1. 受け入れ国の状況
このような激しい公害をまきちらす例は他にも多数あるのですが、そのような企業活動は普通、受け入れ国政府の積極的な支持を受けます。それはなぜなのでしょうか。
かつて、工業化を急いでいた低開発国は、70年代の石油ショックによる貿易収支の悪化を埋め合わせるために巨額の借金が必要となりました。一方、産油国ではオイル・ダラーがあふれ、景気が鈍り、融資先のなくなった先進国の銀行がそこにチャンスをみつけて、産油国からの預金による低開発国への大規模な貸し付けを行いました。その結果、低開発国の債務は増大し、その返済のためにさらに借金をして一次産品(穀物・換金作物・鉱産資源など)を増産し、それを売った外貨でその返済をしようとしました。しかし、どこの国も同じようなことをしたため、一次産品は供給過剰になって価格が大幅に下落し、世界的な高金利の影響もあって、返済が難しくなった債務が雪だるま式に増えていったのです。そして、債務が増えるに従って新しい貸し付けの条件が厳しくなり、外国の投資に有利なように政策の変更を押しつけられることにもなっていきます。
また、そうして行われた都市の工業化の一方で、農村でも機械・農薬などを使って農業の近代化を図ろうとする政策が実行されました。その結果、金持ちで流れについていくことのできた一部の地主や企業への土地の集中化が進み、流れについてゆけなかった農民は土地を失って都市へと流出しました。これが“過剰労働力”となり、その吸収と外貨の獲得の必要に迫られた政府は、外国企業の受け入れに積極的にならざるを得なくなるのです。
マレーシアでの具体例
マレーシアはイギリスの植民地として、ゴムと錫のモノカルチュア(単作)経済を押しつけられてきた国です。現在は日本、アメリカなどの投資により、工業化への道をたどっています。以下に政治の動きをまとめてみます。
ブミプトラ政策(マレー人優先政策)・・・マレー人の雇用と資本所有を大規模に引き上げようとするもの ↓ マレーシア総人口 1400万人
53% マレー人:低所得の自給的農業
35% 中国人 :商工業の中心
11% インド人
=> 進出企業もこの比率で雇用を行わなければならない71年・新経済政策(NEP)・・・1990年までに...
- マレー人が国の富の30%を支配所有するようになる
- 外国人の資本を30%にまで減らす
- 都市化と農村開発を同時に実施する
これは、中国人系資本家からマレー人へ富を移転させようという目的の政策でした。
しかし、結果は...
<貧困層> V.S. <富裕層> 飢えた稲作貧農
ゴム農家
(デモ)マレー人貴族・高級官僚
与党幹部
中国人資本家・外国資本政府がマレー人に優先して与える特権や待遇は最下層の農民やゴム農家にはゆきわたらず、富農、地主層や新興のマレー人官僚の手に落ちることになり、これがマレー人の人種集団内部における所得格差の拡大を生みました。
そして、このような貧しさを工業化で解決しようとするマレーシア政府は、
- 集会・表現の自由に制限
- 五人以上の集会は警察への届け出が必要
- デモの禁止
- ハウス・ユニオン(注2)なら労働組合を認める
- 最先端産業育成のため、電子工場での労組結成を認めない
といった組合や表現活動に対する弾圧政策をとっていて、貧しさのあまり都市に流出した、農村からの安い“余剰労働力”を外資系の企業に有利な条件で提供しています。
(注2)企業内組合のこと。産業別に組織されている労働組合を企業別に分離して、交渉力を弱めようとする意図がある
2. 三菱グループ −日本を動かす企業集団−
マレーシア・ブキメラ村で事件を起こした三菱化成は、日本の6大企業集団の1つである三菱グループの一員です。この三菱グループの経営方針が三菱化成の基本的経営方針となっており、それは今回の事件と密接な関係を持っています。以下に、この三菱グループの構成と成長してきた背景を見ていきます。
1) 三菱グループの構成員と形態
構成員
一般的には、社長会である「金曜会」(28社)+「三菱広報委員会」のメンバーが構成員とみなされます。その他にも関連会社、子会社などがあり、それを含むと膨大な数にのぼります。
形態
戦前
戦中岩崎家が持株会社(三菱本社)を所有し、支配するピラミッド体制 財閥解体
戦後 “種々の業種に属するそれぞれのメンバー企業が互いに独立性を保ちつつ、緩やかな関係を結ぶ集団”公取委「企業集団の実態について」1989.5月 2) 三菱グループの歴史
成立・発展
明治 3年 岩崎弥太郎が土佐藩から三艚の船を貸し下げを受け、九十九商会を始める 明治 6年 「三菱商会」に改称 明治 7年 台湾出兵 政商として政府と結び、軍隊や兵器の海上輸送を行い、巨利を手にする(大久保利通や大隈重信にリベート) 明治10年 西南戦争 明治末期 鉱山、造船、銀行、不動産へ多角化 大正年間 三菱鉱業、三菱造船、三菱銀行、三菱商事として各々独立。三菱合資が持株会社として上から統括する体制が整う 昭和5〜11年 右翼、軍部によるテロ頻発。三菱も攻撃を受け、転向策(株式公開、社会政策など)を行う。その後、軍と財界が結びつく「軍財抱合」が行われ大戦へ突入していく 大戦中 軍部と密接に結びつく。長期化する戦争で大儲けをする
