されていった経緯」という表現を振り返ってみて、途方もなく分厚いメディアによる一方的な「教育」の積み重ねという重圧を覚えた。その重圧が、ここでも、 NHK放送文化研究所の担当者を一方的に「教育」してしまっているのである。

裏取りなし発表報道の典型という視点

 そこで、ホロコースト「体験」だけに止まらないメディア報道の基本的問題点を、ズバリ指摘する。それは何も難しい理論などではない。数多の冤罪報道が露呈した習性的な欠陥であり、簡単に言えば「裏取りなし発表報道」の積み重ねなのである。

 昨年末に亡くなった黒沢明監督の「追悼」放映の録画でモノクロ映画『羅生門』を見直した。原作の『藪の中』まで読み直す気はないが、4人の証言が食い違う殺人事件の物語である。巫女が呼び出す死者(犠牲者)の証言さえ信ずることはできないのだ。

 それなのになぜ、視聴者は「ホロコースト報道」を信じ、体験を「共有」してしまうのだろうか。ここに、大手メディアによる圧倒的な「報道」の基本的な問題点がある。

 まず、私自身のメディア「教育」体験を振り返ってみる。

 昨年10月15日に出版した拙訳・解説、ロジェ・ガロディ著『偽イスラエル政治神話』の「訳者はしがき」の最初に、以下のように記した。

私自身も何も調べずに「明らか」と断定

 まず最初に正直に、私自身に関する告白をしておこう。

 拙著『アウシュヴィッツの争点』(96)に続いて執筆した『読売新聞・歴史検証』(97)には、旧著『読売新聞・日本テレビグループ研究』(79)を改訂増補した部分が多い。旧著をパラパラめくって見た際、まったく忘れていた記述に気付いて、いささか青ざめた。

 第6代読売新聞社長の正力松太郎がA級戦犯に指名された決定打は、労組が主導権を握る読売新聞の記事、「熱狂的なナチ崇拝者、本社民主化闘争、迷夢深し正力氏」だった。私は、その時代背景について、「当時は、ナチのアウシュヴィッツなどの大虐殺が明らかになり、ニュルンベルグで国際軍事裁判がはじまったばかりだった」と書いていた。

 私は、自分では何も調べずに「明らか」としていた。当時は、いわゆるホロコーストに疑いを挟む説があるなどとは、まったく思ってもみなかったのである。

 弁解がましいが、古代哲学以来の「人間機械論」に立つと、「疑い」情報入力なしには疑う思考は働かない。その意味で、1995年2月号の「ナチ『ガス室』はなかった」と題する記事による『マルコポーロ』廃刊事件以後に関する限り、日本の知識人の科学的な思考能力は、問われざるを得ない。

 本来、「すべてを疑え」が科学的思考の原則である。私自身が疑いを抱き始めた経過は、すでに『アウシュヴィッツの争点』に記した。

 その後、記録によれば「1998年5月19日の開設」となっているが、戦犯として処刑された東条英機を主人公とする映画『プライド』への批判が話題となった際、わがホームページの中の「日本近現代『意外』史の城」に、「勅令『阿片謀略』の丸」を設けた。

 東条英機は、関東軍の総参謀長時代に、満州の東側のチャハルへの侵略軍を率いたのであるが、これは参謀としては越権行為なのだった。さらにこの侵略は、のちに蒙疆と名付けられる傀儡政権樹立の布石だったが、その主たる目的は阿片栽培地帯の獲得だった。

 初出は『噂の真相』(1989.5)。題名は「戦後秘史/伏せられ続けた日本帝国軍の中国『阿片戦略』の詳報」。レポーター・木村愛二(フリージャーナリスト)となっていた。

 執筆当時のフロッピ-から呼び出して、読み見直した時、またまた、冷や汗が出た。以下のようになっていたのだ。

「極秘」資料出現

 大日本帝国アウシュヴィッツのナンバーワンに数えられるべき「阿片戦略」は、東京裁判で告発され、判決文でも事実認定されながら、なぜその後、「抹殺」されたままになっていたのだろうか。

 そこで、わがホームページでは、ここに[注1]を付して、こう記した。

注1:この当時、私自身も「自分では何も調べずに」、「アウシュヴィッツ」を悪の象徴として記述していた。

 この「悪の象徴」という言葉は、「決定的なキーワード」と言い換えることもできる。最早、論証の必要がない「お札」であり、「葵の御紋の印籠」なのである。だから、ついつい、「正義の味方」を気取る時には、これを、高く掲げたくなってしまうのである。

 幸いなことに、『偽イスラエル政治神話』には、豊富な資料が盛り込まれている。初版の編集者としてガロディとともにパリ地裁の刑事法廷の被告だったピエール・ギヨームとは、法廷の前のロービーで並んで写真を撮ってきた。その写真をフランスで公開すると、また刑法にふれるというので、「日本でだけ」と約束していきた。ギヨーム自身が『歴史見直し論年代記』の著者でもあり、彼の何十年もの資料収集の成果が、ガロディに提供されている。

 その中には、「元収容者」であり、しかも、「フランスの第1級の歴史家」による自己点検の文章があった。

 以下は、『偽イスラエル政治神話』p.228.からの引用である。

「“ガス室”の知識の出所は戦後の“特集読み物”」

 ブッフェンヴァルトやダッハウの元収容者たちでさえも、このように念を入れて物語られる伝説によって、暗示を与えられてしまう。フランスの第1級の歴史家で、カン市分科大学の名誉学長であり、元収容者としてマウトハウゼン研究所のメンバーに加わっているミシェル・ドゥ・ブアールは、1986年に、つぎのように言明した。

《1954年に……提出したマウトハウゼンに関する専攻論文で、私は、2度にわたってガス室のことを書いた。その後に思い返す機会があって、私は、自分に問い直した。私は、どこで、マウトハウゼンのガス室についての確信を得たのだろうか?

 それは、私が、あの集中収容所で暮らしていた時期ではない。なぜなら、そのころは私自身も、その他の誰であろうとも、そんなものがあり得るなどとは想像さえしていなかったからである。だから、その知識の出所は、私が戦後に読んだ“特集読み物”だと認めざるを得ないのである。そこで、自分の論文を点検してみると、……私は、常に自分の確信の大部分を引用文献から得ているのだが、……そこにはガス室に関係する引用文献が明記されてなかったのである》(『西部フランス』86.8.2.& 3.)

