ミニ学習会
石原 正恵
@「クレオール」が注目を浴びる
「クレオール」が注目を浴びるようになったのは、マルティニク島出身のグリッサン、コンフィアン、シャモワゾーらの運動によるところが大きい。したがって、「クレオール」について語るときは、このカリブ海のアンティル諸島のフランス領(マルティニク島とグアドループ島)が中心となり、南米の仏領ギアナ、さらにマダガスカル沖のレユニオン諸島などが加わる。
A多義的「クレオール」
- 本来は、新大陸や他の植民地圏で生まれた白人または黒人(さらに、その混血)を指す。フランスのアメリカにおける植民地だけではなく
- やがてその習慣や言語を指すようになる。
- 純粋さや白さや本質性の欠如であり、混じり合って劣化した、濁った、不純な、どっちつかずの、固有性を欠いたものとした意味合いとともに用いられてきた。
Bクレオール語
ピジン語
- 共有する言語を持たない複数の集団が交易などの目的で継続的に接触を繰り返す際に、相互のコミュニケーションの必要性から生まれた一種の簡略化された言語。いかなる人間にとっても「母語」とはならない。
- より力のある集団(被層集団)の持つ言語の語彙を、力の劣る集団(基層集団)が借用する。その語順や語彙の使用法には基層集団の言語の影響がある。文法構造などの簡略化。被層集団も、基層集団の使いはじめた用法にあわせてコミュニケーションを図る
クレオール語
- ピジン語がネイティブ・スピーカーを獲得した時に発生する。
- 日常生活のあらゆる側面をカバーするように、語彙と表現力を深める。
- 一つの「クレオール語」があるわけではない。全世界の旧植民地に広く点在する。
Cアンティル諸島
- 大アンティル諸島はスペインによって征服された。その100年後小アンティル諸島はフランス、イギリス、オランダによって植民地化される。
- アンティル諸島の共通の特徴は、征服やヨーロッパ人の持ち込んだ疫病により、先住民が壊滅したことである。したがって、ヨーロッパ人によって、外来の黒人奴隷を投入して「新しい世界」が作られた。これは、他の植民地と異なる。したがって、「クレオール」は特にアンティル諸島との結びつきが強い。
Dアンティル諸島のフランス植民地の変化
- フランス人が海外に進出して植民地を作ると、本国を知らない子どもが生まれる。彼らを本国生まれの子どもと区別してクレオールと呼ぶ。
- 新たにサトウキビ農園の労働力としてアフリカから大量の黒人奴隷が連れてこられる。彼らの子どもも、アフリカ育ちの奴隷と区別するためにクレオールと呼ばれる。
- サトウキビ農園での労働において、白人支配者と黒人奴隷との間の、あるいは黒人奴隷の間の、最低限のコミュニケーションのための言葉がクレオールと呼ばれるようになる。アフリカのさまざまな地域から連れてこれれた黒人奴隷は、多くの異なった言語集団に属していたため、彼ら自身の共通言語を持たなかった。上記の子供たちはクレオール語を習得する。クレオール語は奴隷の言葉として差別される。
- さらに植民地生まれのあらゆるもの、人、物、習慣、文化などすべてがクレオールと呼ばれるようになる。
- 19世紀半ば奴隷制が廃止される(フランス人権思想の影響)。アフリカからの労働力を期待できなくなる。そこでアジアの植民地(インド、中国、レバノン)から貧しい下層民が安価な労働力として連れてこられる。
- さまざまな文化要素の混交が進む_クレオール化
Eマルティニクでの変化
- 1946年カリブ海旧植民地の「海外県」としてのフランスへの同化法案がフランス国民議会で採択される。←セゼール
- 戦争直後の経済的な危機状況_フランスからの援助、本国と同様の労働者の権利の享受
- フランスへの同化=植民地の白人支配者からの解放
- 奴隷解放を最終的に可能にしたのは、フランス人権思想の影響であり、結局のところ、フランスによる奴隷制は、フランスによって廃止される。本国と同様に人権の理念が島にも及ぶと考える。知識人の間だけでなく、一般市民レベルでもクレオール語の抑圧、フランス語崇拝が広まる。
- しかし、同化は完全な形では起こらなかった。マルティニクへの対応は、植民地主義を基調としたものであり続け、60年代は反植民地運動が起こる。独立論
