(写真1:アブドゥルハリム 元家畜管理技師 1994年、99年と2度にわたりチェチェン帰還を試みるが、戦争の予感に帰還を断念。チェチェンに送った財産全てを失った。ウシトベ近郊で高麗人が1938年に建てた家に暮らす)
(写真2:ライサとビラーナ姉妹 アブドゥルハリムの娘達。残った20頭の牛の世話、畑仕事で食いつなぐ毎日だ)
(写真3:イルス(幸せ)という名の女の子。母は戦争のない世界を願って、
カザフスタンに逃げ延びた時産まれたこの子に、この名をつけた。これまで
のチェチェンには無かった名前だ)
(写真4:マリヤム 娘達の嫁ぎ先に心配ないようにわざわざカザフスタン
からグローズヌイに戻ったところで第2次戦争が勃発、一族18人の内、9人
がロシア兵に虐殺された)
(写真5:朝の第14村。アブドゥルハリムが、牛を野良に出す。カザフ人の牧童が牛たちを放牧地まで連れて行く。地平線の彼方の山向こうは中国領のジュンガリアだ)
(写真6: ザーラと姜信子)
(写真7:サイディー 10歳の時、強制移住を体験した。飢え、寒さ、渇き、屈辱。走る貨車の中で、彼は辛い想い出を語り続けた。酷い青臭い臭いの「ニガヨモギ」を昔懐かしい美味と感じるのだと彼は言う)
(写真8:サツィータ アブドゥルハリムの妻。元々はロシア語教師だ。今は高麗人が放棄した畑で、スイカやメロンを栽培する。炎天下の労働はきつい。汗水垂らして得るお金が一番尊いという教えを心しているが、こういう労働に比べたら「鉄砲担いで山に行く」方がずっと楽よとつぶやいた)
(写真9:カザフスタン諸民族会議の傘下にチェチェン・イングーシ民族文化振興協会「ワイナハ」がある。ワイナハ協会の事業として日曜学校が開催されている。特徴はチェチェン人・イングーシ人だけでなく、希望する他民族の子どもを、積極的に受け入れて、一緒にチェチェン文化について教育していこうとしている点だ。写真11の女の子、マリアはロシア人)
(写真10:日曜学校)
(写真11:日曜学校。一緒に踊る女の子、マリアはロシア人)
(写真12:ウシトベ近郊の野良に向かうサツィータ母子。野良は1937年に強制移住させられた高麗人達が切り開いた。多くの高麗人が村を出た空白をチェチェン人が埋めている。チェチェン人は1944年から10数年間高麗人と暮らした者がかなりいるのだ。彼らは農業技術を高麗人から学んだ)