 つまり、ドゥ・ブアールの場合、「戦後に読んだ“特集読み物”」の強烈な印象が、最早、検証の必要を感じない「記憶」になっていたのである。

 問題は、このような「記憶」の形成についての警戒心が、現代の「科学」幻想によって、ますます薄れがちだということである。これは実際のメディアの仕組みとは、まったく逆の幻想のなせる業なのである。この点を、私は、拙著『湾岸報道に偽りあり』の中で強調し、同書のp.54で、次のように記した。

 イギリス海軍情報部の将校としての経験を持つベテラン・ジャーナリストのドナルド・マコーミックは、リチャード・ディーコンのペンネームも使い、すでに50冊以上の著書を著している。情報機関についての著述は評価が高い。

『日本の情報機関』という題名の本もある。

 ディーコン名の『情報操作/歪められた真実』(原題『THE TRUTH TWISTERS』)には、次のような記述がある。

「過去40年間、マスコミ界ほど情報操作が効果的に浸透した分野は他には見当たらない。第2次世界大戦以前には、マスコミといえば新聞、雑誌、ラジオしかなかったのを考えれば、これは驚くに当たらない。今日ではこれにテレビとステレオ録音が加わったから、いっそうつけ入りやすくなった」

 テレヴィ漬けの一般大衆は、特に「つけ入りやすい」受け手である。

 以上で(その2)終り。次回に続く。

(その3)大手メディアの誤報・冤罪報道体質

1999.1.15.3号所収分

分かりやすい事例で見る大手メディア誤報の仕掛けです。

 政治的シオニストがパレスチナ奪取の目的で練り上げた謀略、「ガス室」神話を広めたのは、欧米の大手メディアです。欧米といっても日本の実情と変わりはありません。メディアの誤報、特に犠牲者を生む冤罪報道には、数多い事例がありますが、ここに再録するのは、「ガス室」問題と非常に関係が深くて、しかも非常に分かりやすい事例です。

初出:『歴史見直しジャーナル』(第22号.1998.10.25)

松本サリン事件報道「おわび」記事で「検証」に漏れた

「ナチス収容所使用説」

木村愛二

遅れた「おわび」に漏れた「小事」

 松本サリン事件で被害者の河野義行さんを犯人扱いした「サツネタ」冤罪報道に関して、各紙とも一応の「おわび」記事を発表した。

 ここでは当時の大手紙、朝日と毎日の両紙の「おわび」記事だけを取り上げるが、その理由は、両紙が標題の「ナチス収容所使用説」を、何らの検証もなしに採用していたからである。

 朝日の「おわび」記事掲載は1995年 4月21日。松本サリン事件発生の1994年 6月27日から数えて約10ヵ月後、1995年 3月20日の霞ヶ関地下鉄サリン事件発生の 1ヵ月後である。

 毎日は遅れて1995年 6月 6日に「事件取材に重い教訓」という大見出しの半頁特集、「検証『松本サリン』報道の 1年」を掲載した。

 だが両紙とも「ナチス収容所使用説」報道の方は「おわび」どころか、何らの検証のし直しもしていない。私の電話による訂正申し入れは無視された。

 読者のほとんどを日本人が占める商業紙の判断基準からすれば、この問題は確かに馴染みが薄いし、読者という「お客」への影響が小さいし、それほど国際的な問題になるとも思えないのであろう。だから、オウム事件の全体像と比較すれば、無視するのが当然の「大事の前の小事」なのであろう。

 しかし、この問題の報道経過には「一事が万事」、何度も懲りずに繰り返して「虚報」「誤報」「冤罪報道」を頻発するマスメディアの法則的な欠陥、怠慢と傲慢が典型的にうかがえるのである。

 そこで以下、私自身の直接体験をも交えて、両紙の「情報源」検証を試みる。

出典も根拠も示さない大手新聞の悪習

 朝日が「ナチス収容所使用説」を採用したのは、1995年 2月23日の『マルコポーロ』廃刊問題検証記事である。霞ヶ関地下鉄サリン事件発生の1ヵ月前だ。情報の出所は、私自身が主催した記者会見の席上での「学者」の発言だが、内容については後に詳しく紹介し、疑問点を指摘する。

 毎日は、それより半年以上前の1994年 7月 4日、朝刊 1面左肩に長野県警発表の「『サリン』とほぼ断定」を載せた。その記事の終りに「化学兵器に使用」という 1段の小見出しで、「サリン」を「ナチスドイツが強制収容所で使用」と解説した。

 どちらの記事にも、出典や根拠は示されていなかった。これが第 1の問題点で、大手新聞の無責任な「慣行」なのだ。学術論文では出典を明示しなければ、それだけで落第である。新聞報道の社会的影響は大きい。このところ議論の盛んな「メディア責任制」の戒めを自覚すべきだ。

 毎日の1995年 6月 6日付「検証」記事の該当部分の小見出しは「サリン判明」で、次のように始まっている。以下[ ]内は筆者注。

「『原因物質はサリンと推定される』。[1994年] 7月 3日午前 9時、捜査本部の緊急会見で浅岡俊安・県警捜査1課長がいきなり発表した。出席した山田、本多記者は『サリンてなんだ』と面くらい、旧ナチスドイツが開発した猛毒の神経ガスと知って、『とんでもないものが出てきた』と顔を見合わせた」

 つまり、取材記者は最初、「サリン」とは何かを知らなかったわけだ。翌日の朝刊で「解説」するためには、夜中までに調べなければならない。ミスリードの根底に潜む物理的条件の基本は、このような速報性を生命とする商業メディアの競争にある。

こちらも国際版「冤罪」報道では?

 この件では、野坂昭如がいちはやく直後の『週刊文春』(94.7.14)連載コラム「もういくつねると」で疑問を投げかけた。「強制収容所で使用」は「チクロンB」だとされていたはずなのに、「どういう根拠で」「サリン」を「使用」と書いたのか、「毎日新聞偏差値化けガク秀才に伺いたい」と、独特の毒舌文体で皮肉タップリに迫っていた。

 文中の「チクロンB」は「青酸ガス」を発生する殺虫剤の商品名である。従来の「ガス室」物語では、収容所で大流行した発疹チフスの病原体を媒介するシラミ退治用のものを、ユダヤ人の大量虐殺に転用したことになっている。

 ナチスドイツがサリンを開発していたことは、実物も押収されているようだし、疑問の余地はないだろう。だが、実戦で使用した事実はないとされてきた。毎日が小見出しに「化学兵器に使用」と付けたのも無責任な誤報である。化学兵器に使用「しなかった」理由については「ヒトラー自身が第1次世界大戦で毒ガス被害を受けたことによるという説もある」(世界大百科事典)という記述例もある。この説を私は『噂の真相』(94.9)で紹介した。

 ヒトラーの亡霊が、この誤報に怒って、「日本のインチキ宗教と一緒にするな!」などと迷い出てくれば、それはそれで面白いのだが……。

 その上さらにサリンが「強制収容所」で使用されたと主張するのなら、従来の説、ひるがえればニュルンベルグ裁判などの一連の戦争犯罪法廷における検察側の主張までが、訂正または訴因追加の必要ありとなる。

 やはり、これは国際版の冤罪報道ではないのか。相手がヒトラーなら仕方ないという論理は危険だ。

他社の知恵を無断借用する「慣行」

 野坂昭如と違って私の場合は当時、「ガス室」疑惑の本[その後に出した拙著『アウシュヴィッツの争点』1995.6.26.リベルタ出版]を執筆中だったから、皮肉を飛ばすだけで済ますことはできなかった。

 確かに、いわゆる「定説」または「通説」とは違う。しかし万が一、本当に「サリン」が凶器として「強制収容所で使用」されていて、目的が「ユダヤ人絶滅」であり、殺人現場が「ガス室」だったとしたら、これまで「チクロンB」に的をしぼって調べてきたことが「ちょっと待て」になってしまう。