例) 二・二六事件(1936)の鎮圧に宇都宮から駆け付けた軍隊の司令部は岩崎邸に置かれ、邸の女性が茶菓の接待をした/中国の三菱の会社を守りに1個中隊が派遣されたこともあった/財閥系列の軍需工場に、ほぼ無賃金で学生や労働者を動員した/蘆溝橋事件の3ヵ月後、政府の設けた事件処理のための最高諮問機関のメンバーに三菱の利益代表が参加していた
=> これらの例から、軍事侵略は財閥による経済侵略であったと言えるだろう解体
昭和21年11月 GHQによる財閥解体
三菱本社解散/岩崎家所有株式の放出/三菱商事の解体
経済力集中排除法による三菱重工など、中核企業の分割復興
昭和23年〜 GHQの方針転換 規制緩和
“日本を反共の砦に” 分割会社の合併が可能になった昭和25年 朝鮮戦争特需により復活 “国家に食い込む”
三菱の歴史には、大きな特色のひとつとして、国家に結びつくことによって発展してきたということがあります。1934年に出された三菱の三綱領のひとつに「所期奉公」(国家社会の公益を図ること)があることからも分かります。この特色は現在にも受け継がれているように見えます。
- 国家から多く注文を受ける 公共事業、特に軍事産業
- 政府系金融機関からの融資 サウジアラビアの石油コンビナートなど
- 政治献金
- 財界を通した政府への圧力
3) 海外展開
歴史的には
戦前・・・中国、東南アジア、ブラジルなど
戦後・・・(1)派遣社員 (2)営業所 (3)工場 (4)現地社員 (三菱グループ39社/三菱ファクトブック1990より)
欧州・ソ連 アフリカ 中近東 アジア 大洋州 南米 北 米 (1) 502 50 141 762 104 145 1088 (2) 102 18 40 135 27 50 209 (3) 9 3 46 5 10 67 (4) 7814 165 1025 28642 5480 6522 24769 最近・・・ダイムラー・ベンツグループと提携/ロックフェラービル買収/アリスティック・ケミカル買収など
特色
- 資源確保
- 政府資金を利用した進出
1の特徴は2).“国家に食い込む”方針が国内だけでなく、海外進出の場合にも応用されていることを示しています。具体的には、政府の賠償・借款などの経済援助を利用して、海外市場への浸透を図ってきたという事実です。
三菱は、現地政府の経済開発プログラムに深くコミットしてきました。進出先の国の多くは民主主義が未成熟であるため、その進出は通常の“経済的ビジネス”よりも、むしろ現地政権に政治的にコミットする“政治的ビジネス”の色彩が濃くなりがちでした。
3. 多国籍企業と第三世界
前に紹介した三菱商事を含む6大総合商社(三井・三菱・住友・丸紅・伊藤忠・日商岩井)は、戦後の日本企業の海外進出において重要な役割を果たしてきました。このような巨大総合商社そのものが他国に類を見ないものであり日本企業の「多国籍化」における一つの特色といえます。
さらにもうひとつの特色は、進出の際アジアを中心とした低開発国に重点を置いてきたということです。その理由としては、次のようなことが挙げられます。
- 資源確保目的の投資を重視した
- 日本と比較して相対的に低賃金、低労働条件の低開発国への投資が、特に製造業において有利とされた
- 日本国内の地価の上昇、公害問題などによる立地難によって、低開発国への直接投資が有利とされた
一般に、多国籍企業の低開発国への進出を見る場合、増大しつつある経済援助と合わせて見ることが必要です。低開発国に対する先進国からの二国間援助、あるいは国際機関による援助がなければ、多国籍企業の進出はほとんど見られなかったと思われます。多国籍企業の直接投資を誘致するためには道路、ダム、港湾施設などのインフラストラクチャーを整備する必要がありましたが、それは上のような経済援助によって可能だったといえます。三菱グループの例のように、日本の多国籍企業の進出は政府の直接援助と並行して行われることが多いのです。
また、多国籍企業は国際的な分業体制の構築を目指しています。分業の形として
- 垂直分業...低開発国と先進国との間で行われるような1次産品 対 工業製品の貿易
- 水平的分業...工業製品 対 工業製品(または1次産品 対 1次産品)の貿易
があります。従来は、垂直分業が主流でしたが、低開発国の工業化の進展とともに貿易構造は水平分業化し、同一産業内での工程間分業が広がっています。これは、繊維産業やコンピュータ関連産業に見られるように、生産工程の上流部門に労働集約型の低開発国が、下流部門に資本・技術集約型の先進国が、というように二極化する傾向があります。このような工程間分業は、先進国から低開発国への技術移転の効果をもっていますが、低開発国の現地企業は多国籍企業の支配構造に組み込まれ、従属的な地位に甘んじることになりがちです。すなわち、多国籍企業内での国際取引では恣意的な価格設定をすることによって、利益を先進国にある本社に吸収しているのです。
- 子会社 => 親会社:価格の低迷している原材料・食料品を安く買い、先進国に普通の値で売り付ける。
- 親会社 => 子会社:製品を不当に高い値で売る。技術の独占により低開発国では作れない製品で行われる。さらに多国籍企業同士の競争を避けるため、ヒモつき援助を用いることもある。
そして最後にこうした過程で作られた工業製品が、日本で最終的にどのような問題を起こしているかを、テレビを題材にして検討してみましょう。