ミニ学習会報告

クレオール

石原 正恵


1.きっかけ

 クレオールを知っている人と、学習会で手を挙げてもらったところ、ほとんどいなかった。化粧品?洗剤?という声も。

 私が今回このテーマを選んだのは、NFの研究発表で多言語主義を調べるうちにクレオールが出てきて、なかなか面白そうだ、研究発表で手が届きそうで届かないところにもうすこし近づけそうだと思ったから。でも、残念ながら、まだ良く分からない。

 グローバル化、ボーダレス化が進んでいるといわれる一方で、文明の衝突ということが言われる。メルティングポットに代表されるような文化の融合は、同化主義を導き、文化、言語の支配−被支配関係を無視するということで批判を受けた。また、サラダボウル社会という言葉に現れている文化の複合主義、多文化主義は、文化間の差異を本質化し、ナショナリズムを生む危険性がある。そうした中で、新たな方向性として、「クレオール」の意義は大きいと思う。

2.内容の要約(?)

3.さらに興味のある人へ

4.感想

 コンフィアンやシャモワゾーを読んだけれども、文学的な表現が多く、理解できないところが多かったです。クレオール性とは、単なる多様性賛美、多文化主義とは異なり、その文化が混交する。同時に、それは文化の融合ではない。そうしたクレオール性の提起している問題、姿勢が少しでも伝わったら十分なのですが、私個人としてはやや疑問が残ります。

 言い訳っぽいですが、クレオール性に関してコンフィアンやシャモワゾーは定義を避けているようです。それは、定義することでクレオール主義というものが固定化してしまう恐れがあるからではないでしょうか。つまり、普遍的なものの設定を否定するのに、設定できないという考えが普遍化するということである。これは、明らかにクレオール性ではないのですが、クレオールという言葉が流行語のように使われてきて、「世界はクレオール化するんだ!!」と高らかに言われる可能性は否定できません。また、グリッサンはクレオール性には疑問を呈しているようです。むしろクレオール化の過程にこそ意義があると述べているようです。

(いしはらまさえ)

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