 問題点の第 1は、記事に出典明示がないことだ。

 まさかとは思ったが、一応、念のために毎日新聞の社会部に電話をした。

 すると、社会部デスクは気軽な調子で、松本支局が送ってきた原稿だという。だが、問題の記事には発信地も記者名も入っていなかった。

 これが出典なしの問題点の第 2である。

 長距離電話料金の支払いを泣く泣く覚悟して松本支局に電話すると、担当の記者は、実にアッサリ、「時事通信の配信記事に書いてあった」という。それ以外の資料による吟味はしていないことをも素直に認めた。つまり、丸ごと他社の「知恵を借りて」いたことになる。だが、記事には通信社名は入ってなかった。これが出典なしの問題点の第3だ。

 時事通信の社会部デスクは、すぐに同記事の配信を認めた。記事に出典や根拠が明記されていないということも確認できた。

 これまた出典なしの問題点の第 4である。

「根拠は執筆者でないと分からない」というのだが、その名前は聞いても教えてくれず、「本人から電話させます」といったまま、その後、まったく連絡が入らない。念のためにもう 1度、 1週間後に電話をしたが、やはり同じ状態がまた 1週間続いた。アアッ、こんな無反省な誤報専門マスメディアをまともに相手にしていたら、時間がいくらあってもたまらないと思いつつも、念には念を入れようと、もう1度電話して 3度目の事情説明をし、おだやかに約束違反の苦情をのべたら、やっとのことで、なぜか、「本人ではないが」と弁解する記者の口から「朝日の『知恵蔵』にそう書いてあったそうです」という遠慮がちな返事がえられた。つまりここでも、まさに他社の『知恵』を借りていたわけである。

 図書館で1994年版の『知恵蔵』(副題は「朝日現代用語94」)を見ると、たしかに次のように断定的に書いてあった。

「タブン、サリン、ソマンは第 2次大戦前に有機リン系殺虫剤の研究から生まれた。実戦には使われなかったが、ナチスが強制収容所で使用」

 だが、ここにも根拠は記されていない。またまた出典なしの問題点の第 5の出現である。

 なお、当の朝日は毎日と同じ日付の朝刊で、毎日よりもはるかに詳しい「サリン」の解説をのせていた。ところがそこには「ナチスが強制収容所で使用」という字句はない。朝日の社会部担当に電話で聞くと、毅然たる口調の答えが返ってきた。

「他社のことは知りませんが、朝日の社会部では自分の足で取材し、裏を取ってから書くことにしています。『知恵蔵』が朝日の発行物だからといって、それをそのまま使うようなことはいたしません」

 オオッ、偉いぞ!

 この教訓は毎日と時事にも聞かせなくてはと思いつつ、朝日の『知恵蔵』編集部に電話する。

「出典は執筆者の江畑謙介に聞かないと分からない。しかし、ユダヤ人虐殺に使われたのは青酸ガスと認識している。サリンなどは実験的な使用ではないか」

 これには一応、「『ナチスが強制収容所で使用』と書けば、ほとんどの人はユダヤ人虐殺を連想するのではないか」という疑問を呈しておいて、さらに江畑謙介に電話した。

 江畑はまず「化学兵器は専門ではないが」と言訳したが、それは聞き置くままにした。出典として電話口で読み上げたのは、和気朗著『生物化学兵器』(副題『知られざる「死の科学」』中公新書)の一部だけだった。

情報「ローンダリング」の様相

 やっとたどりついた出典の『生物化学兵器』には「アウシュヴィッツの悲劇」という小項目があった。下手な論評を先に加えるよりも、読者に直接判断してもらいたいので、この項目の主要部分を次にそのまま引用する。

「1944年、ナチス・ドイツが敗北するまでに、約2000種の有機燐化合物が合成され、試験された。[中略]39年にサリン[中略]。有機燐系毒物は、動物種によりはなはだ効果が異なる。したがって、実験動物に対する試験だけでは、ガス兵器としての効果測定は十分でなかった。そこに、人体実験が強制収容所のユダヤ人やロシア人捕虜に対して行われた理由があった。ナチスは、アウシュヴィッツ、ビルケナル[ママ]等の強制収容所に、毒ガス殺人工場をそなえていた。浴室にゆくと称してコンクリート造りの密室に連れこまれたユダヤ人たち(総計370万人に達するといわれる)は、しかし単に殺されるためにそこに連れこまれたのではなかった。むしろ毒ガスの人体実験の方が、ナチスにとっては本来の目的であったと考えられる。こうして、チクロンB(青酸化合物)やバイエル研究所で開発された各種の有機燐系毒ガスの人体におよぼす影響(致死量、死にいたるまでの時間など)が、データとしてまとめられたのである」

 以上、疑問点や矛盾が非常に多いが、順序立てて指摘する。

 第 1に、「人体実験」に「総計 370万人」を必要とすることなどは絶対にありえない。「人体実験」なら、解剖もしなければならない。いったいどうやって「総計 370万人」の死体を解剖検査したというのだろうか。

 第 2に、ビルケナウ(第 2キャンプ)を含むアウシュヴィッツ収容所全体での「虐殺者数」に関しては、すでに1994年、現地の記念碑の数字自体が「約 150万人」に改められている。だが、これにもさらに疑問がある。私は同年末、数字訂正の基礎になった論文の執筆者、アウシュヴィッツ博物館のピペル博士と直接会った。ピペルの論文自体に「登録」の記録がある死者は「約20万人」と書かれている。残りの数字は伝聞で、直接の物的証拠はない。

 つぎには、開発中で「効果測定は十分でなかった」という「有機燐系毒物」の「人体実験」の文脈に、なぜ突如として、早くから効果が知られ、商品化さえされていた「チクロンB(青酸化合物)」が入ってくるのだろうか。論旨の混乱もはなはだしいのである。この本では「チクロンB」が、本来は市販の「殺虫剤」だということだけでなく、その毒性の程度にさえ一言もふれていない。しかも同じ頁で、主題の新型猛毒をさしおいて、「チクロンB」のみの缶の写真をイラストに使っている。写真説明は次のようである。

「強制収容所で使われたチクロンB毒ガス(みすず書房刊『夜と霧』より)」

 以上の疑問点については著者に直接質問したのだが、残念ながら、この「化学兵器」の章を担当したのは共著者の三井宏美であって、すでに故人。参考文献のリストは残されていないという。つまり、サリンを「ナチスが強制収容所で使用」したという記述の根拠は、疑いもなく、名義上の著者にさえ「不明」なのである。

 以上、根拠の不明な「情報源」(カッコ付き)にやっとたどりついた瞬間、脳裏にピカピカッと信号が走った。類似のパターン認識感知である。故人の執筆者の善意を疑うわけではない。だが、この情報の流れ方は、麻薬密売などで得た不正のカネの出所を隠す「マネー・ローンダリング」そっくりなのだ。

朝日新聞の「学者風」記事作り

 さて、先に紹介したように「自分の足で取材し、裏を取ってから書く」と胸を張っていた朝日も、やはり、この根拠不明の「情報源」を無批判に採用していた。

「マルコポーロ廃刊/残されたもの(上)『西岡論文』とはなんだったのか」(同紙95.2.23)という特集記事では、サリンの「ナチス収容所使用説」の論拠として、「『(強制収容所では)チクロンBやバイエル研究所で開発された各種の有機リン系毒ガスの人体に及ぼす影響(致死量、死にいたるまでの時間など)がデータとしてまとめられた』(和気朗・日本大学教授著「生物化学兵器」、中公新書)との指摘もある」と記している。

