送信日時 :2001年 7月 20日 金曜日 0:18 AM
件名 :[pmn 15599] 『人権の人々』を思ったロフトの夜7.18.
昨晩、新宿歌舞伎町の連日討論酒場、ロフトプラスワンにて、「人権って何?/大阪児童殺傷事件でも問題になった人権派や精神科医らの発言を検証する」、出演は「西岡昌紀(医師)他」の「他」の末席として短時間、舞台の上で生麦酒を無料で呑んできました。
「他」の主席は、日垣隆さんだったのですが、出席の確認が遅れたために、『創』、『噂の真相』、ともに10日発売予定の8月号の一頁広告には、締め切りに間に合わず、名前が入れられなかったとのことでした。その件も含めて、ロフトプラスワンの店長、加藤梅造さんには、他の雑誌とか、広告作戦を刷新するよう進言して置きました。
「ガス室の嘘」の件は、私が客席から質問を受ける後半の幕間のような時間に舞台に登ったので、こちらから言う前に質問が出て、軽く語って置きましたが、それよりも、日垣さんの「偽善系」批判の方が議論が沸騰して重要なので、その核心に触れる部分だけを、今晩から始めて少しずつ報告し、意見を述べます。席亭と自称する経営者の平野さんは、客席が非常に熱心に聞いていたと評していましたが、私も、そう感じました。
慢性左翼病の偽善系は、人権を楯に取るのですが、「人権」について、全共闘世代の呉智英(文字が正確かどうか自信ないのですが、同期生が「ゴチエイ」と呼ぶことは間違いありません)さんが、フランス革命以前には「なかった」という主旨の皮肉を発して波紋を呼んだことがあります。裸の猿の社会的な概念は、すべて裸の猿の発明ですから、もともとはすべてなかったのです。
この呉さんの発言を入れ込んでみたかったのですが、その時間はありませんでした。日垣さんは、「少年にも死刑を」と主張しているのですが、この点でも、これはまた聞きですが、呉さんは、最近、死刑を廃止して仇討ちを復活せよと皮肉っているそうです。これも、日垣さんの主張と共通するところがあります。
で、私は、帰宅の途中、帝政ロシアのテロリストたちを主人公にしたカミュの『正義の人々』を思い出しました。今や、「正義の御旗」の怪しさは知れ渡っています。そこで、正義が人権に変わり、「人権の御旗」を振り回す「人権の人々」のテロが横行しているのだと考えると、非常に分かりやすくなります。
同種の新語には「人道に対する罪」があります。司法試験は受けなかったものの東北大学の法学部に学んだ日垣さんが、壇上で何度も強調した「罪刑法定主義」の原則から言えば、それ以前に存在しなかった即席法で、ドイツが犯したと称する「人道に対する罪」を裁いたのは、それ自体、違法行為の極なのですが、法律を学んだと称する偽善系の人々は、この点を論じません。
日垣さんは、批判対象の「日弁連」のことを、やや遠慮して「職能団体」と呼びましたが、私は「職益団体」と呼びます。法律を学んだから、一般人よりも法網を潜る術を知っているのだと考えると、これまた非常に理解し易くなるのです。
いずれにしても、あちらは芝居だからでしょうか、『正義の人々』と比べると、最近の赤軍派支持者の『人権の人々』なんてのは、実に愚露で、とても見られたのものではありません。
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