『亜空間通信』339号(2002/08/16) 阿修羅投稿を02.12再録

911事件「テロ」呼ばわりの愚挙の温故知新:中国「易経」日本「応天門の変」

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『亜空間通信』339号(2002/08/16)
【911事件「テロ」呼ばわりの愚挙の温故知新:中国「易経」日本「応天門の変」】

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 転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

 911事件を「テロ」呼ばわりした大方の諸氏の愚挙に関しては、何度繰り返しても、言い過ぎるということはない。それだけ重要かつ決定的な問題なのである。

 私はすでに、それらの愚挙の条件反射の今日的な鍵として、テレヴィ映像と音声の影響を指摘した。総天然色の動画は、デジタルとして数学的に計算すると、活字の数千倍の情報量になる。抽象化して理解し、比較、分析、総合するには時間が掛かる。訓練が必要である。普通の鍛え方の頭脳の機能を、少なくとも一時は麻痺させるのである。

 そこで、本日(2002/08/16)は、総天然色の動画の残映をば断固排除し、あの薄暗い敗戦の記念日の翌日でもあるので、私が敗戦を迎えた中国と、帰国してから今で言う「帰国子女」として陰惨な暴力的襲撃を受けた日本の「温故知新」として、中国の「易経」、日本の「応天門の変」を振り返ることにする。

http://www.koubunken.co.jp/mizusima/2001_10/1022.html
中国の古典『易経』に、「乱の生ずる所は、則ち言語を以て階をなす」とある。重大事態が起きて人々が混乱の極致にあるとき、人の上に立つ者、とりわけ政治家は、言葉を慎重に選ばなければならない。

http://www5d.biglobe.ne.jp/~candy-x2/newpage010.htm
乱を生ずる所は、則ち言語を以って階をなす(易経)

http://www.amaki.ed.pref.okayama.jp/tirek_ka/nihonshi/print/H12-jh-07a.htm
【倉敷天城高校・地歴公民科ホームページ】
■応天門の変(866)
事件 866(貞観6)年閏3月10日、応天門(大内裏大極殿の正門)焼失。左大臣源信の失脚を狙っていた伴善男は疑惑を源信に向けさせようとしたが、太政大臣藤原良房がもみ消した。その年の八月になって偶然の機会から善男の子中庸の放火によるものとわかり、善男は伊豆に、共謀者紀豊城は安房へ配流。 『伴大納言絵巻』参照。結果 良房、正式に摂政となる。伴氏・紀氏の排斥

 以上で引用終わり。

 この「易経」と「応天門の変」の「温故知新」を思い付いたのは、5日前の8月11日のことであった。偶然の一致であるが、11日の武蔵野市「市民平和の集い」で配られた資料の中に、当日の講師の早稲田大学教授、水島朝穂の『中国新聞』寄稿があり、帰宅してから読んだ当日の『日本経済新聞』日曜版の文化欄に、「伴大納言絵巻」が載っていたのである。

 なお、水島教授は、「易経」の上記の文言を引き、上記のごとく説明し、ブッシュの事件以後の発言を、「人の上に立つ者」にはあるまじきこととして批判している。

 しかし、どこへ隠れたものか、わが電網宝庫の電網検索では容易に出てこないのだが、確か、アメリカ発で、題名が「911計画者はプロパガンダを事前に準備」という主旨の英文記事を見た鮮明な記憶がある。記事のあるなしは別として、そうだとすれば、彼らは、筋書きとしては順序通りの予定の「言」を発し続けて、まんまと世論操作に成功したことになる。どこまで騙し通せるかは別として、「伴大納言」よりは数段悪賢いのである。

 だから、くれぐれも要注意、眉に唾をたっぷり付けてから、総天然色の動画の残映をば断固排除し、「温故知新」の抽象的理解力をば高め直して、慎重に相対すべきである。なぬっ、抽象的理解力など持ったことがないだと、こりゃ、もう駄目じゃ。

 以上。


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