 さてさて、ここで初めて「出典」を示す記事が出現したわけであるが、この出典はなぜか、前出の江畑謙介が電話で私に語ったのと同じものだった。

 出典を明記しただけで合格論文というわけでもないが、「との指摘もある」という留保付きながらも、最高権威の「大学教授」の著書からの引用だから、いかにも「学者風」の研究成果だという雰囲気が漂う。だが、果たしてこれが本当に「自分の足で取材」した結果なのだろうか。

 この署名記事のどこにも、執筆者が『生物化学兵器』という単行本を探し当てた経過は記されていない。いかにも独自に様々な資料を探索したかのような書き方だ。天下の大新聞、朝日の囲み付き連載署名記事なのだから、読者はきっとそう思って読むだろう。

 だが、実情を知る私は、この記事[署名:本田雅和]の作り方に、誠実さの欠如を指摘せざるを得ない。

 まず、記事そのものの文脈を確認すると、該当箇所の前段には、次の部分がある。

「旧日本軍の細菌戦部隊の研究者、常石敬一・神奈川大学教授は『[中略]ナチスは、より強力で証拠を残すことの少ないサリンなどの神経ガスを開発していた。これを使わなかったのだろうか』などと問いかける」

 私の知る限りでは、この常石の発言が初めて出たのは、私自身が主催した 2月18日の記者会見・兼・市民集会の席上であった。収録ビデオもあるので正確に内容を再現できる。

 私は、この 2月18日以前にも、文藝春秋の『マルコポーロ』廃刊に関する記者会見が行われた2月2日をはさんで、 2月 1日、 2月15日と、問題になった「ガス室」否定の『マルコポーロ』記事の執筆者、西岡昌則らが出席する記者会見を主催した。朝日の署名記事執筆者は、以上の3回の記者会見のすべてに出席し、その他にも、私や西岡や常石に直接の長時間取材を続けていた。

  2月18日の記者会見で、常石は、壇上でまず問題の出典、『生物化学兵器』を手に持って高く掲げ、「この本にサリンの開発と強制収容所での実験についての記述がある」と語った。これ以外に常石の論拠はなかった。だから本来ならば朝日の記事では、『生物化学兵器』をすくなくとも、常石が論拠とした出典として紹介すべきだったのである。

 常石はまた、『生物化学兵器』の「収容所でサリン実験」という説の論拠を確かめるために、「著者に電話したが出張中で未確認」と付け加えた。

 つまり、新聞用語でいえば、常石は、「まだ裏は取れていないよ」という留保を付けたことにはなるが、その本の記述自体についての疑問は、いささかも述べてはいなかった。

 すでに私の探索結果を示した通りに、執筆者死去で「裏取り不可能」なのだが、私の「情報源」探索はすでにその前年の 7月末には終了していた。

 実は、常石にも、この探索作業の経過を記したワープロ・コピーを前年末に渡していた。常石は、化学者そのものではなくて科学史研究者であるが、その後に起きた地下鉄サリン事件の報道では、サリンの権威として、各種大手メディアに登場した。

 もしも朝日の担当記者が原稿を仕上げる前に私に直接質問してくれば、すぐにこの「情報源」の怪しさを教えてやれたのだが、質問はなかった。

 天下の朝日新聞は、明らかに裏取り作業を手抜きした記事作りによって、この怪しげな「情報源」の独り歩きを助長したことになる。

ロスチャイルド退役准将の創案?

 最後に、私自身も中間報告をしておこう。『生物化学兵器』には、「収容所でサリン実験」説の出典として、もっとも可能性の高い「下敷き本」についての記述があるのだ。

「まえがき」の書き出しは次のようだ。

「J・H・ロスチャイルドは、その著『明日の武器』“Tomorrow's Weapons”のなかで、生物化学兵器の人道性をくり返し強調している」

 J.H.ロスチャイルドは、アメリカ陸軍の退役准将だという。略歴紹介には、「極東軍化学士官、ウェストポイントの米軍士官学校の化学助教授を経て、長い間、陸軍化学戦部隊において、生物・化学・放射能兵器の開発に従事してきた」とある。もしかすると、隠れもないユダヤ系国際財閥、ロスチャイルド家の一員かもしれないので、アメリカの人事録で調べてみたが、退役准将程度では知名度が低いのであろうか、どの年度の版にも載っていなかった。

 今後の追跡調査が必要であるが、この説が[ロスチャイルド情報](仮称)である可能性は非常に高いので、以下、可能性として論じておく。

 原本については、国会図書館などで検索をしてみたが、いまのところ日本国内では発見できていない。洋書店で現在販売中の英米書のカタログを見たが、掲載されていない。出版社や発行年度も分からない。『生物化学兵器』の初版が1966年だから、それ以前の発行であることだけは確実だ。

『生物化学兵器』には「ロスチャイルド批判」の項目もある。生物化学兵器を「人道的兵器」として推奨するロスチャイルドらの考えかたを批判し、同時に、毒ガスの「被害や残酷さが少ないと強調」するロスチャイルドの統計解釈に疑問をなげかけている。しかし、このように、基本的思想ばかりか資料「解釈」にまで疑問があるのならば、すべての[ロスチャイルド情報]に疑問を抱き、通説に反する「アウシュヴィッツの悲劇」の部分については、特に批判的な裏付け調査をすべきではなかったのだろうか。

 私の知る限り[有機燐系毒物実験用]の「毒ガス殺人工場」の存在を立証する資料は皆無である。

 毎日の松本支局発「サリン」情報には、誤解を招きやすい文脈という欠陥もある。しかも、時事通信の配信記事をそのまま書き移した記者自身が、「ユダヤ人虐殺」に使われた「毒ガス」として理解していたことを認めた。だから、「ロスチャイルド情報」の独り歩きを許す連鎖的「裏取りなし」報道の一つの典型といっても、差し支えないだろう。

 この「ロスチャイルド情報」が、もしかして、意図的な「埋め込み」による情報操作の一環だったら、問題は複雑だ。たとえば元イギリス情報部員リチャード・ディーコンの著書、『情報操作』には、こう書いてある。

「『エンサイクロペディア・ブリタニカ』(大英百科事典)は長いこと正確さ、客観性、詳細な情報のお手本とみなされてきた。いまでも多くの点でたしかにそのとおりだが、ある分野ではブリタニカも、その情報の正確さについて重大な疑念を禁じ得ないし、意図的なニセ情報に出食わすこともある」

 ディーコンが具体的に指摘する「意図的なニセ情報」は、当時のいわゆるソ連圏についての情報だが、世間的に評価の高い事典類に埋め込まれた「ニセ情報」は、「確かな事実」であるかのように大手を振って歩き出すから、要注意である。

 政治的に複雑な背景がある問題については、念には念を入れる裏取り作業が欠かせない。そうしないと、まんまと報道操作の仕掛け罠に陥る可能性もあるのだ。「ガス室」問題はその典型である。

