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一方、「チェチェンに平和をアメリカ委員会」の声明と、ブレジンスキーのコメントは、マスハードフの平和提案を無視して殺害に動いたプーチン政権を鋭く糾弾する一方で、サドゥラーエフの一連の発言に注目して、サドゥラーエフはマスハードフ路線の継承を宣言しており、十分に戦争終結に向けた交渉の当事者能力を有していると評価し、その国際的認知が今後のチェチェン平和実現に不可欠であると主張した。
4月の後半に入って開催されたジュネーブの国連人権委員会は、チェチェン問題を議題にすら取り上げなかった。しかし、チェチェン共和国在外総代表のハンビーエフ保健相は、TRP=国際ラディカル党の一員として、国連人権委員会で発言する機会を得た。ここでハンビーエフは、ロシア占領当局と、傀儡統治機構の手によるチェチェン国内の悲惨な状況の実態を暴露するとともに、チェチェン独立派新指導部の国際認知を強く世界世論に訴えた。チェチェン独立派新指導部の国際認知を急ぐ必要は、もう一つの側面からも重要であると筆者は考える。それは、欧州評議会の一部が推進しているチェチェン問題「円卓会議」とのかねあいである。「チェチェンに平和をアメリカ委員会」の声明は、欧州評議会などが独立派を無視したと批判して、その参加の重要性を主張しているが、それは若干の誤解が含まれている。欧州評議会は、むしろ何とか独立派(あるいはその中で一部の人々が穏健派と呼んでいる部分)を引き込もうと望んでおり、独立派がそれをきっぱりと拒絶している状況であるからだ。独立派は、西側諸国の一部が傀儡統治機構の代表をチェチェンの実質統治者として円卓会議に引き入れ、西側諸国からのチェチェン復興援助資金の受け皿とさせようと言うモスクワの願望をかなえようとしていると見ているのである。
もともとロシアの連邦予算には、巨額のチェチェン復興資金が盛り込まれている。連邦予算の地域支援予算は人口数で配分される。覚えていられるであろうか?2003年に国勢調査があり、チェチェン共和国の国勢調査は、傀儡政権が実効支配する平原部でのみ実施されたのに105万の人口を記録するという、「人口爆発」があったことを。このような偽りの数字は、傀儡政権にとって連邦予算を余計に確保するために必要だったのである。確かに戦争が始まる前のチェチェン共和国には100万近い人口があった。しかし、25万近い人口が戦乱に失われ、30万人が難民となって周辺国へ離散した。困窮した一部の者たちが危険を承知で、チェチェンへの帰還を果たしてはいるが、実態としてのチェチェン共和国の人口は、50万からせいぜい60万、偽造された人口の半分に過ぎないのだ。
では、何故こういう偽造が行われるのか?それは、傀儡機構というものが、一部の腐敗チェチェン人による連邦予算獲得の手段となっているからだ。アフマド-ハジ・カディロフ「大統領」が行っていた公金略奪システムは、息子のラムザン・カディロフ「第一副首相」に引き継がれた。ラムザンは、ロシア連邦政府のチェチェン復興支援予算の最重要課題となっている戦争被害補償の分配権を手にした。一説にはラムザンは総予算の75%を私物化しており、一般住民には残りのスズメの涙しか渡っていない。ラムザンによる独占は他の予算にも及んでおり、新たに傀儡となったアルハーノフ「新大統領」には、新たな財源が不可欠となっている。そこでアルハーノフとその保護者プーチン政権が目をつけたのが西側諸国からの「復興支援金」引き出しなのである。
このような構図に一枚噛ませられると言うことは、ハンビーエフ、ザカーエフ、イディーゴフら在欧独立派の在外代表たちには出来る相談ではない。ここに見られるように西側諸国には無関心と併行して、ロシアへのあからさまな妥協、独立派見殺しの傾向も産まれているのである。その一方で、このような無関心と無視を揺さぶってチェチェンに目を向けさせられるのはテロだけだという逆説も力を増す。バサーエフが何故、チェチェンの独立派の中で一定の支持を集めていられるのか?それは、いわば理性と感情のせめぎ合いの中で、絶望感が支配的になったとき必ず持ち上がってくるチェチェン人の感情をバサーエフが代表し、代弁しているからだ。
