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『亜空間通信』705号(2003/12/08)
【緊急転載:誰が隠したか最重要の絶筆:故奥克彦参事官が死の直前に書いたイラク復興への思い】
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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
以下、緊急事態に付き、説明抜きで、阿修羅戦争44掲示板の関連投稿を列挙する。意味は明瞭である。イラク3人殺害事件は、この「絶筆」を読まずには、理解し難いものである。「死者が残した最後の論文」、その行方が不明なのである。「誰が隠したのか?」
外務省関係者は、事件の被疑者なのである。
1)・・・・・・・・・・・・・・・・
---------- 引用ここから ----------
「独占入手!絶筆:故奥克彦参事官が死の直前に書いたイラク復興への思い」全文「奥さんの遺志を継ぐと「称する」者も、本当にそうしたいと思う者も必読!
ところが不可思議なことが起こった。
大使館の奥氏のデスクや宿舎をいくら探しても、なぜか彼のパソコンが見あたらないのだ。しかもアメリカ軍や現地警察などから渡された遺品の中からも見つかっていないという(二日現在)。
『週刊文春』(2003.12.11)
総力特集「新聞・テレビが絶対に報じない」
「イラク外交官テロ全真相」
特集の最後:
「独占入手!絶筆:故奥克彦参事官が死の直前に書いたイラク復興への思い」作家 麻生 幾
写真説明:「外交フォーラム」最新号と要人を案内する奥氏
写真説明:イラク復輿への情熱は継承しなければならない
人間は死に直面した時、脳細胞の記憶の箱が次々と開けられ、そこから様々な映像が飛び出すという。故奥克彦・外務省参事官は、襲撃現場から病院へ搬送されてから亡くなったと伝えられている。チクリットの犯行現場で意識がなかった、というが、もしかすかにでもあったとすれば、遥か日本と約八千キロ離れたかの地で倒れた彼の脳裏には、いったいどんな映像が浮かんでいたのだろうか――。
一報が伝えられてから私を呪縛していたのはずっとそのことだった。そしてこのことを誰かと話し合いたい、という強い欲求にかられ続けた。そして居たたまれなくなって私が電話機のプッシュボタンを押したのは、「外交フォーラム」という月刊誌の編集部の電話番号だった。
同誌は日本で唯一の外交問題専門誌である。さしずめ、世界的に知られた米誌「フォーリン・アフェアーズ」の日本版といったところだ。国連、安全保障といった骨太のテーマを分かりやすく毎月特集し、また膨大な数の外交官の手記、インタビューを掲載して来た。そして私事で恐縮だが、小生はその末席を汚すがごとく連載小説なるものを書いている。
事件を知ったとき、すぐに思い出したのは二カ月前、同誌(十一月号)で掲載されていた奥氏の原稿だった。まさに“イラク発”として、国連の役割について綿密な分析と考察が行われていた。
だからと言って、私は何を聞きたいとか、教えてくれ、というわけではなかった。奥氏の脳裏に最期に浮かんだことについて、彼を知る数少ない関係者に触れてただ語り合いたかった――そんな思いだけだった。
「奥氏の脳裏に浮かんだもの? もちろん家族のことでしょう。でもそれだけじゃなかった、と確信しています。彼のイラク復興へ賭けた想いは壮絶でした。なぜなら……」
そう語気強く口にした同誌関係者は急に声を詰まらせた。私はその想いがよく分かった。結局あの原稿は絶筆となってしまったのだから……。
だが関係者のその想いが、二カ月前の原稿とはまったく別のところにあるとは想像もしていなかった。私が聞き及んだのは、実はもう一つの“未公開の原稿”が存在すること。そしてそれこそが「本当の絶筆」である――そんな意外な秘話だった。
命がけのメッセージ
私が仄聞したのは以下のとおりだ――。
奥氏は亡くなる直前、個人用パソコンを使った“未公開の原稿”を書き上げる寸前だった。その原稿とは、再来月号の「外交フォーラム」の英語版に掲載予定であったもの。しかも事件に遭遇した直後がちょうど締め切り日にあたっていた――。
悪夢の惨劇の直前まで、任務の合間を見てはパソコンに向かっていた奥氏の姿が思い浮かばれる。
聞くところによれば、奥氏は、事件前、その原稿の内容を「外交フォーラム」宛へ伝えていたという。すでに原稿の仮タイトルについても、奥氏はこう提案していた。
<Military Role in the Post-Conflict Era: A Case in Iraq>
〈(紛争後における軍隊の役割について―イラクの実例から)〉そして、その仕上がり間近の原稿の内容について、奥氏自身、こう綴っていたという。
