送信日時 : 2001年 1月 31日 水曜日 0:04 AM
件名 :Re: [pmn 13156] ホームからの転落事故
From: 佐々木有美
Date: Tue, 30 Jan 2001 22:06:17 +0900
Subject: [pmn 13156] Re: [pmn 13152] 新大久保駅の事故に関連した心配
「合理化の名の下に人数を減らしたJR東日本にも非はあったのではないでしょうか。」
「合理化」もさることながら、ホームの転落事故は、鉄の固まりの自動車が人間様と同じ平面を走る道路の場合と同様に、機械文明と称する欧米式の人類の野蛮時代の人命軽視の構造的な問題なのです。
私は国鉄民営化を巡る闘争の当時に争議中でした。国労の飯田橋分会は、隣組の仲でしたが、中央線の飯田橋駅のホームが曲がっているので、停車時に子供が落ちるほどの隙間が空き、転落事故の心配があるのに、ホーム要員を減らして問題になっていました。
私は、人員の問題もさることながら、ホームと称するものは貨物運搬の都合で出来たものではないか、なんで、人間様が荷物のように裸のホームから電車に乗るのか、と、国労の組合員に問い掛けましたが、またまた素頓狂なことを言い出したという顔で相手にされませんでした。
ところが当時、すでに新幹線の駅には、鉄の柵が設置され、電車が入ってくるまでは、乗客はホームの端に行けないようになっていたのでした。
その後、飛行機に乗る時に知ったのですが、空港の電車も、そうなっていました。私の発した疑問は、欧米の馬車から汽車への変化についての知識に基づいたものでした。映画で見ると、最初は、ホームがないのです。
人間なら階段を登れますが、重い貨物は、同じ平面から入れないといけないから、ホームが作られ、それを人間様にも使わせたという経過なのではないでしょうか。
お召し列車専用の原宿駅の特別ホームもありますが、あれは、やはり特別で、転落など出来るほどの自由がない方向きなのです。
ともかく、民草は、いくらでも生えてくるというのが、天皇制日本の支配者だけではなくて、世界中の支配層の本音なのですから、現在の文明の「利器」そのものを、すべて疑うべきでしょう。
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