チェチェンの過激主義をイスラムと結びつけて語ろうとする傾向がある。また、マスハードフを穏健派、バサーエフを過激派ととらえる傾向がチェチェン支援運動の内部にも存在するが、筆者はそれに対しては大きな疑問を抱いている。マスハードフは政治においては世俗主義を大切にしていたが、一方でムスリムとして自らの信仰を非常に大切にしていた。その上で理性と理想で政治を進めようとしたのだ。一方のバサーエフの言動は、イスラムの言葉を過剰にまぶして厚化粧しているが、基本的には俗受けのするポピュリズムなのだ。
マスハードフの偉大な点は、誇り高い職業軍人であり、巧みな戦術で貧弱な部隊を駆使して強大なロシア連邦軍を相手に第一次チェチェン戦争を勝ち抜いた勇敢な司令官でありながら、「綺麗な戦争などあり得ない」という堅い信念に基づいて、戦争の回避に心を砕き、第2次チェチェン戦争を5年にわたって率いたことなのである。心ならずも血みどろの戦争に巻き込まれ、最高司令官として過酷な戦いを指導しながらも、最期まで理性を失うことなく絶えず和平への呼びかけを続け、紛争の解決は戦争ではなく政治交渉によってなされねばならないと説き続けた。穏健派というネーミングは心地よいのかも知れないが、マスハードフの本質を正しく捉えるものではない。このことは、平和と非暴力の闘いという我われ日本人にとって極めて重要な問題に関わるポイントなので、敢えて指摘しておきたい。
大きな違いをはらみながらマスハードフとバサーエフは、それぞれがチェチェン国内に残ってそこで戦う道を選んだ。チェチェン国内で戦う抵抗運動の戦士たちは、ナクシュバンディ、ハジムリートなど在来のチェチェン土着の伝統宗派に属する者も、アラブ世界由来の新興宗派ワッハビズムに傾倒する者も、ほとんどが一緒のジャマート(集団・部隊)を形成して戦っている。平原部と山岳部のチェチェン人意識を機械的に二分することは戒めなくてはならないが、山岳部チェチェン人の強烈な独立意識と信仰心が、チェチェン抵抗運動の持続的な支えとなっていることは疑いない。ここで指摘しておきたいのは、山岳部チェチェン人の保守的な伝統意識には、西欧型の近代主義もワッハビズムという外来の新思想も等しく、容易には入り込めるものではないということだ。
チェチェン人を支えてきた伝統的なアダート(不文律)にたいする確信や知識が失われたところ、絶望の淵に落ち込み理性を失った者に、テロリズムが触手を伸ばしているのである。テロリズムの克服は「穏健主義」による「過激主義」批判で解決するものではない。ベスラン事件実行犯たちの無軌道は、その実態追求が継続されねば真相は不明であるが、チェチェン人の行動を規定してきた不文律の忘却により起こった暴発ではないか? それはまた、長引く戦乱によって第2次チェチェン戦争初期に見られた平原部をロシア占領軍が押さえ、抵抗運動は山岳部に籠もっているという図式が、年月を経て変わっていることを見せつけたものではなかったのだろうか?
マスハードフが殺害された場所が、平原部の首都よりも北の村であったように、独立派は別に南部の山々に籠もっているだけではないのだ。ロシアによるチェチェン侵略は、チェチェン人をしてあらゆる方向に離散させた。彼らはイングーシにもカバルディノ・バルカリアにもダゲスタンにも、北オセチアにもいるのだ。ロシアによるチェチェン侵略は、南ロシアとコーカサス全域に途方もない社会的歪みを作り出した。その歪みは、チェチェン人だけではなく、全域の様々な民族にも影響して、社会不安を拡大再生産し続けている。その中でチェチェン戦争は、今や完全にコーカサス戦争に変貌しようとしている。
差別され迫害される、住み辛いと言うけれど、現在のモスクワには10万を超すチェチェン人が暮らす。現在のチェチェン人社会では、その一族に戦争の犠牲者が誰もいないといった例は存在しない。貧困と困窮に人格を破壊され、あらゆる分野に裏切り者が潜んでいるとは言うものの、占領地域から果ては、傀儡機構の中まで逆に独立派が入り込んでいる。その入り組んだ状況の中で、サドゥラーエフの手腕が試されようとしている。
5月に入って明らかになったこととして、チェチェン抵抗運動は、基本的な軍事組織の再編を行い、国内部隊司令官の配置替えを行うと同時に北コーカサス全域の作戦を統括する「コーカサス戦線」を発足させた。その司令官たちは殆どが、新世代の人々で、渾名でしか知られていない人々だ。わずかに東部戦線のアフドルハーノフと南西戦線のウマーロフ両司令官のみが、姓名がはっきりした、第一次チェチェン戦争以来の司令官であり、後はいずれも第2次チェチェン戦争の中で頭角を現してきた人々だ。
