送信日時 :2001年 12月 5日 水曜日 7:19 AM
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『亜空間通信』116号(2001/12/05)
【ペシャワール会・中村医師に典型を見る「現地」慈善型運動家の無意識の危険性】
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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
昨日、2001.11.04.(火)の出来事に関し、随想型の日記風にて、またしても仕方なしの「憎まれ役」を買って出た問題点と状況を記す。
これは、いわゆる紛争地帯の「現地」報告に付きまとう「無意識の危険性」の典型と、それへの私の仕方なしの対応の一例である。ただし、表記の「ペシャワール会・中村医師」は、個人としては、この種の「慈善型運動家」の中では最良の部類と拝見した。それでもなお重要な問題に関しての「危険」な部分があったのである。
具体的な問題点だけ最初に指摘して置くと、すでに本通信で報じた「ソ連侵攻より6ヶ月前の米アフガンCIA工作」に関する無知と逆宣伝、「同時多発テロ」用語使用、「現地の貧しさがテロの温床」発言である。以下、まずは経過から記す。
昨日、午後4時頃、普段の日課の水泳をさぼり、別途配付予定の資料、『アラブ・イスラム解説通信』準備号(本通信既報の一部要約)のコピーなどを終えて自宅に戻ると、郵便受けに薄赤色でA4半のビラが入っていた。見ると、「主催:同実行委員会」による「飢餓と戦火のアフガニスタン/ペシャワール会・中村医師/三多摩講演会」の宣伝であった。
会場は地元の吉祥寺、武蔵野公会堂だから、自転車で行ける。ビラの発行人は地元の「むさしの『市民の党』」だったから、事務所に電話をして会場からの質問時間があることが確認できた。そこで急遽、行くことにした。
主題そのものは私の追及していることとは違うのだが、それでも行く必要を感じたのは、すでに電網情報で何度も見ていた同医師の発言内容を、自分の耳で確かめ、できれば「質問」形式で糺したかったからである。それらの情報では、同医師が「現地の貧しさがテロの温床」などとして、「鬢ちゃん主犯説」の論拠にされ兼ねない発言をしているようなのであった。
簡略に記すと、実際に聞いてみて、やはり、そうだった。非常に「現地」に同情的であるが故に、むしろ、「テロ止む無し」の雰囲気を漂わせる発言をしたのである。電網情報に間違いはなかった。
質問時間は押しに押して、なかなか指されず、最後に仕方なしに、司会が終了の挨拶に向かう瞬間、大声で「重要な質問」と叫んで、マイクなしに質問した。こういう時は日頃鍛え上げた声と度胸が決定的な武器となる。
上映されたヴィデオの冒頭でも「同時多発テロ」という用語が使用されていたので、それも合わせて注文を付け、「アラブ・イスラム世界ではビンラディン説は少数、モサドかCIAの犯行説が圧倒的と聞くが、現地でどうだったか」と聞いた。
同医師は、少し困った顔をしたが、素直に、朴訥に、「地下鉄サリン事件の犯人」と比較し、「パキスタン駐在のタリバン代表が証拠を示せば引き渡す」などと発言したことを引き合いに出し、疑問を表明した。やはり、この問題点に悩んではいたと見受けた。
しかし、本当に「現地」を代表するのならば、これが最も重要な報告のはずなのだが、そこは、政治的立場を越えて多くのカンパを求める「ペシャワール会」代表としての「政治的配慮」と判断せざるを得ない。
「ソ連進攻より6ヶ月前の米アフガンCIA工作」に関する無知については、最早、質問ではなくて間違いの指摘なので、時間もないから割愛した。同医師が使った「ソ連軍正規兵」の群像や、同医師の口調は、「ソ連批判」の色彩が濃いものであった。これではアメリカの内政干渉の免罪になってしまう。
以上の問題点は、しかも、同医師の「現地」調査による報告ではない。アフガンに関するメディア報道の「歪み」を、それこそ口を極めて批判する同医師ですらが、実は無意識に、メディア報道を自分にも聴衆にも刷り込んでいるのである。だから危険なのだ。怖いのだ。
最後に、あえて「慈善型運動家」とした問題に関して、同医師を「最良の部類」と評価する発言を記す。同医師は、自らの自省として、「人助けと思ってやっていたが自分のためだった」と認めたのであった。この自省と自覚がない「慈善型運動家」は非常に多いし、そういう例の「現地報告」は実に危険なのである。
その最悪の典型は、ユーゴ戦争で、モスクに並べられた死体をみただけで「虐殺死体と現地報告」してしまい、仕組まれたデマの「ミロソヴィッチの民族浄化によるラチャク村村民大量虐殺」を「事実」として日本国内の市民運動の集会で喋り、疑問を抱いた私の質問に怒って、「現場に行きもしないで!」と叫んだ若者の例である。しかも、同様の報告は、NHKのBS番組と、共同通信の現地派遣記者の配信記事によって、日本全国に流されていたのだった。この件は、わが電網宝庫のユーゴ戦争問題に収めてある。