〈イラク復興に関与しているアメリカ軍を中心とした各国の戦闘要員である軍隊が、ポスト・コンフリクト(地域紛争後)において果たしている役割、例えば民政部門の復興への関与について、私が見た、体験したイラクでの実例を挙げながら解説する予定。その上で、今後のイラク復興の方向付けについての意見を展開します。イラクでは、連合暫定施政当局(CPA)よりも、むしろ軍関係者が治安維持という分野を越えて、さまざまな分野に関与している。つまり、軍が事実上の「行政」を取り仕切っている。こういったイラクの実例は、これまで国連のPKOが行われたコソポ、東ティモール、またアフガニスタンと比べてもまったく異質なるものである。これからも起きるであろう紛争後の社会の安定、経済発展を考えるうえでは、さまざまな示唆を提示していることをお伝えしたい。
そして最後に、日本の自衛隊の今後のあり方についても問題提起をする予定である〉
同誌十一月号の原稿とは明らかに違う。今回は、国際社会が立ち向かわなければならない現実、イラクの現状と日本に関係する生々しい部分に踏み込んでいる。そして、その行間には、イラク復興へ賭ける壮絶な想いが満ち溢れていることを私は感じた。中でも私が注目したのは、“イラクでの実例”と彼が言い切っている部分である。
奥氏は、イラクのあらゆるところへ自ら飛んで行った。自衛隊や文民部隊の派遣においてもその準備のためにイラク中を駆けめぐった。またイタリア軍が自爆テロリズムで多数の死傷者を出した現場へ車を飛ばした。
奥氏が伝えたかった本当の現実
そういった体験は、奥氏にしか出来なかったことだ。だからこそ奥氏は“実例”と言い切れたのだ。私はそこに、自分が命を賭して得た貴重な情報を何としてでも日本へ伝えたい、どうか役に立てて欲しい、という強烈な意思を感じないではいられない。
また、奥氏は日本人が目を背けている現実を直視していた、という点にも私は目が引き寄せられた。
国連による全面統治が必要だといった“きれい事”ではすまされない。イラクという国家のシステムが、実態として何によって安定が保たれているのか、その現実に立った上での「イラク復興」を考えなければならないことを彼は強調していたのではないか。そして国連だけで行うことの限界を知り、軍という組織を抜きにしてすべてが語れないという“本当の現実”を伝えたかったのではないか、と私は見る。国連をもっとも良く知る彼だからこそ、その“現実”を語れたのだ。
さらに、日本人こそ現実と真正面から向き合わなければならない――それを言いたかったのではないか――。
最後に書かれた〈自衛隊のあり方への問題提起〉の部分は、まさに奥氏しか書けない、日本にとっての貴重な財産がちりばめられていたことは想像に難くない。
彼をよく知る関係者は、派遣先のサマワを駆け巡った奥氏にとっての、国際社会への日本の責任としての自衛隊派遣の意義――アメリカ軍支援とは別の復興支援部隊としての意義がそこに説かれているはずだ、と語る。
一部の報道では、一生前、奥氏は事実上、名指しでの脅迫を受けていたという。そんな命がけの任務の中から彼が送ろうとしていた日本へのメッセージ。だが不幸にも、この“もう一つの原稿”は「絶筆」となってしまったのだ。
是非、本文が読みたい――誰でも思うことだ。
ところが不可思議なことが起こった。
大使館の奥氏のデスクや宿舎をいくら探しても、なぜか彼のバソコンが見あたらないのだ。しかもアメリカ軍や現地警察などから渡された遺品の中からも見つかっていないという(二日現在)。発見された場合は同誌に遺稿として掲載されるだろう。だが、もし発見されなければ、その優秀な人的財産とともに、希望ある日本の未来を築くことができる貴重なメッセージまでも、我々は失ってしまったことになる。
奥氏が息絶える直前、脳裏に何が浮かんだのか――。
それは家族の顔とともに、日本への壮絶な想いであった、と私は信じている。
自衛隊派遣の是非を問う無責任なニュース番組を見ながら、奥氏の「絶筆」をもう一度振り返る。それはもはや疑いようがない。新たな国際責任への日本人の覚悟――その想いがそこにあることを。
奥氏は“未公開の原稿”の分量について、いつになく熱っぽい調子でこう注文をつけていたという。「十一月号の二倍は書きたい」「絶筆」は何としても探さなくてはならない。
---------- 引用ここまで ----------
以下は、この週刊文春記事への手掛かりとなった投稿である。
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奥参事官のPCはどこに隠されたのか?
http://www.asyura2.com/0311/war44/msg/128.html
投稿者 8413 日時 2003 年 12 月 07 日 22:58:59:/UWDFM1U6QwjM文春12月11日号の記事を読みましたか?