 以上。

(その4)「死体ショック」症例と病状悪化のデタラメ本批判

1999.1.22.4号所収分

1999.1.26.一部校正。

「人間は死体を見ると精神的な平静を失い、正常な判断ができなくなります」

 綺麗な発音の英語でゆっくりと考え深げにジャン・ギヨーマが語った。

 ジャンは精神病理学者で、いかにも育ちの良さそうな細面で長身の美男子である。年齢は聞かなかったが40歳代に見えた。

 場所はパリの中心部のカフェで、昨年、1998年1月15日、午後11時の少し前、まもなく閉店の時間になる頃だった。ジャンとは、そのまたほんの少し前の午後 9時過ぎに終了した裁判の法廷の傍聴席で、知り合ったばかりの仲である。だが、すぐに話が通じた。

 なぜかというと、その法廷は、拙訳『偽イスラエル政治神話』の原著者、ロジェ・ガロディを刑事被告とするパリ地裁の17号法廷(注1)で、ジャンもガロディの支持者だった。つまり、当日の話題に関して、お互いに予備知識があったわけで、しかも、話し始めてすぐに分かったのだが、ジャンは実に詳しく知っていた。湾岸戦争前後のことや、ガロディの事件をめぐるフランス国内の反応についても、かなりうがった意見を披瀝するので、「色々と詳しいね」とさらに探りを入れると、父親はジャック・シラク政権の閣僚の一人だったという。

 それどころか、ジャンは、日本語まで相当程度に習得していた。日本に帰ってから資料を送る約束をしたのだが、彼は名刺を持っていなかったので、私の名刺を2枚渡して、その1枚の裏に宛名を書かせたら、GUILLAUMATJeanと日本式の順序にして、その上にカタカナで「ギヨーマ・ジャン」と書いて、ニッコリ笑った。

 パリで偶然会った日本語が分かるフランス人と、長時間語り合ったのだから、これは旅日記ものだが、筆無精の私には頭の中の記憶しか残っていない。だが、冒頭に紹介したジャンの台詞の記憶は特に鮮明である。実は、彼が精神病理学(psychiatric pathology)をやっていると聞いたので、しめたと思って、むしろこちらから、そう言うように仕向けたのだった。私には、精神病理学どころか、精神病一般についても専門知識もない。しかし、長年の人生経験がある。特に、その人生の仕上げの段階で味わった「ガス室」問題に関する多くの人々の反応の強さには、かなりの異常性を覚えざるを得なかったし、その異常性の根底には、必ず、死体の映像の影響があると睨んでいたのである。

 理性の働きによってではなくて本能的に死を恐れる人間は、たとえモノクロ写真の映像だけであっても、死体を見せられ、「殺人者は彼だ!」などと教え込まれると、それが強烈な印象として刻み込まれ、その印象は殺人を目撃したかのような強い「記憶」として残ってしまう。だから、その「記憶」を否定されると、憤激するのである。

 本連載の(その1)と(その2)で取り上げたNHK-ETV特集の中にも、アメリカのホロコースト報道の一部として、すでに何度も見掛けた「収容所の死体の山」のモノクロ写真映像が出てきた。アメリカ人の脳の記憶装置は、子供の頃から、あの種の映像の晒され続けているのだ。

『マルコポーロ』廃刊事件に関するマスコミ業界の風潮に乗って、こういう「記憶」の症状をさらに「悪化」させる「デタラメ本」が氾濫した。今回は、その一つの『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』を題材にして、「ガス室」謀略信者の精神病理学的、といえば大袈裟だが、いくつかの典型的な症状を紹介し、その誤りを指摘する。

 上記のデタラメ本、原著はドイツ語、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の日本語版の第一刷発行は1995年11月9日で、「編訳者あとがき」の日付は「 9月」になっている。『マルコポーロ』廃刊事件以後の出来事としては、異常に早かった。事件発生は1995年1月17日発売の同誌 2月号に起因するもので、文囈春秋が廃刊決定を発表したのが同月30日である。新聞広告を見た記憶があるが、定価は2000円。実物を図書館で見掛けて、少し薄い本だと認識した。

『マルコポーロ』廃刊事件の当事者も当事者、問題になった記事「ナチス『ガス室』はなかった」の執筆者、西岡昌紀が読んだと言うので評価を求めると、「デタラメの寄せ集め。新しい材料はないから読むのは無駄」と、まるで問題にしていない。だから、今まで手に取ってもみなかったのだが、図書館で借りて、パラリとめくっただけで、唖然としてしまった。なぜかというと、このデタラメ本しか読んでいないらしいのに、やけに自信を持って『マルコポーロ』記事執筆者を批判していた大学の歴史学教授がいたからである。

 その名は笠原十九司、勤務先は宇都宮大学、『週刊金曜日』(1996.8.9.&23.)座談会連載記事の座談会参加者の一人である。

 もっとも、その歴史学教授は、今や正体が誰の目にも明らかになった本多勝一と一緒の「南京事件調査研究会」メンバーだったのだから、人を見る目がある方とはいえないし、むしろ、いささか粗忽の気味があるのだろう。

 だが、「大学の歴史学教授」の肩書きで発言すると、すぐに信じ込む読者は実に多い。その「大学教授」が発言の根拠に挙げるのだから、必ずや確実な資料に基づく研究書であろうと思う読者も出てくる。

 ところが、この『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の日本語版は、驚くべき構造になっていたのである。

 まず、中堅出版社の白水社が出したにしては、2000円の税込み定価が高過ぎる。全部で176頁しかない。それも1頁に16行、1行が42字のパラパラである。

 それより少し早い同年6月26日に出した拙著『アウシュヴィッツの争点』は、たった1人の間借り社長のリベルタ出版の発行だが、税込み定価は2575円、352頁、1頁に18行、1行が43字である。

 全頁がギッシリと字だけで埋まる仮定で計算すると、字数は前者が、118,272.後者が、272,448.約2.3倍である。値段の方は、1円に対して前者は59字強、後者は 106字弱となる。倍に近い。

 私としては、『マルコポーロ』廃刊事件後の状況を考え合わせながらも、不況下でもなんとか買い手が付くように、拙著『アウシュヴィッツの争点』の文章を短くすべく、かなり苦労した。積み残しの文章も沢山ある。つまり、272,448の字数では、まだまだ不足なほど、この問題には複雑な要素があると思っている。

 拙訳『偽イスラエル政治神話』の方は、 416頁、1頁に18行、1行に45字、同様に計算すると全部で336,960.『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の約2.85倍になる。

 もちろん、長さだけが問題なのではない。長いデタラメ本もある。

 だが、それだけならまだしも、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』と題する日本語版は、戦後の日本で流行った「上げ底」式の見掛け倒し、「羊頭狗肉」の典型だったのである。「ティル・セバスチャン著」と記し、ドイツ語の原題をローマ字で飾っているものの、本来の原文に当たる部分は、たったの98頁しかないのである。せいぜいパンフレット程度のものでしかない。

 しかも、「大学の歴史学教授」の肩書きで「ものを言う」材料にするにしては、お粗末この上ないことに、「出典の明示」という決定的な重点または争点の資料索引の手掛かりを欠いている。出版社と訳者は、その決定的な欠陥をごまかすために、たったの12項目の「訳注」と、たったの3頁の「参考文献」(34点)で、補うというよりも、「素人騙し」することに踏み切ったのである。

 なんとも破廉恥な、アカデミー業者、マスコミ業者の、共同の所業ではなかろうか!