彼らの担うチェチェン戦争の将来はどうなっていくのか? 折から「チェチェンに平和をアメリカ委員会」は、5月13日に緊急声明を発して、再度、チェチェン抵抗運動にはマスハードフの和平推進路線の継続を、西側世界に対してはチェチェン問題へのコミットメント強化とチェチェン独立派新指導部の国際認知の重要性を再度提唱した。これに対して、サドゥラーエフは、迅速に反応した。早くも15日に回答声明を出したのである。
サドゥラーエフは、マスハードフの平和希求を肯定的に捉えつつ、マスハードフの死の教訓として、今のクレムリン当局には和平への意志がないことを冷静に読み取っている。従って、「そのアキレス腱」と彼は表現するが、小さくても致命的な打撃を急所に与えて現行のプーチン体制を打倒するか、西欧諸国が真剣に認識を改めて、ロシアに戦争行為を停止することを共同で強制しないかぎり、チェチェン平和は到来しえないと説いている。その上で抵抗運動の最高指導者として、ロシアの戦略拠点を攻撃するとしても、ロシアの一般住民をチェチェン側が敢えて標的とすることはないと、バサーエフが過去に採ってきた一般住民を巻き込む路線を退けている。
ここで注目されるのは、サドゥラーエフがあえてグルジア情勢について言及したことだ。グルジアは、チェチェン語を話すキスト人の居住区であるパンキシ渓谷を持ち、そこはただ単にチェチェンからの老人や婦女子、負傷者の待避場所であっただけではなく、祖国解放を目指す若者たちの再結集の場であり、後方基地でもあった。しかしグルジアは同様の機能を持ったロシア連邦内のダゲスタンやイングーシとは異なって完全な独立主権国家である。そのグルジア領内にロシアは軍事基地を配置し、かつアブハジア、南オセチアの地方政権にてこ入れして、グルジアからの分離独立とあわよくば自国への編入を目指している。この二つの地域では住民に対しロシア連邦旅券の発給さえ行われている。そのグルジアで、シェワルナゼ政権が崩壊してより民族主義的なサーカシビリ政権が発足すると、以前にも増してロシア側からの挑発的な行為が行われるようになっている。
クレムリン当局の思惑と旧ソ連諸民族の意志の間の対立、乖離は、グルジア、アブハジア、ウクライナ、キルギス、ウズベキスタンで現れた。ウズベキスタン、フェルガナ盆地アンディジャンでの暴乱とカリーモフ政権の無慈悲な鎮圧に対して、ロシアと中国は地域住民への人権配慮を促すでもなく打算的な支持を打ち出して、そこには何らの道義的正当性も見いだせないとロシアのマスコミ自体から厳しい批判を浴びている。そこに見られるのは自らの足下に革命の火が飛び火する事への病的なまでの恐怖心である。あらゆる国家機関に軍事治安機関関係者(シロビキ)を配置しているプーチン政権は一見強固に見えるが、民衆の支持とは無縁な存在である。それは遅かれ早かれ意識を覚醒させた民衆革命によって打倒される宿命を帯びている。ロシアの民衆は、70数年かかったが、全体主義国家ソ連を1991年に遂に打倒した。シロビキの利益代表、プーチンのネオファシズムは、レーニン=スターリンのボルシェビズムに見られるような支持基盤すら持ち合わせてはいない。
ポストソビエトのユーラシアは、各地で一般民衆と政治支配層の乖離を増大させ、極めて流動的な時代を迎えている。一部のロシアの社会学者は、プーチンのロシアも「花=色」革命の到来を待つ候補にあげ始めている。チェチェン戦争は、プーチン政権の墓堀人なのだ。だからこそ、サドゥラーエフは、明確に現在のプーチン政権に平和を乞うことはないとしているのである。何時の日か、チェチェンのイスラム戦士たちとロシアの民衆が肩を並べて、クレムリンのネオファシスト、ネオボリシェビキを打倒する日がやってくる。その時にこそ、チェチェンとロシア真の和解が実現するのだ。
現代チェチェン独立運動の草分けの一人、歴史家であるサイドハッサン・アブムスリーモフが指摘するように、「ロシアは、マスハードフを殺害することで独立派の息の根を止められると思ったが、これによってチェチニアの解放と真の独立は、決定的に早められてしまった」のである。
(了)
岡田さんのメールアドレス: kazuokada1@hotmail.com
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