- 1981年ミッテランの地方分権政策aマルティニクに自治権が与えられる。政治地位(自治、独立)の問題を先送りにして、経済発展と住民の意識の改革を優先
- 現地産業の空洞化、経済的従属
- 文化的同化現象_今でも小・中学校ではクレオール語による教育は排除されている。
- クレオール語の回復
- 話し言葉、語り部から書き言葉へ_コンフィアンらによる
- 正書法の確立、辞書、大学の専門科目
Fクレオール性への流れ
・コンプレックスの感情の内面化
- 植民地的状況の元、西欧的価値観の普遍化が進み、クレオール自身がクレオールを劣ったものとしてみなす。←アジアやアフリカの植民地に比べ、人口の大部分が他所からの移住から成り立っているため、民族主義的地盤が弱いからか。
- 「我々は西洋の価値のフィルターを通して世界を見てきた」(『クレオール礼賛』)
- 「自身の世界、自身の日々の営み、固有の価値を「他者」のまなざしで見なければならないとは恐ろしいことである。」(同上)
- 例えば、「フランス」のフランス語の習得
- 宗主国による支配と同化に対抗するために、アイデンティティを確立せざるをえなくなる。
・ネグリチュード運動
- 30年代から60年代にかけての仏語圏黒人の間での文学運動
- アフリカ性の再評価。アフリカの文化価値を主張し、表現言語としてフランス語を選択。
- エメ・セゼール
- 1913年マルティニック生まれの詩人・政治家。30年代にサンゴールらと新しい黒人文学運動(ネグリチュード運動)を興す。長編詩『帰郷詩帖』は、ネグリチュード運動のマニフェスト的性格をもち、仏語圏現代黒人文学に大きな影響を与えた。
- 祖先のアフリカの言語や文化、話し言葉を復元できない。
- アンティル諸島のアフリカ性への回帰の挫折
アフリカとアンティルの歴史的、社会的違い
アンティルは完全に植民地主義のプロセスの中から生まれた。住民は世界中から来ている。黒人性のみが問題なのではない。文化も言葉も新しく作らないといけない状況だった。植民地状況が400年も続いた。・アンティル性
- アンティル諸島では、使われている言語もキューバ_スペイン語、ジャマイカ_英語という風に多様であるが、文化的統一性がある。地政学的な概念に近い。
- 植民地主義が無ければ、自分たちクレオールは存在し得なかった。というジレンマ
- エドアール・グリッサン
1928年マルティニック生まれの詩人・小説家。アンティル諸島の住民の意識の目覚めと旧宗主国からの独立による将来像を模索した。クレオール言語のレトリックでフランス語を使う。・クレオール性
- 文化的諸要素の混在_それぞれの文化が整然と区別されて併存しているのではない。それらは、混ざり合い、時に複合文化同士ぶつかることもある。
- 複合的アイデンティティ_支配者の文化的要素も取り入れる。人類としての一体感の上に、アイデンティティはこれまでの国や人種の単一性に収斂するものではなく、多様な要素をふくんで≪炸裂したもの≫になる。
- クレオールの普遍化ではない。世界中がクレオールになればよいということではない。
- 普遍と特殊、純粋と不純、中心と周縁という範疇分けの無効性
- 複数言語主義_意識して複数の言語を使用する。その中に創造性がある。複数言語が同等の価値を持つ、あるいはそれらを併用するということではない。複数の言語の出会いによる新しい関係性の創出である。
- ラファエル・コンフィアン
- 1951年マルティニックに生まれる。高等教育はフランスのエックス=マルセイユ大学で政治学と英語を、マルティニックのアンティル=ギアナ大学でクレオール言語学を修める。クレオール語で詩や小説を発表する。88年にフランス語で書いた小説『黒ん坊と提督』似よって脚光を浴びるようになり、2作目の『オー・ド・カフェ』がノヴァンブル賞を獲得した。その後は、小説、評論、ドキュメンタリー、口承民話の採録、翻訳など多方面にわたってクレオール語表現文学の確立を目指す。「セゼールの息子たち」の世代の自立を表明。
- パトリック・シャモワゾー
- 1953年マルティニックに生まれる。基本的にフランス語を使用して小説を書くが、伝承や資料を重層的に組み合わせて書き言葉の中にクレオール性を取り入れる。92年に『テキサコ』がゴングール賞を獲得。