 内容のお粗末さは、すでに記した西岡医師の表現の通りだった。すでに撤回された「絶滅論者」(「ガス室」信奉者)の旧説までが、そのまま麗々しく並んでいた。

 細部の批判は、次回に詳しく述べる。

(注1):朝日新聞(1998.2.28夕)「パリの軽罪裁判所は27日、著作の中でナチスによるユダヤ人虐殺に疑義を呈したとして哲学者のロジェ・ガロディに対して、罰金22万フラン(約 250万円)の判決を言い渡した[後略]」(記事全文と論評は拙訳『偽イスラエル政治神話』p.365-366)。

 なお、「軽罪裁判所」は原語でtribunal correctionnelであり、仏和辞典では、いずれも「軽罪」の訳となっているが、「軽罪」には別途、それ以外の意味を持たない明確な単語で構成されたcrime delit(delitのe の上に右上から左下への楔)がある。ロジェ・ガロディ事件では特にcorrection(矯正、感化)の原義と、思想犯の取り扱いの歴史を感じたのだが、手元の事典では歴史的経過が分からない。法律専門家の意見を求めたい。

 以上で(その4)終り。次回に続く。

(その5)「ガス室」妄想を煽る『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』

1999.1.29.5号所収分

 前回、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の全面的な批判を予告したが、その直後に、aml(オルタナティヴ・メイリング・リスト)で、かなり前から「論争」を挑んできている高橋亨と名乗る人物(か機械かどうかは会ったこともないので不明)から、またしても揚げ足取りのからみを受けた。

 いちいち相手にしていると、こちらの予定が立たなくなるので、「論争はしない」と断ったのだが、ホームページを互いにリンクしようとか言い出し、間に立つ人も出てきたので、えい、面倒臭い、勝手にからめと宣言したら、次々に怪しげなシオニスト側のホームページで得た材料を並べ立てる。

 曰く「ダッハウのガス室の天井には見せ掛けだけのシャワーヘッドが多数埋め込まれていますが、その裏側に給水パイプがないのはなぜか?」

 勝手に「ガス室」だの「見せ掛けだけのシャワーヘッドが多数埋め込まれています」だのと断定しているが、こういう断定を私は、「ガス室」妄想症候群と名付けている。「ガス室」も「見せ掛けだけ」も立証できないに決まっている。私が、自分の戦後の屑鉄拾いの小遣い稼ぎの経験から、「給水パイプ」に関してのみ、「不良米軍人が盗んで売り飛ばした可能性が一番高い」と書いたら、しめたとばかりにまたからんできた。

 今度の質問は、

(1)「不良米軍人」によって盗まれたせいだ、と言いたいのなら、少なくとも「盗まれる」前までは問題のシャワーヘッドに給水パイプが確かに接続されていた(そういう形跡がある)ことを示す証拠が必要なはずです。さて、その証拠はどこにあるんでしょう?

 冗談ではない。自分の方が、「ガス室」だの「見せ掛けだけ」だのと立証もせずに断定しておいて、何を抜かすか。状況証拠から言えば、ダッハウの管理は古参の共産党員がやっていたし、アメリカ軍が降参したドイツ兵を誤って大量虐殺した不始末を隠蔽したり、収容者が心配して収容所長に感謝状を送ったりした事実があるから、収容者の健康管理が無視されたはずはない。シャワールームは正常に使われていたに違いないのである。疑う方が逆に「使われていなかった」証拠を提出すべきである。

 さらには、こうくる。

 ダッハウの『シャワールーム』には、あるべきもの(給水設備)がないという特徴の他に、あるはずのないものがある、という特徴もあるんですけど、こちらはどう説明するのでしょうか。

(2) なぜ単なるシャワールームが強力な換気装置を備え、屋根には排気用煙突まで付いているのか?

(3) なぜ単なるシャワールームに密閉型の金属製ドア(隣接する駆虫用ガス室と同種のもの)が必要なのか?

(4) なぜ単なるシャワールームに過ぎない部屋の外壁に、内部に何かを投げ込むための引き出し式投入口(金属の蓋付き)があるのか?

(5) なぜこの投入口の前面に木製の衝立て状構造物を置いて、投入口とその周辺部が見えないように隠さなければならないのか?

 そんなガラクタまで知るか、なのだが、「換気装置」まで「ガス室」の証拠のように匂わせるのは、滑稽至極なので、継ぎのmailをamlの皆に送った。

下書き診断:「ガス室」妄想症候群

 木村愛二です。

「電信柱が高いのも郵便ポストが赤いのも、みんな、私が悪いのよ」とかいう古い流行歌の文句があったようです。先輩たちは、この文句を、上司から受けたいじめへの憂さ晴らしに呟いていたものです。

 もじる人もいました。たとえば、「電信柱が高いのも郵便ポストが赤いのも、みんな、ガス室の証拠なのよ」などとなります。

 それにしても、「換気扇があったからガス室」という説の登場には驚きました。

 誰も「ガス室」の設計図を書けもしないというのに、なぜ実在を信ずることができるのかも、不思議なことなのですが、メソポタミアで発掘されたガラスの固まりを唯一の証拠にして、超古代の高度の技術文明の存在を主張する人もいることですから、それほど珍しい現象ではないのかもしれません。

 私が日課で通う武蔵野市営プールのシャワールームには、入り口の洗面台の上の天窓と、奥の行き止まりの壁の上に、都合2つの、とても大きな換気扇が付いています。戦争中には中島飛行機の軍需工場だった場所ですから、もしかすると、あそこにも強制連行してきた朝鮮人を「絶滅」するための「ガス室」があったのでしょうか。

 前に借りていた狭いマンションの隅には、窓のない造り付けのプラスッチックのバス・トイレがありましたが、扉を開けると自動的に電灯が付き、排気ファンが回り出す仕掛けになっていました。あれも「ガス室」の名残なのでしょうか。

 実は一度、市営プールの換気扇が動かず、隣のロッカールームまでが蒸し暑くなって、汗が止まらず着替えに困ったことがあります。もう1つの経験としては、昔の木造の古家で、風呂の隣の洗面所の床が下から腐って、材木を貼り直したことがあります。

 これは世間常識の問題で、風呂にも、シャワールームにも、湿気を排除する仕掛けが不可欠なのです。

 実際には話がまったく逆で、「ガス室」に関して「換気扇」の存在が焦点になったのは、私の表現では「銀座の真ん中のショーウィンドウに飾られていたガス室の代表」、アウシュヴィッツ・メイン・キャンプの「ガス室」には「換気扇」がないからなのです。

 私の診断では、日本人の場合、「ガス室」妄想症候群に犯されやすい体質の人は、「良い子」「平和主義」「自信家」に多いようです。私が、ここ数年に味わった数多い対人関係の経験から判断すると、この日本型「ガス室」妄想症候群の典型的表現は、みすず書房刊『夜と霧』の「編集者はしがき」でしょう。そこでは、「アウシュヴィッツ」と「南京」が、分かち難く結び付けられています。日本の「良い子」「平和主義」「自信家」は、「アウシュヴィッツ」と一緒にすることによって、やっとのことで、日本の醜い過去「南京」を飲み込んできたのです。

