京大ユニセフクラブ1998年研究発表「こころの国境線〜ニューカマーと私」

1.労働者

担当:片田真志


1. 3人の外国籍労働者の話

 大阪の西成というところで、あるNGOを介して3人の外国籍労働者の話を聞くことができた。ここでは紙幅の都合上要約したものを掲載する。「 」の部分はできる限り言葉通り用いているが、語尾や文節の位置等は多少調節し、補足を( )に入れた。予めご了承ください。

Aさん(韓国籍、男性、現在オーバーステイ)

 「僕はね、結婚して子供が産まれてですよ、二人目が産まれてすぐ足が悪くなったからね、金が要るんですよ。それからワシが考えたのは、日本とかアメリカへ行ったら、金(の稼ぎ)が違うから、ちょっと行ってから金を集めて、こんな生活よりもうちょっと良い(生活ができる)かな、と思ってね、それで(日本に)来たですよ。」

彼はソウルで衣服の小売りをしていたが、より良い生活を求め、単身90年に初めて来日し、奈良で鉄筋、土木などの仕事をし、より良い給料を求めて大阪に来た。一緒に奈良から来た二人の韓国人労働者とワンルームマンションに3人で住みながら土木関係の仕事を続けた。当時はバブル期で仕事も多かったため、一ヶ月に30日近く働いていた。

 92年に韓国に帰国、94年に再来日。西成で一泊千円ほどの土屋と呼ばれるホテルに寝泊まりし、必死に覚えた日本語を使って、主に韓国や中国の日本語を十分に使えないグループの親方として道路の舗装や修理などの土木の仕事をしていた。熱したコンクリートを用いるため、現場は60度近くになることもあるという。日本人の労働者はあまり集まらず、多くの会社が外国籍の労働者を用いている。

「地震の時、神戸あるでしょ。一号線ワシがまるまる3ヶ月間やったですよ。休みナシで。夜勤だけ。まだ昼もやります。ワシャ最高四日の昼まで夜昼夜昼夜昼夜昼の八連ちゃんやったですよ。寝る時間がないんですよ。めし食ったらすぐ現場へ行くんですよ。震災見たらね、みんな(道が)蛇なっとんですよ。特別なガムテープ入れて上で溶接するんですよ。3ヶ月間やってすごい金はよかったですよ。」

現在は不況で仕事が大幅に減り、かなりの数の韓国人が帰国している。そんな中、今年の四月に酔って赤信号を横断しトラックにぶつかり、目や頭を傷つけ、顎を複雑骨折、足も骨折し、救急病院で応急手当を受けた。手術費と三ヶ月の入院費を会わせて400万円の医療費が掛かった。無保険且つ赤信号での横断のため、7割を自己負担することとなった。

雇用者はオーバーステイの人を雇うこと自体が違法とされているため、健康保険にも加入しておらず、労災でもないためこれ程の自己負担となった。現在もかなりの額が未払いである。また、今回はその様なことはなかったが、無保険者の患者は医師との個人契約のため、通常の倍近くの医療費を請求されることも少なくない。

「今は(不況で)あんまり良くないですよ。8年前と比べて年ももらったし。でもやっぱり子供がおるから年いっても働くしかないですよ。頑張って頑張ってもこんなで、もっと、にんげんだったら、もっといいもの、もっといい明日欲しいんですよ。でもそれができんから苦しいしかないですよ。酒も飲むけどね、今まで生きてきたのが、なんのために生きてるのか、わからんですよ。」

Bさん(フィリピン籍、女性)

「叔母さんがフィリピンで洋服をつくっとるんですよ。(そこで働いていたが)でも私あんな邪魔クサイの嫌や、言うてね。えらい怒られてね。それで、友達の友達の紹介で日本へ来た。」

「(日本に初めて着いた夜)飛行機降りて、お寿司屋さんでご飯食べて、日本ガス無いんちゃうか思って、ご飯炊くの大変やと思った。だって、うちの国なまもの食べへんねん。暑いから何でも炊くか焼くか揚げるか。もう今はなまものも食べれる。」

