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『亜空間通信』264号(2002/06/01)
【猫も杓子も有事法制反対で石油使い放題飽食泡沫日本偽善系左翼の振りっ子醜状】
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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
前回、次のように簡略な経過を記した。
さる2002.05.14.、脳梗塞の自己診断が的中し、同日から28日まで同病の診断では最低の2週間の入院治療と検査の結果、28日に退院した。
ところが、ところがである。退院してから、静かに早朝の散歩をし、ゆるりと電子手紙を受け取ったりしていると、またもや再発の危険性を覚える状況が頻発する。
鍵言葉は「有事法制反対」である。もちろん私は、あらゆる暴力と抑圧に反対であるが、問題は「相対的重要性」の認識のあるなしである。烏合の衆には勝ち目がないのである。しかも、本音は別ともなれば、なおさらのことである。
わが脳梗塞に関しては、65歳という基本的な肉体的条件はもちろんあるが、いかな事態が直接の「引き金」であったかは、確定できない。だが、心臓の不整脈が昨年の成人検診でも指摘されており、怒ったりすると血圧が急上昇して不整脈となり、心臓の中に「血の固まり」ができて、それが「脳に飛んで」「血栓」となり、血が通わぬ部分の脳が死ぬという説明が、基本的に納得できる。つまり、怒ってはいけないのである。だが、だが、怒り無くして看過できぬ事態が多すぎた。以下の状況も、その典型だった。
ああ、それなのに、それなのに、以下と同様の事態が、退院後も続き、増幅しつつあるのである。私に恨みがあって、できれば殺したい気分の向きには極秘とするが、もしも間接殺人を望まぬのならば、まずは私に、あの間の抜けた「有事法制反対」の電子手紙の転送などはしないで欲しい。宅配の間抜けなチラシと街角の壁を占拠する来年の一斉地方選挙(痴呆)選挙向け見え見えの非芸術的でけばけばしいだけの貼り紙だけでも不愉快至極なのだ。以下、部分再録。
以下に記す問題と経過については、別途、亜空間TV「木村愛二の動画日誌」2002年05月01日「全労連系の三多摩メーデーに初参加し制止を制して大演説」(参加に至る経過の詳細は日記風5月6日分参照)で放映中である。
realplayer使用の「電話回線・ISDN向け」と「ADSL・CATV向け」の2種類である。
さて、この件では先にも、「時節柄、日記風に記す」と断って、『亜空間通信』247号(2002/05/03)【有事や情報規制だけ騒ぐ井の中安住偽善系左翼蛙に「アフガン侵略反対!」の喝】を発した。
私がメーデー当日、不機嫌至極になったのは、もともとの予想以上に、地元、東京都の三多摩の共産党系労組のメーデー集会とデモ行進の沈滞振りが、甚だしかったからである。簡略に言い直すと、集会の演説にもデモ行進のシュプレヒコールにも、肝心要の「アフガン侵略反対!」がなくて、時折、「アメリカの勝手な戦争反対!」という間の抜けた文句が、音量だけは大きい宣伝車の拡声器から響くものの、デモ隊の呼応の声は実に小さくて、要するに「やる気のない」腐れ縁のだらだらデモだったのである。[中略]
私が労組役員だった時代には、新橋駅のそばの解散地点への最後の一区切りで、並み居る政党や労組の宣伝車を横目で見ながら、「ヴェトナム戦争反対!」と「ヤンキー・ゴーホーム!」のシュプレヒコールを轟かせて整然と行進していた。それを今更、絶対視する気はないが、あの沈滞振りが今の日本の現状を象徴すつと思えば思うほどに、なおさら我慢ができず、仕方なしに時折、地声で勝手に「アフガン侵略反対!」と怒鳴りながら歩いていたのだった。
ただし、「実行委員会」とやらと集合会場の入り口で最初に2度も大声でやり合った件に関しては、断固として演説を続け、実行委員が謝った後には優しく説諭し、完全勝利したので、その状況を先に記した「木村愛二の動画日誌」で発表した。
私の怒りの基本に関しては、件名の「石油使い放題飽食泡沫日本偽善系左翼の振りっ子醜状」のみの指摘で十分、最早、これ以上は蛇足と愚考する。
以上、急告。