「あの」ベートーヴェンと、ゲーテと、ヘーゲルと、明治維新以後の日本人が、森欧外とともに崇め続けてきた「あの」白人の、「科学的」なドイツ人までが犯した大罪と一緒だと信じたればこそ、「欧米コンプレックス」の日本人は、やっとのことで、「南京」も「731 部隊」も、飲み込むことができたのです。だから、「アウシュヴィッツ」の方だけが「嘘」で、パレスチナを分捕るためのシオニストの謀略だったのだとなると、つまり、日本人だけが大罪を犯したのだとなると、これはもう、大変なことになるのです。

 私の場合は、北京で敗戦を迎えました。戦争中の中国人の姿を見てきました。中国人の友達もいました。気持ちの上では半分中国人のようなところがあります。私の中の半分中国人は、すぐに半分アラブ人にもなれます。だから、別にドイツ人と一緒にしなくても、日本人が犯した大罪を素直に飲み込むことができるのです。

 さあ、皆さんも、自分の日本人としてのアイデンティティの奥底を確かめてみては、いかがでしょうか。そうすれば、意外に簡単に、「ガス室」妄想症候群から抜け出すことができるかも知れませんよ。

 以上。

 このmailに対しては、「ガス室」妄想症候群の高橋亨さんからの反応より以前に、以下のような別の3つの質問が出ました。(記述を一部省略、カッコを変更)

(1)Re:下書き診断:「ガス室」 妄想症候群

 木村愛二 さま

 はじめまして「換気扇があったからガス室」という説の登場には驚きました」。このことへの反論ということであれば、それについてだけ書いていただけないでしょうか。ベートーベンだとか、北京だとか、非常に読みにくいのですが…。

(2) 同一人物より

 木村愛二 さま

 質問なのですが…「UFO&ガス室:ネオナチ?」で、お書きになっている「今一番核心的な争点のガス室法医学鑑定、ロイヒター報告

「ロイヒター報告」ってなんですか?

 すみません、常識的なことなのかもしれませんが…初歩的な質問で申し訳ありません。[中略]今一番核心的な争点が分からないと、話が分からないと思っただけですから、面倒でしたら、無視してください。

(3)Re:下書き診断:「ガス室」妄想症候群

 木村さまへ

 はじめまして、[中略]

 これまで高橋氏との論争を拝見してまいりましたが、木村さんが[aml 10806]でお書きになった内容は、[aml 10800]で高橋氏が提示なさった5つの疑問点(本号冒頭に記した高橋質問のこと)のうち、

(2)に対する回答しか含まれていないように感じられます。

 つまり、通し番号の振られていない最初の質問、および(3)から(5)までの疑問に対する木村さんの反論は残念ながら、伺うことができなかったことになります。木村さんが、こうした未解決の疑問に対しても引き続き回答してくださると幸いなのですが・・・。

 もし、このまま明確な回答がなく曖昧に議論が流れてしまうようなことがあると第三者の視点からは、木村さんは揚げ足を取りやすい質問にだけ答え回答できない質問は黙殺しているというような印象を与えかねません。おふたりの論争に対して私をはじめ、多くの傍観者が正当な評価を下せるよう高橋氏の提示した上記の質問すべてに対する木村さん自身のご意見をぜひともお聞かせください。ご多忙とは存じますが、なにとぞ宜しくお願い申し上げます。

 ここで私は、決定的に方針を変更することにした。ここまで読まれた方には、すでにお分かりのように、mailを本連載に転載することにしたのである。次が回答である。

「ガス室」質問へのお答え

 木村愛二です。

 昨日来、amlML上と、個人宛てに、いくつかの「ガス室」に関するる質問と意見を頂きました。論争は別途、aml-stoveでというamlの管理上、何だか、おかしなことになっているようなのですが、このままでいいのでしょうか。ともかく、簡単にお答えします。

『ロイヒター報告』は、一口で言うと、Fred A. lEUCHTER, Jr.という名のアメリカ人が助手と一緒に、アウシュヴィッツとビルケナウ(第2アウシュヴィッツ)両集中収容所に行き、「ガス室」と称される場所と、比較のためのその他の場所の、壁や天井のコンクリ-ト部分を剥ぎ取ったり、拾ったりして、アメリカに持ち帰り、大学の研究所で、「毒ガス」とされてきた「シアン化水素」(気体には青酸ガスの別名)の残留成分を調査した報告書で、最初は、カナダのツンデル裁判に提出されたものです。

 アメリカ人はドイツ系の名字のlEUCHTERをリュウヒターと発音していますが、ローマ字使用者の間では、綴りはそのままでもいいし、発音はどちらでも通じるのに、日本ではカタカナが発音記号を兼ねてしまう制約があるために、やや面倒なことになっています。EUをオイと発音するドイツ語風にカタカナ書きする前例があったので、私もそれに従っています。

 シアン化水素が主成分のチクロンBと言う商品名の「害虫駆除剤」を、「アウシュヴィッツでは5%殺人に転用した」というのが、最新の「説」で、アウシュヴィッツ博物館には、その説の主張者、フランスの薬剤師で、シオニストの資金援助を受けていることが証拠上明らか(拙訳『偽イスラエル政治神話』p.206.)なプレサックの著書の一部が掲示してあります。ところが、上記のカナダのツンデル裁判では、同じ日付で絶滅収容所ではなかったオラニエンブルグに送られたチクロンBの量と、アウシュヴィッツに送られたチクロンBの量とが、同じであることを、シオニスト御用学者としても著名で映画『ショア』にもそのヤクザ風の顔を見せて凄んでいたヒルバーグが、ニュルンベルグ裁判の記録、付属資料、送り状を示されて、認めざるを得なかったのです。

『ロイヒター報告』によると、「しらみ駆除」に使われたことに争いのない部屋(英語ではDelousing Chamber)のシアン化合物残留数値は、Kgに対して1,050mg.「ガス室」と称されてきた場所は、多い場所でも、6.7, 2.3, 4.4, 7.9などでした。つまり、100分の1以下なのです。チクロンBが、普通の部屋でも定期的な消毒のために使用されたことに争いはありませんから、ごく少量が検出されるのは当然のことです。

 この結果、アウシュヴィッツ・メイン・キャンプでは、昨年、日本人一行に付いた日本人の正式ガイドが、「ここは実験的に一時使用しただけ」と説明するに至りました。

 ビルケナウの方は崩壊したレンガの建物跡ですが、『ショア』で模型を写しながら「1度に3000人」などというのはデタラメもいいところで、精々20人ぐらいが入れる部屋しかありません。これも上記のプレサックがソ連崩壊後に万単位の資料を漁り、やっと見付けてきた「火葬場の設計図」があります。その中の「Leichenkeller」(ドイツ語で「死体の穴蔵」、つまり「遺体安置室」)を、プレサックは、ドイツ人が「ガス室と書く勇気がなかった」のだと主張(拙訳『偽イスラエル政治神話』p.339)しているのです。実際には、発疹チフスが大流行した時には、20万人ほどの収容者がいたアウシュヴィッツ全体で、1日に100人を越す死者が出たと言うのですから、火葬場の焼き窯の側に「遺体安置室」が無かったら、それこそ大混乱です。