 彼女は1979年、初めて来日。三ヶ月の観光ビザに、三ヶ月の延長を加えてホステスとして半年働いた。その後は三ヶ月ごとに日本で働いてはフィリピンへ帰っていた。3度目の来日で、ビザが15日しか下りず、三ヶ月を見込んで契約をしていたので、プロダクションへの手続き料の借金を払うめどが立たず、加えてホステスの契約のはずが売春を強要され、客の知り合いの日本人ママを頼って逃げ出した。オーバーステイになったが、帰国しても生活が苦しいのでそのまま在留、ホステスを続けた。妻子ある日本人男性と、結婚の約束をして同棲を始めたが、長女出産後も結婚してもらえなかった。

 「(子供には)かわいそうなことをした。生まれてまだ間もない頃も、7時になると仕事に行き、1時頃帰ってくると、子供はいっしょうけんめい泣いている。」

 男は子の認知もしてくれず、仕方なく結婚はあきらめ300万の手切れ金を要求、4、5ヶ月待たせたあげく、50万しか払ってもらえず、しかも彼女はその男にレイプされてその時妊娠。その50万も家賃や借金を払うと三ヶ月でなくなってしまった。お金はなく、オーバーステイで、男はまるで信用できず、長女は病気がちだが無保険のため医療費が高く病院にも行けず、更には妊娠しているという不安定きわまる状態で、神経質になり、長女は殆ど口もきかなかったという。困り果て、フィリピン領事館に行き、そこでこのNGOを紹介してもらい、さらにNGOの紹介した弁護士を通してお腹の子を認知してくれるよう、その男性と交渉。出産前日になり、ようやく父親が認知し、次女は日本国籍を取得。国民健康保険、入院助産などの各種権利を取得し、母である彼女自身も定住ビザを申請した。それまでは日本国籍の子を持っていてもビザを受けられない制度だったため、ビザ取得を求めて提訴した。更に二人の子は同じ両親を持ちながら、上の子は胎児認知を受けられなかったため無国籍で(申請さえすればフィリピン国籍取得は可能)、下の子は出産前日に認知を受けたため日本国籍を取得、この様な差は、子どもの権利条約、国際人権規約などに違反するとして併せて訴訟を起こした。当時同じ様な訴訟が国内で三つ起こされており、厚生省は、日本国籍の子を持ち、親権を取得した親にビザの発行を認めるという通達を出し、ビザ申請後一年で彼女も定住ビザを得た。しかし、オーバーステイの外国人同士の親や、日本人が認知しなかったり、親権を渡さなかった場合など残された問題も多い。

 ビザが出たため、13年ぶりにフィリピンへ帰国。

「自分の国で迷子になる。もうわからん。子供はこわがって、『早よ帰ろ、早よ帰ろ』言う。」

Cさん(ガーナ籍、男性、現在オーバーステイ)

 彼はガーナで自営業をしていたが、家族の生活を支えるため、10年近く日本で働いている兄の紹介で日本へ行くことにする。ガーナからタイ、香港、韓国、マレーシア、などへ入国してから、タイで購入した偽のアメリカ人のパスポートでインドネシアから、旅行中のアメリカ人として、93年日本へ入国。

 在日韓国人のエージェントに仕事を紹介してもらい、大阪付近でアイスクリームの運搬などをして働いていた。アメリカ村に住んでいたとき、日本人女性と知り合い、しばらく付き合った後同棲を始め、1年3ヶ月の同棲の末、結婚しようかという話になり、彼女の両親に会いに行った。彼女の両親は離婚後二人とも新たなパートナーと再婚していた。

 「相談に行ったら、お父さんは大丈夫、言った。お母さんも大丈夫。でも、お母さんの旦那さんは、ダメ、外国人はいらん(と言った)。(私は彼女に)もしいらん言うたら、(結婚すれば)あなたと家族仲悪なってくる。(結婚は)止めたらいいよ。私違う人見つけるわ。彼女は、私のことはずっと一緒に住んで欲しい言う。イヤ言うてんのは自分のお父さんじゃない。結婚はする、言った。」

