1995年現在で、一定の期間日本に滞在し、日本に生活基盤をもっている外国人は約164万人。その中で、永住者は64万人、日本人の配偶者と定住者(難民と日系外国人の2世・3世)とで37万人。日本に長期で滞在している人が意外に多いことに気づく(表1参照)。
ところで、外国人が日本へ入国するためには、まず外国にある日本大使館で、ビザ(=査証、VISA)を申請しなければならない。日本大使館からビザの発給が行われると、このビザで一応日本に入ることができる。外国人がパスポートとビザを持って入国すると、上陸審査が行われ、在留資格を得れば日本へ入国することができる。この在留資格とは居住のために必要なもので、ビザと呼ばれることもある。在留資格の例としては、外交・芸術・研究・文化活動・定住者・留学などがあげられる。在留資格に定められている活動以外のこと(=資格外活動)は禁止されており、違反すると、在留資格の更新が不可能になることがある。つまり、観光などの目的で短期滞在という在留資格で入国した場合、働くことはできないということである。また、戦前から日本にいる在日朝鮮人・中国人などの永住権をもつ人、日系外国人の2世3世、日本人の配偶者や子ども、に与えられる在留資格には、活動に制限がないことになっている。この在留資格には、資格によって異なるが、3カ月、1年、などといった期限が定められており、それぞれ期限が切れる前に更新手続きが必要になる。この期間を越えて滞在すると、国外に強制退去させられる可能性もある。このほか、日本に滞在している外国人が在留資格を維持したまま日本国外に出国するときには、再入国許可というものを取らねばならない。この許可を取らなければ、今持っている在留資格を失うことにもなりうる。つまり、永住権を持っている人でもこれがないと日本に再入国できるという保障はないのだ。
さらに、日本に90日以上滞在する場合、居住している市町村の窓口で外国人登録というものをする必要がある。外国人登録に登録すべきことは、国籍・氏名・生年月日・出生地・在留資格・在留期間・居住地など。また、永住者を除き日本に1年以上滞在する人は指紋押捺をしなければならない。登録後に交付される外国人登録証の常時携帯も義務づけられている。また、登録事項の変更届や5年ごとの新たな登録も必要で、これらをしないと罰則規定が設けられている。違反者には、罰金、禁固刑が課されることになっている。指紋の押捺や、外国人登録証の常時携帯義務などは、他の国ではなかなか見られない制度であることを付け加えておこう。
以上のような制度の下で、実際の外国人は、どのような扱いを受けているのだろうか。入管・刑事手続きで外国人の人権は一般的に守られていないといわれている。まず、日本の出入国管理局の態度・考え方によって不利益を受けた例から見てみよう。
あるバングラデシュ青年が、学校に入学したのに留学生ビザが取れないケースがあった。彼は、1つめの学校に関して入管からビザを認められなかったときに、どの学校なら認められるのか一覧表を見せてほしいと頼んだにもかかわらず、そんなものは見せられないと断られ、やむなく次の学校を自分で決めたが、その学校に関してもビザが認められず、3つめの学校でやっとビザが認められた。在留資格は、国が一方的に与えるもので、外国人に不服申し立ての道はない。そのため「認めない」といわれれば、それでおしまいとなってしまう。
そのほか、外国人は、警察における事情聴取や裁判過程において、孤立しやすい。日本の警察による拷問や、冤罪が何件か報告されている。条件の悪い留置所で、日本語も不自由な外国人に、刑務所はもっといいところだと示唆して自白を取るということもあるらしい。とかく孤立しがちな外国人に、警察側の通訳を付け、都合のいい自白を取り、弁護士を呼ばせてもくれないという。また、法廷でも十分な通訳が付けられていないという。微妙な言葉が重要になる裁判で母語の中立な通訳が付けられないというのは、明らかにおかしいのではないだろうか。
コラム 戸籍と国籍日本では、戸籍と国籍は一対のものだ。帰化手続きをして日本国籍を取得すれば、直ちに戸籍が作られる。戸籍は、人を戸という単位で記録するシステムで、江戸時代にはなく明治の初めに作られた。それまでの身分別の登録を廃し、居住地に基づいて天皇以外の全ての臣民を登録するもので、総人口の把握、徴兵や徴税、警察制度のためのものだった。明治時代、国境線が定まるにつれ、小笠原諸島や沖縄、北海道や千島でも戸籍による登録が進められた。朝鮮や台湾などの植民地住民も「帝国臣民」とされ戸籍が作られたが、外地である朝鮮・台湾と内地である日本との間の戸籍の移動は、婚姻や養子縁組を除いて禁止されていた。そのため、戦後、朝鮮から渡って来ていた人たちを戸籍に基づいて一方的に「外国人」として切り捨てることが可能となった。在日朝鮮人や在日中国人・台湾人はこうして生まれた。植民地独立に際しては、国籍選択をさせるのが一般的であるのにそうしなかったのだ。 |