 こんな無茶な「説」がまかり通るのは、ホロコースト見直し論の方が刑事罰を課せられる状態にあるからです。私は、この状態を、戦前の日本における「天皇は神である」教育(私も国民学校3年まで)と同じだと主張しています。

 ダッハウのいくつかの構造物については、以下に記す理由で論評を差し控えます。

 私が一昨日送ったmail「下書き診断:『ガス室』妄想症候群」の趣旨は、基本的なところから「見方」を考え直してほしいということでした。ですから、いくつかある疑問を列挙して答えるということではなかったのですが、質問が出たので、一応、整理します。

 第一に、私は、ドイツ西南部の集中収容所、ダッハウは見ていません。高橋亨さんも見ていないようなのですが、少なくとも、あそこで「ガス殺人は行われていなかった」というドイツの研究者の発言、および現地の「ガス室は未完成」と称する掲示の存在は認めているようです。なにしろ、「いかさまナチ・ハンター」(わがホームページ参照)のサイモン・ウイゼンタールでさえ、ドイツ国内には「絶滅収容所はなかった」と言わざるを得ないのですから。

 私は、もうそれだけで、ダッハウ調査の必要を認めません。もしも「未完成」なら、すでに「完成」していたはずの「東部」の「ガス室」と称される場所が、これも本物ではないとなれば、それで一巻の終りとなるからです。しかも、実は、すでに上記の『ロイヒター報告』で、結論が出ているのです。『マルコポーロ』廃刊事件の問題記事「ナチ『ガス室」はなかった」の一番重要な主張は、この『ロイヒター報告』にあったのです。私が私費を投じて開いた2度の記者会見では、英語版の『ロイヒター報告』全文コピーを50部ほど作り、ほとんどの大手メディアに渡しています。ユダヤ人のデヴィッド・コールも飛んできたのですが、大手メディアは『ロイヒター報告』も、ホロコースト見直し論者のデヴィッド・コールがユダヤ人であることも、まったく報道しませんでした。

 そんな状態だから、未だに「ガス室」妄想症候群の患者の発生が、あとを絶たないのです。高橋亨さんがネタの一つにしている『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』と題するデタラメ本は、ほかにも、これだけで鼻血ブーの「教授」までがいるので、わがホームページに元旦創刊のWeb週刊誌『憎まれ愚痴』4号から「連載:シオニスト『ガス室』謀略周辺事態」で取り上げ始めました。5号では、それこそコテンパンに批判します。

「換気扇」の問題は、全部に関係するので、換気扇があれば「ガス室の証拠」という驚くべき主張のおかしさを世間常識で粉砕して、これはまさに「ガス室」妄想症候群の典型以外のなにものでもないこと指摘したまでのことでした。

 他の構造物については、現物を見ていないのに論ずるのは、また新たな誤解を生む結果にもなり得るので、止めます。ただし、これは一般論ですが、私が実際に見て、ヴィデオ撮影もしていきたアウシュヴィッツとマイダネクでは、そこら中が工事中で、「復元」と称する作業が進行中でした。すでに完成したような状況の建物も、良く見れば真新しい部分がありました。特に、アウシュヴィッツ・メイン・キャンプの「ガス室」の天井の穴は、木製の粗末なもので、戦後、映画撮影用に作られたことが明瞭でした。ですから、ダッハウのものも、大いに疑って研究すべきでしょう。

 何よりも決定的なことは、最早、一応名の在るシオニスト御用学者なら、ダッハウのことは語らないということです。なにしろ、ニュルンベルグ裁判では、ダッハウのシャワー栓の映像が法廷で映写されただけで、反対尋問も許さずに600万人の虐殺を認定してしまったのですから、ダッハウを蒸し返すのは、彼らにとって、かえって危険なのです。

 さらには、話に矛盾が多すぎます。高橋さんは、ダッハウの「未完成のガス室」では、「毒ガス」を注入するのに、「シャワー栓」と「壁の穴」と、どちらの方を予定していたと主張されるのでしょうか。設計図は、お持ちなのでしょうか。

 ニュルンベルグでのホェス(元アウシュヴィッツ司令官)の証言は、三日間の瀕死の拷問の結果、本人が別途、ポーランドで「署名はしたが何が書いてあったか知らない」と書き残した「英語」(ホェスの英語力には証拠がない)のタイプ文書をオウム返しに認めただけのものですが、それを裏付ける実物がなければ、すべてデッチ上げとなります。

 死体はないのです。焼いて、砕いて、灰にして、畑に埋めたり、川に流したりしたという告白になっています。米軍占領地区で軍医が行った集中収容所の死体の唯一の検死報告では、薬物の痕跡なしとなっています。あの死体の映像は、繰り返し使われていますが、3月に降伏したドイツの収容所で、冬場に発疹チフスなどで死んだ人の死体を、宿舎の間に積み重ねて凍らせていたものです。シベリアの収容所で死んだ日本兵の死体も同じ扱いを受けたようです。

600万人の根拠も、実に怪しいものです。もともと「ユダヤ人」という戸籍はないのですが、ユダヤ人組織の年鑑などによると、世界のユダヤ人の人口は、第2次世界大戦中に減ったというよりも、増えたという数字すら出ているのです。ナチスドイツ占領地域にいたユダヤ人が約300万人なのに、600万人を殺せるはずもないのですが、驚くべき事には、1994年現在で、「ホロコーストの生き残り」としてドイツから補償金を受けとっているユダヤ人が、342万5千人もいるのです。

 今回のmailの最後として、マイダネクの「覗き穴付き鉄製扉」の件で、新しい発見があることを紹介しておきます。アメリカの教授が送ってくる「Smith's Report(Number46. September 1997)には、Samuel Crowel という研究者が発見したナチス時代のドイツの広告が紹介されています。覗き穴までまったく同じ構造の扉で、説明では、防空用の気密扉だということです。何度もコピーを重ねたものらしく、かすれていますが、いずれ、この写真をスキャナ-してホームページに入れて置きます。

 この発見が正しいものなら、マイダネクで展示している扉は、防空壕か防空用の建物の扉か、それとも同じ物を気密扉が必要な消毒室に転用したのか、いずれにしても「ガス室」用の特注ではないことになります。

 なお、私は、最初から、「あの」見るからに頑丈な気味の悪い構造の扉が、「ガス室」に偽装したはずのシャワールームの扉だったという主張は、まるで子供の嘘の言い逃れのように矛盾だらけだと思っています。シャワールーム偽装説と言うのは、「安心して入室させるため」だったはずなのですから、そこの「ピーピングトム」専用の穴が開いているはずはないのです。日本式の番台付き風呂屋ならいざ知らず、外から覗かれる構造のシャワールームというのは、まるで頂けません。その上に、頑丈な気密のガチガチの鉄製ときているのですから、見ただけでユダヤ人が怯えて、暴動にまで発展しかねません。

 ビルケナウの廃墟の「ガス室」説についても、その位置が、いくつもの集中収容所の宿舎の側で、いわば衆人環視の場所にあることを指摘して置きます。そこへ入った一団が、出てこないとなれば、これもすぐに大騒ぎです。

 とりあえず以上。

 これにも、すぐに、新たな質問がきたが、それ以後の経過は次回に回す。

以上で(その5)終り。(その6)に続く。
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