 彼女は彼の両親に会いたいと言ったが、彼はオーバーステイのため、一度出国すれば日本に帰れるか分からないため、彼女一人がガーナへ行った。しかし結婚の日、会社でプレスの仕事をしていて、事故に遭い、片手の親指以外の指を落とした。彼女が日本へ帰ってから、会社に事故の補償について説明を求めたが、派遣業者を通していたため、会社には派遣元へ行くよう言われ、彼女の知り合いの弁護士に相談に言った。派遣業者、会社との交渉も折り合いが付かず、プレス機に安全装置を付けていなかったこととプレス工の派遣が違法なため、労災保険以上の保障を求め民事訴訟を起こした。弁護士に結婚についても入国管理局に届けるよう言われ、偽のパスポートで入国したことや、オーバーステイであることも説明し、本物のパスポートをガーナから取り寄せた。

 ところが、配偶者ビザが下りる前に、妻の三度の浮気が発覚(この辺りは妻に話を聞いていないのであくまで彼の言い分)。離婚することにするが、既に入管に行っていたため、裁判が終われば、送還されてしまう。現在、職を探しながら5人の女性と付き合い、新たな結婚相手を捜している。

2.感想そして考察へ

(1)傲慢

 話を聞き終え、帰り道を歩きながら、今までの私の外国人労働者の捉え方がいかに傲慢なものであったかに気付き始めた。それは私に驚きと同時に喜びを感じさせた。私はその時まで、漠然としつつも単一の歪んだ外国人労働者像を造り上げていた。それは、自国ではとても食べていけず、自分のため、家族のために単身日本へ渡り、言語、制度、文化の壁に強烈に圧迫されながらも、日本人の嫌がる仕事を勤勉にこなす、苦しみもがきながらも、かわいい夢を追う人間だったのである。もしかすると、私の偽善を満足させるに都合のいい、私自身を加害者としない善良な被害者を望んでいたのかも知れない。

 私はBさんが日本へ来た理由の不真面目さに、Cさんの底抜けの明るさに、納得のいかないものを感じたのだ。この横柄さは、程度の差はあれ多くの日本人が持っているものなのかもしれない。日本で働かせてあげる、日本での労働をあたかも彼らに対する援助であるかのように受けとめ、オーバーステイの人の送還さえも、それは援助の打ち切りであって、ゼロに戻すこと、決してマイナスではないと捉えている部分が自分の中に確かにある。この傲慢さ、こんなものがいつの間に私の中に巣くっていったのか。そして今も私の中にあるこの傲慢さを、どうすれば打ち消していけるのか、以下の文で考察する。

(2)移動というもの

 現在自国を離れて暮らす人は1億人あまりに登り、今後も増えこそすれ減ることはないという。日本においても、年間延べ1000万人を超える日本人が様々な理由で外国へ行く。歴史を見ても、人間はありとあらゆる理由で、国境のない時からはじまり、国境が作られた後も、移動し続けてきたのである。どの様な壁があっても人間は乗り越え、壁の向こうに立ったのだ。日本の憲法も、居住・移転・職業選択の自由、外国移住・国籍離脱の自由を基本的人権として認めている。出国の自由というものは受け入れてくれる国無しにはありえない。外国移住・国籍離脱が普遍的な権利であるならば各国はできる限り受け入れる姿勢を示さなければならないのではないか。実際に日本人は望みさえすれば世界中のほとんどの国に行くことができる。ではなぜ、私は今まで外国人にそれを当てはめることができなかったのだろう。

(3)一体感

 上の問いに対する答えの一つが、近代国家が私に気付かせることなく強要してきた国家への一体感、ひいては国民への同化を伴う一体感にあるように思う。

 数年前、野茂というプロ野球投手がアメリカで成功を収め、日本中が熱狂した。ワールドカップへの出場もしかり。その熱狂ぶりは、野茂という一人の人間、そして一つのサッカーチームの成功をたたえるというよりも、彼らは我々日本人の代表であり、彼らの成功が、日本人そして私自身のステータスを上げるかのように感じ、それに酔ったのだ。このこと自体は、決して誰かに害を与えるというようなものではなく、心地よいだけのことであった。