奥参事官は外交フォーラムの英語版に記事を書いており、その議事の締め切りが事件の翌日だったそうです。タイトルは
<Military Role in the Post-Conflict Era: A Case in Iraq(紛争後における軍隊の役割について-イラクの実例から)>という奥氏の提案だったそうです。内容については
イラクの実例は、これまで国連のPLOが行われたコソボ、東ティモール、またアフガニスタンと比べてまったく異質であることを指摘するものになる予定だったとのこと。
言ってみれば米軍批判またはそれに近い懸念を表すものだったそうなのです。
記事の内容は彼のPCに入っていたそうなのですが、事件後どこにもそのPCがないというのです。
これは偶然ではないでしょう。
彼に記事を書かせなくない人がいた、
彼のPCを隠した組織が彼を・・・そう思えてしかたありません。
井ノ上さんはアラブを愛していた、と文春の記事にありました。
アラブのことを理解する人物、
今の日本に政治の中にいったいどれくらいいるというのでしょうか?
---------- 引用ここまで ----------
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超貴重情報感謝。Re: 奥参事官のPCはどこに隠されたのか?
http://www.asyura2.com/0311/war44/msg/133.html
投稿者 木村愛二 日時 2003 年 12 月 07 日 23:23:13:CjMHiEP28ibKM
(回答先: 奥参事官のPCはどこに隠されたのか? 投稿者 8413 日時 2003 年 12 月 07 日 22:58:59)
超貴重情報感謝。
わが仮説の内、「邪魔者は殺せ」(映画の原題:Odd Man Out)の米日共同作戦の疑いが、ますます濃厚なり。
ところが、Odd Manには、学術用語として新しい意味が加わっている。医学の専門的な研究の議論では、わざと専門外の医者を加えて、研究の論理性を吟味する。
Odd Man Outをやると、やがて、その組織はOutになる。
映画の主題は、アイルランド独立闘争である。今、イギリスはアウト直前である。
---------- 引用ここまで ----------
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Re: 奥参事官のPCはどこに隠されたのか?(外交フォーラムに関連した毎日の古い記事)
http://www.asyura2.com/0311/war44/msg/138.html
投稿者 えっくす 日時 2003 年 12 月 08 日 00:21:07:NkRlU8kX8B.A6
(回答先: 奥参事官のPCはどこに隠されたのか? 投稿者 8413 日時 2003 年 12 月 07 日 22:58:59)この記事の下の方に外交フォーラムに関連すると思われる事柄がありますが。
記事が古いので既出だったらごめんなさい。
以下本文イラク・日本人外交官殺害 「復興のエース」失う--情報錯そう、断定避ける外務省
◇なぜ単独行動?--襲撃現場
イラク北部のティクリート近くで起きた日本人外交官殺人事件。奥克彦参事官(45)と井ノ上正盛3等書記官(30)はなぜ、どのようにして犠牲になったのか。犯行がテロによるものかどうかについて、福田康夫官房長官は30日午後、「その可能性が強い」と語ったが、外務省は断定するに至っていない。現場でも情報が錯そうしている。【前田浩智、ティクリート(イラク北部)竹之内満】
◆説明食い違い
イラク駐留米軍スポークスマンは、奥参事官らは売店で車を止め、食料と飲料水を買った際に銃撃を受けたと述べた。
しかし、ティグリス警察署の説明では、3人は幹線道路を走行中に、追走してきた犯人の車から銃撃を受けた。現場には道路脇の畑に車が転落した輪だちも残っていた。
同署によれば発生時間は「29日午前11時ごろ」で、奥参事官らは「午後2時」に病院に搬送された。だが、外務省はその後にあたる「午後5時ごろ」、現場の車内で射殺体で発見されたと説明、状況は食い違っている。
外務省幹部は同日夕、売店に立ち寄ったかどうかを含め、事実関係について「調査中」と繰り返しただけだった。
◆日本人狙いか
日本人を狙った犯行かどうかも不明なままだ。車体に日の丸は付けておらず、ナンバーなど日本の車両と特定できるようなものは取り外してあり、外務省幹部は「日本大使館関係者かどうかは分からないはずだ」と言い切る。「計画的に狙われたという感じじゃない」と語る幹部もいた。
しかし、現地のティグリス署は、現場で外国人の乗る車を狙った類似事件がしばしば起きていたため、「広い意味で外国人が狙われた可能性はある」と説明している。3人の所持品だった現金や携帯電話、カメラは手つかずだったため、強盗の疑いは薄くなっている。
米国の友好国が次々と自爆テロなどの標的となり、国際テロ組織アルカイダ幹部と名乗る人物が「日本の兵士がイラクに足を踏み入れれば、アルカイダは東京を攻撃する」と警告していた経緯もある。
小泉純一郎首相は「日本人を狙ってのものか、あるいは野盗強盗のたぐいか確認できていない」と述べるにとどまっている。
◆手薄だった警備
なぜ奥参事官らは警護車両を付けず、単独で行動したのか。ティクリートはフセイン元大統領の出身地で、反米テロが多いことで知られる。
バグダッドの日本大使館に詰めるイラク人警備員は、奥参事官、井ノ上書記官が出かける直前、同行することを申し出たが、2人は「大丈夫だよ」と断ったという。政府関係者は「現地にいると、毎日銃声を聞いていて、慣れてしまうところがある」と語る。
◇奥参事官、国連の重要性強調
亡くなった奥克彦参事官と井ノ上正盛書記官は在イラク日本大使館の中核的存在だった。小泉純一郎首相が「イラク復興支援に欠かすことのできない、中心的な役割を果たしてきた」と悔やみ、川口順子外相が「2人の優秀な部下を失ったのは痛恨の極み」と声を詰まらせたのも、奥、井ノ上両氏の確かな実績を踏まえてのことだ。
岡本行夫首相補佐官は今年9月、両氏の案内でイラクを視察した。その際、奥参事官はテロで破壊された国連バグダッド事務所跡にひるがえる国連の半旗を見やり、「岡本さん、これを見て引けますか!」と腹の底から声をあげたという。「中央公論」11月号への寄稿でこの経緯を紹介した岡本氏は、「肝のすわって使命感の強い」参事官を絶賛していた。
奥参事官は、イラク復興支援のため、日本政府が4月末から米英占領当局(CPA)の前身「米復興人道支援室」(ORHA)へ政府職員を段階的に派遣した中の第1陣だった。元々は在英日本大使館勤務だが、「明せきな頭脳とタフな精神力の持ち主」(外務省幹部)であることを買われ、難題山積のイラク復興支援の担い手に抜てきされた。
早大在学中の80年、外交官試験(上級)合格。81年、外務省に入省した後は元早大ラガーの行動派として鳴らした。90年からイラン、92年からは米国勤務。米国では1等書記官として日米自動車交渉に取り組んだ。00年には本省総合外交政策局の国連政策課長に就任、国連改革に取り組んだ。中東が専門だった野上義二元外務事務次官の信頼も厚かった。
奥参事官は外交専門誌「外交フォーラム」11月号に寄稿し、イラク復興における国連の重要性を強調していた。復興を通じて「米一極世界」が転換する可能性を指摘し、日本に「関与の余地がもっとある」と貢献を促した。また、外務省ホームページに「イラク便り」を70回連載。国連事務所テロで死亡した職員の血染めの名刺を掲載し、「遺志を継いで復興に貢献する」と決意を記していた。【白戸圭一】
◆外交官2人の略歴
◇奥克彦・在英日本大使館参事官
58年1月3日生まれ。45歳。早大政経学部を卒業して、81年外務省入省。在イラン大使館2等書記官、在米大使館1等書記官、総合外交政策局国連政策課長などを経て、01年から現職。今年4月、米英占領当局(CPA)の前身である米国の復興人道支援室(ORHA)へ派遣され、長期出張中だった。兵庫県出身。
◇井ノ上正盛・在イラク日本大使館3等書記官
73年5月11日生まれ。30歳。熊本大法学部を卒業、96年外務省入省。在シリア大使館3等理事官、在チュニジア大使館3等書記官などを経て、昨年5月からバグダッド勤務。アラビア語の専門家で、宮崎県出身。
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/nybomb/afterwar/art/031201M150_0202101E10DF.html
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以上。