 しかし、外国人が流入すれば日本の失業率が上がってしまう、犯罪が増加する、というようなことを話す人の思いや、外国人労働者を景気の調節弁として利用し尽くそうとする行政の態度もやはり、前述の一体感に起因しているようにも思える。日本の失業率が上がるのは困るが、外国人が世界のどこかで失業したり、犯罪を起こしたりする分にはかまわない。これらの発想は、野球やサッカーの応援とは異なり、外国人にとって余りに有害なものである。

外国人の急増はこの一体感を更に強固にしてしまう危険性を持つ。強烈な外部の存在は逆に強力な"同質なる我々"を再構築するのかもしれない。それは何を意味するのだろう。

(4)近代国民国家の限界

 近代国民国家は、国籍=市民権、国民=住民という仮定の下、国家は国民の利益を代弁し、国民にのみ奉仕するシステムとなった。国民が主権者である限り、定住外国人の権利は、侵害され続けていくのである。ところが現在、地球の人口の1%が自国を離れて生活している。住民であっても国民ではない人々、国民であっても住民ではない人々は増え続け、その数は無視できないものになっている。この状況が近代国民国家の大前提を揺るがしていることは間違いない。揺れ動く近代国民国家を、既存の一体感の強化という形で補完しようとすれば、内外へと発せられる強大な力が、さらに多くの被抑圧者を生み出していく。しかし長い間続いたパラダイムのほころびは、不安定さと同時に、新しい何かを予感させる、輝かしい可能性をも提示しているのだ。

3 まとめ

 現在の日本における外国人に関する問題は、先ほどの国家としての展望を含め、政策レベルのあらゆる議論をはてしなく先行している。国境線上の無権利状態は正に第四世界と呼ばれるにふさわしいものかもしれない。中長期的な目は必要だが、早急に策を講じなければならない問題もある。現在の不況が最大のダメージを与えているのが、他ならぬ外国人だ、との指摘もある

ここで代表的な問題について紹介程度に挙げておく。

 まず医療に代表される各種の保険制度は、日本人が余りに当然のものとしてきたため、その深刻さに気付いていないという感が強い。治療や出産、生活保護などは基本的人権の最たるものであることをはっきりと自覚する必要がある。

 子供がいれば、当然学校に行く。教育を受ける権利、これもまた不可欠なものである。言語の問題、文化の差異による様々なトラブル、母語の喪失、依然根強く残る差別等々、学校現場は展開の速さに対応しきれていない。

 外国人女性の抱える問題も依然未解決である。(ホステスを含む)性産業に従事する女性の場合、悪質なブローカーを介して、多額の借金をして入国し、パスポートを取り上げられたうえに、契約外のことを強要されることも多い。不況で客がつかず、街娼になり検挙され送還されるケースも出ている。

 結婚も多くの問題を抱えている。性産業に従事する女性と日本人男性との結婚や国外からの農村花嫁は、男性側に金で買ったという意識が強く、暴力や過剰な干渉に悩む女性も多い。家に閉じこもりがちになり、コミュニケーションが不足し日本語を覚えられず、日本語を覚えた子供にいじめられるということさえある。

 その他多くの問題がニューカマーの急増で顕在化しつつあるが、その多くは元々日本の社会に潜在していたものである。問題の顕在化を防ぐために同化を迫られ、その声を消されたオールドカマーはその被害者であり、さらに放置していたしわ寄せがニューカマーに来ている。もはや我々がこれらの問題から目を背けることは許されないのである。

4.終わりに

  外国人であろうがなかろうが、住んでいた土地を離れ、移住先で幸せに暮らせるなら、それ以上何を望むのか。私達にできることといえば、潜在的な外国人の立場から外国人としての権利の伸長を求めること    ――それは当然国家としての変容を伴うだろうが――、受け入れる側として外国人が日本でより幸せに暮らせるようサポートすること、そして、生まれた土地への愛着を自然なものとするなら、その愛着を振り切ってまで移動する要因を解明し正すべき所は正し、より自由な選択を実現できるようにすることぐらいではないだろうか。

 

《参考文献》

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